第199話『戦女神と目が合う』

 ズドン、と剣が深く地面に突き刺さる。
 ジャラジャラと鎖が鳴って、飛んで行った先は――ラジュエラの元である。それをひょいと一歩軽く避けてラジュエラがアキを涼しい顔で振り返った。
『それは誰ですか……! 女ったらしは死ねばいいんです!』
 なんかアキに言われると心に刺さる。
 俺が剣を向けられたわけじゃないのにダメージを受けていると、ラジュエラが薄く笑って木の上に立つアキを見上げた。
『失敬』
 ヒュン、と剣を持ったラジュエラが影を残して動く。傍に突き刺さった十字架剣の鎖の上を真っ直ぐに走って一直線にアキの元へ向かう――。
 すぐにアキが十字架剣を消したが、其処に鎖がまだあるかのように二歩宙を蹴って走った。
『え……?』
 そしてそのまま容赦の無いラジュエラの剣がアキの胸を貫く。息つく暇も無い。俺達の前から木の上まで数メートル、ただ真っ直ぐではないこの距離を何の障害も無い平坦な道のように彼女はアキを討ち取った。
「アキ……!」
 声も無く、アキはフッと姿を消した。アキはやっぱり偽物だったのか……。
 俺は落ち着かないまま木の上のラジュエラを見るがラジュエラは更に遠くを見ている。
『ふむ……邪魔が着そうだな』
 恐らく遠くに見ているのは遅れてきているロザリアさん達の事だろう。
「ねぇラジュエラ? どーしたの? 試練は?」
『少し黙っていろ』
 遠くに目線をやったままラジュエラは言う。
「コウキ、ラジュエラ……いえ、ラジュエラ様はもしかして本物ですか?」
「えっ? いや、わかんない。
 話したいんだけど……応じてくれるといいなぁ」
「この状況だと望みは薄いですけれどね……」

 カッ! ドドォォォォン!!!

 ラジュエラから目を離した俺が悪いのだけれど――。急に真っ白な光と大きな揺れに襲われてファーナと一緒に地面に倒れこんだ。
 十中八九背中の方で裂空虎砲が放たれた。その瞬間を見ていればファーナを庇うぐらいは出来たのに。
 俺は起き上がってファーナを起こすとすぐラジュエラを見上げる。もう此方に視線を落として静かに立っている。ラジュエラが裂空虎砲を撃ったであろう方向を見ると――。俺が来た道は跡形も無く消し飛んでいた。サイカの村に戻る道は谷に変わった。村が無事かどうかは分からないが、俺が走り回った分にはアキ以外の気配は無かったし、きっとそういう世界なのだろうから大丈夫だと思う。少し心痛む光景ではあるが。

「……ラジュエラは本物?」
 俺達を見下ろすその人に訊いてみた。殺意に追いかけられていたこの空間で、唯一中立的にみえるというかラジュエラはいつも通りに見えるのだ。
『本物? 難しい質問だな。君が本物のコウキだと君は証明できるのか?』
「……俺が自分証明……うーん、確かに難しいかな。
 あ、でもほら、宝石剣持ってるよ!」
 これは俺しか持ち得ない剣である。けど、それを見て乾いた笑みでラジュエラが俺を笑った。
『それが本物なら、先ほどの“アキ”とやらも本物だろう?』
 確かに十字架剣は持っていた。というか持っていたからこそ偽者なんだけど。
「あ、そうだ……! じゃあ炎月輪! ファーナ!」
「はい!」
 ファーナが短縮唱歌で俺の手に炎月輪を持たせる。
 この剣だけは、鏡ですら真似をしなかった。
『剣から離れろ、と言いたいが……それは確かに模倣すらできないものだ。
 故に。この不毛なやり取りをやめよう。
 我を前にして、君が剣を翳すのも、語るのも無駄な事だ』
 ラジュエラは剣を構えて木の上から地上に降り立った。土煙は立たず、ふわりと羽根が降り立ったかのようである。
『この剣を翳そうが』
 ラジュエラの翳す剣に刃は薄くしか見えない。ほんの少しだけ光を曲げるだけの剣は、夜になると本当に見えない。
『姿を語ろうが――』
 ラジュエラの姿が見えている事。それがファーナに見えてしまっているのはこの試練のせいなのだろうか。けど、だからこそ彼女を疑っているのだ。
『我等の行き着く先は、分かっているはずだ。
 やってきた事はたった一つだ。

 そうだろうコウキ―――!』

 彼女が笑うのは、いつも戦いを前にした時だけである。
 言葉の上で笑っているふりをするけれど結局ラジュエラが嬉しそうに笑ったのは俺と戦っている時だけだった。
 悲しい性質だと言えば彼女は戦女神の冒涜だと怒るのだろう。そんな気は毛頭無いのだけれど。
「コウキ……彼女はやはり……」
「……や……ラジュエラは、多分本物だ。
 目が合ったんだから戦っていけって事だよ」
「そんな家に着たんだからお茶でもみたいな流れでですか?」
「そんな感じなんだよ。呼んでおいて話だけで返ろうとしたら無理矢理抜いてくるし!」
『君だって散々、私をストレスの捌け口にしただろう』
「大好きな癖に……ってだから! なんでそう色々誤解を生む言い回しをするんだよ!」
『本当の事だろう?』
「コウキ、後でお話があります」
「すげぇテジャヴ!」
 呼ばれたら、俺は必ず剣を抜いた。
 それは最初からずっと続いていて、ただの一度も例外の無い――。

 俺達しか知らない、唯一の事である。

 鳥肌が立つほどの清々しい殺気を放つラジュエラが、あまりにも素直に本物だと確信できた。思わずファーナもラジュエラを凝視して臨戦態勢を取っている。
 ラジュエラと戦うのは、嫌だ。なんて思った事は無い。いつもそう思う暇が無い。
 彼女が戦女神である事の本質に闘争本能に直接触れてくるような物言いから、いつもピリピリとした空気の中で対象である俺達加護者に戦意を与えてくれる。逃げようとすれば非難をするし、向かって牙を向ければ褒めるのだ。

 剣を抜くまでは、ラジュエラは必ず待つ。俺が頑なに抜こうとしなければ、最初の一撃で必ず剣を抜かせるのだ。そこから持てる能力全てを使って全力で戦う事を愉しむ。
 きっとラジュエラが楽しいと思っているから、俺もこの戦いは痛い事を除けば全てのやり取りが楽しいのである。




 逆手に持ち替えられた剣に気付いて一歩踏み込みを遅らせる。切り替えしで瞬時に返された刃が目の前を通過してそれと同時にラジュエラに踏み込んで身体を当てた。追い討ちを防ぐ反撃を一撃防いでから追撃に二回切り込んで、グルりと回転する勢いで炎月輪を投げた。その軌跡には火が揺らめいてラジュエラを掠める。

『全くキミは。彼女が見ていれば途端に強くなるのだな』
「別にそんなことないよ! 全然いつも通りだし!」
 ザッと砂を鳴らして降り立つと構え直す。
「いつもはボロ雑巾のように負けていると聞きます」
「酷い!」
 自分で言っておいてなんだけど、人に言われると酷いなボロ雑巾って。
 バッと振り向くと、ファーナがニコッと笑った。
「でもわたくしには今日も変わらず貴方は強いように思えます」
「行くぞラジュエラ!!」
 剣を向けて凄むと、ラジュエラが呆れたように一度ため息を吐いて笑った。
『ゲンキンな奴だな』
「節制は身についてる方だよ!」
『そのゲンキンでは無いよ。
 具体的に言わせて貰えばそう……。
 愛の力だな』
「きゅ、急に女神ぶるなよ! 似合わないぞ!」
 言われるとすげぇ恥ずかしいし。変な汗を背中にかきながらラジュエラに剣を向ける。らしい演技である事は否定せず、彼女はいままでどおり、ニィっと笑って同じく構えて姿勢を整えた。
『そうか、残念だ。戦女神<ワタシ>らしく行くぞ!』

『術式:紅蓮月!』
 彼女の両手の透明刀身の剣は炎が揺らめく双剣に変わった。それと同時に弾けるように走り出す。
 ラジュエラが地面に剣を擦る程の低さから一気に突き上げるように剣を振りぬいた。
 それを避けるように飛び上がって、剣術を叫ぶ。
「術式:紅蓮月!!」
 ボゥ! と剣が火を纏って揺らめきだす。これは剣と相性が良いと、かなり熱量を溜め込む。リーチが長くなるのもそうだが――むしろ、炎月輪に向いた術である。
「連式!」
 ギリギリと腕を矢を引くように引き下げて真下のラジュエラに向かってそれを振り下ろす。
「炎陣旋斬!!」
 ボゴォォン!!
 ラジュエラが横へ飛ぶように逃げて、その後に炎月輪が突き刺さる。炎がボゥッと円形に巻き起こって地面を抉るような衝撃と共に広がった。
『術のキレも威力も良い! 善いなコウキ!! 実に好い!!』
 ボシュッ! 炎を浴びたその身体のまま一直線に俺に踏み込む。先ほども見せた通り、宙にいれば自由に動けない此方が不利になる。飛び上がるなら必ず防ぐ覚悟か何か手立てを考えておかなくてはそこで勝敗が決してしまう。
『「術式!!」』

 叫んだのはラジュエラと同時で、彼女の踏み込みと同時に真っ白に光るお互いの剣を確認できた。
 俺の片手には宝石剣。片方は投げてしまったが――。
 今、手には双剣があるのである。
 剣が欲しいと思えば、其処にあるのである。握り締める炎月輪が、真っ白に光を帯びている。
 だから―――これは、双剣による裂空虎砲。

『「裂空虎砲!!」』

 ゴォ!!

 剣が交わるその中間に行き場の無い衝撃が生まれて、激しく爆ぜる。
「うわッ!!」
「コウキ!」
 吹き飛ばされている途中で声が聞こえた。
 ファーナが伸ばした手だけが見えて、咄嗟にその手を掴む。それをグッと掴んで引き寄せて抱え込んだ。

 衝撃緩衝が働いて、真っ白な光に包まれる。
 それでも背中が物凄い衝撃に襲われた。ザリザリと砂利の上を滑ってようやく止まった。
「……って! ファーナ! 大丈夫!?」
「は、はい。わたくしはなんとも……コウキのほうが心配です」
「俺は大丈夫だよ。慣れてるし」
 とりあえず打ち付けて痛いような気はするが大丈夫だろ。
 ラジュエラを警戒する意味もあってすぐに俺は立ち上がる。
「あっ、やはり背中に怪我を! 手当てを……!」
 ファーナがそう言って自分の足につけている皮製のパックから包帯を取り出そうとする。
「手当てされてる時間はなさそうだよ」
 遠くには土煙の向こうに揺らぐ影がゆっくりと此方へと向かっていた。すぐに戦いは再開になる。
「……毎度、このような戦いを?」
「ラジュエラとは毎回だよ」
 可憐な女性が戦闘を応援してくれるという夢のような甘ったるいシステムではなくて。キツイ上官のようなお姉さんが俺を立派な兵士に叩き上げてくれるのである。毎度死ぬほど痛めつけられ、その壮絶にも戦いの最中に散る俺をただ誇らしく見送るのである。
 何度も死んできたのだけれど、勝ったのはただ一度。あれはメービィのお陰だけれど。
「ならば負けは……死ですか」
 負けて死ななかった事はほぼ無い。ラジュエラとの記憶の話の殆どは最後に俺が死ぬ事で終わる。それを思い返してファーナは言ったのだろう。そして今回も例外ではない。
「……うん」
「では」
 ファーナがザッと足音を鳴らして、姿勢を整えると、自分の胸に手を置いた。
「わたくしも。命を懸けます。コウキと共に此処を出なくては意味がありません。
 戦わせてください。今わたくしはあの方の眼中に入っているのかも怪しいですが――」

 正直に言ってしまえば、技術でラジュエラに勝とうと思ったら後何十年掛かるか分からないレベルだ。いかに彼女が俺を天才だと褒めてくれようとも、それを笑いながら避ける事のできる彼女を前に、何が天才かと思うのだ。
「ああ、でもありがと。なんか勝てる気がしてきた」
「勝たないとダメなのですっ」
「うっしゃぁ!」

 俺の一声の後に炎月輪がボゥっと今燃え始めたと言わんばかりに発火し始める。策は掛けから、とファーナが俺に作戦を伝える。掛かります、とファーナが言ったら火矢を放つ合図。そういう小さな決め事が俺達四人の中では三個ずつ程度はある。しかし調子が良いのは間違い無い。炎月輪がその能力を発揮し始めるのはこの焔が灯ってからだ。その剣を見たラジュエラは歩いて近づきながら俺達に言う。
『流石は焔のお方。
 君たちは共に戦う事を選ぶたびに強くなる。

 剣と焔で共に熱く踊ろうか――!』

 ガンッガンッ!! 石畳の道が凹んで石の破片が飛ぶ。ラジュエラの脚力と鎧の重さで思い切り踏みつけられて陥没して割れる。弾丸みたいな速度だ、という体感と寒気のする直進は変わらない。直進だから真っ直ぐ合わせればあう訳ではないからだ。目の前で一歩右にずれて弓を打ち出すように下から上へ剣を振り上げた。後ろに少し飛んで回避したにも拘らず、袖口の布がパッと二つに割れてギリギリで避けれた。二撃目は踏み込んできて左手を真っ直ぐに俺の腹を目掛けて突き出す大振りから鉄の塊の回し蹴り。そして更に全身を使った連撃が嵐のように続く。その一つ一つを寸で避けるものの、掠り傷が増えて気付けば全身にダクダクと血の流れる傷が出来上がっていた。
 ファーナの法術支援が近づく度に焔の法術を使用してくれる。俺達の持っている作戦は沢山あるのだ。
「掛かります!
 収束:50 ライン:右腕の詠唱ライン展開固定!
 術式:燃え爆ぜる矢<イグニ・バム・ファロー>!」
 俺の背に向かってファーナが炎術を放つ。
 本来はアキと二人で同時に挟み込み当てる為のものだ。それをぶっつけで前衛後衛を一対一にした時に相手に見せない事で距離と速度を誤魔化すと言う方法で行った。この後も遠距離で攻撃を放つ。
 俺が前かがみに飛び込むように移動するとボゥッと炎の矢がラジュエラのすぐ目の前に飛んで言った。術士が居てもラジュエラは楽しそうだ。タンッと後ろへステップで下がって剣でそれを斬りつける。
 ボンッ! 小さな爆弾が弾けるみたいにその炎術は爆発を起こす。本来は激しく燃える程度の火力らしいが、ファーナが使うと手榴弾みたいな威力になる。近くで爆発すると少し怖い。俺は避けた勢いでラジュエラの横の方へ距離を取った形でザッと爆発に備える形で姿勢を整える。
 上手く行った――そう思った次の瞬間の物凄い背筋が凍るような感覚に襲われた。それは流石の戦女神様、と言うべき姿である。ビュウと風ごと持ってきたような剣一振りで爆炎を払って、此方を見てニヤリと笑った。

 炎術の直撃は、本来なら殆ど決着したと言って良い。普通のモンスターでも、それに耐えうるものは少ない。
 だが世界にはやはり耐性のある奴だって居る。相性の良し悪しがあるのだ。
 その中でもラジュエラは、頂点と言ってもいいかもしれない。
 何で出来ているのか良くわからない硬い鎧。そもそも精霊位という神性。そして戦女神という強さである。
 その程度の炎術は効かない、とその姿が証明していた。

 そしてラジュエラは瞬時に俺からファーナへと視線を移して走り出す。
 ファーナを狙われるのは拙い――!
「収束:1000 ライン:左腕の詠唱ライン展開固定!
 術式:炎虎の咆哮<ライネガンツ>!」

 ファーナの赤い術式ラインが更に赤く光ってスゥッと腕の周りに術陣を出現させてその先に炎の球を生んだ。その炎に飲み込まれるようにラジュエラが突進する。

「ファーナ避けろ!!」

 もちろん、そんな攻撃で止まるような人ではないと俺の本能が叫んだ。
 連携の隙を突かれた――!
 炎が人型に盛り上がって、ボゥッとその中から笑顔を携えた彼女が現れる。
 俺の叫びが届いた頃には振り上げられた剣を見てファーナが唖然としていた。

 そういう、理屈で考えていい人じゃない――あの人は、剣に刺さされて尚微笑む戦女神だ。痛いや、熱い程度で止まるわけがない!
 俺は全力で走って飛び掛るようにファーナに手を伸ばして――ラジュエラの前から突き飛ばした。

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