彼女を押しのけた後は反射で行動した。無心で俺はラジュエラに踏み込んだ。身体を割り込ませて片方だけ剣を止めて、自分の身の安全だけは確保する。当然その踏み込みは同じくラジュエラも此方へ向かっていた訳で、鉄以上に固い鎧を着たその人にほぼ生身で体当たりする事になった。
肩に割れるような痛みが走って、思わず声が出る。
「がっ……!?」
しかしそれ以上進ませるわけにもいかない。気合と何かでその鉄の塊を体当たりで受けきった。
『全く……、主は器用だな』
「師匠が優秀なんでね……!」
顔が近い状態で睨み合う。そんな状況でラジュエラはにやりと笑って俺のデコに兜がぶつかるぐらいまで近づいた。
『違いない!』
その声を合図にバッとお互い手を払って再び距離を取る。
ラジュエラは二歩でまた普通に歩いて八歩分ぐらいを下がった。
彼女が構えたのにあわせて俺も構えようとすると、肩口からピキィっと痛烈な痛みが伝わってきた。
「いづぅ!?」
「こ、コウキ!? 貴方肩を!?」
肩を押さえる俺をみて、ファーナが悲痛な声を上げた。
「いや、全然、痛くねぇ……!!」
ビックリするほど、強がりな言葉が出てきた。
右手が――上がらない……!!
今こういった傷を負う事は、死に等しい。笑うラジュエラが死神に見える。
次の一撃で、確実に首が飛ぶ。それが決定した瞬間、視界が揺らぎ逃げろという本能に駆られる。
何度、この境地に立っても怖い……!
「コウキ……!」
ファーナの目に涙が浮かぶ。
「……申し訳ありません……! 勇気が足りず、実力も足りず……、いつも貴方の荷物になってばかりで……」
ファーナが目に涙を浮かべながら俯く。
「いくらファーナでも、それ以上言ったら怒るからな……!」
「うぅ……でも……、わたくしが、此処に、居なければ……」
ファーナが此処に居なければ、俺がラジュエラに勝てたのか。
それは当然のように、勝てなかったと言える。
彼女が居なければ、俺は双剣持ちですら無い。
「居なきゃもうとっくに死んでたよ!
ファーナが俺の剣になってくれるから!
俺だってファーナの剣なんだ!!」
今ファーナが守れないで、何の為に約束したんだ俺は――!
左手に宝石剣を持ち替えてラジュエラに向けて翳す。
今更みたいにガタガタ切っ先が揺れる。
此処に来て怖い。ラジュエラに呼ばれた時みたいに無鉄砲になれない。本当に死ぬのは何時だって怖いんだ俺は――。
虚勢を張って、勇気を振り絞って、幼稚な正義振りかぶってようやく前を見てラジュエラに剣を向けている。
『好い叫びだ。
その闘志の熱が何より私を興奮させる。
さあキミも魅せてくれ――!』
ラジュエラが笑うのが、何よりも俺の恐怖になる。
ブワッと彼女を中心に空気が張り詰めて行って、ついにはその空気が俺の心臓を鷲掴みにしたように、緊張がこちらに伝わってきた。
バクバクと心臓の音だけが聞こえる。次がラジュエラの最後の攻撃だ。次に彼女が足を踏み出したら覚悟を決めなくてはいけない。
何か勝つ方法は無いか。ラジュエラに有効な術は合ったか? 彼女から教わった技は論外だ。彼女を突破するに至らない。それにしても肩が痛い。鎖骨からいってしまったのだろうか。いやそうじゃなくて、神隠し? いや、アレは意志を剣から逸らす事が出来てやっと役に立つ。この状態では、効果が無いといっても過言ではない。
ザンッッ!!
無情にも、ラジュエラが一歩を踏み出して地面を踏みつけた。グッとつま先に力が入って想像以上に強い力で地面は押されて彼女の足の形に凹んでいく。
これ以上ファーナの近くで戦うのは危ない。
足が生きているうちに――少しでも離れなくては。
此方も駆け出して、ラジュエラと剣を合わせる。
「ぐっ……!」
右肩が痛くて剣が振り上げられない。ぶつかるように剣を合わせ続けるのは無理だ。右手を守りながらかわすように避けていると、不意に右からの回し蹴りが飛んでくる。
想像以上のリーチと速度に思わず右手が反応して、ガードしてしまう。
ガンッ!
本当に鉄の塊の鎧足具を纏ったラジュエラの蹴りが命中すると、思わず絶叫しそうになりそうな痛みが肩に走る。
歯を食いしばって、耐えるが、痛みで右手が動かない。痛みを耐える体制で一瞬止まっていた俺を思い切り体当たりで吹き飛ばすと、剣の切っ先を此方へ向けた。
『誰の保身を考えているのかは知らないが、浅はかだな。
がっかりだ。キミはもう少し考える奴だったろう。
戦略を練れ。
最善の選択のみをしろ。
その先一寸の奇跡を勝ち取れ。
それがキミの全てだ!』
ラジュエラの言う奇跡の確率は百分の一に満たない俺の勝利。
今右手をほぼ完全に使い物にならない状態になった。腕の感覚が無い。これ以上は振ってはいけないというのは本能の制止命令だろう。
ザザッと土の鳴る音がして、その先を振り返る。
ファーナがラジュエラの剣と俺の間に立って両手を広げた。
『……我の剣の前に立つ事が、何を意味するか分かっているか』
「わかっています……!
コウキを守るため、と言えば聞こえはいいでしょうけれど、結局わたくしが此処に立つ事になんの意味もありません……!
身を挺して盾になれるなら良かった! 意味が無いならわたくしの自己満足です!
命を共にする覚悟が無ければ、ここに一緒に居る意味すらないのですからっ。だから――」
『……』
「わたくしが、貴女の前に立ちはだかる事には意味があります!」
彼女が言い切るとラジュエラが剣を振り被ってファーナの白い首に向かって一閃を描いて迷わず振る。
宝石剣がラジュエラの剣とぶつかって、甲高い音を立てた。
間一髪、ファーナの後ろから手を伸ばすように割り込んでラジュエラの剣を止める事が出来た。
右肩が痛いのを堪えて、声を振り絞るような形で言う。
「意味あったよ……!」
俺が死ななかった。
「……ありがとうございます」
『その茶番で何かが変わるのか?
傷を負ってその程度が限界のキミが何か出来るのか?
キミが――お前達が幻想の中でしか強くなっていないのなら、今此処で消えろ!!』
彼女がそう叫んだあと、急激に剣に力を込め始めた。
ラジュエラと戦ってきた俺は夢の中の話でしかないのか。そんなわけがない。彼女の動きは経験からの予測でかわせている。裂空虎砲の範囲で、ほぼ俺達が逃げれずに反撃もし辛い位置だ。この時の選択肢はたった一つだけに絞られる。
たった一度の勝利は何故起きたか。
ラジュエラの気まぐれで、メービィが協力してくれたからだろうか。
ギチギチと詰め寄ってくる剣に、フワッと真っ白な光の線が走った。
『術式:裂空虎砲――!!』
ラジュエラの振りかぶった左手の剣が、真っ白な光を生み始める。何重にも、何重にもその光が重なって、彼女の後ろにまるで太陽が昇ったようになった。
パァァァァァ――!
真っ白な光が解き放たれて、いよいよ彼女の姿を隠すほどに輝いた。
ふと、剣を押さえる左手に、ファーナの手が添えられた。
ラジュエラに切っ先を向けた。
全身に真っ赤な術式ラインが走った。
ブワッと風を生んだ術式ラインは俺とファーナを照らして、即座に術陣へと変わって行った。
上限のある下級術と上限の無い上位術。彼女は炎術だけはその両方を使いこなす事が出来る――。特に、彼女の持つ最大火力を誇るそれは、弾丸のような形に炎を溜め込むのだ。
「術式:黄昏の紅蓮の弾丸<アドル・イグニス・バレット>!!」
ゴォォォォォォォ!!
焔の神子が叫ぶと同時に、宝石剣の切っ先に一気に白熱球のような丸い球体が現れた。突如目の前に現れた強力な法術に笑みが消えたのは印象的だった。
術は一気に膨張して、ラジュエラを包み込んで燃え上がる――!
収束時間は無かった。
スゥッと、俺の体温が移動するような感覚――。
まるで俺が撃ったみたいなその法術に驚いた。
慌てて俺はファーナを連れて飛ぶように後退した。
「コウキが言ってくれなければ!
失念したままでした!
・・・・・・・・・・・
コウキがわたくしの武器だったという事を!!」
ファーナの声が聞いて納得した。俺を既に収束されたマナとして扱う事で収束の時間を飛ばして大きな収束量でラジュエラに術を放ったのだ。この戦いでは動きの速いラジュエラに術を当てる事が難しく、色々撃っていたが殆ど彼女のダメージに繋がっていなかったファーナの術が、ここで不意のクリティカルヒットを見せた。
ファーナはマナの塊である俺を利用して、術式のみでラジュエラに術を放った。俺は銃弾装填済みの拳銃だ。後はファーナが引き金を引くだけ。
どれぐらいの力を使用したのかは分からないが――俺が今まで見てきた彼女の術の中で一番大きなものだった。
少し息を呑んでその炎を二人で見つめていると――その弾丸の中心が、ぐんっっと盛り上がる。
『我 を 嘗 め る な ァ ァ ァ ァ !!!』
巨大な焔の球の中から、彼女は現れる。
橙の炎が人の形にぶち抜いて、そこから光を携えるラジュエラが飛び出してきた。
鎧を歪め、肌を焼き、視覚を奪ったはずの炎の塊を通りすぎて尚、彼女の双剣の光は衰えていない。
その向こうに見える鬼神が如く姿には、畏怖を抱かずに居られないだろう――。
痛みを思わせる傷をいくつも負いながら、彼女はただ俺達を見据えて雄々しく剣を振りかぶっている。
ビキィ!
痛烈な痛みが右肩に走って指先の感覚は感じ取れず、その痛みばかりが右半身を支配した。サァッと背中に酷い冷や汗が流れた。今この肩は壊れている。剣をあわせて振り勝てない。
何より今、剣が振れないのは最も拙い――!
必死に手繰り寄せるように身体の何処に力を入れて動かしてるのか分からないぐらい神経を導入して、ピクリと指先の感覚を感じた時にやっと剣を持っていない事に気付いた。
「在るでしょう!!」
ファーナの叫びを聞いて更にピクピクと右手が動く。
有った。炎月輪を俺は持っていたんだ。
ファーナが歌うまでもなく、其処にあって当然のものだった。
ファーナが俺の剣だった。剣が欲しいなんて、何度も何度も彼女が叶えてくれた事だ。
「うがぁぁぁぁあああ!!!」
ビキビキと右肩が悲鳴を上げる。歯を食いしばって泣きたいわけじゃないのに流れてくる涙を耐えて、身を捩るように剣を振る。
『術式!』
決して一人で戦っては居ない。
彼女と声を重ねた。
『裂空!!』
目前の強敵を前に、迷いも恐れも無い。
剣はいつも此処にあった。いつも其処に居てくれた。
『虎砲!!!』
白く燃える炎を纏いながら、真っ白に刀身を光らせる剣を振りぬく。
『ああああああああああああああああああ!!!』
その場に居る全員の咆哮が合わさった。
負けられぬ戦いである事はどちらも同じで、始めから勝つために戦う戦女神と、生きる為に勝たなくてはいけない俺達。死に物狂いでその術式にありったけの力を注ぎ込む。
二つの同時に放たれた裂空虎砲が、俺達の間で行き先を求めて力を溜めていく。どちらかに傾居た瞬間に、一気に押し切るだろう。
この先に俺達は行かなきゃいけない。
俺達の本当の意味での生きる生活はまだ始まっても居ない。
神子とシキガミのルールで縛られている以上、人並みの生活はすぐに終わる。
その枠組みを――俺達を囲う檻を、抜け出さなくては――!
こんな所で終わっている場合じゃない!!
「ラジュエラァァアアァァァァーーーー!!!」
その先にしか無いものの為に俺は師を超えていく。
パリィ――! 表面の光が一枚罅割れて消えたような気がした。
パンッ! パキィ! ピキッ!
二枚、三枚、とその光が同時に割れて行く。密度が消えていっている――。風を巻き起こして、陽炎が揺らめきながらどんどん荒くなる風が竜巻のように俺達の周りの熱を巻き上げていく。
バキィィィン――!
最後の光が割れて、ラジュエラには透明刀身の剣が見えた。
俺達には、宝石剣と炎月輪が真っ赤な光が残って燃えるように輝いていた――。
軋むような痛みがする右手を歯を食いしばって振る。
ファーナが手を沿えてくれている左手は双剣である事を、認め続けてくれた人がくれたものだ。
そしてその剣を――思い切り戦女神に一閃した。
轟々と土煙を巻き上げた裂空虎砲の衝撃が久しぶりにビリビリと左手に残って麻痺している。
本物かどうかは関係ないと彼女は言った。確かにラジュエラ本人でも偽物でもやる事は同じで同じ結果に辿り着いたのかもしれない。
ラジュエラが消えていれば、彼女もこの世界の作ったものだった事になる。
俺はそのゆっくりと消えていく土煙を凝視した。
「……勝った……、のでしょうか……?」
ファーナが俺に寄り添って息を呑む。息荒く俺はただその答えがでるまで待ち続ける。
程なくして、俺達は同時に息が止まるような驚きに包まれた。
土煙の向こうから揺らめく黒い影。鎧の右から部分が吹き飛んで壊れ、痛々しい傷が右肩から腹の辺りまで真っ赤に伸びている。血が出ている様子を見た事が在る。ラジュエラは傷があってもなお嬉しそうに俺と戦った。まるで、それ自体が楽しいようでもあった――。
『……全く、キミはデタラメだな。
女の子の前だからって張り切りすぎだ』
「……はは、いいところ見せたいんだよ」
彼女の持っている剣は真っ白な刀身を露にした不透明な剣になっていて、剣の面いっぱいに亀裂が走っていた。その剣は――俺達の見ている目の前で、パリパリと薄い氷が割れるように静かに砕けた。
『……我が剣を砕かれたのは初めてだな』
「俺の気持ちがわかった?」
『……少し、な』
ラジュエラは目を伏せて、何かを思うようにゆっくりと息を吐いた。
彼女はまた傷を治そうとしない。夥しい量の血が流れているのに、愛おしい物を見るようでもあった。
サイカの村からグラネダの街道の途中での戦いで街道は自身に寸断されたみたいにパカパカと割れた。裂空虎砲の本気が垣間見れた。これはシキガミが世界を壊すバランスブレーカー指定されるのも頷ける話だ。といってもこの殆どはラジュエラがやったんだけど。
「これからはもっと優しくしてくれよな」
『これから、か……』
ラジュエラに今戦意は無いようである。
傷を押さえていつもの無表情で俺を振り返った。
ラジュエラは本物だった。
術式によるコピーは、何かしらの劣化や制約があるようだ。例えば問答無用で攻撃をする知性の無い行動。コピーできない関係や技。性格異常。
常に何かしらの不良を抱えている術で、不安定なものだ。
でもラジュエラは俺の記憶にあるラジュエラのままである。
不敵な笑いも、戦いに率直な物言いも、俺をからかう為の“笑う”も。受けた傷を直さない姿も全て彼女がやってきた事、彼女のままである。
きっとそのまま世間話でも始めるのだろうかと思ったら、本当に彼女はそれを始めた。
『この世界を創った者が誰かは解らないが……感心だな。
我等にすら許されない能力を生み出した』
「ラジュエラは本物だったな!」
『我に偽者が居るとでも?』
「いないの?」
俺が首を傾げると、ラジュエラはフッと微笑んで首を振った。
『世界に記憶されるものは魂の輪郭を持つ君達であって、我等ではない。
キミの頭の中の妄想でしかない我を、他の誰が知ることができようか』
「でも今此処に居るじゃないか!
なぁファーナ。あれ、もしかして見えないとか?」
「いいえ。流石にずっとわたくしにも見えていますよ」
「じゃあやっぱり、ラジュエラは今此処に居るじゃないか」
『確かに新しい世界の声に導かれて此処へ来た。しかし我々には、移動という概念は無い。現界でもしない限り、神の定義からは逃れられないはず。其処に在るだけだ。
此処は何処だ』
神様にそれを聞かれると俺は首を傾げる事しか出来ない。
「よくはわかんないよ。此処って試練の為に法術で作られた空間とか夢じゃないの?」
『いいや違う。
ここは誰かの世界だ。
キミが最初に受けた試練も並列する誰かの世界に呼ばれただけの事だ。
その気になればモノだって小さな世界を作れる。想いの世界。
まぁ、神意的空間についてはキミの方がいろんな女性の部屋を巡っているからわかるだろう』
「なんでワンクッション余計な言葉入れて俺を陥れようとすんの?」
『そんな事はない。キミの場合我の空間も、そしてメービィ様の空間も頻繁に訪れるだろう?』
「そうかな? てかみんな祭壇に行かないの?」
「コウキみたいに頻繁では無いと思います」
ファーナがフルフルと小さく首を振る。
「そうなの? だって祭壇行ってドア開いてすぐでしょ?」
「まるで神様が友人ですものねコウキ」
『そうだな。もっと敬え。讃えろ』
「ええっもっと?」
「その状態で信仰心があるというのですか」
『礼儀のなってない変な加護者だな。
だが……それがキミのいい所だ』
「変な神様だろ。そこが面白いんだけど」
「……なんというか、お互い尊重しあえていい関係ですね。決していいところとは言えないですけれど」
『それほどでもない』
「だって俺の師匠だぜ!」
「納得の説得力です」
『それは解せぬな。こんな変なのと一緒にしないで欲しい』
何故か其処に頑なに心のバリケードを作りだす。時既に遅しと言う事に気付いていないのだろうか。
「何をぅ!? 今凄い変人コースだったよ! もうリカバリーできないよ!」
『これがコウキの呪いか……』
「呪いとか言うなよ! 女神の癖に俺の事苛めるの!?」
『可愛い弟子にはつい意地悪したくなるんだ』
「顔が全然心にも無いって言ってるよ。いじめいくないよ!」
「コウキは愛されていますね……」
「何処が!?」
俺達の様子を見たラジュエラがまた、優しく微笑む。
君達は仲が良いな、と言って俺達に背を向けた。
その背中まで届くような一撃を食らって立っていられるのは戦女神という本質からだからだろうか。見ているだけでも結構心臓に悪いな……。
「さぁ、君たちは此処を出なくてはな」
「なんかラジュエラ傷治さない? もう気になって仕方ないんだけど」
治して欲しいのだけれど、彼女はそんな事には聴く耳を持たないようだ。
「そんな事より人の話を聞け。
これから我が道を開く。
あまり長くは開いていられないだろう……。だから駆け抜けるんだ。
いいか、必死で走れ。それを逃すと君たちはこの世界から出ることができない」
ラジュエラが残っていた罅割れた剣で街道のグラネダ方面を真っ直ぐ指した。
「わかった。ファーナ大丈夫?」
「ええ、マナは殆ど無いのですが、体力的にはまだ全然大丈夫です」
「そっか! じゃあ走れるな!」
「はいっ」
いい返事が返ってきたことに満足してグッと親指を突き出す。
炎術は今回結構使ってもらった。俺を見て作戦と術を選んでいたと思うので、精神疲労はかなり溜まったと思う。
ラジュエラを振り返ると、彼女は何処か遠くを見ているのかピクリともしないで風に虹色花弁飾りを揺らしていた。
「ラジュエラ?」
「……」
「ラジュエラ!?」
「……、すまない。少し感慨に浸っていた」
俺が声を大きくして呼ぶと、やっと気付いたように視線を此方へ向けた。そして此方を向くと俺をみて彼女は言う。
「良くたどり着いたコウキ。
君の短くも過酷な人生に、無駄な事等何一つ無い。
君が剣で努力してきた分は、君が守れるものですぐにわかる。
守った人の分、君は守りたいと思われ、全て君に返って来るだろう。
迷いながら歩いてきた道は間違っていない。
きっと知らないのだろうけれど、君に救われた者は多い。
我ですら、その一人だ。
だからありがとう」
彼女の言葉に違和感を覚えた。
また冗談から始まるのかと思ったら、そんな事は無く、ただ真摯に俺に礼を言うと彼女は頭を下げた。
「ラジュエラ、なぁ、大丈夫――?」
俺の言葉を遮って、彼女は罅割れた剣を掲げた。
「裂空虎砲にこの意味を与えたのは君だ。
君はこの大きな力を前に進む為に使ってきた。
最強を謳えと言ったのに君ときたら道を作るばかりだ」
その剣を見上げて、複雑な顔をした。俺には余り笑っているようには見えなかったが、眩しそうにその剣を見た。
「我は知らなかった。
……そんなことも出来るとは思ってもみなかった」
神様は何でも出来るんじゃないのか。
でも、俺の術を真似できるわけではないといっていた。
「もっと早く知る事ができれば……いや……これはキミの生き方だったな」
翳した剣にフワッと光が集まって、その瞬間にラジュエラが初めて苦痛に顔を歪めた。
彼女が収束を続けると、彼女自身の身体からフワフワと白い光が抜け出ていって、彼女の身体が時折透ける。
「ラジュエラ……? 無茶するなよ?」
儚い姿が誰かに重なる。
良くない事が起きる気がする。
「我に心配など無用。全く……情けない顔をするな。男だろう?」
少しだけ振り返って笑ってみせた。
そして、一気に剣の光の収束が加速する。
「……君に残せる言葉を我は持っていないのが残念だ」
なんで、そんな――最後みたいな事を言うんだ。とか。
一杯あるよとか、なんか言えたはずなんだけど。
ただラジュエラの見つめる先が気になって其方へ視線をやった。
ラジュエラは、道端に咲く花を遠くに見ていた。
「最期は君の師として魅せてやろう」
彼女らしい笑みを横顔に見た。
その笑顔が酷く嬉しそうだったので俺は言葉を失っていた。
嫌な予感しかしないのに、絶対ラジュエラは何か隠しているのに――ただ嬉しそうだ。
「君に出来る事ぐらい、我にも出来る」
光を帯びる剣に、虹色が見え始める。
ああ、そういえば虹剣が俺を連れて、変な夢に連れて行ってたな。ここはあれと同じ事をしている世界なのだろうか。
そして、あの時の俺のように――切り開けるのだと言っているのか。
「ラジュエラ……なんか、良くわかんないけど……。
俺、ラジュエラが師匠でよかったよ」
俺にしか出来ない事だなんて思っては居なかった。アレは特別な行為じゃない。
「……全く、君は普段は全く空気を読まない癖に、こんな時ばかり的確なんだな」
はぁ、っと熱っぽいため息を吐いた。
こみ上げてきた何かを飲み込んで言う。
「有難う。その一言できっと我は救われた――」
「……泣くなよ」
「泣いてなどいない。泣くものか。君程度の言葉に泣かされて堪るか。つけあがるな小僧め。千回死んで出なおせ」
「ひどっ!?」
「口説くのなら、君の隣に要る子に許可を取る必要があるのではないか?」
「わ、わたくしですか?」
「ちゃんと首輪を付けておかないと、すぐに他の女の所へ行く」
「犬かよ!」
「そうですね。そうします。
今はわたくしが隣に居るので、存分に勇気付けてあげて下さいコウキ」
「扱いが不当だっ!
どうせこれが最後なんだろラジュエラ!」
「ああ」
今すぐ光に消え入りそうな顔で頷いた。
「馬鹿! なんでだよ! まだ教えてもらいたいこと一杯あるのに!
ホントに一番頼りにしてたのに!!」
「君に一番に頼りにして貰えるのは、正直に嬉しい話だ」
「なんか、そうだ、お返しもしたかった!」
「君にはもう貰った。君達の裂空虎砲が――我の未来を創った」
「そんなのって……!」
そんなのって無いだろう。
俺は最初に剣を貰った。そして彼女に技を沢山貰った。双剣である為の腕まで貰った。死に対する心構えだってラジュエラで鍛えて貰った。
ラジュエラに貰ったものばかりの俺がやっとあの世界で生きているようになって――、今の俺が此処に居る。
今のはあげたんじゃなくて、奪ったようなものだ。
思いついたように、ラジュエラがああ、と声を上げた。
「……一つ。アイツに会ったら言ってくれ、先に行って待ってるとな。
さぁ、お前達も帰るんだ。
――まだ、お前達の物語は終わらないのだからな」
ぶわぁっと風が吹き始めて、ラジュエラの剣の虹が巨大な花の蕾のようになった。
ひたすら綺麗なそれに圧倒されて、俺達はラジュエラの姿に見惚れる。
「術式」
その顔はただ美しく。
「裂空!」
そして絶望など無く――。
「虎砲!!」
真っ直ぐ前を見て、何のためらいも無くその蕾の剣を花咲かせた。
虹色が花弁のように開いて、真っ直ぐ伸びる斬線がキラキラと光を撒き散らした。今まで見たどの裂空虎砲より綺麗で完成されたものである。
バンッッ!!
突如巨大な音を立てて、道から空目掛けて大きな亀裂が入って砕けた。丁度街道の幅の大きさで空間が割れてその先は真っ暗な空間になっていた。
「行け!」
ラジュエラの声に反応して俺達はハッと我に返る。そして俺はすぐにファーナの手を引いて走り出した。
光を帯びたラジュエラは、ただ俺達を黙って見送った。
「ラジュエラ、ありがとう!」
最後の最後まで――笑っていてくれたのが、印象的だった。
あの人がついに膝を付いた姿を、俺は見なかった。
最強の師匠のまま俺の強さの目標であり続けるラジュエラは変わらない。――それは、これからずっとだ。
花の咲き誇る草むらに、一人横たわる。
世界が罅割れて壊れていく。
それでも、空が青く雲は白い。焼き付けるようにその景色を見て――誰にともなく微笑んで、眼を閉じた。
そして風に攫われるように――光となって、世界に還る。
誰かの物語の――幸せな死であった。
/ メール