第202話『花畑』
俺とヴァンだけの部屋になって、俺はへにゃりと姿勢を楽にする。
そんな俺を見て、ヴァンがお疲れ様ですと穏やかに言った。あの人たちが去っていくのをただ静かに見送って、落ち着いてる。
「やれやれ……やはり、家族は似ていますね」
「何で帰ってこない気なの?」
「それは勿論、今回私の記憶に迫るに当たって、私が生きる確証がないからです」
「そんなに危険な場所だっけ? というか崩れてるじゃん」
「初めは鏡のかけらでも探しに行こうかと思ったのですが、目に見えるところは全て拾われていましたね。大きな破片もありませんでした。
それで、色々と探しているうちに――地下への隠し道を見つけたのです」
「地下!? 俺達一階と塔の回りはちゃんと調べたのに……」
「普通は探さない所に入り口はあるものです。
ダルカネルの塔はダミーでした。通りで私達が最初行った時は鏡術式の基礎文献しか見当たらなかったのです。私はコウキ達に話を聞くまで、あの鏡は実験の為に置いてあるだけの鏡だと思っていました。それにしてはコウキ達の証言する事はレベルの高い術式で、何かあるのかと思っていました。
ジャンピングスターが出来るまでは、行く為にかける時間が馬鹿にならないので控えていましたが、今回良い機会になったのです」
「行って何をするの?」
「ロードを連れて行き、鏡の術の再生をしようと思います。
出来ればコウキの見たという書庫に辿り着けるのが一番です。日記か何か探すことが出来ればいいのですが」
あの時見た骸骨の居た部屋――。そういえば机の上にも本はあったし、あのあたりに日記なんてのもあるのかもしれない。ヴァンが自分の記憶の為の旅をするのに付き合うのには文句は無い。俺達が手伝ってもらった分が返せるのはいい事だ。
ただ純粋に自分の記憶を探しに出ようとしているヴァンを見て思う事を口にした。
「んっと……ヴァン。
別に、ホラ。探した後の話しなんだけど、戻ればいいんじゃないの?」
「……それは無理でしょう。生活拠点をこの国に置いておくのは良いかもしれませんけれど。それはサイカの村にでも作ってしまえば良いのです。
私は――もし記憶が戻る事で私が私じゃなくなる事が一番怖いです。
先ほどロードが記憶を取り戻してああなった。私がそうならない保証は何処にもありません。
そんな私に地位のある席を残しておいてはいけません」
「可能性の為に言ってるの?」
「はい。立つ鳥後を濁さずというのが綺麗だと思うのです」
「……この国を嫌いになったわけじゃないんだよな。
ヴァンの言い方って、なんかちょっと冷たくて寂しいからさ……事務的っていうか、非の打ち所も無いし……でももう会えない。交流が無いって、なんか冷たくない?」
「そうですか……それは謝らなくてはいけませんね。
私はこの国も大事な友人達もリージェ様も愛していますから。
だからこそ私に依存なんてして居てはいけない。国を停滞させる理由になど、なりたくないのですよ。
そして国から解放されたなら私は旅人に戻ります。世界を歩く方が性に合いますから。
その時は戻る度に吟遊詩人として、歌いに来るのも良いですね」
「あははは! ヴァンって歌えるの?」
「それなりです。リージェ様ほどではありません」
「そっか。
うん。俺は納得した。
取り合えず記憶が戻ったらやっぱり普通に此処に連れてこよう」
俺の決意が口から漏れると、ヴァンが「えっ」と目を丸くした。そんなヴァンに指先を向けて俺は机の上に乗っかるような前のめりな姿勢になる。
「おっちゃん達だってヴァンが記憶の事を探してるのに、此処で留めちゃった事は気にしてると思うんだよ。
だから今、全く引き止めなかったんだと思う。
ヴァンの決意にぐちぐち言って、止めたくなかったんだ」
「……そうでしょうね。
あの二人はとても出来た方ですから。
的確に空気を読んで動いてくれます……随分昔から、そういった仲間でした」
「だろ? だからさ、やっぱみんなヴァンに協力してあげたいんだと思う。ファーナは純粋に城には戻らないから膨れてるんだと思うけど。
だから俺はヴァンに協力するよ! 俺は協力したいし。
記憶取り戻して、役職とは関係なく城に顔を見せに戻ってくれば王様と王妃様は絶対良かったって言ってくれる!」
「……そうでしょうね」
その姿は簡単に想像できたのだろうか、フッと遠い目をした後にすぐに笑った。
「では、そうするとしましょう。
私はその後の目標もありますし」
「その後の目標?」
「ええ。それは――まぁ、その時が来たらお教えします。
さて、私達も戻りましょう」
「おー!
なんつーか……今日イベントありすぎて疲れた俺……。
もう日付変わったかなー?」
俺がそう言うとヴァンが窓の外を見た。やたらとでかい月が降りてきている空が見える。
「ええ、そろそろそんな時間です。出発は明日お伝えします。ロードの説得もありますから……」
「俺もちょっと考え事してる間に寝そう……」
「お疲れ様です。寝て起きてスッキリした頭で考えた方が効率が良くなります。
もうそろそろ休んだ方がいいですよ」
「ヴァンってこう……クールだよね」
「有難う御座います」
俺達も会議室を出て、神殿を目指す。灰色の回廊は、月明かりで照らされていて明るい。空気は澄んでいた。外には見張り兵以外の人は居ない。
恐らくもうファーナも戻って寝る支度をしているのだろう。なんとなく神殿の方をみて、無言でヴァンと一緒に城を後にする。背中に視線を感じて、一瞬振り返ったけれど――どこかの部屋のカーテンが揺れただけで、誰かは分からなかった。だから結局見なかった事にして螺旋の階段への扉を開いた。
今日は散々だ。おにぎりぶつけられるわ骨折れるわ。
ヴァンが戻ってきたけど……なんかこれからの事が色々と頭の痛い状態になっている。
とりわけ濃いのが、ラジュエラだ。
なんで、あんな所で彼女に会う事になったのか。ファーナも見た訳だし。
ラジュエラは死んだのだろうか。神様が死ぬってありえるのかどうか。色んな事を確かめたくて、祭壇の前へとやってきた。
ヴァンとは神殿に入ってすぐの所で分かれ、俺は真っ直ぐここへ来た。
今この扉を叩いていいものかどうかを悩んでいる。
もしラジュエラに呼ばれなければ。
俺は――ラジュエラを、殺したんだろうか。
不確かな夢みたいな世界で。ただ死を受け入れて花のような笑顔を浮かべたあの人の最後の姿が脳裏に過ぎった俺は、ただ臆病に息を呑んで――扉を叩こうとしていた手を一度引いた。
そのまま確かめないで居ても、俺はもやもやとするだけである。
息を一度吐いて――俺は扉を開いた。
けど。
その先に、乾いた空気のコロシアムは無くて。
色とりどりの花の咲く丘の上で、メービィが誰かに祈りを捧げていた。
そして俺が一歩進むとフッと閉じていた眼を開けて俺を見た。
「……ようこそ神々の祭壇へ。私加護神メービィがもてなさせていただきます」
「メービィ……なんかいつもと場所が違うんだけど」
「ええ。かの女神が望んだ場所は、死骸の山ではなく緑の茂る丘。血に染まった場所ではなく、花で彩られた穏やかな地。
想いを胸に刃を自らに向けるのは生きて居ても死んで居ても変わらないあの方の性格だったようですね」
「まってくれ! ラジュエラは死んだのか!?」
「死んだと言うのは人の生の終わりの言葉です。彼女は還っただけ」
「会えなかったら同じなんだよ! 俺が殺したのか!?」
「……貴方が気に病む事は無いのです。彼女は現象を利用して、そうさせたのですから」
「そんな……そんなのって無いだろ……本物だとは、思ったけどさ……。
ホントに居なくなるのかよ……」
「もし彼女が傷を受けて貴方に別れをも恨み言も告げなかったのなら、貴方はそれ以上そこに踏みとどまってはいけない」
「……わかってるけどさ……!」
あの時言われた事を鵜呑みにして。
全てが本当だったと理解して。
「俺があの人を殺したんだろ……!」
誰もが俺のせいじゃないなんていうその罪が手にベッタリとついた血みたいで気持ちが悪いんだ――。
「……どうせ、貴方の事でしょうから。
そんな事だと思っていました。
ありもしない罪を着て、ああ、全く……素直な人ですね。そのまま行くと聖人コースですよ?」
「悟りを開いたら……世界中をイチガミセンセーションで染め上げるんだ……」
「それは楽しそうでいいですね」
「だろー……」
「ふふ、空元気も可愛いですね。
泣いていってもいいんですよ?
わたくしは貴方専用の場所ですから」
メービィに言われて、暫くお互いに見つめあう状態になってぶわぁっと顔の温度が上がった。別に空元気なのは分かってたけど、メービィに乗せられた上に可愛い扱いされたのが恥ずかしいのに、メービィが恥ずかしがるから俺まで物凄く恥ずかしかった。
いつもは俺の謎テンションにたじたじしてるだけなのに……。いや、違うよ、別にほら、いつもならテンション高くて恥ずかしくても喋りぬけるんだけどなまじテンションがローのまま会話が繋がってるからから元気がばれた後の元気がなかっただけで、玩ばれた感がチョット悔しいとかそんなもんだし全然大した事ないし。
「……べ、別に泣きたくないし! 俺男の子だし。
てか、恥ずかしくて真っ赤になるなら無理して言わなくていいのにっ」
ぶんぶんとお互いに頭を振って熱を冷ます。
何かを持ち直したのか、メービィがズイッと一歩踏み出して俺を見上げながら胸を張った。
「ふ、ふふふ、貴方は泣き虫ですからねっ。
わたくしを、マイステディと呼んでくれてもいいのですよ!」
ドヤ顔と言うのは、得意げな顔を言うんだけれど、その言葉が用いられる時は必ず笑いどころだと言う事だ。
「ぷはっ! あはははははは!!」
「な、何故笑うのです!」
今度はやたら笑う俺のせいで恥ずかしくなったのか顔を真っ赤にしてメービィが怒る。
「いや、マイステディって! うははは!」
マイステディと言う言葉を使うのもアレだけれど。
こう、ファーナだと絶対言わないと思える言葉が同じ顔のメービィからポロポロ出てくるのが途轍もないギャップを感じて面白い。
「わたくし神様ですよ!」
「うん知ってるし。メービィだもんな。
ありがと。なんか面白かった」
「冗談ではないのですよぅ……」
プルプルと震えて屈辱です、と小さく言う。
「メービィはホラ。やっぱ俺の癒しポイントだし。
ふぅ……メービィが頑張って慰めてくれてるのに、凹んでる場合じゃないよなぁ」
「空元気するぐらいなら凹んでいてくださいっ」
「大丈夫だって。なんかラジュエラの件がすっきりしないってだけだし。
あのやり逃げ……後味悪いよな」
散々人を挑発しておいて、最初から俺に殺させる為だったのかよ。そりゃ無いよ……。
そう考えると、心が荒む。
今はメービィが妙に元気をくれているのでそれが気になるような事は無いのだけれど。よくよく考えればあの人が企んでいたのは分からなくも無かった。
今はむしろ目の前のメービィの方が何事状態で気になる。
「つか、メービィなんでそんな機嫌いいの? お花効果?」
「お花効果って何ですか」
「頭の中がお花畑状態みたいな?」
「馬鹿にしてますね? してますよね?」
キッと俺を睨んできたので、先に手を挙げて謝っておいた。悪気はあんまり無かったんだ。
「コウキ、取りあえず座ってください」
説教が始まる……。俺にはそうとしか思えなかった。抵抗すると起こられるネタが増えそうだ。それに素直に従って正座すると優しい風が吹いてそれにはらはらと舞う小さな花びらが花吹雪みたいになっていて綺麗だった。
乙女チックな空間はメービィには確かに似合っているかなと思った。ラジュエラが似合わないと思えてしまうのはたぶん俺にはブラックジョークとスプラッタな記憶ばっかりがあるからだ。それをメービィに言うと、偏見ですよ、と笑われた。
「誰しも、心には花を咲かせるものです。
それはわたくし達とて、例外ではないのです。
こんな風に――」
メービィがころっと倒れこんで俺のふとももを枕にして寝転がった。俺を見て何と無く満足げに微笑む。どうやら怒られるわけではなかったようだ。内心少しホッとする。
「穏やかに過せる事を、願ってしまえば……。
わたくし達はもう神である資格を失うのですから」
神様の制約は良くわからないが、それはあんまりじゃないかと思う。
一発でベストポジションにつけたのかメービィは動かない。空を見上げて、赤い瞳に青い空が移りこんでいる。俺もそれに釣られて見上げると雲の流れる穏やかな空だった。
「コウキ、貴方はあの人に道を作ってあげたのです」
ぼーっと空を見上げていると少しまどろんで来た。俺は夜から此処に来たから眠いのだ。メービィが言った言葉にはっとして意識を戻すとメービィが起き上がってクスクスと笑った。
「わたくし達は自分の作った世界では、貴方に刺されようが、刻まれようが、貴方の言う死は訪れません。
わたくし達は死を知りませんから。創れないのです。
しかし新しい世界の産声に呼ばれ、管理に手を沿えるのが役目ですから。
貴方の力に影響されて、その先を切り開いた彼女の道なのです」
ありがとう、とあの人が言った。
喉につっかえて取れないのは、シンプルすぎた大きな言葉が噛み砕けないからだ。
「ただ永遠を繰り返す自分達を貴方が解放してくれた。
それが一番正しい解釈で、ラジュエラの言いたかった事だと思います。
貴方は正しいです」
「そっか……ノヴァに言ったら怒られるかな」
「そうですね……。
それはきっとずっと言われていた事を貴方が成せばいい。
あの方が持っていた理想はきっと巡る転生の果てに、こんな風に訪れる。
となれば、後は貴方が今伝えるべくを伝えればいいのですから」
「無駄な戦いは避けるべきだと僕はオモウンデスヨネ」
「争いを好まないのは貴方らしいです。
しかし訪れる戦いを避ける事は難しいと思います」
残念だが確かに俺もそう思う。
避けて通れない道の上に居る人だと思う。それが俺達の戦い以外の話であるからこそ余計に俺には一生付きまとう話になりかねないのだ。
少し残念がる俺をメービィが見て、でも! と力強く言葉を続けはじめた。
「貴方には人を想う力がある。
その力はかつて魔女から姫を守ってきたではありませんか。
その力は貴方の最大の障害であるかの騎士を退けたではありませんか。
その力は――かの戦女神からを退治し、そこに立つ貴方を証明しているではありませんかコウキ!
貴方にはファーネリアを想う力が! そう!
愛が!
あるではありませんか!!」
俺に向けられた指が鼻先でピタリと止まった。
「お、ぉぅ……」
その言葉と指の先端に居るのが恥ずかしくなって小さく返事をした。
「……もう少し面白い反応をしてくださると思ったのですが」
「無茶振りもいいところだよぅ。
ああ、恥ずかしっ!」
「貴方がそれを認めてくれた事が、わたくしには一番嬉しい。
先進誠意、全力でわたくしがサポートします。色々と!」
「そりゃありがたいけどさ」
「聞いてください、コウキ。わたくしとても嬉しい事があるのです!」
「神様ってそういう新しい自分ニュースには乏しいと思ってたんだけどあるんだな」
「ええ、わたくしは落ちる身ですから。
貴方達が上げて行った神性位、一つ一つ階段を上るが如くわたくしへ歩み寄ってくれたその結果……」
「結果?」
本当に自信のある、とびきりのネタだったのだろう。彼女から満面の笑みは消える事は無く、無意味な動作で一度ぐるっと回って俺を指差した。
「なんと、ファーネリアと記憶の共有が出来るようになったのです!」
彼女が高らかに宣言した言葉に、思わず俺が言った言葉は立った一言。
「わぉ……」
「何故そんな顔をするのですか?」
「いや、さっきメービィがやってた事が、全部ファーナも知ってるって事なんだろ?」
「ええ」
「ええって!」
「いいのです。この空間で、コウキにやってきた全てはわたくしであり、貴女です。
でも、貴方が後悔をしない為に、わたくしに先を越されてしまう前に、やりたい事をやりなさいと言って置いてください」
清々しいほどの笑みを浮かべるメービィ。何か吹っ切れた方のファーナって事になるんだろうか。
俺明日どんな顔してファーナに会えばいいんだろ……。今日物凄い勢いで逃げられたばっかりなんだけど……。
明日は扉も開けてくれないんじゃなかろうか。
俺の明日の苦労など知った事かと言わんばかりに笑顔のメービィの頬っぺたを両側から抓んで――ひとまず、今日の癒しの続きを。
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