閑話『主人公に!』
*アイリス...
「理想を言えば、あんな風に気ままな生活がしたかったです」
浪漫に溢れている。
神子とシキガミというのはお伽話だ。
誰も決められた相手。許婚とは違う神秘の人間。
空から降ってきた男の子ですって。ああなんて、夢のある話。
胡散臭い夢物語を私達のような子供が話し始めて信じるような親は居ない。
ファンタジーヒステリックでも起こしたんだ。そういって誰もが机を指して「バカな事を言うな、勉強をしろ」と口を揃える。
しかし、物語の主人公である本物が現れた時に、一同は騒然とする羽目になる。
壱神幸輝が例外なのは皆理解していた。空を払った裂空虎砲を見たものは皆その強さを疑わない。アレをみた人間の数多が彼について議論するのをやめたという。不確定要素ではなく真性の使者だ。怒らせれば不味いのはわかっている。嫉妬が無意味なのも分かる。彼はあの人の物語の主人公である。無知ではない。無茶はするが常識は知っている。どれだけの嫉妬があろうとも彼の人望は高い。兵士に混じって訓練する様は異様ではあったがその人が信頼できる人物である事を広めた。
この世界の人間ではないと言う。現に意味不明な発言も多く、同時に同い年で多様な社会性について知識や算術や文字について詳しい。学校という制度の中では普通だとその人は言っていたがそういった施設の話もお父様から聞いたばかりであった。
人間性についてはこの世界と同様なようで、その人はとても世界を楽しんで日々生き生きとしていた。
子供っぽいと見た目と言動から思ってしまった。純粋に遊んで欲しい時にはとても良い人で、自分がどんなに面倒くさい事を言ってもちゃんと真面目に考えてくれる。遊びに出るときは必ずお父様を通してから行くし、あの人が言うと何故か父も断らない。それだけで凄い人だな、と思う。
姫であるなら私の事を指すはずなのに、その主人公が迎えに来たのは自分の姉である。
あの人は神官だ。神に仕える者として巨大な力として崇められている。
“選ばれた者”とは、いつも人の嫉妬を買うものだ。
やはりわたくしはあの人が羨ましい。
あんな風な刺激に満ちた生活をしたい。
隣の芝生が青く見えているだけなのだろうか、でもあの二人の繋がりは羨ましい。
「あまり感心できるものではありませんな」
自分の言葉を聞いたいつも棘のある話方をする学術棟の博士が長いひげをなでた。
イラ立ってしてしまうと食ってかかってしまうのが人情というもの。しかし大人の対応はと言えばその逆なのである。
「それも経験というもの」
経験を糧に、とは良く聞く話だ。何かやらせたい事があるときにはその言葉を軽く使ってくるくせに、自分達に無意味だとそれすらも否定する。言葉は成功した時点で初めて意味を成す。
「意味の無いものは知らなくて良いのです。
貴女がやりたがっている事の多くは戯れでしかありませんから。
あの方たちにとっては必要な旅、貴女にとっては無意味な旅です」
「無意味ではありません。わたくしが有意義だと言えば言いのです。無意味は罪だと言うのですか?」
「ええ、その無意味の間、貴女が課題をなさってくれないので私めの髪の毛がまた一つ抜け落ち、白く染まるのです」
「それは嘘ですね。奥様の事を私のせいにしないで欲しいです」
どうやら学士という立場の人が家庭を持つと、あまり順風満帆とった風な生活を送っていられる人が少ないようだ。老夫婦ともなれば仲が良かろうが悪かろうが夫婦と言う縛りの為に共に過しているようなものとその学士が言っていた。目に見えて家庭の様子が上手く言っていないのだろうなぁと分かった。
「失礼ながら王女、私のプライベートの話は良いのです」
わたくしの言葉にピクリと眉を動かしただけで、ため息を吐いて首を振った。
「プライベート領域の話を仰ったのはそちらでしょう」
揚げ足は徹底的に取って転倒するまで。言葉の上で戦うお仕事で必要なのはすかさずそれをするかしないかを選べる頭を持つ事だ。
「そうです。だから分かっておられますか? 貴女は今課題をやらない事を咎められているのです」
結局わたくしが言った事には触れず、元通りに話を戻してくる。こちらとしてはそのどうでもいいことを引っ張りまわして呆れて帰ってもらいたかったのだけれど。さすが長年自分の教師を務めている人間である。
「以前やった課題を必要以上に繰り返すのは無意味です」
少し拗ねるように顔をそむけて言う。
「無意味では御座いません。復習による習得率は良くなります。現代学の一部の編集はまだなのでこうやって過去問題を定義しているのではないですか。
貴女の知識には正直に言うと偏りがありすぎます。ヴァンツェ様の知識を興味深く聞いておられたのは知って居おりますが地図で言えば広い知識ですが、物が浅いのです」
すっぱりと言い捨てて老学士はため息をつく。
「ほう、このわたくしの知識を浅いと仰いますか」
キラリとした眼光をもってその人を睨む。
「ヴァンツェ様の真似をされても変わりません。あの方は確かに広く深く知っておられますが貴方はその表面の話ばかりしか知らないのですから」
言い方を変えてまた浅いと言われる。分からなかったわけじゃないがそれでも馬鹿にされると再び波が立つ。
「いいでしょう掛って来なさい!
どんな問題にも応えて差し上げます!」
どんと胸に手を当てて学士に挑みかかる。
自慢ではないがヴァン先生とお姉様の話は全部覚えている。シキガミ様の話は実が無いのでおぼろげにしか覚えては居ないがいつ何時でも楽しい不思議な話し方をする。きっとああいうのを話術に秀でているというのだろう。
「ですからそういう問題でもないのです。
私の指定した問題をこなすだけです。物量的にはあなたが一時間もしない時間頑張ればできるものではありませんか」
言いくるめるように眉尻を下げて老学士が言う。
「ズバリ楽しくないです」
面と向かって言うと、少し目を見開いてまた彼はため息をついた。
「それは理由になりません。
貴女は楽しくないから職務を放棄するのですか?」
「それはしません!」
職務放棄は一切しないつもりだ。お母様もそうだし、お姉様もそうだ。仕事としてもらえるものがあるのならば勿論全力でお仕事として全うする。
「私の出した課題はそれと同じです。貴女の職務放棄なのですよ」
「そ、それは……」
違うとは言いきれない。教育者を割り当てられているわたしの本分は勉強をする事である。
「神子様ではないのですから貴女の職務は今、この課題なのです」
「お姉様を引き合いに出すのは卑怯ではありませんか」
あの人は特別だ。神子と言う立場で神様との繋がりが強い。祝福を与える事ができたり彼女にしか出来ないこともある。
「そうですね、あの方は戻ってきても立派にお仕事をなさっていますから」
「……」
姉のファーネリアの優秀さは折り紙つきである。城で一番難しい試験を最年少で通過し神官職に就いているのは伊達ではない。比べられると流石に悔しいのだ。自分は正王女と言われはしても、所詮は全て習い事の途中の子供に過ぎないと言われている。
確かにその通り。自分は戦いのときに前線に入れて貰えないし避難誘導やその後の人を宥める活動ばかりで実質の成果と言えるほどのものはない。乱痴気騒ぎを起こてしから謹慎。城の中で最も問題児である自分が外に出られる訳もなくなった。
自分で自分の首を絞めていって自業自得なのでこんな抵抗は無意味だとわかってはいるのだけれどただ黙々とこなすのも意味が無い気がする。疑問に思ったのならばそれをぶつけるべきではないのか。不当性を感じたら訴えるべきではないのか。そうでしょう。
「くだらない事にせっついていないで貴女は課題をこなせばいいのです」
「覚えている物をやる必要はありません。一度満点を取った場所ではないですか」
過去問題についてはもう何度かやったものである。暗記できるものは全部暗記した。図書館の本も半分以上は読破した。そこで集められる知識ならばもうほぼ知っているも同然である。
「ならばもっと目新しいものを出せと?」
髭を撫でながら学士が言う。
「そうです」
どうだ、と言わんばかりに言ってみた。
新しい内容を正確に纏めた書物はあまりない。町にいまから買出しに行ったところで資料を纏めるには数日から数週かかる。
此方の表情をみて、諦めたようにため息をついた老学士は自分の荷物へと手を伸ばした。何故かその教師はいつでも大量の本屋資料を持ち運んでいる。使う事が無くてもその資料を持っていて、何故なのだろうかと思うことは多々あった。ただ本当にただの準備物かもしれないし、持って居ないと落ち着かない体質なのかもしれないしそれ自体に興味を持った事は無かった。
そして重そうな資料の下に纏められていた真新しい紙の束を持って、ドンとわたくしの机の上に置いてスッとそれを差し出す。
「えっ」
「覚えていないものならばやるのですよね。貴女はそう仰ったのですから、やらなかった分もこなして戴きましょう。
倍の量になってしまいますが、これが新しい部分のまとめ資料になります。
次回までに目を通して、課題をやっておいてください」
唖然とするわたくしを見て得意げに彼は鼻を鳴らす。
「出来れば過去問題もやってもらいたかったものですが仕方ありません。
それでは私めはこれで失礼いたします。ではまた明日に」
満面の笑みをみせて軽くなった荷物を持って教師は部屋を去った。教師の去った後をむっと見届けて、少しだけその本と範囲を見て見た。
どう見てもいつもの三倍はあった。地味に泣きそうになる。他の授業でも謹慎命令が出ているのを良い事に日ごろの憂さ晴らしと言わんばかりに課題を出される。陰湿ないじめ自体には慣れているし、大人の対応を求められているのは分かっている。してきたつもりはあってもこうも毎日こういったやりとりが続くと気が滅入る。
揚げ句には姉と比べられとんだ問題児だと溜息を吐かれる。ストレスがたまらない訳が無い。考えた小さな抵抗も今倍返しされた。散々である。
ヴァースに会いたい……。
念願叶った恋である。一緒に居たい多感なお年頃である。
実はあの日以来まともに顔を合わせる事が出来ていない。
いえ、自業自得なのですけれど! もう少しなんとかなりませんかね……。しかし抜け出るのがばれると謹慎が二日延びるという微妙に嫌らしい罰ゲームもあるので迂闊に抜け出る事ができない。
だが絶妙に好奇心を刺激してくる数字が憎らしくも行動意欲に呼び掛ける。
要するにばれなければ良い。要するにばれても二日。
そう思えるなら今日は外に出ても良い訳である。
部屋の位置する高さなどわたくしには関係なく、もはや下に人間が確認できれば自力で会いに行く所存である。
出来ればヴァースがいいがシキガミ様やお姉様でもいい。癒される人に会いたい。
しかし本当にそれでいいのか。
その二日は、相手の思うつぼではないか。
圧力の強い日々ばかりが続く事になって余計に自分の時間なんて無くなって行く。
それがどれほどつまらない事か。それを考えれば今耐えておけば良い事なのは明白。後々あの人達が戻ってから会いに行けないのが最も辛い。そうでなくてはお土産物も満足に受け取る事が出来ないのだ。人づてになるとわたくしの所に来るまでに見た目や味や毒の審査が入って殆どがアウトになると言う事を自分が知っているからだ。
庶民料理に憧れる。きっと民の皆がたまに高級料理店で食事をするように、わたくしも稀に下町のカフェにお邪魔出来たりする。
いろんな人達を引っ張り回したりしながら一緒に遊んでもらえた記憶は今でも一番楽しい記憶として焼き付いている。
ああ、気が滅入ってきた。それでも課題はこなしておかなくては。
はぁ、と一つ盛大に溜息をついてペンを執った。
何事もなく、文句も言わなくなって三日が過ぎた。課題をやる為にちょっと夜更かししたぐらいでその他は本当に授業して課題してご飯食べて踊ってお風呂入って寝てを繰り返した。
周りのメイドが騒がしいので何なのかを問うと、どうやらヴァン先生がこの国から去るらしい。さらにその周辺お世話をしていたスゥと、研究棟のロードを連れ出して旅に出るそうだ。
元々お姉さまの付きそいで国を離れる事が多くあの方にとってもう潮時だったのだろう。
好きな先生が一人いなくなってしまうのか、と話を聞いてあからさまに凹んでいる所にその人は現れた。
「失礼いたします姫様」
「ヴァン先生!」
少し驚いた。計ったようなタイミングで現れるものだからどこかで聞いて居たのかと思ったぐらいだ。あまりに嬉しくなって暫く座りっぱなしだった椅子から飛び起きてわざわざヴァン先生に抱きつきに行った。
「おおっと。お元気そうで何よりです。
良く言いつけを守っているようですね。
最長記録かもしれないとメイド長が慄いていますよ」
ヴァン先生のは笑いながら頭を撫でてくれた。小さい頃はこうやって褒められるたびに嬉しくて、この人の言う事だけはひたすら大人しく聞いた。大人の対応もこの人から真似たのだ。
はっとして素早くヴァン先生から身を引く。そういえばもう婚約した身であるしこういった軽率な行動は避けなければたちまちメイドは見た、お城騒然、という事故が起きる。
「わたくしとて、婚約をした身です。
多少、丸くなってみようと努力しているのです」
「それは殊勝な心がけですね。もう少し落ち着いていればパーフェクトです」
「はい。その。すみません、あまりにも謹慎中に苛められたもので少し嬉しくてはしゃいでしまいました……」
流石に少し恥ずかしくてごにょごにょと言い訳をしてしまう。
「わたくしの前ではそのままで居てくださって結構です」
相変わらず格好良くて素敵な先生だ。
とても楽しそうにヴァン先生が笑う。いつも通りのその人に冷静さを取り戻して、噂を思い出す。
「あの、ヴァン先生」
「はい」
「噂が届いたのです。ヴァン先生が城を去ると」
もしかしたら、嘘だって言ってくれるかもしれない。そういった淡い期待が聞いた瞬間にはあった。
しかし彼は此方の言葉に少し真面目な顔で頷いてわたくしを見据えた。
「はい。私ヴァンツェ・クライオンは次の旅立ちを持ってこの城へは帰らない所存です。
旅にはコウキ達が付いてきてくれると言ってくれました。必ず自分の求めるものに辿り着くでしょう」
それを告げて、視線を下げた。一瞬言葉が出なかったが、すぐにヴァン先生に聞き返す。
「そんな……! 今までだって長期の旅はあったではないですか!」
「いいえ。そうではないのです。
今回は私が私である最後の旅になりそうだからです」
落ち着いた口調でヴァン先生は言う。
「し、死んでしまうかもしれないということですか?
そんなに危険な旅なのですか?」
それだと一緒に旅をしているお姉様やシキガミ様も危険と言うことになる。色々思いが重なって何故かわたくしが緊張してきた。
「そうですね、端的に言えばそうです」
あっけなくその人はそれを認めて頷いた。
「そんな、どうして……」
拍子抜けしたみたいな台詞しか言えなかったが真剣に驚いた。
「私こうみえて記憶喪失なのです。記憶が戻ったら別人になってしまいます」
驚きの事実が明かされる。
記憶が無いなんてそうは見え無い。博識だしこうみえて父よりも長く生きている。今までの生き方に翳りは無かった。正直に言えば初恋の人だったこの人はある意味父や母よりもずっと輝いて見えたものだ。
「別人、でしょうか……」
わたくしが聞くと、彼は真摯な表情で頷いた。
「はい。それは皆さまに支えて戴いたヴァンツェでは無いのです。
外見は同じで、経験が全く異なります。
必ず想いの方向が同じだとは言えません。
ですから、親しい方々にはこうやってごあいさつに回っているのです」
彼なりの覚悟と言う事だ。それはわかったが、どうしても納得がいかなかった。
「そんな事ありません!
記憶が戻ってもヴァン先生はヴァン先生です! 私に外の世界のいろんな楽しさを教えてくれたのはヴァン先生です! 色々な先生と渡り合えるように味方して下さったのもヴァン先生です! わたくしが最も尊敬に値すると思うヴァン先生なのです! 記憶が戻れば、知識が深くなるだけでしょう?
ヴァン先生を疑う人など、居ません!」
正直に言うと、グラネダはヴァン先生を信じきっていると思う。老いる事も無く、新しいを受け入れる事の無い固い判断をしたりはしない。しかし彼らの持てる責任の内側で行ってきた実質剛健な政治のお陰でこの国は大きくなった。
「それが、良くないのです」
「え……」
わたくしが言うと、少しフッと笑って窓の外に目をやった。鳥も余り飛んでこない高さの部屋で見えるのは空と森である。眩しそうにすこし目を細めて彼は語る。
「私はこの国人長く居すぎた。
私を認めてくれるのは嬉しいです。
だからこそ、私は皆を裏切りたくは無い。
だから、ヴァンツェ・クライオンの地位は此処で終わりです。
後に続く人達はみな優秀に育ってくれました。
貴女もご立派になられました。
これから少しずつ王妃様のように職務をこなし人脈を広げ国の為に生きてください」
彼はわたくしを見てまた微笑む。暖かくわたくしを見守ってくれていた人が最後の言葉を言っているのだ。涙腺に熱いものが溜まってきて頬を流れ始める。
「これが最後なんて、嫌ですヴァン先生……!
また、たくさん冒険のお話を聞かせてください! いろんな術の話も聞きたいですっ」
わたくしの我侭ではあるが、涙を拭いながら言う。それにヴァン先生はゆっくりと首を振る。
「冒険の話はコウキから聞いてください。
術の話はリージェ様がおられます。
その話の中に、居続けるかもしれません。
もしかしたら、誰かになっているのかもしれません」
もしヴァン先生が悪者になってしまったら、きっとあの二人との対峙の話になってしまう。それは語る方も語られる方も悲しい事だ。
「……悲しいです。それは避けられないことなのですか」
「はい。私からこの城に近づく事はもう無いでしょう。
逆に戻ってきたら別人だと思ってくれて構いません」
本当に他人になるつもりなのか、と分かるその口ぶりに思わず引きとめの手が入る。
「そこまで徹底しなくても」
「いえ、自分がどれだけこの国にとって有害な自分物に成りえるかを考えれば当然の事です」
有害だなんて。どれだけ貢献したかを考えれば、貴方を有害だと言う人は居ないだろうに。
しかしそれは今の話で先の記憶が戻った誰かの話では無いのだといっている。
「……ご自分に冷た過ぎます。
あなたには命名があります。何処へ行っても優遇されるのは間違いないではありませんか」
いまさらグラネダでそんな事をしても意味が無いのではと思う。
「それはその時の私の好きにするでしょう。
何処にも、優しい私になるという根拠は無いのです」
元々は気性の荒い性格だったとヴァン先生は自分で言った事があった。それを真に受けた事は無かったのだけれど、もしかして本当の話なのだろうか。
そういう性格に戻ってしまう事を危惧してそういっているのか。それならばお父様もお母様も許容する範囲の人ではないか。
「……お父様とお母様には?」
「もう伝えております。好きにしろと言われました」
お父様が恐らくそう言ったのだろう。
「わたくしは……」
そういって自分の声が震えていることに気付いた。自分でも驚いた。でも途端に――大人の対応をしていた態度が崩れ去る。
ポロポロと涙が落ちはじめて、何枚も重ねる感情の仮面が崩れていく。
「わたくしは、駄目な姫かもしれません。
どうやっても、涙がまりません。
貴方が居なくなるのは嫌です。
涙が止まるまで此処に居てください」
「それについてはご安心ください。もうすぐヴァースが此処に来ます」
「ず、ずるいっ!!」
「ははは、そう、大人はずるいのです。
こんな風にならないようにするのが良いのでしょうけれど、この世界はいかんせんまっすぐだけでは生きていけません。
色々多忙で重圧に負けそうになったら、貴方は良き伴侶を頼るべきです」
「よ、良き伴侶といいましても、まだ結婚はしておりませんし……まだ手を繋いだ事もありませんし……」
「そうですね。素敵なエスコートをして下さるでしょう」
「は、はい」
「それでは手短になってしまいましたが、他にも顔を出しておくべきところがあるので、私はこれにて失礼いたします」
ヴァン先生は跪くと自分の手を取りキスをした。
「未来の王女様、貴方の行く先に祝福のあられん事を」
そう言って微笑むと、
その姿をみると、また涙があふれ出しそうになる。
ヴァン先生はそんな自分の頬からすっと涙を拭ってくれる。そういう動作が本当に胸を締め付ける。
そして気付く。この人もやはり主人公なのである。
壮大に黒く塗られた自分の過去を危険を顧みず足を踏み入れる。
物語のフィナーレが違いのだ。
自分が知っている先生なんて、ほんの一部でしかない事は分かっている。
またその人の元でわたくしは脇役でしかない。それも本当に悲しい。自分が何もしなかったのだなと再認識させられる。
「入って良いと思いますよヴァース」
「失礼いたします、アイリス様、お時間よろしいでしょうか」
その声を聞いた途端、ピッと背筋を伸ばして自分で涙を拭いた。
「はい。構いません。どうぞお入りになって下さい」
「急に毅然としますね」
可笑しそうにその姿をみて、ヴァン先生は一歩身を引く。
「き……緊張しているのですっ」
精一杯平気そうにそういった。そう、ヴァースの隣は緊張する。というか大人な自分が隣に居なくてはいけない。そう思っている。そして扉を開けて入ってきたヴァースと目を合わせた。
「らしいですよヴァース。もう少し柔らかく接しないと」
「それは思い至らず申し訳ありません……。
しかし、ヴァンツェ様がこの国を去るとは」
先ほどの話が繰り返される。
「はい。貴方がたには言っておきますが記憶探しにです。
知らない誰かになった後ここに戻って来る気はありません。不審者が戻ってきたら迷わず斬って下さい」
「……了解しました」
ヴァースはあっさりとそれを了解した。国王様が了承している以上、彼を止めれるものは誰も居ない。元々お父様とて彼を止める事が出来たかどうかはわからない。行動力と実現力はとても評価できる。
「それと、正王女と婚約が決まったのです。勉学も怠らないよう。
強きを求められる国ですが、戦争だけで生きていく事はできません。
確かに政治知識は持っていますが、もっと視点を上にしてください。
貴方の同僚は、いつか貴方を支え、貴方が手を差し伸べるべき存在になります。
あぁ、口うるさくて申し訳ありません」
老人のたわごとのような事は言いたくなかったのですが、とふるふると頭を振った。
「いえ。国を思っての言葉です。
貴方の愛国も私が持っていきます」
それを素直に真っ直ぐ受け止めて、ヴァースが言う。今の言葉は確かに愛国心に溢れていた暖かい言葉だ。
「……ありがとう。貴方は、いえ貴方達は本当に良い騎士となってくれました。
ああアイリス様が泣かないでください」
「わたくしはっ、ヴァン先生に怒られるのは好きですっ」
何故か怒られているのにジッと聞きたくなる。不思議。
私の言葉に少し驚いたような顔をしてポンポンと頭を撫でた。
「ふふ、私も興味深く楽しそうに聞いてくれる貴女は好きですよ」
ヴァン先生のそういう子ども扱いしてくる所が今はいやでもあるし、そう扱われてこそとも思う。
「どうぞ」
ヴァースがハンカチを差し出してくれる。
割って入ってくれたのは――もしかしてヤキモチなのだろうか。それはそれで嬉しいのだけれど。
「ありがとうございます」
両手で受け取ったそれでゆっくりと涙を拭った。
「では、私はこれで。あ、お子様がお出来になられたらこっそり見に来ますので」
「え、あっええっ!?」
お姉様ではないのだけれど、顔から火が出るほどに一気に熱くなった。
「ええ、楽しみにしていてください」
そして涼しい顔でそれに答えるヴァース。
「ぴっ!?」
抱き寄せられてただ背筋が伸びた。緊張しすぎて心臓が飛び出そうである。涙を拭いていたハンカチを口元に当てて、ただどこに行けば良いのか分からない視線を泳がせる。
「おや、固まってしまいましたね。
後は宜しくお願い致します」
「はい。お任せ下さいヴァンツェ様」
そう言って笑うヴァースが艶やかで、ひたすら心臓が高鳴るままにその姿をみた。そしてヴァン先生の背中を見送ると二人きりになってしまう。
実は――婚約発言後初の二人きりだったりする。謹慎中とは言え完全に外に出ないわけではない。でもほんの少しの間に他愛も無い話をして分かれるだけだった。
「わ、わたくしと、こここども?」
自分でも明らかに動揺していて目が回りそうだ。どうして、いつもなら自分が攻勢のはずなのに。今は何でこんなに恥ずかしい状態になっているのだろう。
は、もしやこれはヴァン先生の罠――! ありうる! あああ、最後の最後にこんな事をしていかなくたって良いではないですか先生のばかー!
そんな事で頭をグルグルとさせていると、ヴァースの声が耳元で聞こえた。
「ええと、その。夫婦となるならばいつかは通る道です。
だからそんなに驚かないでください」
男性の声が耳元で聞こえるとぞわっとする。気持ち悪いではなくて、背中のうしろからゾワゾワとして動けなくなる。
「あの、そのっひゅ、すみません」
噛んだ。余裕の無さが尋常じゃない。今日のヴァースはどうしたというのだろう。此処に来る前にヴァン先生が何か言ったのだろうか。
「貴方に恥ずかしがられてしまうと私も少し恥ずかしいです。
ですが……焦らず大人になりましょう」
声と手に捕まえられて逃げられなくなる。逃げるつもりは無いのだけれど距離も無く密接に抱き付いている状態で、心臓の音が届いてしまうのでは無いだろうか。
「……あ、もしかしてヴァン先生、ヴァースを妬かせたかったのですかね」
あの言い回しはお互いに好意があるように思える。ヴァン先生は私をそんな風には見て居ないだろうけれど、ヴァースはものの見事に引っかかってしまったという事だ。
「……効果は覿面でした。それは認めます」
素直に認めたてフッと笑うとまた口を重ねる。
ああ、お姉様シキガミ様。わたくしは今大人なのでしょうか。
時間は過ぎる。それは確かに国を変え――自分を大人に変えていく。
自分は刺激的な恋をした。
精一杯この檻の中で暴れた結果があの決闘だ。
選択権は誰にも無く、ひたすら熱く、情熱的な演出だった。謹慎になっても後悔は無い。
わたくしは主人公になれているだろうか。
それとも大人になって、そうなる事を諦めているんだろうか。
恋の始まりを言えば、シキガミ様に熱を寄せるのはとても楽しかった。
どちらも窓の外に見た、確かな恋である。
繰り返しの日常の中で紳士的な騎士であったヴァースと、快活で行動的なシキガミ様は正反対である。
どちらも主人公であるお姉様を取り合うために剣を取った。
羨ましいと思ったのは自分だけではないはずだ。自分とて都合の良い脇役になどなるつもりは無い。
だからヴァースにはわたくしの物語の主人公になって貰うことにした。
「ヴァース、聞いて欲しい事があるのです」
「はい」
「一緒に主人公になりましょう」
「……ええと。前々から思っていたのですがもしかしてリージェ様やコウキに感化されていますか?
いや今はヴァンツェ様でしょうか」
「そうですよ! お父様とお母様もです!
わたくしの周りにはお伽話ばかり! これはわたくしがお伽話とならずしてマグナスの名を名乗れましょうか!」
ググッと拳を握って熱弁する。
「熱意はわかります」
「熱意だけでなく、真意も汲んでいただきたい所です!」
「ではドラゴンでも退治しますか?」
「それはヴァースだけのお話じゃないですかっいやですぅー!」
そう、決闘の景品になってみたりしたいのだ。決闘を開催する悪役はもうごめんなのである。
「いよいよ難しい話です。
しかし貴女はすでに主人公だと言えます。あんな事をして私を取ったではないですか」
でもそれは何となく需要が薄い側の根暗ヒロインではないかと思う。悪の黒幕になりかねない。
「決闘に不満は無いでしょう? 貴方も彼も全力で。挙句に虹剣まで頂いているでは在りませんか。
剣を向けられておいてあの懐の深さ……友人として、あの方は最高の方です」
甘いとも言えるが、ものは言いようだ。友人に剣を向けた事をあの人は最後まで気に病んでいた。あんなに優しい人を自分は知らない。それで居て次の日には何事も無かったかのようにヴァース隊の隊練に混じるのだからあの人は面白いのである。
「ヴァースにももっとわたくしを好きになって貰わないといけませんし!」
「貴女は婚約者を一体なんだと思っているのですか……」
「ふ……ヴァース、貴方わたくしやお姉様がお母様に似ているからと言う理由で好きになった事を知らないと思っていますね?
確かにわたくしは特にそうです。お母様の生き写し!
鏡に映った自分がお母様だと思った事があります。手を振って恥ずかしい思いをしました!
だってその日ドレスがおそろいだったんですぅ! お母様来たって思ったんですっ」
手を振ったら自分でしたという酷い状態な上にタイミングよく現れたお母様に笑われるというオチまで付いてきた。
「……清々しいほど気まずい話を強く語って行きますね……それでこそアイリス様とも言いますが」
ヴァースがお父様お母様に見せる忠義はとても強い。憧れていたなんて、当事の騎士隊全員がそうだろう。とても艶やかで魅力があったという。
「すぐ、そうなって見せます。
わたくしはお母様のように、強く美しく気高く賢く尊いあの方に。
お姉様にそうなられるのは悔しいんです。
わたくしはわたくしに相応しい、同じく主人公になってくれる人を探していました。
だから貴方なんですヴァース。
わたくしは証明したいのです。選ばれた者だけがお伽話の主人公ではないと」
神からの啓示を受けずとも。空から降る事が無かろうと。特殊な力に恵まれずとも。
そうなれるのだと信じている。
「主人公に拘っていると、主人公ではないと言っているようなものですよ」
「はい! わたくしはあの人たちの物語にすら語られる事の無い脇役ですから!」
「それで自分が主人公の物語になろうというのですね。
月並みですが物語になろうというのは難しい事です。私が知る限りではアルゼマインぐらいですよ」
「いえ、貴方も十分主人公なんですよ? 元々末席とはいえ王子だったそうではありませんか」
自分ならば離れても家族とは手紙のやり取りをすると思う。ヴァースが居た国の情報はあまり分からないけれど古豪の大国だと聞いた。
「……それは捨ててきた話ですから」
「だからこそ! 貴方のお話にわたくしも巻き込まれるつもりです」
自分にこの国を捨てる事は出来ない。自分は王位を継ぐつもりだ。これは自分の人生におけるたった一つ明確な使命だと思っている。
「私を顔や性格以外で買った人は貴方が初めてですよ……と言っても身を落とした経歴なので実際どう反応すれば良いのか困りますね」
「当然顔や性格も買っていますよ。流れ者から騎士長までしっかりと上がっていますし、今や国王候補です。わたくしが買ったのは貴方のすべて。これまでも、これからもです。永遠に愛すべき貴方を選んだ!
あ、わたくしの愛は少し強烈です。注意してくださいね」
自分が過激を含んだ性格であるとは自分が一番承知している。愛らしい人形だとは思わない事だ。
「……存じております」
今更ではあるが、ヴァースにそう言ったのはただの政略的、私情私略の婚約ではないと思っているからだ。
「今更ですが変かも知れません。嫌わないで下さい……その代わりと言っては何ですが、何が起きようと貴方を愛する覚悟があります。
国か貴方かを選べと言われれば、貴方と私を殺して国を守れるぐらい」
この身が国民の為のものである事を考えれば、その時は民を守って共に消えましょう。
一重に愛するが故に。この形は母とは違うかもしれない。あの人はお父様を愛し過ぎているから。それでもそう寄り添う姿は理想的な夫婦である。あんな風になれたらなと思う。
「まぁ……それが正しいかどうかはその時に決めましょうか」
「そうですか。ではそうしましょう」
「……ははは」
「どうかしましたか。やっぱり、わたくしはおかしいですか」
「ええ。貴女は主人公です。あなた自身がお伽話と言っても過言ではありません」
「え? それはどういう意味ですか?」
自分がお伽話とはいかに。
ヴァースは簡単な事ですよ、と微笑む。
「既にそれだけの性格をしていらっしゃるのです。物語が寄ってこない訳がありません。
きっともう始まっていますよ。
貴女がこれから何を成すのか。そんな物語を想像してにやけてしまう読者が居たりするのです」
「……にやついているのは貴方が読者ということですか?」
「私はどうやら主人公をやらされるようですから」
「もしかして馬鹿にしていますか? いいですよ? 別に隠さずともっ」
「いいえ。素敵だと思っています。
その諮っているのか諮っていないのかというところも、主人公願望から来ている物だと言うのならば可愛いものです。
同時に、私に決闘をさせた行動力は恐ろしいですけれど――それこそ進む為の力だと思いますから。
ああ、でも」
ヴァースは言葉を切って少しこちらを見て目を細めた。
「これから先、私を好きに出来ると思わないで下さい」
まぁ、自分だって自分の恋をあんな風に終わらされたら、諦めを感じるけれど憤りだって感じると思う。それを許せなんて言わない。だから思い切りそれに笑ってみせる。
「勿論ですヴァース。もっと頑張ってばれない様に考えますから」
力が無いのだから考えなくては。
父と母、それに姉も戦争で活躍できる程度には強い。自分には出来ない。悔しかった。ただひたすら祈るだけなのは辛かった。無力を嘆く自分になど戻りたくない。
「末恐ろしい――ああ、でも少し分かります。
だからなろうなどと思わないで下さい。
貴女の――やりたい事をやる力は必要な物です」
共に歩く人が持つ言葉は、温かいものである。二人で不敵に微笑みながら見詰め合ってから可笑しくなって笑う。
自分の良い所も悪い所も評価して貰える。悪いと言われると拗ねたくもなるが、長く国に仕えるその人の確かな言葉である。それは嬉しいものだった。
きっと自分が主人公になれるのはもっと後のお話。それまではこうやって駄々をこねては誰かを困らせる。その矛先がヴァースに決まった。少しの間は彼のヒロインで我慢する。
わたくしは炎に出来ないけれど。この胸の熱量をいつか――お姉様にだって負けない情熱的な物語にしてみせる。
緋色の瞳の奥の炎を――青い瞳が遠く尊いもののように見ていた――。
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