第203話『悪人』


 コツコツと革靴で石を踏む音が響いていた。
 城から城下へ歩いていく道を少し逸れると、罪人を収容する牢獄に到達する。
 歩いている途中に随分と前に書いていた術式の確認をしながら進んでいく。城中に防犯代わりに書いておいた幻視の術式は現在も有効で、細かく道を壁に見せたり、無い床を有る様に見せるようになっている。特殊な術式を通らずに城の中を歩き回るのがとても危険なのである。
「失礼します。ロードに面会したいのですが」
「はっ畏まりました。ご案内いたします」
 見張り兵が敬礼して、鍵の束を持つ。
 階段を四階ほど下りて地下階の一番深い層までやってきた。ここは完全個室で、収容されている者は殆ど居ない。
「先ほどまで暴れておりましたようですので。どうかお気をつけて」
「ありがとう御座います。
 落ち着いているようなら明日には連れて行きますので」
「了解です」
 元々、連れて行く算段で頭を冷やす為に特殊法術封印牢を使わせているのだ。身動きが取れないと自然に自らの考えと向き合う時間が出来る。
 前のロードと今回のロードは違う。以前自分が記憶を消す前の彼女はずっと私に反抗を続けていた。無抵抗になった事は無い。

「こんばんはロード」
 此方が話しかけても彼女はベッドに座ったまま動かない。
「少しお話がしたいです」
 きっと興味ないので無視されているのだろう。
「実は私国を出る事になりました」
「……は?」
「完全に役職を降りて、この国から旅立ちます。恐らくもう帰らないでしょう」
「……そうか。おめでとう、晴れて私の世話などせぬ世界へ行けるな。
 清々する。とっとと出て行け……!」
「勿論早く出発したいのは山々です。
 しかしこの国を出るに当たって私の記憶について調べてくれている貴女の力を借りたいのです」
「断る」
「頭ごなしに断らないでください。
 そんな貴女も久しくて逆に新鮮ですけれど」
「お前は全然変わらず最低だ!」
「光栄です。お怒りもご尤もですが。
 ええと、ダルカネルの塔の件はもう話しましたかね?
 あそこで新たに発見があったのです」
「……聞いてない」
 いつも通りに問いかけると彼女も空気に呑まれていつも通りの返事をする。何か言われてしまう前に私は私の事を話してしまうことにした。
「ではご報告を。
 私は戦争後に、とある方の助言に基づき塔に赴き――私が見た全てを」

 ダルカネルの研究室へ赴きロードの知識を借りてダルカネルに関連する書物を調べたい。
 鏡に入るにしても解除処方を施してもらわないと鏡に入ることは出来ない。解呪の協力をしてもらうに越した事はない。
 当然記憶が完全に戻った元の彼女なら、それをただで受け入れたりはしない。
「……ふん、何故私が貴様なぞに協力せねば」
「ほう? 私は元々そういう約束で貴女を殺していますから」
 だから少し揺さぶってみよう。以前は揺さぶられても曲がりはしなかったけれど。
「なっ……がっ、覚えているのか……!」
「私が忘れるような約束なら意味が無いですし」



 ひとりで放浪と研究を繰り返すロードと私達の行く道は、何度も交差した。あの時の四人が何度も彼女を殺しては、逃がしを繰り返して、どうしても止める事が出来なかった。
 その道が永遠なのかと思った。その最後は国ができ初めて間もないグラネダ付近で山賊を集めて――同じ事を繰り返していた彼女を捕まえた時である。

『何度それを繰り返すんだお前は――!!』
 進まない。止まっている。何度も何度も同じところで止められている。
 彼女は止まっている。行ける筈も無いその先への壁を叩き続けている――。
『……私が……! 生きている限り、何度でもだ……!!
 私の信じるモノが消えない限り……!!
 何度でも間違ってやる!!
 正しいって! 証明してやる!!』
 何を怨んでいればそんな目が出来るのか。自分には到底想像の出来ない深い感情を持っている彼女を自分がどうこうできるだろうか。
『倫理を超越は出来ない!!
 人の繁殖が永遠になれば、世界は朽ち果てる!!
 死に苦痛が伴うなら結局同じだ! アンタみたいに打たれ強く無い奴の方が多いんだよ! 欲の暴走で結局“不死殺し”を平気でやり出す! アンタが死を超えたようにだ!
 じゃあ痛覚でもけすのか!? 感情を消して人だといえるのか! 動かなくなって朽ちるならゴミだ!
 結局アンタが作り出したいのは、感情も知性も無く暴れるだけのバケモノだ!!』
 どう転んでも上手く行くとは思えない。いつも問題になるのはその先の話だ。その先を考えているのなら尚更良く分かるだろう。
『じゃあこの世界はバケモノだらけではないか!!

 永遠に報われない人間が出てくるなら負け犬側からそのジャンケンゲームに加わる事の何が悪い!!

 折れた人間のなれの果てをバケモノだと言って罵る貴様には永遠に理解できない!!』

 ああ何て、彼女は純粋にこんなにも人間なのだろうか。
 他と比べて特別だと思うのは人間だけである。嫉妬に駆られて、行動を起こして成功を積み上げている。
 それの何処が人らしく無いだろうか。全力で生きる美しい人間そのものではないか。
『わからない……。
 だが、オレは評価する。あんたがやってる事は“間違っている”が“凄い事”だ。
 オレと一緒に来い。その研究の力を正しく使おう。
 オレはアンタの力を借りたい』
『そうやって甘い事を言っていれば付いて来るとと思っているのか?
 そうやって口説き落として使い捨てるのがお前等だ!
 私は道具じゃ無い!!』
 信じない。そんな言葉ではオレを信用する気はない程、彼女は裏切られるような酷い生活をしてきたのだろうか。
『じゃあ、オレの事は信用しなくていい。
 でもお前とは何としても友人になりたい。どうすればいい?』
『は!?』
 腹の底から出てきた言い声だった。
『手短に友情を確かめる為に他の友人を生け贄にしろなんて、神様すら冗談にするようなことはやらせるなよ。それは意味が無い。
 何がしたいかと言うと、正規にグラネダの研究塔について十年オレのライバルとして居座ってくれ。
 それで不満なら出て行ってくれていい』
『わけがわからなん! 何故私が!』
『衣食住は保障する。
 もう山賊に襲われる心配も無くなる』
 ますますわけが分からないと、首を傾げた。
『オレは法術の学友が欲しいだけだ。
 あんたほどオレの知らない事を知っていて、研究を続けている奴をオレは知らない。
 オレは何がなんでもアンタが欲しい。
 少し手を沿えてくれるだけでもいい。
 ロードが必要だ』
『わ、私は――!』
『アンタを今見逃しても! 世界はこれっぽっ地も変わらない!
 その繰り返しで回っていていいのは畜生だけだ! そのままじゃ絶対にアンタの願いは成就しない!
 アンタとアンタの言ってる誰かが“平等”になる世界は来ない!! 歪んだ理想の果てを見ていないなら意味が無い!』
『私はもうやめたんだ!!
 貴様のように希望は見えない!
 この曇った世界には何も無い!
 もしもう叶わないと知っているなら……!

 私の神となって私を殺してくれ……!!』

 彼女の心は――もうそこで足を腐らせていた。
 這いずり回って死ねない身体に涙を流す。
 それを後悔するならやってはいけなかった。他の誰かに圧し掛かる中途半端な改革はまた誰かを腐らせるだけだ。
 ロードはうな垂れて、口を噤む。

『……オレに提案があるんだロード』
『……なんだ』
 オレは彼女に近寄って顔を近づけた。
 少なくとも自分は人を落とす上で一番必要なのは目を見る事だと思っている。常套手段として今使うのはズルイのかもしれないけれど――遠くから見ていたってこいつはオレと目を合わせようとしない。ほんとうにありのままを話して欲しいから、ある程度の反撃覚悟で近づいた。
『一度殺すとアンタの記憶は五パーセントずつ無くなっていく。
 それを利用して今の半分ぐらいまで記憶を削る』
『ま、まて……それは……っ!』
『アンタの人生の記憶を、全て消す。
 知っているのはオレと、アンタの日記だけだ。
 後はオレの学友として生きてくれ。
 必要な世話はするし、研究の自由は保障する。
 あと、大事にする』
 髪を押さえてグシャグシャとかき混ぜた。
『……まて、待ってくれ……!』
『なんだ、何か遺言でも残すのか?』
『殺されるのは、痛いんだ……! 怖い……!』
『そうか、じゃあすぐ殺す』
『嫌だ……っ!』
『どうやって欲しい?』
『ま、まず……! 約束しろ!
 絶対に私を裏切るな……!』
『ああ任せろ』
『まだだ、その、絶対私を捨てるな……!』
『プロポーズですか?』
『違う!!! 断じて!!! 違う!!!』
『全力で否定されると悲しいですね。
 ですが、友人を捨てる程薄情では在りませんよ。
 貴女が迷った時は貴女の力になります。貴女の味方であろうとします。
 間違っていた時には、貴女を叱りますから。
 そうだ、この事を書いて十年経ったら日記を渡すというのもいい』
『……スパンが長くないか』
『不死身のアンタにも人らしい感覚があるんだな。
 オレが悪人ならちゃんと十年でもその先でもアンタに優しいはずだ』
『……言っている事が矛盾している』
『いいや。オレは友人にはそれなりに厳しい』
 多分オレを知る親しい友人三人ほどに聞けば同じように頷くはずだ。
『……そうか』
『オレの優しいを向けると、多分そうなる。
 もっとチヤホヤされたいならそういう人間を付けておく』
『……いや、やめてくれ。
 ……そういうのに依存するのは怖い』
『そうだな』
 ただ自分の意図とは違い自分の下にそういう人間がついたりするのは良くある事だ。
『……最後に……』
『なんだ』
『……その……優しく……殺せ』
 やめろと言ったりそうしろと言ったりいつも女は難儀なものである。
 まぁその実女から見た男も同じようなものなのだと聞くが――まぁ今はオレの意見としては万人と同じ意見となってしまった。
『……恋人気分にでもなれと? そういうの苦手なんだが』
『……わからない……知らないんだ、そんなの……』
『そうか……まぁ、女性にやらせるのは自称フェミニストでも失格だな。
 アンタの期待に応えてやろう』

 甘い幻想を魅せながら殺すのは、ゆっくりと変わる世界に殺される取り残された人間を見ているようだ。
 優しい殺し方を考える物騒な自分に少し笑える。
 その時の印象は何もしてこずに大人しく自分を受け入れた彼女を見て、少しだけ可愛い奴だと思った。きっとそれだけの存在だったはずだ。
 客観的に見なくても酷い人間な自分に方向性の違う酷さを持つ彼女が共感したのかもしれない。善悪は表裏一体でバランスが取れる人間だけが生きていける。行き過ぎた善意は悪意に近い。善意も人を殺す。
 ああ、コイツは私の成れの果てか――。
 正義を語る時に力が無ければきっと自分がこうなっていたのかもしれない。




 回想を終えただけならいいのだろうけど、終始を順に思い出す羽目になった彼女の顔は真っ赤である。やり方に関しては説明しない方が健全だ。
 ただ今は目の前の、前よりはこちら側の人間になってしまった彼女を虐めるべく、口でツラツラと説明してやろうと思い笑いながら彼女に言葉を投げかけた。
「そして私は貴女に」
「うわぁ!! やめろ!! あああああああ!!!」
 腕をブンブン振り回したあと耳を塞いで声を出す。アレをやってると本当に聞こえないし効果的である。
 ため息を吐いて俺は煩い彼女に近づくべく牢の鍵を開けて同じ檻に入る。
「それからずっと、貴女の傍にいるじゃないですか」
「やめろ!! やめて! くだ、さい……!」
「私から約束を破るのは良くないと思うのもあるので貴女を連れて行きたいのです」
「お、お前みたいな奴がそんな小さな約束に縛られてどうする!
 こんな腐った人間なんて結晶封印にでもして十字傷にでも投げておけば良いのはわかっているだろう!
 十年の経過も見た! 分かっただろう!
 腐っているのは私の方だ!」
「私は貴女を見捨てません」
「何故?! 私を連れて行くメリットなど無いだろう……!」
「メリットが無くても連れて行く人間は居ますよ。コウキとリージェ様も一緒です」
「……なら尚更」
「今日は、妙に尖ったり、しおらしかったりと忙しいですねロード」
「……くっ」

 色んな記憶が混ざり合って――何を信じるのか決めきっていないのだろう。
 疑心暗鬼なだけならば――前よりはずっとマシだ。
「貴女は、変わった。
 記憶を得て、迷っているのならば。
 私に傾いてしまいなさい」
「お、お前は……! 相変わらず、本当に……! 最低な奴だ……!!」

 ズルズルと――引き摺り下ろしているのは私の方だ。
 揺らぐというのは交渉の余地があるという事。
 それに漬け込まないほど優しくない。
 だから笑って私は彼女に近づいて肩を掴んだ。彼女に抵抗の意志は無いようでされるがままに壁に押し付けられる。

「ええ。そんな私を知るのも貴女だけです。
 それを知って尚揺らぐなら、私に傾いてしまいなさいロード――」

 もしかしたら今までで一番甘い誘惑を投げかけているのかもしれない。
 人生で一番甘やかしているのはリージェ様だが、女として扱っているのは彼女かもしれない。

 彼女は行き過ぎた正義と共に腐っている。
 私は全てを利用して世界が上手く回ればいいと思っているだけの最低な奴だ。

 私は高慢で強欲な奴が大嫌いである。また、自分だけが不幸だという顔をする奴もだ。
 誰かを苦しめる悪魔であり、誰かの不幸を打ち破る者でありたい。実際そうやって生きているだけである。
 記憶が欲しいのはそんな事をする自分が何なのかを知りたい。
 結果がどうあってもこのロードのように、自分は自分として今の判断を優先するとは思うけれど。
 目の前に転がってきたチャンスに行動しないわけにもいかない。引きの強いシキガミがいたものだ。ああ、それでもやっと自分の旅が一つ終わる。そう考えると期待が止まらない。甘やかすのにも力を入れたくなるというものだ。
 その彼らへの言い訳を考えながら、彼女を組み伏せ――明日、出発すると伝えた彼女が頷いて私を求めた。

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