第205話『羽飾り』
ガシャン、とヴァンの落としたカップが割れた。
驚いた俺達はロードさんに目をやった。彼女は何食わぬ顔で口の中のものを飲み込むと口元を拭いた。
ヴァンに抱きつく形になったスゥさんはそのままぎゅうっとその人を捕まえて一言だけを言う。
「わたくしも一緒に連れて行ってください……!」
掠れた声で搾り出すように出したその声が彼女の勇気。
何時も黙って見送ってきた彼女が初めて言った願望。
頑張ったあの人の為に俺が後押しすべきかと手を上げるとその手をファーナに掴まれてそこからそのまま外へと連れ出されてしまった。
「コウキ、わたくし達がスゥの加入を断らないことは分かっていますから、いま少しだけあの人たちだけに任せましょう」
「よく俺がフォロー的な何かを始めるって分かったな!」
「コウキはいつも一言多いですから。
……それに。わたくしはスゥが何を思うかはなんとなく分かります。
わたくしやコウキが居るより、気の置けない人が居た方が話は捗るものです」
カツカツと二人で神殿の正面階段を下りる。噴水の近くでファーナは徐に城を見上げ、太陽の光が近くに見える空を仰いで目を細めた。
「……わたくし実はこの旅に行く前に会っておきたい人が居るのです」
「会っておきたい人?
城の人には何時も会うじゃん?」
確かにお城に居る時間は短い。お正月に俺達が壱神の実家に顔を出す時間よりは長いが、それでも一週間程度だ。
俺達の旅はヴァンがジャンピングスターを覚えるまで徒歩での移動だった為、その殆どは移動時間だ。次の試練へ飛べるがその場所から安全な町まで。経過報告の為に城へという道のりが一番長く――そして、旅らしくて最も楽しい時間だった。
「ええ。会っておきたいと言うのは語弊がありますね。その人と向き合って話さなくてはいけないのです。
コウキと一緒なら、向き合える気がするのです」
「そっか! なら行こうよ。俺会った事ある人?」
俺の質問にファーナはええ、と頷いた。向き合って何をするかは聞いておくべきだろうか。真剣な話なら俺が居ても腰が折れてしまう。
しかし一緒に来て欲しいという条件があるので俺が頑張って壊れたエアリーダーを動かす事に従事するべきか。
一瞬そんな事を考えた瞬間にその会話は終了して、彼女が城への通路を振り返った。
お城への螺旋階段を上って、いつもはそこから更に二階上るのだが、一階上がって少し遠めに城の廊下を歩いた。
城の住人は大体ファーナには道を開けて、端へと寄る。俺は慣れないしそういうのはいやかなぁと思うがここがこの国の城である以上、この文化に慣れるしかないんだろうな。視線を逸らして会話しながら歩く事で少しは緩和できないだろうかと思ってファーナを見る。
「ところで一体何をしにいくの?」
「……わたくしは、お母様に謝らなくてはいけません」
「ん? 何を?」
「羽飾りです」
「ああ、あのふよふよしてたやつ?」
「はい。あれはお母様に貰ったものですから」
本来の羽根ならば一周年と経たないうちに黄ばみや汚れが目立つようになる。まぁ何とか加工の技術の乏しいこの世界じゃ当然で、元々汚れにくい物を使う傾向にある。あの羽飾りグローズベックと呼ばれる白い羽根の鳥から採れる大きな純白の羽根を材料にしていてとても珍しいものらしい。
希少種の鳥な上に山岳地帯の頂きに巣を作り、決まった場所でしか繁殖しないのが特徴でとても入手し辛いが人気は高い。お値段マシマシである。その羽根は汚れに強く、光に透けると少しキラキラ光って見える繊維があって色が明るく見えたりもする。
「お酒を羽根に零した時は滅茶苦茶怒ってたもんね」
確かにその時の汚れは結構すぐに落とせた。
「そ、それは忘れてください! 大体あれ以来そこまで飲んでませんしっ」
「だからあの時の事がネタになっておいしいんだって」
「もういいですっ聞き飽きましたっ。大体酔いの事なら貴方がシルストリアでなった状態のほうがよっぽどでしょうっ」
「うげ、あの時は俺も加減がわかんなかったんだって。や、皆あるよねそういうの」
「分かればいいのです」
だからと言って俺がそのネタで今後いじらない訳も無いけど。
そんな事を思っている俺をファーナがジト目で睨んだあと、ふいっと顔を逸らしてムッとした顔になる。結局拗ねてたようだ。
ファーナが言っているとおり価値はあるのだろう。
それに何か思い入れのある品ともいっていたような気がする。
「でも思い出は値段が付かないって話なんだよなぁきっと」
「……そうですね。母の思い入れのある品でしたからわたくしは謝っておきたいのです。それがずっと気がかりでした」
王妃様も王様と同じく会うには事前の連絡が必要になる。まぁ俺は王様に事前連絡せずにすぐ終わるからって通してもらっちゃうけど。大体ホントにすぐ終わるし。俺達の話はすぐに聞いておきたいというあの人の特例があっての事だ。
中身が何も変わらないうちからそうだったから変な気持ちだった。今でも同じなんだけれど。
ファーナが来た事を伝えると丁度休憩をしようと思ったところだったと王妃様は執務室を出てきた。
そのまま隣の応接室へと案内されて、二人並んで席に座る。
……実は俺この人が苦手だったりする。ファーナみたいに付き合いが長いわけでもないし、おっちゃんみたいに気さくな感じがあるわけでもない。高貴な風格があって全力でとっつきづらいと言う点だ。ここにおっちゃんが居ればその限りではない。
俺がガチガチに緊張しているのを見てファーナが珍しいですねと呟いたあとすぐに世間話のように母親と近々の状況を話し始めた。
「そうですか、ヴァンツェとスカーレットも……行ってしまうのですね」
寂しくなってしまいますね、と小さく息を吐いた。
メイドさんの用意してくれた紅茶に手を伸ばして、静かに一口だけ飲み込む。動きの一つ一つが洗練されているように見えてこの人は本当にお姫様をしてると思った。ファーナにそれを言うと怒られそうなので黙っておく。別にファーナがお姫様っぽく無いとは言わない。俺と同じ遊びたい盛りのお嬢様だったって事が俺にとって一番彼女を親しみを感じさせるところだったと思う。
「それともう一つ、その、わたくしはお母様に謝らなくてはいけません……」
「あら……」
「少し前のわたくしの拉致騒動、あの時わたくしはお母様に頂いた羽飾りを壊してしまったのです」
決して壊されたとは言わないのはファーナの責任感から来るものだろうか。
「羽飾り……そうですか。
あれは貴女に譲ったもの。わたくしが怒るような事はありません。
大切にしてくれていたのですね。わたくしはそれが嬉しいです」
「魔王に斬られた時に能力が明らかになったのは羽飾りのおかげです。
お母様から頂いた唯一のものですからとても残念なのです……」
ファーナが俯くと、王妃様も黙り込んでしまった。言葉が出ない、といった風だった。
俺のエアリーダーが喋れと呟く。でも今何しゃべれば良いの? 俺が喋れるってあれだよ、酔ったファーナの話とか雪の街マルボンで盛大に滑ってた話とか……。
「……貴女が彼を連れて此処に来たのは、それだけですか?」
「えっ」
俺は王妃様に言われてふとファーナに目をやる。
確かにこれだけなら俺が居る必要も無い。
「もし貴女が、あの事を恐れているならそれは文で良かったはず。
もしくはあの人と一緒に居る時、ですか」
「違います!」
「何が違いましたか?
……わたくしには護衛をつけてあてつけているようにしか見えないのです」
王妃様に表情を変えずその言葉を言われて、ファーナが少し困惑したような顔になった。
俺には全く見当のつかない所で何かの口論が展開されている。
ここに俺がついてくる必要性については何も聞いていない。聞きに来るだけなら俺だって大した負担ではないし聞かなくていいかとも思ったのも事実。喋れないのは俺の勝手な緊張のせいで――この二人自体は今まで和やかに話していたように見えた。
そういえば初めから少しだけピリピリとしていたような気がする。お互いの睨み合いと言うよりは――言いがたい空気の悪さがあった。
おっちゃんが居る所では、奔放で穏やかに見えたこの王妃様が今機械的で冷たい顔をしているのは何故だろう。
「コウキを此処に連れてくるのにそんな意味はありません……!
わたくしはただお母様と話したかっただけなのです!
わたくしは何度もお母様を訪ねました、でも……! わたくしとは、一度も会ってくれなかった……!」
その言葉に、目の前のその人はきゅっと口を噤んだ。
俺を連れてきた理由は、そういう事なのだろうか。
悶々と考えているとファーナと目が合った。助けて欲しいのは俺なんだけど、何故かファーナも同じ表情をしていた。
なんでこんな気まずいんだろ? なんか壱神の家に戻ったみたいだ。嫌な感じだ。
「……よし、俺わかったよファーナ」
「……わかっていただけましたか」
壱神の家は俺達を腫れ物扱いする。両親が死んで孤児になった奴等をみるなら皆気を使うだろうし当然と言えば当然。しかしそれ以上に後ろめたい気持ちがあいつ等にはある。
――それが。いま此処に、あるのだろうか。家族仲はパッと見は円満に見えたのだけれど――。
「王妃様ってアイリスに似てるのに……なんかすげぇ丁寧な人だよなぁ」
「外見はアイリスが似たのです。性格は彼女独自のものですよ」
俺の失礼に対し、ファーナが答える。その様子にクスクスと王妃様が笑った。
「よく見るとやっぱファーナも似てるなぁ」
「だからわたくしも親子ですからっ」
「一番似てるのは笑ったり怒ったりしてるところだと思うんだよね」
説教が長いのは母親譲りとヴァンが言っていた事もあったっけ。きっと細かい似ているを探せば一杯あるのだと思う。
「……そうでしょうか」
「そうだと思うよ。理想の人に近づけてるなら良い事じゃないか」
「全然良くありません。わたくしに似ようなど、頭がどうにかしている」
実の親がそこまで言うか、と流石の俺も笑顔が引きつった。
俺達の話を聞いて何故か怒りの沸点が最も低かったのは王妃様である。
自分の話をされるのは嫌なタイプの人なんだろうか。
「王妃様……俺にだって人格者だって見えてますよ?」
「それは外郭に過ぎません。実際私が貴方に会った時間は一日にも満ちません。それで何を知ったつもりでしょうか」
「俺は――確かに何も知りません。
だってこの世界に来て、一年ぐらいですし。その中じゃ王妃様だって俺と長く触れてる方の人の一人ですよ」
「それとこれとは話が違います」
キッと俺を睨むその人は何か悲しい事を話しているような顔をしている。
「そっすね! でも話は沢山聞きました。ヴァンは王としては生真面目な人だ、と言ってました。
街じゃ女性の理想だとか、身近な人からはお母様は素敵だとか一杯」
「あの、特定できる物言いはやめてください」
恥ずかしいので、と何故かもじもじと言うファーナ。
「まだ二分の一だろ、いいじゃんか」
「半分はあたりですよ!?」
それにアイリスもファーナも二人とも口を揃えてそう言うんだから間違いない。
今その人は笑っていない。
どうやら自分が褒められれば褒められるほど、どんどん笑えなくなってきているみたいだ。
「いいえ……! 違う……! わたくしはそんな綺麗な人間じゃないのです!
貴女も覚えているでしょう!
わたくしがどんな状態で貴女と別離したか!」
離別の理由。
一桁程度の子供が親から離れて育つ事になった理由について、俺は深くは知らない。
「わたくしは貴女を閉じ込めようとしたのですよ!」
叫ぶように言って王妃様が何処に向けていいのかわからない顔を伏せた。
何が辛かったのか、分かってきた。
顔を覆うようにして言葉を紡ぐ。
「わたくしの両親がそうだったように、結局わたくしもそうする道を選んだ……!
あんまりではないですか、何故分かっていて自分がそれを? わたくしは馬鹿じゃないですか!
だから……!
わたくしのような愚か者になろうなどとは、言わないで下さい……!」
――完全な人間は居ない。ヴァンだって実は割と沸点の低い不良神官だし、アキだってお人よし過ぎて優柔不断が目立つ。ファーナは極度の上がり症や頑固な面があるし、俺は単純に馬鹿だし。
それは俺達が揃う事で誰かが誰かを補って解決される。たった一人で完璧は無いし、きっと仲間がいたってどこか不良が生まれる。
その良くない部分をどうするかはその場の人たちで決めるものだ。気にしないモノも居れば、直す事を強制する奴も居る。俺は言葉にして言い合って喧嘩して納得して受け入れてという事が出来れば最も良いことだと思う。誰かが我慢する、という結果であるけれど本気で耐えれないならそれはそれで言葉にするべきことだ。
この人の行った過保護は、一体どの程度まで行ったのだろう。
「俺もあるよ軟禁。冬場にまっぱで風呂場に閉じ込められたり、夏場クソ暑い押入れに押し込まれたりしたなー、あははっ」
「……いえ、この場でその話題でもその顔が出来るのは貴方だけだと思ってました」
胸糞悪くなりそうな話は俺だって避ける。ただ意外と苛められてるのは知ってるはずなのでファーナは一先ず俺と同じように笑ってみせた。それで良いと思う。
「ファーナはどんな感じ?」
「はい……お母様の部屋に。
実は当時はお母様が仕事で忙しく、あまり私にもアイリスにも構っていられなかったのです。国も大きく成長し始めて城内の人間も増えていました。
中間の人間が少なく、ほぼお母様が回していたと言っても過言ではありません。お父様は戦争で出ずっぱりな事が多かったですし……」
王妃様はただ黙って思い出したくないというかのようにフルフルと頭を振った。
「そんな日が続く中、啓示のあった日にお母様に会いに言ったんです。
形相を変えて睨まれたときは恐かったですけど、お母様はその後わたくしを抱えて自分の部屋へと連れ込んだんです。
そして、“ここから絶対に出てはいけません”と言って自室でお仕事を始めたのです」
とうの本人は静かにファーナの話を聞いていた。かなり辛そうな表情をしている。
「久しぶりにお母様と一緒だったので、わたくしは嬉しかった。
人を呼ぼうと思い、少し扉を開けようとしました。
……その時、わたくしの世界がぐるっと回ったんです。次の瞬間には全身が痛くて、訳がわからなかった。
でも、お母様に法術で撃たれたと知ったのは術を学ぶようになってからです」
確かにあの時の狂気は忘れた事は無いと――、ファーナは言う。
底知れない感情は誰かにとって恐怖でしかない。それが例え好きだという感情であっても。
「ちょっとだけ、泣いていたんですけれど、お母様があまりにも静かにお仕事をしている姿をみて、泣いていてはいけないと思って痛みをかみ殺す事にしたんです。
その時足の骨は折れいて、歩く事が出来なかった。
助けては言いませんでした。きっと母が助けてくれると思ったから。
だから三日後まで何も言わず待っていました」
三日間ベッドで耐えただけ。その事実も中々聞くだけで心に来るものがある。そんな長時間耐え切るってどんな子供だよと思うところもある。
一人でそれを悶々と考えてる時はイライラしたりするものだが、人に話しているときは案外なんとも思わないものだ。相手が切り返す言葉が無い時に初めてその場の空気は悪くなる。
「どうしよう、思ったよりヘビーだった」
「大丈夫です。貴方には及びません」
「そうかなぁ」
「まぁわたくしは本当にあの部屋から出られませんでした。そしてその異変にきづいてくださったのがお父様です。
部屋に入ってわたくしを見て、二人が少し口論したあとお父様に連れられてヴァンツェに預けられる事になりました」
俺がへらへらしてて良い空間じゃないのかもしれない。
「あの時のわたくしは、どうにかしていたのです……本当にごめんなさい……ごめんなさいファーネリア……!」
「はい。そもそも、わたくしは何をされていたのか知らないので怒ることも無いのです。だから謝らないで下さいお母様」
そういって紅茶に手を伸ばしてカップを持ち上げて、ジッとみた。
「……一つだけその時物凄く残念だった事があるのです」
「残念な事?」
俺が聞くと、ファーナはふぅと紅茶の湯気を本当に小さく吹いた後一口だけ飲み下してまたソーサーの上に戻した。ティーカップは外に広がるように大きくなる陶器のカップで、紅茶用のものだとわかる。ちなみにコーヒー用は飲み口が寸胴な形になっている。紅茶は非常に熱い状態で作るため、傾けた時に冷めやすくなるように広げてあり、コーヒーは逆に高温で作る意味は無いのであえて飲みやすい温度で作られる。だからコーヒーカップは冷めづらい寸胴なのだ。
「あの時、人を呼ぼうとしたのは、一緒にお茶を飲もうと思ったからなんです。
あの時ようやく使用人にうまく頼めるようになって、ちょっと紅茶の種類を覚えて静かに飲めるようになって。
褒めてもらいたかったんです。そんな事なんですけれど、一緒にお茶ができるだけでもよかった。
お母様は、わたくしの前ではずっと笑っていてくださいました。全然恐くは無かった。変な現象に襲われる自分がおかしいのだとすら思っていました」
ファーナは自分の胸に手を当てて少し苦しそうな表情をした。
「変な事をしているとわたくしが嫌われると思ったのです。
だからわたくしは――」
その状況を受け入れて、ただ母親に煩くしてすみません、と謝ってから足を引き摺ってベッドへと戻った。
泣きそうなほど痛かったそれを噛み殺して、その場に居る事を選んだ。その人の仕事を優先させた。
どんな精神力を持っていれば、それが可能だろうか。痛い時に痛いと言わないのは俺には無理である。
「愛しています!
わたくしはファーネリアを愛しています!
一日たりとも忘れたことはありません!
何度も何度も会いに行こうと思いました!
それでもまたあんな事になったらと!
貴女に近づいて、あの事を責められたらと!
考えて! 怖くて……!!
わたくしは親として最低な事をしました……!
謝って……済む問題ではないのは解っています。貴女に行ったわたくしの所業は消えません……!
過去の清算をしたいなど、わたくしの我侭なのです!
本当に御免なさいファーネリア――」
王妃様がボロボロと涙を零して泣く。しかも絶対そんな場面を見せないと思っていた人がだ。
そういえばドラゴンの時も割と無茶をしたし、仕事のやり方も自分の事を顧みない感じでやってしまいそうな人だ。王様より全然真面目そうだし。
「許します」
ただ一言その人を覗き込むようにそう言ってファーナは微笑んでいた。
「……ファーネリア……」
「許しますよお母様。わたくし思うのです。アイリスとわたくしとお母様はそうやって強い思いにひた走る辺りがとても似ています」
ドラゴンに最終攻撃しかけたり、人を壮大な告白に巻き込んで決闘させたり――ああ、そう考えると一番ファーナが大人しい気がしてきた。
「わたくしもお母様が大好きです。あの時から。今もです。
だから羽飾りを壊してしまった事がとても悲しいんです。
貴女の理想である、わたくし達の理想の姿であって下さい。
この言葉は、わたくしが神官だからではなく貴女を愛する貴女の娘だから言うのです。初めての冒険から帰ってきた時、抱きしめてもらったのは本当に嬉しかった」
ファーナは席を立って、自分の母親の隣へと行き彼女をそっと抱きしめる。
「……っ貴女は、わたくしよりずっと大人になってしまいましたね……」
「そんな事はありません。
わたくしもお母様と同じで隣に勇気をくれる人が居なくては此処で泣いて帰ったのはわたくしだったのですから」
言われるとくすぐったいし、この親子の空間に俺が居るのもなんか変だなぁ。だた今此処を出て行くための台詞が思いつかないのも事実。黙って空気役に徹していよう。
暫く親娘の他愛の無い話を終えて、流石に恥ずかしくなったのか王妃様が咳払いしてもう大丈夫ですから、とファーナに席に戻るように言った。カメラがあったら撮っておきたいツーショットだった。
「それではまた……やっと、お母様と一緒にお茶が出来てよかったです」
「そうね、今度からは歓迎します。たとえ睡眠時間を削ってでも」
「仕事の時間は削らないんですね……プロだなぁ」
多分コピー機とかは有った方が便利だよなぁ、と仕事用の手書きの紙を見るたびに思う。主に書く事に時間をとられないようにするならやっぱりパソコンだ。ただこの人にパソコンを与えるともっと仕事しそうで末恐ろしい。
「ふふふ、わたくしにはまだまだこの国を豊かにする野望があるのです」
「そっかぁ。食事とか一緒には出来ないのファーナ。あ、俺じゃなくてファーナとかアイリスがだよ」
「それ自体は可能だと思いますが」
「――ああ、それは良いですね。今度戻ったなら是非。今までも兼ねて、皆でいらしてくれるとわたくしも嬉しいですしあの人も喜ぶでしょう」
あの人は王様の事だ。そういえば家族揃って食事というのは少ないと聞いた。月に一度は頑張っているという話を聞いているが。
「――はい。是非!」
俺達が退室する時にはすでに物腰柔らかな王妃様に戻っていて、上機嫌に俺達を見送ってくれた。あまり長い時間は居なかったが、得たものは大きいと思う。それは晴れ晴れとしたファーナの顔を見れば自然と納得できる話だ。
「物言いが素直すぎて恥ずかしい親子だよなぁ」
「言いたい事が言えないようでは何も進みませんから――まぁわたくしが言えたことではありませんけれど。
ありがとうございますコウキ。やはりわたくしたちの問題も貴方の前では軽かった」
「いや十分重いけどね? まさか身近に軟禁仲間が居るとは思わなかったよ」
「ええ、そうですね。口外しないでくれると助かります」
誰も幸せになりそうにない話題を誰と話せというのだろうか。
「流石に誰かに言う気は無いよ。あとファーナはもう我慢しなくて良いよ」
「えっ」
「ファーナはずっと我慢してたんだろ? 俺で良ければ、助けるし」
「……はいっそうですね! コウキが居ればわたしも勇気が出ます。
アイリスのようにわたくしも猛進する力があればいいのですが。勇気があれば解決した問題は今となっては何故もっと早く解決しなかったのか心苦しいです。
貴方のおかげですね。貴方を呼んだのは、当然わたくしのシキガミだからというのもありますし、お母様に興味を引かせる人物としての役割もありました。利用するような事をしてしまってすみません」
「んーん。でも棘が取れたみたいでよかったよ」
「後はお父様の所へ行って今回の旅立ちを報告しましょう」
「おうっ」
歩く彼女の足取りは軽い。気持ちが晴れたなら良かった。そう思えて俺も気分が良くなった。
王様にはすぐに会えて、次の旅の始まりと王妃様と話してきた事を伝えた。王様は少し驚いていたけれど、そうか、と短く頷いて全てをわかっているかのように笑った。これでファーナの問題は解決したのだろう。
他人にとっては他愛の無い事。でも本人達にとってはとても大きな壁である、そんな事もあるんだなって客観的に思う。人情溢れる美談で良かった。
旅立ちの日の空はとても天気が良かった。
まるで空もその旅立ちを喜んでいるかのように見えたその日――俺達の最後の旅立ちだった。
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