第209話『宿題』

 片方五メートル近いそれはルーちゃんが出現させた時にひどく大きく映った。倒した頃と変わらない状態のようである。
「おお。これは本物のようですね」
 そう言ったヴァンさんを振り返る。これを一番見せたい当の本人は顎に手を当ててジッと見ている状態だ。
「はい。本物です。風の術式が凄いですよ。巨体で十メートルぐらいはあるのに、燕みたいに動けるような複雑な術式があります。グレートワイバーンの子供の翼ですけどかなり研究価値は高いと聞きました」
 グレートワイバーン自体の研究は進んでいない。こちらのクロスセラス側にしかないものと言うのも沢山存在する。とりわけグレートワイバーンに関しては死体すら殆ど手に入らない状態のレアモンスターだ。それをじっくり値踏みするようにみて少しその羽根に触れて様子を見ていた。
「……ふむ」
「治療費も当然払います。どうかお願いします」
 わたしが出来る事といえばここまでだ。深く頭を下げて言うとロードさんは言葉を続けた。
「……治療する症状は?」
「彼女の足です」
「……君でも無いのか」
 色々紹介して視線を奪ってしまったが患者はわたしの隣に立っていた。
「あ、う……私です。アンシェル・ウィルターと言います」
 アイシェがペコリと挨拶をした。その彼女をまじまじと見てグラネダの神医は言う。
「……で? 何故その足を治療したい。立って歩けているじゃないか」
「も、もっと普通に歩いたり走ったり出来るようになりたいんです。
 今のままじゃ、何処へ行くのにも足手纏いで」
「……ふぅん。そんな奴ごまんと居る。
 ……悪いが私は引き受けない」
 無感情に、他の言葉と同じように拒否の言葉は並べられる。
 アイシェは対角線上にいるその人を見て声を荒げた。
「なっどうして、ですか……!」
「……君は何をしたんだ?」
「わ、わたしは……っ」

 その人の言葉にアイシェが慄く。
 彼女に何もさせなかったのはわたし達だけれど、そんな事が今足枷になってしまっている。

「……優秀な仲間が居てくれて良かったな。今後も頑張って良くしてもらうといい」

 此処まで頑張ってきたのに、と思ってしまうのわたしやディオやアイルだ。彼女の世話を焼いてきて、やっと報われると思ってわたしはこの翼を差し出した。その言葉は今まで全てわたしの厚意を顧みてはくれない言葉である。

「そ、それが駄目なんです!
 私が甘えてみんなの時間を潰して、疲れさせてるんじゃ意味が無いんです!!」
 アイシェが叫ぶように言った。
「……わたしは他人任せな人間が死ぬほど嫌いだ。
 ……周りが何とかしてくれるから甘え続けて結局何もしなかった奴の面倒など私は知らないな。その甘えてた時間で足の治し方でも考えてれば治っていたかも知れないと言うのに」
「そんなの無理に決まってるじゃないですか!」
「……無理か? 子供だから無理か。君のように足が不自由な女性が娼婦になって金を稼いで私のところへ来た話でもしてやろうか?
 ……やらなかった奴の言い訳に付き合うほど私も暇ではない」
 いくらわたしが何かを差し出しても、意味が無いと言うこと。それを言われてしまうとぐうの音も出ない。
 わたし達がやってきた事は無駄ではない、が最善を取る事は出来なかったと言うことになる。最悪グラネダに行けばなんとかなる。それはヴァンさんにすでに言われている事だけれど、目の前に神医が居てそれが適わない事が酷く悔しい。

 カラン、と杖が軽い音を立てて倒れた。倒れるのではなく、地面に彼女は自ら座った。そして地に頭がつくほど深く頭を下げる。

「……お願いします」

 地に伏す彼女には涙が見えた。医療の神と称されるその人に必死に頼み込む姿に自分の涙腺も緩んでくる。彼女の真剣な思いが嬉しく、その姿を悲しいと思う。

「これ以上っ私が皆を困らせるのは駄目なんです!
 私が嫌なのは皆が私の為に費やしてくれた時間や思いがふいになる事なんです。
 ……どうか、どうかお願いします。私の足を治してください」
 必死に、惨めにも見えるほどに彼女は頭を下げて懇願する。
 今身内だからと言って庇うと、きっとあの人の怒りを買ってしまうだろうか。わたしが必死になったところで、動かないと言っているのだから意味は無い。
「……君の周りの人間は努力した。ではそれを踏みにじるのが嫌だという君にチャンスをやろう」
「本当ですかっ何でもします!」
「……ふむ。その言葉はあまり不用意に使わない方が良い。
 ……君が私を納得させるほどの事ができるかという課題を与える。それは君が姉の代わりに私の研究材料やお金を用意する事でもいい。
 ……情に訴えかけるのは止めておけ。言葉はいくら積み上げても消えてなくなる。
 ……君が持ってきたものだけを正等に評価しよう」
「分かりました。有難う御座います」

 個人を評価するなんていわれてしまうと、途端にわたし達は意味を失くす。
 アイシェが頑張っていないなんてわたしには言えない。毎日毎日ナイフの腕を研ぐ彼女は記憶に鮮明に残っている。
 沈黙が広がったわたし達の前にヴァンさんが数歩歩み出て、振り返った。

「……無理をする必要はありません。
 グラネダに行けばいいという話です」
「そ、そうだよ。急いであんまり危ない事して、怪我酷くなっちゃったりしたら元も子もないし」
 命有っての治療である。自分のみに起きた事は奇跡である。生き返るなんて芸当はほぼ無理なのだ。
「私は――!」
 アイシェはわたしの言葉を遮るように自分の胸に手を当ててわたしを見た。
「実は負けず嫌いなんです。
 だから、ご心配有難う御座います! でも頑張りたいんです!
 沢山私達を助けてくれたお姉ちゃんにも、ずっと背負ってくれたディオにもアイルにも!
 今私が出来る事をやりたいんですっ。
 できる事から考えます。
 だからやらせてください」

 そう言えてしまう子だから、余計に心配だった。
 あの人は命名持ちの人間で、その人を納得させる材料となると、想像を絶する物を必要とするだろう。

「アタシ達がどんな気持ちで連れてきたと思ってんの!?」

 最初にアイルの感情が爆発した。
 ぐっと彼女の肩を掴んで同じ顔に向き合う。彼女はいつもその血のつながった姉妹だけには容赦しない。彼女等に姉と妹という概念はなく、同列の存在として育っているようだ。丁度ディオとアイルとアイシェは同じぐらいの距離を保っているように見える。

「私が、どんな気持ちでここまで来たか分かんない癖に」

 同じ用に強く言う。この二人はいつもこうだ。分かっているのに反発し合ってしまう。
 グッと手を取って払いのける。アイシェは賢い子だ。何かを叫びかけたアイルに事を場を被せる様にそのまま諭す言葉を言う。
「わかってないのは――!」
「大丈夫、私天才だからっすぐ何とかしちゃう!」
「そうやってテキトウな事を言ってだませると思ってんの!?」
「適当じゃないわよ。……此処で駄目なら全部意味が無いじゃん? 私はそれが一番嫌。
 何も死ねってわけでもないし、チャンスの前でやらないなんて損以外の何者でもないじゃない」

 姉妹の喧嘩に水を差すのは如何な物かと考え居ている所に陽気な笑い声が聞こえた。

「あっはっはっ! いいじゃん! やろうぜ研究テーマ探し!」
 人の会話だと言うのに、親しげである。
「ちょ……! 何を勝手に!」
「いいじゃんか。俺達の中で治せるのはロードさんだけだし。貰ったチャンスを生かすのは賛成だろ?」
「そうだけど、一人なんて!」
 コウキさんはまたまたぁ、なんて手をヒラヒラさせてからぐっと腕を組んで得意げに言う。

「一人なんて言って無いよ。努力しろって言ったんだ。
 何を使うかは問われてない。言い方は変わるが協力を求めるのも必要だろ?
 どう考えたって足が悪いんだからさ。足を雇わないか?」
 コウキさんに言われて、アイシェが首を傾げた。
「えっと、足って?」
「ルー! 俺の愛弟子だぞっ」
「キュー……」
 元気の無いルーちゃんが返事をする。コウキさんの影に入っていてなお暑そうな顔で座り込んでいた。
「暑い!? 助けてあげようよ! ルーにしか出来ないことなんだ。
 これが終わったら免許皆伝だ! みずみずしくて美味しいサラダを約束しよう!」
「キュゥ! カゥ!」
 言われると突然元気になってコウキさんの前にきっちりお座りした。そしてもしゃもしゃと撫でてもらってからアイシェのところに言ってペロリと彼女の手を舐めた。

 全然わたしの入る隙間が見当たらない……どうしよう、この翼もどうしよう。一先ずわたしも助けを申し出ようとした所でやり取りの一部始終を見ていたロードさんが顎に手を当てて舌打ちをする。
「ちっ……。
 ……ちなみに、以降赤いのを頼った場合は減点だ。君達も余計なことはするな。
 ……分かったな?」
 赤いの、とは。
「わたしもですか!?」
 わたしの言葉にこくりと頷く。
 その人が言うところにはファーナからコウキさんそしてわたしまでを含んでいるようだ。出鼻を挫かれたので少し凹む。
 特に、と溜めてギロリと睨むようにコウキさんを見たが、彼は何処吹く風と行った風に笑って返す。
「うへ。予防線厳しい。そっか。どうせ剣祭があるし。俺等だけでいいの?」
「ああ。君等だけだ人に甘っちょろ過ぎるのは」
 ロードさんは言ってふいっと視線をコウキさんから外した。
「……ディオも剣祭に集中していいからね?」
「当り前だろ」
 ディオそう言ってアイルの肩を叩いてアイシェに二人で手を伸ばした。
「アイシェちゃん……」
「お姉ちゃん見てて! いや果報は寝て待てだよっ私頑張ってくるからっ!」
 アイシェちゃんは眩しく笑うと、杖をついて歩き出す。基本的に彼女から背負って欲しい等と頼まれる事は無い。置いていっていいよとは言うのだけれど。世話を焼いているのは結局周りなのだ。その背負う役割をずっと買ってきたのはディオ。他の色々なサポートはアイルがよくやってくれている。
 とても息の合う、良い組み合わせだとわたしは思う。きっと三人ならやっていける――。
「そっか……。頑張ってね」
 わたしは役に立てなかったようであるけれど、せめて送り出すために手を振る。
 そのままルーちゃんを連れたって、早速街で情報集めをするようだ。一攫千金みたいな話は中々転がっている物ではないけれどあの三人ならきっと何か見つけてくるだろう。

「アキ。この翼不要なら私が頂いてよろしいですか?」
 まじまじと翼を見続けていたヴァンさんがわたしを呼んだので振り返る。その人が指差す先には行き場の無い感じの翼が転がっていた。ファーナに焼いてもらおうかなぁとか思ったのだけれど、その必要がなくなるのならそれでも構わない。
「えっ、ヴァンさんがですか。構いませんけど、どうするんです?」
 それは、と言いながら不敵に微笑んだ所でザザッとわたしとその人の間に金色の髪の人が割り込んできた。
「……おい、要らないとは言っていない」
 キラッと眼鏡の端が光る。
「ええっ」
「おや? 貴女はこれを貰う対価が無い筈ですよ。
 チャンスを与えたというのは、努力評価のはずですから。これを頂く場合、何が対価になるですかね?」
「く……。揚げ足ばかりとるな。
 ……言いたくは無かったが私は彼女の治療をするつもりだ。だから寄越せ」
「えええっ!?」
 さっきから驚いてしか居ない。
 なんだろう、この二人の会話に割って入ってしまって良いんだろうか。それでも確かめたい事を口にする。
「じゃ、じゃあアイシェは」
 あの子達は無駄な苦労をする為に元気よく旅立ったのだろうか。

「……大人はな、子供に面倒事を吹っかけて苦労させてやる為に居るんだ。
 ……頭を下げる程度では生ぬるい。用意できる物資は用意させる。それがたとえ子供だろうとな。
 ……彼女に対しタダで与えてやる気は毛頭無い。そのための対価だ。

 ……そう。アキとやら。キミが思っている通りさ。
 ……私は特に意味も無く、ただ生意気なガキを他人の用意した金で治してやるのが嫌だったから適当に難しそうな事をやらせているだけに過ぎない。
 これが終わった後に私が言う事はこうだ。

 『その思い出と絆が君の宝になる』

 そう適当に締めくくってから治療する」

 い、言い切ったこの人!

「大人気ない! 物凄く大人気ないぞロードさん!」

 しかしコウキさんも思わず指を差して抗議するほどの大人気なさっぷりのようである。
 ロードさんはコウキさんを嘲笑するように笑ったあと、ヒラヒラと両手を靡かせた。

「……ふ、なんとでも言えば良い。幸せなんて贅肉だらけの奴らをどん底に落としてから手を差し伸べた時、神を見るような目で私を見る。
 ……それが治療における堪らない快感だと言うことに何故気付かない?」
「いやらしいことに微妙に正当性を持っているのがズルイですよね。
 ロードは大人気ない事はしていますが、外道というわけでもないみたいです。紙一重ですが」

 確かに紙一枚の厚み程度の裏で外道が蠢いている姿しか見えないがそれでも治療を受けたのは優しさと言ってもいいだろう。
 ファーナがいうと尚可笑しそうにその人は笑った。

「……残念ながら今は私が不利だからな。
 本当ならさっきの『何でもします』という言葉を鵜呑みにして、永遠に治した後に人体実験用の被験者になって貰う事もできたのだが」
「考えてる事は外道だったぞファーナ」
「良い人なのか悪い人なのか分かりませんねこれでは……」
 深くため息を吐くファーナ。

 いや、二人は簡単に何か勘違いしていないだろうか。わたしから見れば妹と称して旅してきた仲間が今実験材料として扱われる寸前だと聞いたのだ。
 やっぱりこの人の治療は断った方がいいのでは――? 皆には申し訳ないがグラネダに行って貰う方がはるかに安全に思えた。
 神医とは医者の鏡のような人だと思っていたけれど、どうやら闇医者のほうの人だ。

 そんな思考を巡らせていたわたしにポンとヴァンさんの手が乗る。ビクッと其方を見るとフッと微笑んだ。
「大丈夫ですよ。私達と一緒にいる間は“悪い事”はしません」
「えっと……でも心配です」
 今のところ、とても任せて良いとは思えない。
「……この人、本当に神医様ですか?」
 その答えはファーナが答えた。
「ええ、そうです。治療の腕は確かですよ。わたくしの傷も跡形も無く治しています」
「……ふふ、観念すると良い。見たところアイシェとやらは私を疑っては居ない。
 ……私の宿題を甘んじて受けた賢い子だ。治してやる。そこは心配する必要のない箇所だ」

 ロードさんはそう言って何事もなかったかのように翼の観察を始めた。
 何を考えているのか分からない――。そんな印象だ。

「まぁ大丈夫だよ。特に今ヴァンが居るし」
「そうですね。ヴァンツェが居ますものね」
「いえ、信頼いただけるのは結構ですが、その怪しい目で私を見るのを止めてくださいリージェ様」

 とはいえそれ自体嘘と言っているわけでもないようだ。わたしの信頼する仲間が三人とも大丈夫だと言っているのだ。信頼するに当たると思う。

 彼女の姿を少し目で追っていたヴァンさんが急に頷いてわたしを振り向いた。

「ふむ。しかしこれでは私も何か貴女に返せるものを考えなくてはいけませんね。何かありますか?」
「ヴァンさんに頼める事ですか?」
「ええ。これは良い暇潰しになりそうですから」

 やっぱり暇潰しなのか、と少し笑える。結構巨大な謎として扱われていたのだけれど、この人の前だとやっぱりそんなものなのだろうか。特に今はロードさんも居るわけであるし。グラネダで有名な学者を二人上げろと言われればこの二人ぐらいの勢いなのに、こんな所に居てもいいのだろうか。
 ヴァンさんに何かを頼むのは恐れ多いが、一つお願いしようと思っていた事を思い出してサッと剣をだした。

「あ、じゃあ。わたしの剣に術式書いてくれたりしませんか」

 大牙は、クルードさんに作ってもらってから未だに術式剣では無い。無属性の大きな剣だが術式を書くスペースは大いに余っている。そういう専門家に頼むと結構なお値段になるので、ヴァンさんに頼めばきっとなんとかなると思っていたところが実はある。そのチャンスが訪れてすかさず言えたのでよかった。ヴァンさんの反応も全然悪くはなく、むしろ好奇心が顔を剣に寄せてまじまじと眺めて微笑んでいるぐらいだ。

「おお。それはまた面白いですね。引き受けましょう。
 竜士が使うに相応しい術式を考えなくては」

 面白そうに腕を組んで剣を見た。

「……それも面白そうだ」

 ロードさんが振り返ってこちらをみた。
 剣祭があるから剣が無いのは困るという事で、今日の夜で何とかすると何故か二人が意気込んでいた。リミットがある方が燃えるそうだ。それ自体は分からなくも無い。
 凍らせてからの解体作業を少し手伝って、借りている部屋に運んだ。


 それ以降は夕方までファーナ達と一緒に延々と近況のあった事無かった事の話をしてあっという間に終わった。主に無かった事の話はコウキさんが蛇足的にしていたのだけれど、それが楽しい時間である事に変わりはなかった。
 ロードさんについての説明も聞いた。どうやら一度戦っているがヴァンさんが借り出してきたらしい。命名者二人が一気に居なくなったので国ではてんやわんやの騒ぎになっているとか。それでもヴァンさんが自分の為にする旅に付いていきたいというのはコウキさん立っての意見である。それ自体には問題は無いがあの人は結構危ない人だと言う事が分かった。気をつけては置こうとは思う。
 此方の現状も面白いなぁとコウキさんに言われた。ディオとも仲が良いし、剣祭では是非一回戦でぶち当たって欲しい。彼は強さに酔っている面がまだ多々存在する。そのままでは成長しない。自分の力だけで強くなっていて、その中に技が一切存在しない。基礎練習はしないし、才能はあるのに勿体無い感じの残念な子である。わたしの言う事を聞かないのはわたしが女だからという事っぽいし結構頭が固いのだ。故に真面目に強くなるきっかけになってくれないかなぁと淡い期待を抱いているのである。彼を思っての事ですヨ?


 今日は元々休養に使う日だったのでアルバイトに関しては動いていないと暇だったという理由でしかない。ついでに明日の宣伝をしてくれたアイシェには恐らく明日感謝することになるだろう。味方は多いに越した事はない。
 夕食の準備が出来たときにはアルベントさんを交えての食事になっていた。ヴァンさんやロードさんも一度休憩に降りてきてなんだか凄い食卓になった。そんな最中に淡々と用意するスゥさんになんだか物凄い貫禄を感じていたりした。それも在りえた姿ではあるが。
 アイシェ達は戻らなかったが、三人が一緒に居れば無茶はしないと思う。
 わたしの作った新しいいつもの光景。此処は戻ってくると決めていた光景の一つ。だけれど少し寂しいと感じてしまう。
 ファーナにあの三人が心配かと聞かれて勿論とは答えたが信じて待てないのもよく無い事だ。あの三人の実力自体は大人に引けを取らない物である。アイシェを中心にした連携は特に安定した物だと言える。竜士団としてはきっと申し分ないものだと思う。

「それであの三人と大会に参加する為に此処へ?」
 ファーナがわたしにそう聞いてきた。
「わたしはそうですよ。この大会やってからグラネダに向かうつもりでした。半分ぐらいはラジュエラ様の名義ですからコウキさん達がここに来るんじゃないかって思ってましたし」

 すれ違って終わりという寂しい結果が避けられて良かった。それは大いに思う。

「そっか。でもさっきチラッと見たけど、参加者表の大義賊とか百花仙とか何なの?
 そうそう、竜士アキは、分かった。あれは有名だわー」
「わたくしも知っているぐらいですからねっ」

 コウキさんとファーナがわざとらしくチラチラと見る。「止めてくださいよー」と言ったけどちょっと嬉しかったのは内緒。
 二人に一通り褒められてわたしの中の何かが満たされてきた所で、コウキさんがハイッと手を上げた。
「よしっ僕らの大先生! 大義賊ってどんな人なんですかっ?」

 ぴっと手を上げて姿勢を正してヴァンに解説を求める。

「一般的に義賊というのは、違法行為を行いながらも人々に支持される者の事です。
 多くは金持ちから盗み、貧しい人々にお金を分け与える……そういう不平等を平均化する人物です」
「じゃあ大義賊って言われてるぐらいだから凄いんだ。詳しく教えて下さいっ」
 人に物を聞く姿勢、というのは正しいに越した事は無い。俺の姿勢に少し笑うと、スッと眼鏡を少し上げた。
「ええ、語りましょう」
 そう言って一度水の注がれたグラスの結露して流れる水滴を見ながら一度思いを馳せるように眼を閉じた。


 砂漠には色々なお宝が眠ってる洞窟があるって言われています。だがその洞窟というのが大盗賊団“月の宝石”という有名な盗賊団の住処。
 色々伝説はあります。大鷲と瞳と呼ばれる呪われた黄色い宝石を盗み、盗む事で家主を助けたり、誰も帰ってこなかった王の墓場から財宝を盗み出したり。
 大義賊シンドバットも其処に所属する盗賊と言われています。彼が大頭目って話もある程ですが、誰がそうなのかってのは解ってないのです。
 シンドバットは自分の取り分を必ず貧民に分け与える義賊。
 砂漠の貧民街の英雄。薄汚い金持ちを狙って金や宝を根こそぎ奪うのが彼の正義。
 やってる事は盗賊だ、褒められる筋合いも称えられる筋合いも無いと言う。その街では噂こそあれど、誰も名前なんか言わないのです。途端に貴族の怒りを買って縛りあげられてしまうから。けれど皆に口に出さない感謝してる。
 弱い貧乏人や子供にとっての味方。
 己の信念に生きる英雄――砂漠の大泥棒のお話。

 しかし、それは彼が大義賊シンドバットとして過した日々の話。

 義賊としての英雄伝説が多く出ていますが、こんなのはどうでしょうか。
 シンドバットは義賊として名を馳せてすぐ、彼の家族すべてが惨殺に会いました。
 彼は私腹を肥やす為に無理な搾取を行った領主の家から金を盗み、皆に分け与えたのです。最初から義賊としての行為を行う為に本来の名を捨て、盗賊となったのです。
 盗賊としての技術は素晴らしく、彼が見つかったから身元がばれたというわけではないのです。
 彼の名を馬鹿にして捕まえろと触れを出した領主に、彼の両親が怒ったのです。
 『シンドバットは英雄だ!』と。
 領主はその叫びを怒り、その一家を殺してしまいました。
 家を捨て本名を捨てシンドバットと成った彼ですが、今も後悔の中で生き、仮面を被りその身を義賊として捧げ生きているそうです。

 語り終わったヴァンが一度水を飲んでコウキさんを見た。

「この物語は色々な場所で色んなアレンジがされた民間の英雄伝になっています。
 それでも復讐に生きた結果に大義賊と呼ばれるようになった。
 月日が経ち貧民街の救済が進み、シンドバットを必要とするものは殆ど居なくなった時――彼はその街から消えました。
 故に彼は英雄ではありません。いまや皆ただの伝説だと思っている話ですから」

 犯罪者という自身の罪の為にその町から姿を消さざるを得ない。
 シンドバットは伝説になった。それに満足しているならそれで構わないとは思うけれど――。

「でも俺シンドバット大好きになったよ」

 コウキさんの目はキラキラしている。純粋だなぁ……。もしかしたら対戦相手かもしれないのに。

「剣の腕とかはどうなんですか?」

 ラジュエラ様に選ばれた双剣の主なのだから強いのだろうけれど、お伽話には千切っては投げの描写しかないのはおかしい話である。まぁ簡略化されてしまうのは仕方ない話なのだろう。
 ヴァンさんは小さく首を振って少し申し訳無さそうな顔で言う。

「さて。どうでしょうね。
 わざと掴まって、抜け出したなんて話はあるようですが負けの話は聞いた事がありません。
 負けない人は居ませんけれど、負ければ死という修羅場は潜ってきた人です。
 油断は禁物、ですね。仮にも名を貰っている者で弱いと感じた事があるのなら教えて欲しいものです」
 うん、それは絶対にありえないと思う。あの母親ですら一声で山を吹き飛ばす。あの人は正直に言えば少し馬鹿っぽい。馬鹿真っ直ぐだ。ロードさんも不穏な気配を感じるし、正直相手にしたくはないところである。名持ちの人間を見た感想なんて皆そんな感じだ。

 ヴァンさんから仙人の方の話も聞いて落ち着いた所で、食事は解散となった。
 食事中一番笑ってしまったのは「ウチの設備でこんな上手い飯が作れたのか……」というアルベントさんの言葉である。確かに作らない人にとっては宝の持ち腐れとなってしまう可能性の高い調理場だった。やたらとスゥさんの視線がその人に刺さっていたが何かあったのだろうか。
 名残惜しいが自分が泊まっているクルードさんの所へ戻る事にした。明日は剣祭の当日なのだから休まなくてはいけない。コウキさんとも健闘を祈りあって明日に望む。せめて一回戦は当たらないようにと。

 夜は肌寒いくらいになるソードリアスの夜道を歩く。
 楽しく話せた熱気が少しずつ夜空に溶けて冷静になる。
 結局どんなイレギュラーも考えておかなくてはいけないから、初戦でコウキさんやアルベントさんと言った事もありえる。だからこそ、それにも動じないと決心してから――眠りにつくことにした。

前へ 次へ


Powered by NINJA TOOLS

/ メール