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第212話『虚偽性修復』
剣聖の亡骸は異様な速度で世界に消えた。
元々神性の高い人間は地ではなく世界に還る。
戦女神に魅入られたものはその迎えと共に永遠に戦いの為に巡ると言う。
剣聖はその為に生まれたような人間だ。だがその戦いの意味を成した今――次の生には、誰かと幸せに歩み為に生きるのだろうか。
辛勝で決した結末の後、それは易々と良い方向に転がるわけが無い。懸命に出来る事を考えた。まずはハンカチで胸の傷口を押さえ、自分の薄い外套を脱いで足の傷を縛った。それ以上処方する手段は無い。だから必死に声をかけた。
壱神幸輝の傷の加減は今までで一番酷い。右半身はほぼ機能しておらず、出血が激しい。そして先ほど食らった攻撃は心臓の真下を貫いていて、激痛にコウキは気絶し痙攣していた。
酷い状態である。直ちにキュア班が必要だ。キュア班の人間を呼ぶと彼らは走ってきて――。
それをじれったく待っている間に、コウキの身体から一切の力が抜けた。
頭が真っ白になった。フワッと、軽くなった。無くなってはいけないものがなくなろうとしていた。
「コウキ……?
コウキ!? コウキ!! 目を開けてください!!
コウキ!! 駄目です!! 息をしてください!!
いや! ああ!! 誰かぁっ!!」
こんなにも、パニックになった事は無い。
すぐにアキとヴァンツェが駆けつけてくれたが、その発狂に近い彼女の衝動を止める事は出来なかった。
「無駄です、例えキュア班がきてもその人を治せません。すでに死んでいます」
「魔女!! 貴女が剣聖なんて連れてくるから!!」
「責任転嫁は止してください。それに剣聖がどうこうは今話してる場合ですか?
その程度で混乱して何も出来ないようでは器が知れてしまいますよ。
さて、ではその遺体は私が引き受けましょう」
「誰が貴方などに!」
蘇生可能な時間も存在する。死んだとしてもどんな高位な者も少しの間は肉体を現世にとどめる。肉体を全快させれば復活――とは行かない。精神が同じダメージを負っている場合が多く、どれだけ外部的に治せても死ぬ事はあるのだ。それはアキのときの現象がそうだ。所謂魂が離れる事が本当に死なのである。
未だに消えない最後かもしれない、何かできないかという問いだけが頭の中をグルグルする。
強がるわたくしに彼女は一歩踏み込んでくる。魔女の事は嫌いだ。コウキがやたらと気にしている事が異常なのだ。彼女は敵なのに、彼女は敵なのに――何故、姉と言って慕うのか。それが許せない。
「わたくし以外にそれを生かすすべを持った人が居ますか?
居たとして、ここに間に合いますか?
数分ともたないでしょう」
ロードは此処に居ない。居たとして、治療してくれるかは甚だ疑問である。彼女はすでに医者ではなく学者だ。
唯一、絶対に救えるモノがそこに居る。あまりにも堂々と救える宣言をする彼女にたじろいだ。
「だ、だとしても貴方に……」
表裏に蘇るアルゼマイン、カルナディアと行った黒騎士として使役される姿。感情はなく、ただ黙々と使われる。あんな風にしたくは無い、したくはないけれど――。
ロザリアのシキガミ化によって、解呪されている。
元に戻る可能性はある。しかし――。
脳内の葛藤が止まない。コウキを生かしたい事実が彼女にコウキを渡してはいけない――渡したくない気持ちを徐々に蝕んでいっていた。
「私に渡さずにその人を見殺しにするのですね」
「違います!」
「違いません。貴女の我が侭で、死ぬんですよ?
本当に貴女は人を顧みない最低な人ですね。何の為の約束だったか知っているでしょう?
健気にも貴方を助ける為に王様に殴られてまで囮を買って出た彼に何の感情も感じていないとは鬼畜きわまりましたね。
貴女のお高いプライドでこの人はゴミのように死にますが、わたくしには貴女のゴミのようなプライドのせいで高貴な英雄が一人死ぬような気がしてなりません。
そこを退きなさいお姫様?」
此方を嗜めるように、彼女は言う。色々な感情に大きく揺れた。
「あ、ぐ……!」
彼女は言葉が出せなくなった自分にため息をついて、やれやれと落ち着いて頭を振った。
「わかりましたお姫様。
残酷な方ですね。救う力が無く見殺すのはキュア班だけで無いのですね。
結局貴女も権力だけのクズですね。何故ヴァンツェ・クライオンに殺されないのか不思議で仕方が無い程です。
貴女も正義の味方なら、この女を殺してみせなさい」
ヴァンツェの昔話は知っている。正義の味方気取った何か。そう自分を卑下していたけれど、話のどこかに一貫した正義がある。
彼女のその言葉にヴァンツェが答える事は無かった。アキと一緒に降りてきてはいたもののもう死んだというコウキを見て固まっていた。
そうこうしている間にもコウキの手は冷たくなっていく。温度をいつも暖かくて触られると嬉しい手が死を伝えるように冷たく――淡く光を帯びる。
「あ、あぁ……ぅっ!」
「貴女が泣いたところで何も解決しません。
要らないのなら無理やり貰いますね」
彼女を振り払う事はできなかった。
言葉が死ぬほど痛い。全部が心臓に突き刺さったみたいで、痛かった。
言葉だけの完全試合に涙し、コウキの傍らに崩れる。
応急手当なんて、やりきった。この会場に、どうやらキュア班は待機していない。
当然、死ぬ事は含まれた戦いだ。
視界だけが涙で歪んだ。
そして自分の目の前では魔女がコウキの頭上に位置する場所に座った。
ゆっくりと割れ物に触るかのように殻の頬に手を沿えてゆっくりと自分の頭を下げた。
唇が合うまでのその光景は、今までの何よりも鮮明に脳裏に焼きついた。
逆再生するような光景だった。ズルズルと血がコウキの中へと戻っていき、見る見る顔色も良くなる。
奇跡を目の前に会場の皆が驚いている。
それはそれを目の当たりにした自分も同じで――何故、この力が自分に無いのかと嫉妬に燃える。
そしてパチッと勢い良くコウキの目が開いた。
「ぎゃああああああ!!」
魔女を突き放して、飛び上がるように起きると舞台の端まで走っていって口元をゴシゴシと拭う。さながら何かの仇と戦うような形相である。
「コウキ!」
「俺のファーストキスが姉ちゃんに奪われたあああああああああ!!!」
その叫び声が木霊して会場が笑いと歓喜に満ちる。
剣聖への勝利が今ここに祝福される。その風景に今更ながら不思議そうに首を傾げたあと、なんか知らんが有難うと手を振っていた。
何かがおかしい。その光景にわたくし達は固唾を呑む。
非常に起きては不味い事が起きた。少なくともそうは見えないけれど、だからこそ非常に不味い事。
コウキは振り返るとこちらに向かって笑った。
それに安堵するとスッと、彼は魔女の方へと歩き出した。
「おっはよぅ! やー死んだ死んだぁ!」
「無茶しちゃダメでしょコウキ」
「ごめんごめん! でももうちょっと無いのやり方!?」
私達の誰もが、その光景を疑った。
本当なら、私達のほうへそれをやりながら来るのに――。
その台詞はヴァンツェやアキが発して、わたくしが烈火の如く理不尽な不満を投げかける。そんな光景になるはずなのにコウキは彼女と仲睦まじげに笑い会う。
「こ、コウキ」
語りかけた時にくいっと首を傾げて此方をみた。並び立つ三人を見てから何か難しい話を聞いたときのような顔をした。
「え? あ。うん。ええっと、どちら様でしたっけ?」
「え……?」
喉が詰まるみたいな息苦しさを感じる。
困った顔をして此方を見る。
やめて、そんな顔をしないでと脳内でリフレインされる。
「コウキを心配してくれたファンの人。感謝なさい」
魔女は此方をみてニコニコと善人のように笑う。
「そっか、ありがとなー!」
すたっと軽い足取りで此方にきて、わたくしの手を取るとブンブンと上下に振った。
何も変わらないコウキではあるが、ずべてが違う。軽く笑いかけてすぐに手を離して踵を返すと陽気に舞台を降りる方向へとと歩き出した。
「さあ、今日は戻って次に備えて今日は休みましょう」
「おー! うあー腹減ったな。今日は外で食おうよー」
「魔女汁食べませんか?」
「そればっかじゃん! 剣聖に勝ったんだからもうちょっと豪華でもいんじゃないかなー?」
私達は置いてけぼりなまま、話を完結させて彼らは去っていこうとする。待ってという言葉も出てこなかった。声が全く出てくる気がしない。今呼吸すらしていない状況である。
「酷いですコウキさん!
見損ないましたよ!!」
二人が歩いていく方向に走って回り込んで、アキがコウキを指差して叫んだ。
「うわぁ、知らないお姉さんにいきなり見損なわれた!
これは素でショックだな……俺何やったの? ごめん」
「ふざけているならすぐにやめた方が賢明ですよ」
ヴァンツェの声のトーンが低い。その様子をみたコウキが慌てて数歩下がって魔女と並ぶ。すぐに此方を指差してひそひそとしているようなしていないような話を始めた。
「え? 何この人達。あ、剣聖の仲間の人?」
いろいろと焦って辿り着いた結論に、ポンと手を打つコウキを見て、叫ばなくてはと声を上げた。
「違います!! 本当に忘れてしまったのですか!!」
「え? どう言う事?」
「貴方はわたくしのシキガミです!!」
幾度と無く繰り返した言葉を叫ぶ。
それでも彼はキョトンとした風な顔をしてその言葉を聞いた後、訝しそうな表情でまた魔女に話しかけた。
「え? ちょっと意味が分かんないよ。
人違いじゃない?」
だめだ――!
コウキには何を言っても通じない。しかし嘘を言っている風でも無い。演じているようにも操っているようにも見えない。
・・・・・・・・・・
まるでわたくし達だけを綺麗サッパリと忘れさせたような彼だ。
「コウキに何をしたのです!?」
「強いて言うほど何かした訳ではありません。
刺激の強いチューをしました」
「ぎゃああああああああああああ!!
あ、家族はノーカン!」
叫んで悶えた後に何かに気付いてはっと両手をみてグッと手を握った。
「唾液の交換までしました」
「うぎゃああああああああああああああああああ!!」
「コウキ、少しお黙って! 後で私にやり返してくれて構いませんから」
「絶対やんねーよ!!」
「恥ずかしがっちゃってもう……今日は世界最強を倒したお祝いに私のもっと大事なものをあげますからね」
「いらねーよ!! 絶対いらねーからな!? フリじゃなく!!」
「ふふふ……私は貰いに行きますからね……?」
「やだーーーーーーーーー!!」
見れば見るほどに彼は正常な反応をしているように見えた。
異常なのはわたくし達なのかと思う程である。
「私は彼を治したに過ぎませんよ。
完璧でしょう?
自分の優秀さに私笑いが止まりません」
魔女は嬉しそうに笑った。もしコウキと魔女に会ったことも無い人間で、ただ二人が本当にこのような振る舞いを見せているだけの人間なら、普通に姉弟と言う事を信じるだろう。
魔女とこちらを見て首を傾げるコウキだが、自然に魔女の傍らに付いて、少し此方を警戒している素振りを見せる。今、彼の敵はわたくし達である。
「真面目に取り合ってはくれないですか」
「いいえ、至って大真面目です。
もしかしたら再生した際に欠落した記憶部分にわたくしの妄想が入ったかもしれませんがその程度です」
「えぇ!? やべぇ、俺どっか変かな!?」
「大丈夫、元から全部変です」
「酷くね!? 姉ちゃん俺に何したの!?」
「でぃーぷなちゅーです」
「うああああああああああああああああああああん!!」
コウキがかわいそうだ、と冷静になってきた。
この冗長な話はいつもコウキが行う。死ぬ寸前でも大概そうだと言うのだからこの話は根深い物があるだろう。
「一つ言っておきます。
コウキは異常ではありません。正しくコウキ」
「イチガミコウキ!」
「はい、こんな感じです。
コウキを助けたのは私ですから正式に私のシキガミに成ってもらっただけです。
ほら、このカード」
彼女がおもむろに取り出したカードにぱあっとイチガミコウキの名前が映る。慌てて自分のカードを確認すると、自分のカードは手元に存在した。そして物言わぬ一枚の白いカードは何の反応も示さない。
繋がっていないのは当に分かっていた。それを認めるのはいやだっただけ。
「お買戻しは強盗以外でお願いします」
「何の話?」
「コウキはお姉ちゃんだけを見ててくれればいいの」
「夕飯何食べるか決めてるから、早くしてくれよな」
コウキは魔女のはぐらかしにウンザリとした様子でため息を吐いて腕を組んで何かを考え始めた。多分本当に何を食べるかを考えているのだと思う。
「その治癒は貴女だから出来た事ですか」
「はい。魔女ですからっ」
「魔女とは、いえ、貴女は一体何なのですか――!
何故コウキを付けねらうのです!」
魔女は少し考えるような仕草をして、コウキを見ると何かを頷きあってからこちらを見た。
「場所を移りましょうか」
舞台の中心でする話ではない。魔女はそう言ってコウキと共にその舞台を降りた。
急造のコロシアムから離れて、少し小高い丘の上に魔女とコウキが立ち並ぶ。剣呑な空気に息を詰まらせながら後から加わったスゥを交えてわたくし達は四人でコウキと魔女に対峙した。
日は落ちきる寸前で、太陽は見えないがオレンジ色の空だけがどんどん藍色に飲まれていっていた。その光を背に影を落とす二人が真剣に此方を見た。
「さて、まずは私についてですか」
はぐらかす気は無いのか。その真摯さに当てられて話を聞く事にした。
「私は魔女、所謂魔法使いの血族で法術程度なら詠唱が無くとも行使する事が出来ます。
治癒もそれですね。こんな能力要らないと思っていましたけど。
魔王様に解放していただくまでは、某所で奴隷生活でした。
幼いころ魔女だと言う理由で捕まり、術を使えないよう手枷を嵌められ、逃げようとすれば鞭打たれ、家族友人は次々殺され、それはそれは酷い生活を送っていました。
まぁ、きっと運が悪かったのです」
「姉ちゃん……」
「話して納得はコウキもオススメするところでしょ?」
「そうだけどさ……」
彼は歯切れ悪く頭を掻いた。
コウキには、彼女のそういった情報も伝わっているのか。刷り込んだというのが正しいかもしれないがコウキはかなり長い間魔女と一緒に居るような慣れた空気である。
「そんな酷い毎日が続いて、私の体力も付き痩せこけ役立たずと言う事で殺される事になりました。
どんなに惨めでも生きてきた私の最後となろうとしていました。
その時魔王様その人が現れたのです。
魔王様が私の周りの人を皆殺しにしてくださいました。
そして言ったのです。
魔女になってしまえ、と。
そうしたら皆を見返し、力あるものとして傍に置いてやると。
可哀想でしょう? 私に降りかかっているのは魔女という災害なのです。
だから私に殺された事は運が悪いと思ってください。皆から見た私も、私から見た皆も、魔女という災害なのですから」
自分の胸に手を当てて反対の手を差し出すように此方を指した。
自分は魔女であると認めてはいる。
しかしそれは生まれの話。彼女の意思ではない。
だから彼女を蔑む全てを彼女は“魔女”と呼称した。
「しかし。しかし。
わたくし災害とて、人格がありますし。
貴方がたが戦う事を邪魔したりしません。
むしろ楽しみにしていたのです。そのために連れてきたのですし。
盛り上がりましょう? お祭りですもの」
その話を聞き終えて後味の悪い思いを感じた。
口元だけ笑っている姿が見える。両手を広げて此方を覗き込むように前傾姿勢だ。
「そして世界的観念から見てもそうでしょう?
魔女は悪い奴だ、魔女は敵だ滅ぼせ。
そういう存在です」
彼女が見ているのは最早自分ではなく、そこから見える全ての人々へヘドロを見るような嫌悪感を抱いているような素振りだ。
「その中にも変な人は居ます。
コウキみたいに分け隔てなく接する人も居るのです。
私はそういう人と共に居たい。
だからコウキと一緒に居る」
すっとコウキの腕に抱きつく。
それを微妙に邪魔臭そうな顔をしたが、ため息を吐いて仕方無さそうにコウキは言う。
「そもそも俺は姉ちゃんのシキガミなんだろ?」
「うんっ」
そんな表情も出来るのかと思ってしまうほど、彼女は幸せそうに頷いた。
姉弟というのはこんな物なのだろうか。彼から聞く姉の異常性が少し重なる。
自分とは大違いだ。アイリスは確かに自分に好意を向けてはくれているけれど、自分が彼女ほど積極的に彼女に対して好意を向けているかというとそんな事は無いと思う。あの子からすれば格好の暇潰し相手である自分は多分姉としてではなく、そういった日々の刺激として彼女の中に存在しているに過ぎない。
だから本当の姉弟だとこうなるのか、と疑問を抱く。
姉だからと言って、コウキが自分達を即座に見捨てるような事はまずしない。それはキツキに対しての態度と同じで、友人はずっと彼にとって友人であり続けるからだ。
彼女を姉と言うなら、“彼女も救う”と言い出す事はありえるが、この結果は変なのだ。
ならばやはりコウキには魅了がかけられていると判断した方が良い。
「偽りの幸せが長く続くと思いますか」
ヴァンツェがそう問う。それに何時ものようにクスクスと笑って口元に手をやった。
「……いずれ本物ならそれでいいではないですか」
コウキは――やはり操られているのだ。それは今までと違う方法なのだろう。限りなくコウキという存在に近い誰か。
取り返さなくては。
それをどういった方法で行えるかはわからないが。
ロザリアでも、シキガミ化してやっと救えたあの呪いをどうやって解けばいいのだろう。
「それを押し付けるのは良くない事です」
此方の言葉に彼女はため息を吐いた。わかってないですねといわんばかりである。
「分かんない人達だね、コウキ。
コウキは私のシキガミなのにね」
「う、うん。まぁ」
何がなんだか、と言う風に此方と魔女を見て頭を掻く。
「ちょっと分からせて差し上げましょう」
「え!? ちょっと!?
うわ、逃げて逃げて!!」
コウキが焦りだして此方へわたわたと手を振って合図した。
そんな彼にも構わず――彼女は唱歌を始める。
「光満ちるが世の和!
我が道に影無し!
かの道を拓く無双の双刃!
満 月 輪!」
ぶわぁっと日の沈んだ空に月が昇った。それがパッと二つに分かれて両手に二つの剣が輝く。その剣を構えたコウキが歯を食いしばって行動に対して反抗する。
その姿に戦慄を覚えたのは自分だけではない。
“正しい姿である”と錯覚を受けた。
炎を纏うよりはるかに輝く両手の円形武器が二つの満月のように藍色の空の下に生まれた。
「ぎゃあああ! まじでやめろよ姉ちゃん!! シキガミ相手以外は大人気ない!」
ギリギリと身体が動くのを我慢するのは、彼が友人と戦う時以来の光景だ。あれ以来、彼に対して戦いを無理強いするのはやめようと思った。あれ以後は少しコウキの此方への不信な気持ちが強くなっていたのが怖かった。
「満月輪!」
しかしその詠唱からは逃げられないのだ。彼がシキガミである以上、行使する権限がある。
「逃げろーーーー!!」
コウキの警告は真剣に此方へと訴えてきた。
彼の制御の現界はすぐに来て、ブワッと風のように此方へと走り出して剣を振りかぶった。
「ファーナ危ない!!」
「お姉さんも危ないよ!」
すぐに私とコウキの間に割り入ってコウキの剣を受けた。そのまま勢い良く振りぬくと、ふわりと宙を舞って猫のように地面に着地する。
「そのぐらい受けて見せます! どんと来て!」
アキの自信満々な声にコウキが驚く。
「カッコいいけど!!
避けないと知らないぞ!」
両手を後ろに向け、ぱあっと光の粒子が円形に広がった後、その満月輪に集まる。一つ一つが砂の粒のように輝きながらゆらゆらと剣が光を増していく。
力の収束からの解放を行う攻撃は、コウキは一つしか持ち合わせない。それがその術式だと気付くのにそう時間は必要なかった。
ヴァンツェが自分の肩を掴んで後ろへと更に下がらせた。そして素早く光の壁を展開する。
「術式! 裂空虎砲!!」
ドドゴォォッ!!!
壁にぶつかって凄まじい音が響く。轟音と地響きが世界を揺らした。
自分が知る中で最も強い裂空虎砲は地下脱出の時だ。
しかしそれを軽く凌ぐような音量と衝撃に襲われ、障壁が壊れる瞬間に皆で地に伏せた。
「きゃああ!」
「リージェ様!!」
スゥに抱き込まれながらその衝撃に耐える。ヴァンツェは素早い詠唱で複数の障壁を常に出し続け、ジリジリと押されながらもその攻撃をやり過ごす。
その放出が終わってすぐ、満足げな魔女をよそに焦るコウキが此方へと走ってきた。
「大丈夫!? ごめんうちの姉ちゃん喧嘩っ早くって!」
謝る姿は誰か他人に対しての物である。
「コウキさん、本当にわたし達の事忘れたんですか……?」
アキが問うとやはり、少し戸惑いながら首を傾げる。
「そもそも初めて会ったと思うんだけど」
「……そう……ですか……」
何をやったのかは全く分からないが、完全に彼女に軍配が上がっている。
「なんか後味悪いんだけど」
「気にする必要等無いですよ。
何事も勝ったら勝ちです! コウキの覇道の元に負けはありません!」
魔女はそう言ってから少しコウキに笑いかけると、町のほうへと足を向けた。
その前に、とヴァンツェが立ち上がって土埃を払うと腕を組んでコウキを見た。
「貴方に聞きたい事があります」
「お、おう? 言っとくけど、慰謝料とか払えないぜ?」
コウキが身構えて冗談を言うがヴァンツェはそれに触れる事も無くピッと指を立てた。
「大会には出場するんですよね」
その言葉にコウキは少し首を傾げる。
「ん、でも剣聖との約束がおわったから別に居る必要無いんだよな」
「次は大義賊ですよ? あの英雄に会わずに帰っていいんですか?」
トーナメント表自体は決まっている。シキガミは一回戦を飛ばす。二回戦はほぼシンドバットが相手である。シンドバットの一回戦目の相手はディオだ。彼の負けはアキがすでに明言している。コウキとアキは決勝でしか当たる事ができない。覚えたのはその程度ではあるが――シンドバットさえ倒してしまえば決勝が行きが決まる。
「そうか、シンドバットと準決勝……」
「それに貴方は自分が優勝しないと財布の中の半分を失いますからね?」
ニッと不敵な笑みを張り付かせながら彼は言う。弱点を突くというならそれを見習うべきだ。見事にコウキの習性に直撃して、ポンと手を打ってコウキが叫んだ。
「ああっ!! そうだった!!
最後まで頑張らなきゃ!」
グッと拳を握って決意を表す。
「いや、すぐに旅に戻りましょう」
呆れながら言う魔女にブンブンと彼は首を振った。
「駄目だ!! 元を取らないと!
せめて準優勝は狙う!」
「……貴方と言う人は」
泣きそうになるほどこんな時でも変わらないコウキである。
「貧乏性は何処に居ても変わらないと言う事ですね」
コウキは言い出すと動かない事がある。特に賭け事なんて本当はしないのだけれど、グラネダの時に貰い損ねたでしょう、とヴァンツェに唆され所持金の半分を自分にかけていた。とてもレアなケースだが、出場は強制な上に殆ど生死問わずの勝負である。賭けて居ないと純損だとヴァンツェに説かれしぶしぶながらもやっと半分を賭けたのである。
しかしそういったものは覚えているのだ。これはもっとチャンスがあれば思い出させる事が出来るのかもしれない。
魔女は私達の想いとは裏腹に、ただ傍観するように私達に余裕の笑みを見せるとコウキに手を当てて言う。
「まぁ、いいでしょう。
ああちなみにコウキを苛めるのはやめてあげてくださいね。
喜ぶので」
「俺そんな変態じゃないよ!」
「ではごきげんよう」
「姉ちゃんその挨拶変じゃね?」
「あの方お姫様ですよ? むしろコウキが失礼全開」
「大変失礼いたしましたーー!」
魔女を抱えてコウキが走り去る。
何となく懐かしい光景のように思えたけれど――だからこそ寂しい反応だと思ってしまった。
一陣の風が丘を撫でる。夜が迫ってくる時の風は冷たい。
この町は昼間こそ猛暑だが夜は少し肌寒いぐらい引け込む。
「コウキさん……」
アキが複雑な表情でその背中を見送っていた。此方も彼にどう反応していいのか正直分からない。
「ふむ。記憶が書き換えられているか封印されているか微妙なところです。
一先ず数日間は此処で会えるはずです」
ヴァンツェは意識的にコウキに足止めを食らわせた。相変わらず頭の回る人である。
「その間に取り戻さないと、ですね」
「そうですね」
「……リージェ様、気を落とさないでください」
スゥに慰められて、何も言葉が出てこない自分に気付いた。自分は唖然ともう背中も見えないその人が去っていた方向ばかりを見ていた。
「……すみません……」
やっと搾り出すように言った言葉も、心が痛くなるだけの言葉だった。
すこし呆然とその丘に置いていかれた私達が立ちすくむ。
太陽が沈み、それでも真っ赤に染まった空だけが、悲しげに青く染まって行っていた。
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