第216話『違う』

 どうやらわたしが勝ったらしい。血が無くなりすぎて失神したあと、キュア班の病棟で目を覚ました。わたしと同じぐらいのお姉さんが凄かったですね、とわたしを祝ってくれた。
 目が覚めるとすぐに彼の姿を探したが――コウキさんは居なかった。お腹と肩の傷は綺麗さっぱり消えていて、なんだかコウキさんが速攻薬でも使ったのだろうかと思える素早さだった。
 キュア班の人に聞いてみても、此処に運ばれてきた時点で殆ど怪我は無い状態だったという事なので恐らくそうなのだろう。
 でもその目撃談によるとまだ記憶が戻った素振りは無い様で、魔女と一緒に後を頼んで去っていたそうだ。
 結局わたしのキス程度では元に戻らないという事だ。でも――この傷を治してくれたのはやっぱりコウキさんだ。本質的に変わっていないし――その行為を覚えているのならば、まだ思い出してもらえるかもしれない。

 わたしはベッドから起き上がってキュア班の人にお礼を言うと、ログ・バルストについて尋ねた。
 どうやら彼は重傷だがこの病棟に居るらしい。お見舞いをしたいのだとキュア班の人に言うと、少し悩んでからくれぐれも揉め事を起こさないようにと釘を刺された後に案内された。

 病室に入ってすぐ彼はぼぅっとした顔をこちらに向けた。包帯がぐるぐると巻かれていて、全身包帯まみれの姿だった。
 正直に言うと、消し飛んだかと思った。思っていたよりも酷いスケールで吹き飛んでいた。ステージの半分から斜めに円形の筒が刺さったように舞台が綺麗さっぱり消えていた。穴は舞台の直径に等しいぐらいの深さで、一日そこらで埋まる物ではない。
 ペナルティで失格というのもあるかもしれないと思ったが、どうやら勝ちは勝ちらしい。剣祭だからもっと技術で勝った方がいいんだろうなぁ。強ければ良いという風潮が無くも無いのだけれど。
 今日の試合続行は無理だと思っていたが、どうやら舞台は魔女がなんとかしてしまったらしい。
「ああ、生きてた。良かった」
 口から零れた安堵の言葉を聞いて、彼は興味が無さそうにため息を吐いてから呟いた。
「何が……だよ……全然よくねぇ……殺してくれよ……」
 恨めしいという瞳がただわたしを睨む。
「じゃあ、さっきまでの貴方は死にましたって事で」
 さっき、と言っても。今朝わたしたちは戦っていて、ほぼ夕方である。試合は全て終わっていて、勝ち残った四人が決まった。
 個々思いがあって、ここに立っているのだろうが――思いが強ければ強いほどぶつかった時の反動も物凄い。
「は……?」
 ふざけるなよ、とでも言いたそうである。
 だからにこっと笑ってあげると、ビクッと身を震えさせた。

「わたしと一緒に竜士団をしましょう」

 グッとむりやり包帯だらけの手を握ってブンブン振った。キュア班のお姉さんに止められて離れるとログが怒りを露にする。
「いででで! ふっ……ざけ、んな……!」
「だって、わたしの為に強くなってくれたんですよね。
 元気になったらちゃんと竜士団のところに来てくださいよ」
 飄々とした感じで言ってみるのはわたしたちの先生であるところのヴァンさんの真似である。冷静に、真面目に問いかけて考える人間と考えない人間がいる。考えるならあの人は時間を与えるし、考えないなら容赦をしない。そういうやり方だ。
「誰が……!」
 とはいえ、彼は重傷で動けない身である。わたしに反論しようとするだけで痛そうに表情をゆがめた。
「貴方は強いんです。
 竜士になったじゃないですか。
 わたしを殺すなんて物騒な事考えずに、もっとみんなで面白いことしましょうよ」
「うるせ……何で俺が」
「強いからですよ。貴方はもうあの頃の自分より強くて、英雄にだってなれます。
 今のままじゃ何も良くなりません。
 じゃあ、傷が治ったらちゃんとアキ竜士団に来てくださいね!」
 勧誘はする。でも無理強いはしない。彼には彼の生き方がある。あまりわたしにだけ拘るようなら今度はドラゴンを燃やすつもりで剣に収束してみるのもいいかもしれない。
「……やだね」
 とうぜんそっぽをむいて誘いは断られた。
「強情ですね……まぁそれなら気が向いたらで」
 わたしはそれだけ言って部屋を出ることにした。彼がわたしの誘いに乗る気が無いならもう会うことは無いだろうと思う。
「向くかよ」
 わたしの背中にその声が追いついた。
 だから荒いながら少し振り返る。
「向きますよ――竜士は血じゃないんです。わたしたちは覚悟の一族、竜人です。
 貴方がこの負けから何も得られないなら、わたしと会う事は無いでしょう」
 彼には恨みがあって、仇をとりたい。その思いが果たされていないのだからまた強くなってわたしを追いかけるしかない。
 病室の扉を開けて、廊下の向こうの窓から見える空が綺麗だった。この気候独特の空は妙に青く映って清々しい。地上との境界線がどこもはっきりとわかって何時も澄んでいる。
 そんな風に晴れた心持で言ってみた。

「今日はいい天気になりました」

「……そうかよ……」

 言われて見上げた青空は、何年ぶりに見たのだろうか。と彼は考えた。
 全身火傷と右足の骨折。酷い負け方をしすぎて言い訳もする気が起きない。
 彼女はあの時より数段強くなっていた。それを認める。悔しくて鼻の頭がつんとしてくる。
「くそ……」
 悔しい。心の奥底から、そう思う。ずいぶんと長い間縛られていた友達だったやつの言葉が消えて、彼女の言葉が響き始めていた。
 最低な事に、そうかあの時の自分は死んだのかと嬉しく思っていた。
 恨み言を散々吐き出したのに彼女はまったく堪えている様子は無く、飄々と竜士になれとまで言ってきた。
 清々しいまでに自分は格下で、勝者から差し出される手を見てその余裕に嫉妬しているのである。


 わかってるよ! っと誰も居ないのに叫びたくなった。
 散々人のせいにする為に叫んでいた言葉は自分が逃げる為の言葉だった。
 あいつのせいにし続けることで自分が救われた気分になりたいだけだった。抱えなければいけなかったものを全て放棄した結果だったことなんて頭では分かっていたはずなのにずっと見ようとしないまま剣に逃げ続けた。
 汚れた自分をみて満足していた。こんなに苦労しているんだって、こんなに自分も痛いんだって可哀想がって貰いたかっただけの子供な自分。
 痛みを超えて強くなったのは自分だけではない。普通ならショック死してもおかしくないぐらい刺しまくったのに立ち上がった彼女を支えた意思が“竜人”であるという事だ。

 それが分からないなら、負けた意味すら無い。

 そして今まで見ようとしなかった空がこんなにも綺麗だと思えてしまった。

 ああ、ちくしょう――。

 青い空が滲んで――日が差し込まなくなってきた病室で、他人事のようにその雨を見ていた。







 ファーナを鍛えてその日は泥のように眠った。
 流石に病み上がりなのでファーナの相手でも結構消耗した。
 次の日の朝も練習をするからと言ってしまったので自分の体力の回復をする時間が少し心配になってきた。
 目が覚めたのは何か部屋の外が騒がしいなと気付いたからだ。日が昇ってない時間だが、外は日が昇ってきている明るみがあった。少し分厚めの雲が照らされてその輪郭をはっきりと空に写す。
 なんとなく髪に手櫛を通して自室の扉を開けるとヴァンさんとスゥさんが走るように階段を降りる姿が一瞬見えた。そして丁度此方を振り向いたファーナがささっと此方へと近づいてきた。
「お早う御座いますっ 大変ですアキ!! 大変なのですぅ!」
「おはよ〜。どうしたのファーナ? あわあわしてるの可愛いね〜」
 起きてすぐのわたしは何か的外れな所に注目する。
「それどころではないのです! 剣が! コウキの剣が!! ああっほっぺたぷにぷにするのを止めてくださいアキ! 起きて!」
 ずいっとわたしの方に寄って来ていたのでほっぺたをつついていたが自分の手で押さえて少し離れる。妙に落ち着かない素振りできょろきょろとあたりをみる。
「コウキさんの剣がどうしたの? ついに喋りだしたの?」
 ありえる、と思って思わず身構えてしまった。しかし彼女はブンブンと頭を振った。

「盗まれたのです!!」

 思ったよりも深刻な事態に――動かない頭が更に動かなかった。
「……わたしも探します」
「はいっお願いしますっ」
 身支度を手早くしながらわたしが出来る事は考える。そういう事にして部屋に戻ったわたしは即座に着替えて水場に向かう。寝癖だけ手早く直してその大捜索に参加した。
 結局わたしの試合が始まる時間までに見つからなくて、一先ずわたしは試合を優先する事にした。



 べっとりと絡みつくような血の味が忘れられない。
 何かを思い出しそうになって頭が痛くて吐気がする。

 不意打ちとはいえ他人にキスをされて少し気恥ずかしい。つり橋効果でしかないのだ。きっと目が覚めたら忘れている。
 速攻薬を流し込んで治せばいいなんてなんで知ってたんだっけ。
 何かがおかしいのだけれど分からない。でも気のせいだと割り切れない。
 あの人は――いや、あの人達は一体なんなんだろう。

「どうかしましたか」
「あ、姉ちゃん。舞台修理お疲れ!」
「本当ですよ。何でわたくしがこんな事をしなくてはいけないんですか。
 か弱い乙女にやらせる仕事じゃないですよ」
 ぷりぷりと頬を膨らませるが、彼女は指先を動かしただけである。
「指先一つで直ったじゃん。魔女コール凄かったな!」
「魔女はああいう風に目立ってはいけないです」
「えっなんで?」
「魔女だからです」
「なんでー?」
「秘密です」

 違和感を覚えるのは何もそこだけではない。
 姉ちゃんの何かが変だ。こっちの世界に来て生まれている人なので違うのは当たり前。
 当たり前のはずなのに、なんでこんなに慣れてないんだ――?
「大丈夫ですか?」
「あ、うん」
 姉ちゃんがぼうっとしてきた俺に寄って来ていたので反射的に少し離れる。
 難しい顔をしてふぅっとため息をついた。
「疲れてるなら今日はもう戻って休もっか?」

 姉ちゃんは言う。――この姉ちゃんは知ってる方の姉ちゃんだ。何なんだ? 何が変なんだ? それを考えていると気持ちが悪い。
 焼け焦げた何か知っているような知らないようなものが頭の中で燻っていてその向こう側が物凄く熱を持っている。
 その日は結局早めに休むことにして会場を後にした。後日からの試合もあると言われそれに集中しようと言う事にしたのだ。


 シンドバットの話だけカッコイイ英雄だなーという漠然とした記憶があって期待していた。そういう英雄伝やお伽話の中の人と会うのは初めてだ。何を期待しているのかと言うと良くわからないがヒーローショーに行く時の気分だ。わくわくが加速する。
 そんな気分で会場入り
 舞台に立ったシンドバットは藍色のフードコートに顔の下半分だけ浅黒い肌を覗かせていた。フードの上からバンダナのような物を巻いていて目元がギリギリ見えるぐらいだ。鋭い眼光がギロリと此方を見てから厳しい表情になった。
 恐っ! めちゃくちゃ恐い人だ! まぁ義賊と言っても基本的には盗賊だから、身なりや姿については英雄らしからぬといえる。無精髭の生えた細身のおっさんだが、妙な眼力で見られるとこちらも身構えずには居られない。
 そして分厚そうなコートの中から何かを取り出してポイと此方へと投げた。

 ガシャンッガラガラ――!
 キラキラとした宝石のような赤い剣と、真っ黒な鉄の剣が目の前に滑ってくる。傷がつきそうなすべり方だった。特にこの赤いほうは大丈夫だろうか。
 というか何だこの剣、そういう表情でそのシンドバットに視線を戻した。

「貴様の剣だ」
「俺の剣……? いや……」

 俺の剣ってあったんだっけ?
 謳えば強制的に剣が手元に存在する。それ以外の剣は必要ないんじゃないか。

「貴様が何をやられたかは知らない。興味も無い。
 ただ万全ではない貴様を殺しても意味が無い。
 戦女神殺し。
 貴様が全てを成し遂げた剣はそれらだろう。
 まず剣を取れ。そうすれば分かる」
 何か仕掛けられているのだろうかと少し警戒する。
「あれ……」
 その剣には見覚えがある。誰かが使っていたような。
 目立つ剣は覚えやすい。特にこの剣は顕著だ。
 赤の宝石剣。その剣を取って握ると、妙に手に馴染んだ。持ちやすい剣だなという感想。もう一つは結構新しい剣みたいだ。
 持ったところで何も起きなかったが――確かに剣があればいちいち唱歌してもらう必要も無くなる。これはこれでいいのかもしれない。
 しかしもらい物を振るというのも何か違う気がする。
 それを返そうかと顔を上げたらその人が走り出した。

 此方の制止の声を聞いてくれるはずも無く、曲線を描く二刀の曲剣が襲い掛かってくる。印象としてはとにかく回る! 上下左右からの剣や足技がぐるぐると襲い掛かってくる。
 右手で防いだかと思ったら鼻先を足が掠め通って、逆立ちした状態になったのかと思ったら足元に切りかかってくる。物凄い攻撃の嵐だ。
 何より身体のバランスも半端無ぇ――!
 片手で体重を支えてる状態なのに剣振って来るとかラジュエラぐらいしかやる人見たこと無いぞっ。
 宙に浮いた状態の俺に横からの蹴りが飛んで来てそれが見事に背中に当たって舞台を転がる。変幻自在という言葉が正に相応しい。態勢を立て直しする為に舞台の端まで転がって起き上がる。そのまま端ギリギリを角まで進んで直角に折れ曲がるように走る。
 思えばこういった舞台で戦ってばっかりだ! やたら端っこを走るのは上手くなった気がする。
 一番近くなったタイミングで此方から折り返して向かっていく。逃げてばかりでも始まらない。
 鎧を着ているならある程度足技なんて使わなくても力押しできるけど、軽装備だとそうはならない。使えるものは全て使って勝たなくてはいけない。
 両手の剣で相手の剣両方を受け止めて、相手の蹴りが飛んでくる。距離が近くニーからの蹴り出しだろう。同時に同じ事をしようとして、膝同士てぶち当たる。
 膝の皿が割れるっ!
 パンッと両手の剣の感触が消えて一度態勢を引くと頭上に飛び掛って来るような形で上と左に剣が伸びてくる。
 左は胸プレートの位置だ。それを無視して左手を相手の頭に向かって振り落とす。

「術式:三日月<みかづき>!!!」

 ピカッと光って両手の剣が長さ2倍ぐらいになる。重さが変わらずリーチだけ伸びるので地味に使える技だ。特にそれ以外付属する効果が無いのが残念だ。
 その剣の先はシンドバットを捕らえ、右腕に縦の傷を残す。ダラダラと流れる血が地面に滴り赤黒い模様を作った。
「ふざけた術式だ!」
 そういってその怪我を気にする事無く此方へと向かってくる。
「俺に言うな! 神様に言え!」
 迎え撃って打ち合いながら言い返すがシンドバットと鍔迫り合いになりギッと顔を向き合わせる。
「神様ってのは嫌いでな――!」
 ガンッと力で俺を押しのけてから技を放った。
「術式:砂塵鎌鼬<さじんかまいたち>!!」
「術式:真空旋斬<しんくうせんざん>!!」

 スパァ! 砂粒一つに当たった俺の腕が包丁に切り裂かれたみたいに弾けた。
 同じような性質の技だったが砂塵を巻き込んで攻撃してくる相手にこの技じゃ意味が無い!
 何でか知らないがこの技なら大丈夫だと思ったが失敗か――。右手は酷い有様でボロボロになった袖から真っ赤な血がボタボタと流れ落ちる。剣を持っているのがやっとの状態で、剣をあと何回触れるだろうかと言う状態だ。

「裏切り者への報いだ――!」

 ドスッッ!!
 右の二の腕に白刃が突き刺さる。ゾッとするほど冷たい刃と燃えるような激痛が腕から駆け巡る。

「がああああああああああああ!!!」

 辛うじて左手で相手を追い払うように剣を振って、その勢い余って後ろにこける。
 コツコツと歩いてくるそいつからズルズルと後ずさりながら腕を押さえて息を整える。

 痛い……!
 助けて!
 俺の、
 神子は――

 あの人はただ静観する。

 周りの人の熱気の中では逆に目立つほど冷静に此方を見下ろす。
 意志も感情も無くただ、試合が終わるのを待っているようだ。

 何かが違う。

 泣きそうになる。
 こんな寂しい感じだっけ。

 こんなに大勢居て、

 俺独りなんだっけ。


 途端に心が折れそうになる。
 何も無いじゃないか。別に賭けたお金なんかどうでもいい。
 生きていれば稼げる。
 こんな虚しい戦いなんだっけ……ラジュエラ……。


「もう降参……! 俺の負け! 意味無いし!」

「ふん。だからどうした」

 情けも慈悲も無い一言で切り捨てて――男は双剣を構えた。

 なんで……!

 目の前の希望の無さに笑えてくる。

 痛みに震える手が――その剣だけは手放さなかった。

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