第223話『蟠り』

「ほ、報告いたします……!」
 その男の威圧感の前に酷い冷や汗をかきながら言う。
「鉄拳王の軍勢はやはり已然と強く正面では太刀打ち出来ておりません……!
 既に仰せの通り火の気の強さを利用して田畑を焼いてはおりますが攻め入られるのは時間の問題かと……!」
 彼の言葉に頷いただけで、次の話を促す。すると最初に報告した者は一礼して家臣の並びに戻ると、別の人間が出て一度大きく頭を下げた。
「続いて翼人王国ですが出兵はしないとの事! グラネダからも撤退してしまいました……!
 これでは我が軍が劣勢に成るばかりです!」
 皆に焦りが見えるが、佇む王のみが冷静に次を促す。
「クロスセラスも本領地に向かって動き始めた模様です!
 四方どころか空まで挟まれたのでは一溜まりもありません!」
「劣勢になったのか?」
「は……」
「劣勢に成ったのかと聞いている」
「わ、私には劣勢に見えます」

 コウキ達がグラネダを発って一週。たったそれだけの期間で巨大な戦争が動き始めていた。

 グラネダが戦うのは最も巨大な敵。発足から支えられてきて親子のように育った国であるがとうとう剣を交える事態となった。
 アルクセイドの王が死んだ。突然の崩壊に多くの人々は困惑し――国が崩れようとしていた。

「今だ兵糧策が成さずしてわざわざ北から潰してグラネダを通ったのだ。頼る当ての消えたグラネダの食料を消せばあの大軍は数ヶ月と維持できまい」
 アルクセイドに赴くならばこの橋を落とさずに渡る他無い。ならばその橋に罠を仕掛けるのが道理だ。
「グラネダの王は甘い。恐らく兵糧、民の食料の為に奔走するだろう。
 もちろんセインにはそれを賄う余裕は無い。元々あの国は閉じすぎだ。
 どちらも大量に生き残った事が仇となったか……ははは。
 当然のようにやつらは焦れる。罠と分かって居ても飛び込まざるを得ないまでに追い詰めて、人数で一気に叩く」


「ただいま戻りました魔王様」
 フワッと突如現れ、謁見の間を騒然とさせる魔女。真っ赤な絨毯が真っ直ぐ敷かれ、それが王座の近くまで真っ直ぐに伸びる。数段の上には何も感じさせない表情で魔女を見下ろす六天魔王である。
「魔女か。剣聖はどうした」
 彼女を見てただ一言そう聞いた。
「やられてしまいました」
 何か問題があるのかとばかりに首を傾げる魔女。
 本体は居らずとも鏡の精鋭兵となったそれがある。言う事を聞かない本体失う意味は何も無い。懐柔せよとは言われたが無理な物は無理だと返した。英雄の扱いは難しい。だからダルカネルの禁法によって制御することにしたのだ。
 彼女の正直な物言いを眉一つ動かさずに聞き入れて、それからスッと魔女を指差した。

「殺せ」

 それは彼女に向けられた言葉であり、あまりの突然さに彼女も唖然とその人物を見上げてしまっていた。
 ドスッドスッと鈍い音を立てて胸を貫いた刃が見えて、あぁ、と一言だけ言葉を漏らした。
 漠然と、死ぬのかと考えて考えが巡った。
 こんな終わり方なのかと後悔する。戻るべきではなかった。彼に泣き縋ってでも一緒に居ればよかった。自分の不甲斐無さと運の無さには泣けてくる。いつも守ってあげる事が出来ない。今度こそ償うつもりだったのに。
 揺らぐ視界に膝を折る。
 空間移動は種も仕掛けも無いわけじゃない。詠唱で扱う事のできる術であるし実際の所あまりたいした距離を移動する事は出来ない。流石に背後から迫る刃をかわす術を魔女は持ち合わせていない。
 勢い良く引き抜かれて、重力に逆らう事無く床に倒れる。視界の端に映ったのは――鮮血の滴る金色の刃。

「……きぃ、ちゃ……」

 遠く意識が無くなる一瞬に、狂ったような叫びを聞いてその目を閉じた。




 何が起きようと朝が来る。起き抜けは爽やかである。いつも通り顔を洗って軽くストレッチすると坂道だらけの町に走りに出る。先日までの喧騒は嘘のように静かで人通りも少なくなっていた。
 帰ってきた俺を寝ぼけ顔で迎えてくれたのはアキ。丁度返った時に鉢合わせて挨拶を交わした。走ってきたというと、元気すぎると呆れられる。
 朝食を待って居る間に診察をとロードさんに捕まって全身の触診と質問を受ける事になった。
 触られて痛い箇所は無く、額にもたんこぶができた程度だ。
「……君は頑丈という概念を超えているな。衝撃緩衝の効き方もおかしい」
「おかしいって言われてもこれが普通だよ」
 左腕をグッと押したり曲げたりして俺の様子を観察しており、ベッドに寝転がれと指示され素直に寝転がる。そこから腹と足の触診に入った。
「ん」
「……どうした、痛いか?」
 ロードさんに聞かれてぶるぶると首を振る。
「いや、くすぐったい」
「……我慢しろ。痛かったら言え」
「わ、分かった。くっ、くすぐったい!」
「……変な声を出すな」
「だめ! 俺脇腹とか! ふとももとか弱いんだって! ふあ!」
 グッと握られただけでなんか力入っちゃわない? 俺だけ? そんな状態でぐりぐりやられると何か凄くくすぐったいのだ。
 そんな俺に構う事無くグリグリと触りまわしてロードさんは触診の終わりを告げた。
「……健康だな。筋肉は大分付いているな。さすが旅人と言った所だ。
 ……とりわけ君は筋肉の質が良い。武芸者らしいというかな。
 君の肉体には何の異常も無いという異常がある。それだけだ」
 そういいながら置かれていたお手拭で手を拭くと何かカルテ的なものにカリカリと異常なしと書き込んだ。
「異常なしは異常なしじゃないの……?」
「……馬鹿だな君は。君がこの三日間で負った怪我の数と流した血の量を言ってみろ」
 自分の罪を数えさせるヒーローみたいな言い方で俺を指差した。
「いっぱい!」
 どや! と続けても良い表情で言い返したものの、そんなもの分かるわけがない。そんな様子の俺にその人はため息をつく。
「……だから異常なんだ。神子に何をされたのかは知らないが、君の身体はおかしい」
 ガリガリと頭をかく。良くわからない言い回しをされると本当に俺がおかしいのかと思えてくる。

「俺はおかしいのか……」
「……おかしいも何もシキガミは異常の化身だ。……その視点からは“普通”と呼ぶのだろうな」
 ロードさんは続けてよくわからない走り書きのような書体でガリガリと字を書いていく。

 シャツを着てズボンをはいて再びベッドに座る。あとは簡単な質問で終わりだそうだ。
「……さて、起き抜けの気分は」
「目覚めは良好だよ。ちょっと朝錬のマラソンしてきた」
「……元気すぎるな。もっと別の発散方法も考えて置くと良い」
「別の方法?」
 俺が首を傾げるとニィッとロードさんが笑った。同時にそっと開いた扉に気付く。チラリと中をのぞいてきたのはヴァンだ。
「……そうだ。若い体だ。あまり持て余すのも身体に悪い。具体的には――」
 スタスタと歩いてきたヴァンにスパンッといい音でロードさんの後頭部が叩かれる。
「コウキ、具合は如何ですか」
「あ、ヴァン。おはよ」
「おはようございます。余計な事を吹き込まれる前で良かった」
 朝一番の爽やかな笑顔である。
 ロードさんは指を人差し指を立てて叩かれた状態のまま数秒固まって、オイル切れのロボットのような動きで顔を上げた。
「……貴様、天才の頭を何だと」
「紙一重なんですから、大人しく天才で振る舞っていてください」
 ヴァンの言葉にギロリと睨みを利かせて不服そうに俺の診察に戻った。
「……身体的異常は感じられない魔女前後での怪我の有無は?」
「そういえばあの時に怪我殆ど消えたんだっけ」
 あの時は不思議な感覚だった。一気に怪我が消えて生き返ったみたいな。
「……キスの感想は?」
「ええ!? それ必要なの!?」
「……答えろ。君の体の回復に神子のキスが有効なのはわかった。
 しかしだれが有効だったのかは私の知る所ではない。君の身体にどんな風な変化をもたらしたのか知っている限り事細かに説明してもらおうか」
 答え辛いことこの上ない。ヴァンがニヤニヤと俺を見て笑っている。ロードさんも姿勢を崩さずジッと俺の答えを待っている。
「え、えっと……。
 最初は姉ちゃん? あの時はもう何が起きたって言うより、なんか目が覚めたら試合終わってて回復してたっていうのが正しいのかな。起き抜けに姉ちゃんが引っ付いてたから退けたって感じで。
 なんか身体はいきなり治ってるし、戦争の時と同じでよくわかんないっていうか」
 行き過ぎたスキンシップの一つとして脳内処理する事にしたけど、れっきとした他人になって迫ってくるのがまた恐いところである。
 身体の回復に関してはまた俺の知らない所で何かが起きているらしい。
 自分では回復している以上の事が分からず、むしろ俺が教えて欲しいぐらいだ。

 目の前の小動物を苛めるという快楽に流されやすい二人に苛められながら質問を終え、さっきパンツ一枚にされて触られたよりも恥ずかしい体験をした。軽く死にたい。
「……ふむ。傷の回復にはキスの長さか深さが関係していそうだな」
「えぇ……」
 またもや返答し難い所の話である。
 そんな俺にクスクスとヴァンが笑って腕を組んで簡単に説明してくれる。
「まぁ思春期の皆様には少し刺激的な話ではあると思いますが。
 ロードの出した結論だと触れ合いには意味があるという事です。特に相手を強く思う行為は力に変わるのだと思います」

 彼女の歌に勇気付けられ戦う。
 触れられて即座に剣を持つ。

 一歩距離が詰まるたびに、気付くたびに倍の強さを発揮できる。
 心のつながりだけで驚くほど時間を使って――ようやく疑わない程度に、信じれるようになった。

 そんな時に、彼女を裏切るかのように俺は誰かになった。

 俺が裏切らないといえない状況で何を信じろといえるのだろうか。

「コウキは何も変わっていません。記憶も正しい。
 皆も正しく貴方を貴方として受け入れるでしょう」

 ヴァンの言葉が嬉しいようなピンと来ないような。
 きっといつかまた受け入れられていくんだろうなって思いながら、いつも通り俺はヘラヘラと笑ってた。


 旅支度はすぐに終わった。準備が早すぎて時間が余ったので久しぶりにルーメンの鼻髭あたりをモジョモジョして遊んでいると、部屋にノックの音が響いてドウゾーと答えるとそっとファーナが部屋に入ってきた。
「お。準備は終わった?」
「ええ。後片付けに奔走しているスゥを待つばかりです」
 スゥさんと雇われ家政婦さんが祭りの片付けに奔走している。俺もやろうかと手を上げたが、至極丁寧にきつくお断りされた。
 ちなみにアルベントとクルードさんは死んだようにアルベントの部屋に転がっている。相当飲んだらしい。今日のお昼までに起きればいい方だそうだ。お礼は言付けておいて出るまでに起きたら言おうかなって所である。
「俺もやってりゃ良かったかな片付け……あ、座ってよ。ルーもつけるよ。暑くて動きたくないらしいけど」
 既に座れといわんばかりに横向きに配置してある椅子を勧める。失礼します、と俺にも丁寧に答えてファーナはそこに座った。
「それで、何故手伝いを? これからの事を考えれば休んでおくべきです」
 ファーナは不思議そうに首を傾げた。金色の髪がサラサラと前に流れる。
「や、余計な事考えずに仕事できるかなって」
「余計な事?」
 頷いて俺はファーナに向き直った。
「そう。本当に余計な事。ファーナには謝らなきゃな」
「はい?」
「折角信頼してくれてるのに、魔女に着くような真似をしてごめん」
 そう言うと少しムッとした表情になった。
「……わたくしとて不可抗力を攻めるほど理解に乏しいわけではありませんよ」
 別に馬鹿にしたわけではないがそう言われると確かに彼女を馬鹿にしたように聞こえる。
「ああ、別に俺が悪いなって思ってるだけだよ」
「無意味な事です。わたくしは貴方を疑っていません」
「一度無意識に裏切った身で無神経に聞くけど、なんでそういう風に俺を見れるの?」
「女性に弱いということは分かりました。貴方も男性ですものね」
 口元を覆うように手を当ててよよよと泣くような動作を見せる。
「ちがっ!? 違うよ!? 俺落とされた風味になってるけど違うからね!?」
「誑かされただけですものね」
 手はそのままでジト目で俺を見る。
「根に持ってらっしゃる!? もしかして物凄く気にしてます!? ごめんなさい!」
 ベッドの上でボフンボフン言わせながら土下座をする。そんな俺をクスクスと笑って良いんですよと言ってから少しため息をついた。
「割とわたくし踏んだり蹴ったりな目に会いましたが……。
 最終日に決勝でわたくしが乱入する作戦とか立てて……」
「何か大雑把な作戦的なものがあったんだね……」
「はい……人生とは不思議な物です。
 前日頑張って稽古したのに全部意味を成さずコウキを助けるに至りました」
 それはラッキーなのかどうなのか微妙なラインである。この筋肉痛は無駄だと思いたくないとぐいぐいと腕を動かす。そうか、確かに俺と対面するならそこが一番確実だ。ヴァンに仕掛けられたとおりに俺はちゃんと勝てるところまで勝ちにきたと思うし。
「俺的には対峙する必要がなくなって良かったと思うよ」
 心のそこからそう思う。姉ちゃんに歌われたら真っ二つにしかねない。あの歌の強制力はそういうところが怖いんだ。
「そうですね……アキにしごかれて改めて思いましたが双剣は無理ですし」
 双剣で来ようとしてたのか……確かにラジュエラよろしく、かっこいいのかもしれないが扱えるかどうかは別の話である。
 ノックが聞こえてアキがひょっこり顔を出したのでファーナの傍の椅子をそっと勧めた。
「剣が重くてへろへろしてそう」
 必死に振るさまがすぐに想像できてちょっと笑ってしまった。
「失礼ですねっ。そのとおりでしたよっ!」
「そっかー。そんなに必死に頑張ってくれたのかー」
 少し変かもしれないが嬉しいと思った。
 何故の尽きない彼女の態度ではあるのだけれど変わらない彼女を基準にしていれば――俺も変わらないで済むんだろう。

 そんな事は〜ともにょもにょと言いながらファーナが顔を赤くしていた所にアキがスッとファーナに顔を寄せて言う。
「そりゃあもう必死過ぎてやばかったですよーねーファーナ?」
「ひゃっ、アキいつ此処に!?」
 びくん、と身体が跳ねるぐらい驚いたらしくその反応をアキが笑う。
「ちゃんとノックして入ってきたよ。まぁ気付いて無さそうだったから忍び寄ったんだけどねっ」
「す、すみません、話に夢中で……というか忍び寄らなくてもいいではないですかっ」
 ファーナが申し訳無さそうに言ったあと、少し拗ねるとぷにっと頬っぺたをつついて遊んだ後、アキがぐーっと机に上半身を乗せるように伸びをした。
「んー! なんだかこの空間が久しぶりで癒されますね」
 荷物を持ってきているようなので借りていた部屋に戻る事はもう無いだろう。
「んーチョット先に街に出てコート何とかしてこようかなぁ」
「そうですね。アイルとの約束もありますし」
 ファーナが言っているのは服の件だろう。初日からだから三日前の話。現代ならば月曜に約束して土日で遊びに行くようなもので大差無い時間だと感じるが、この世界だと思い立ったら吉日とばかりに動かなくては一緒にいるかどうかも危うい。
「もう自分で買ってるかもね」
「それはそれで構いませんよ。コウキのを見繕うだけなので」
「ああ、俺のコートの色が赤色以外許されない感じに……」
「初志貫徹は良いことです。トレードマークを今更外せませんよ」
「俺は最初に出会った謎の服屋の店員さんを恨むよ」
「あのお店の店員さんは、強烈でしたね……」
 あのお姉さん達は今も元気にやっているのだろう。趣味全開というのが何ともだが、人生たのしそうである。
 そんな適当な話に脱線した所で俺はベッドを立つ。それに気付いてルーが起き上がってググッと伸びをした。二人も席を立って部屋の外へ向かう。

 ヴァンに言付けて俺達は日差しが暑さを増してきた町へと繰り出す事にした。ヴァンにも来いよ、と言ったんだけど遠慮された。正直暑い中歩き回りたくないらしい。大人か。ファーナはこんなにうきうきしているというのに。
 町に降りるその前にクルード邸に寄ってアイルとディオを訪ねる。どうやらここ三日かんをそのままの服装で過したらしく、アイルは正直無口に拍車が掛かっていた。
 こんなに喋らないアイルは初めてだと言いながら意思疎通出来ているディオに尊敬の念を覚えるぐらいである。一先ず冷たい水を確保して、多めに持つと俺達は少しだけ剣祭の騒がしさが残った町へと繰り出した。
 ファーナが嬉しそうに友人の服を選んでいる中、流石にこの町にコート的なものは無いかと思いきや――、意外と種類がある事に驚く。夜が結構冷え込む事があるからだという。確かに肌寒いぐらいになるがやっぱりもっと冷え込む時期と言うのはあるらしい。
 と言っても派手な赤いコートは流石に見当たらない。いや、赤いって言っても少し暗めの赤なので蛍光ピンクのおばさんみたいに目立ったりはしない。
「修繕の検討など如何でしょうか?」
 アイルの着替えの合間にも俺の赤いコート探しに余念の無いファーナに店員さんが言う。うーん、と少し悩んでいたが、俺はちょっと気になった。
「修繕できるの? 一応見て欲しいっす!」
 そう言って俺はゴソゴソと自分のコートを取り出して店員さんに渡す。
 カウンター横の大きなテーブルにそのコートを広げて状態を見る。腕部分が両方ナイフ傷が酷い。特に右は腕の付け根までばっさり持っていかれている。我ながらなんで今手がちゃんとひっついているのか不思議になってきた。
「生地自体は新しいですし、此方の在庫の生地で同じような色があればこの部分だけ作り変えることができます。
 赤の生地の在庫は結構多いので恐らく可能です」
「一応当てる生地の色を見せてください」
 そう言ったのはファーナで、俺は腕を組んでその作業を見ているだけだ。
 店員さんが持って来た布の色はコートの色と全く同じで丈夫そうな生地だった。それにOKを出すとファーナは黒糸ですぐに仕立てて欲しいと注文をする。流石にそこまではして貰えないんじゃないかと思ったが特別料金を追加でできると言われ、反射的にお願いしてしまった。
 そこからが凄かった。お店の人がその場でマチ針で当たりをつけてクルクルと折り返すと、新しい方の布をもって奥へと引っ込む。その手際の良さには俺もファーナも唖然としていた。店の奥で少し話をする声が聞こえて、すぐに戻ってきた。あとはその店員さんの仕事ではないらしい。小一時間ほどで仕上がるのでもう暫く待って欲しいとのことだ。これはちょっと期待できる。

 さて問題のアイルであるが、先ほどからモリモリとカゴに詰まれて行く服にせっせと着替えているが中々決まらない。ディオはホントよくやるもんだ、と半ば呆れ気味にその光景を欠伸しながら見ている。
 さっきからシャッと試着室のカーテンが開くたびにディオにチラチラと視線が行っている。あとアキが遠まわしに好きな色を聞いたりしてる。涙ぐましいよなこういうの。
 だからこっそりとディオに耳打ってみた。
「……ディオ多分、これお前が可愛いって言わないと終わんないよ」
「はぁ? オレ? なんでだよ……自分好みの着りゃいいのに」
 ディオは面倒くさそうにしていた欠伸を止めてため息をつく。アキの視線がギラっと此方を射抜いた。聞こえていたらしい。
「俺はさっきの灰色の奴動きやすそうで良かったなー?」
「でしょうっわたくしもそう思います」
「足元も結構考えたしねっ」
 二人が嬉しそうに言う。色々考えながら着せているようで動きやすさと機能にチョットだけ見た目を維持してみたという所のようだ。
「まぁいいんじゃねーの。もーちょい白い服の方がらしいかもだけどな」
「そうですね。肩の露出を抑える為に白いケープを買いましょう日焼けは痛いですからね」
 彼女がその後数回の着替えを終え大体買う服が決まった所で店の奥から別の店員さんが出てくる。ハンガーに掛けられた赤いコートを持って居て、それを店員さんに手渡すと何かを話してすぐにまた奥に引っ込んで言った。
「お待たせいたしました」
『え!?』
 もうできたの!? という感想である。確かに服を選びきるまでの時間は一時間弱あったけどそんな時間で完成するものなのか、と思う。
 バッと広げてみた感想は、新品になって帰ってきたんじゃないかという程綺麗だと言うこと。継ぎ接ぎは無い。確かに糸が少し残っていたのか縫い目が濃くなったが気にしなければ分からないというほどだ。
「すげー! 修繕の神様でも居るの!?」
「ふふ、神様ではなく、とても優秀な子がいるんです」
 店員さんは気さくに笑ってそのコートを俺に着せてくれた。サイズも全然変わってない。
 少し手心に肩から背中にかけて薄手だったので補強までしてくれたらしい。マジで継ぎ接ぎの神様とかいるのかもしれない。被服製作もセンスなんだなぁ。料金はコート代より全然安く終わって俺はホクホク状態である。全力で有難うと伝えて欲しいと言うと店員さんも笑って頷いてくれた。

 アイルの服の精算も終わり、元々着ていた服を畳んで紙袋に詰めてもらっていた。暑さもありながら着替えるという労働で疲れたのか、結局無口なままだったアイルだが、顔色は大分ましそうだった。
 少し歩いてキュア班に寄る前に風通しの良い場所に立っている喫茶店に入る。二階席では大きな窓が開いていて、涼しい風が良く通った。そこでさっとお茶をして皆で少し休む。
「アイルどう? 動きやすい?」
「う、うん……」
 アキの言葉に彼女は少し気恥ずかしそうに頷いた。視線が集まるのが恥ずかしいらしい。
 今までの服よりは全然涼しいだろうし、お店から出た時は世界が違って見えるとまで言った程だ。
「アイルは気に入ってくれましたか?」
「あ、うん……。ありがとうファーナちゃん……」
「いいえ、御気になさらず。これで快適に過せますね」
「うん……できればアイシェの手伝いをする前に欲しかった」
 その言葉にみんなが笑う。
 服が変わって世界が変わる。そんな事ありえないとは言いきれない。
 私服と制服に明確な境界を感じるのは、服自体の意味を理解しているからだ。
 私服ならどんな服を着ても変わらないなんて事は無い。いくらでも世界を変える余地が衣服にはある。
 拘りを持つのも大切だが、それを脱ぎ捨てれる事も知っておかなくてはいけない。
 着たい服を着るだけでなく環境に合う服を着る事だって重要なのだから。
 相変わらず、白いケープに顔半分は埋まるような格好で落ち着いて彼女はふぅっと一息ついた。その目が認識する世界は、その身軽になった服のように靡いて広がるのだろうか――。


 俺達はその足でキュア班病棟に向かう。入院する事となったアイシェが窓の外に手を振っていた。
 病室を聞いて二階の病室まで歩いていき、アキが扉を開けると同時に、アイシェがアキに抱きつく。
「え!? ちょ、アイシェ!? まだベッドから出ちゃ駄目でしょ!?」
 流石に驚いて彼女を抱きとめる。アキにぎゅうと掴まって彼女は涙ながらに言う。
「どうしても、どうしてもお姉ちゃんにお礼を言いたくて!
 ありがとうっ!
 本当に……!
 私もう絶対無理だって思ってた……!」
 薄っすらと涙を流す彼女の頬を優しく拭ってアキはベッドまで肩を貸してあげる。その姿は本当に姉妹みたいだった。
「んんしょ。元気そうでよかった。全然構ってあげられなかったけど、頑張ったんだね。聞いたよ、ロードさんべた褒めしてた」
「えへへ、私ってば天才美少女だし」
 泣き顔で台無しであるが精一杯茶化してみせたのだろう。
「調子に乗らないのーっ」
 そういいながらアキも少しその感動が移ったようで、目をうるうるとさせている。アキは自分の手でアイシェの涙を拭うと可愛い顔が台無しだよーと彼女を抱きこむと、うれし泣きも感動的なシーンだ。
「本当にっ! なんてお礼を言えば良いのか!
 わかんなくて……っ!
 あたし……!
 ありがとうって……! いっぱい言いたいのに……! うああっ……!」
 なんだかファーナが感動のもらい泣きをはじめてた。
「ん。まぁそれは歩けるようになったら。わたしに言いに来てね」
「うんっわかってる!
 私、きっとお姉ちゃんの役に立つ人になって会いに行くから――!」

 ――きっと彼女にとってアキはとても大きな存在になったのだろう。
 その武勇伝はアキから聞くよりも彼女から聞いたほうが壮大で勇ましいものとなる。
 アキは終始優しく微笑んだままその妹を励ましていた――。

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