第226話『正体への疑問』
「ロードさんロードさん!
謎解き! つか、推理!」
グロッキー状態というのは、ボクシング用語だとキツキに聞いた事がある。なんでそんな薀蓄を蓄えているのかを聞いたところ、タケに訊かれた時に答えられなくて悔しかったからだと彼は言った。意外と負けず嫌いなのである。
そんな疲れてフラフラの状態なロードさんは、二十五歩の後はずっとスゥさんの背中に背負われている背負う椅子に座っていた。疲れたから座っていたはずなのだが、今は更に酷い状態だ。
「……少年、私は乗り物に酔っているんだ……はぁ……話しかけないでくれ……うぐ……」
この人は本当に外という世界に向いていない。歩く辞書だと言われていたが、こんだけ動けないなら図書扱いも納得がいくレベルである。
「普通に可哀想なレベルで酔ってる……」
息が荒く、苦しそうである。顔色は何時も白い所に青いが混ざっている。
「ロード……辛いなら言えば良かったのに」
「……私が、効率を下げる理由になる訳には……いかない……ふぅ……空気が……悪いな……」
全力で荷物にはなっていたのだが。
「お医者さんが乗り物酔いかぁ。三半規管を鍛えないとだめだよなやっぱ」
ロードさんを一度下ろして壁に背を預けるスゥさん。そこで一度深呼吸をしてなおその人は苦しそうである。
「やっぱりルーに運んでもらう?」
球体障壁は便利だ。上下に揺れないし、移動もスムーズだ。ルー曰く、ルーが意識しているんじゃなくて宝石がそういう風にしてくれているんだそうだ。賢者の石と呼ばれるものになるとやっぱり違うなぁ。
「……君は一人でも喧しいな……」
「怒られた! ごめん!
反応してくれないの寂しいんだもん! 心配だしさ!」
覗き込みながらバタバタしながら言い訳していると暑苦しいとぐいっと顔を押された。
「……大丈夫だから、静かにしてくれ……。
……私は医者だ。酔い程度何とかできるさ」
「じゃあ、しようよ。三半規管に正しい地面の方向を叩き込もうよ!」
「……ええい、誰かコイツを黙らせろ」
ガッと後ろからアキに掴まれてズルズルとフェードアウトさせられる。
「良くキツキにもウザい善意と苛められたよ……親切は時にウザいと!
でも俺はウザくても強く生きるよ!」
「いえ、それは既に皆分かってますからちょっと静かにしましょうねー」
「ぐむぅ」
口を塞がれたのでは仕方が無い。大人しくセルフ治療の様子を見ている。
パッと両手を耳の後ろに翳すと、パァッと金色の術式ラインが浮かび上がる。
パァッと何度か金色の光が身体を迸った後に、一つため息を付いてゆっくりと立ち上がった。そして俺をギロリと睨むと、ツカツカと三歩歩み寄ってきた。
そして何を言うでもなく喋れない俺の頬っぺたを抓むとグイグイとひっぱる。
「んぐー!」
「……」
「んんぐぅぅんー!」
「……無防備だな馬鹿め」
グッと頭の横に手が来て、ぐにっと目の下の血色をチェックされる。
「……ふむ。健康だな。
……ウザい事の罰はこれぐらいにしておいてやろう」
「ぷは! うわぁ! いきなり健康診断されてドキドキした!!」
「コウキ……何と言うか、何やってるんですか」
ファーナに呆れられる。健康診断したのは俺じゃないんだけど。
俺の抗議の視線は理解される事なく、ロードさんはスタスタと五歩行って直進の道を見た。
「……これは私の担当なのか?」
その道を眺めながらロードさんは首を傾げた。
三つの道に白骨が二つ。全部行き止まりだ。
血の跡みたいな汚れも二つ。
右は行き止まりに見える。血の跡だけだ。
前は真っ直ぐいけそうだけど白骨と血の跡がある。
左には何故か血の跡はないけど骨がある。
行って調べるまで分からないとも取れるが、これだけあれば何処に行けば良いのか分かったりしないだろうかと思って訊いてみたのだ。ヴァンには既に進んで調べましょうといわれている。
「……人の手が入っているとは言え古代遺跡だからな……。
……血の跡というのは信頼できる物なのか分からないな」
「うーん。でも此処の人はこれは俺の死体だって言ってるんだよね」
俺の言葉に皆一様に固まって俺の指した指先の方を遠くを見るように見つめる。
「……キミは一体何を見ているんだ?」
「えっ、ここに床を叩き続けてるおっちゃんが居るよ」
ダダッと物凄い勢いで石造りの床を走って二人が引いた。丁度ファーナとアキが居たところの横だったんだけど、二人は声も出ないようすで俺に向かってブンブンと頭を振った。
「……そいつに何か訊けないのか?」
「きけないつーか、聞いてないっつーか」
触れないし、触れる事はない。本気を出してないだけかもしれないが、出来るだけ出して欲しくはない。
右側の道の前に立っていたヴァンもふむ、と頷いて首を傾げていた。やっぱり俺にしか見えてないのか。みんなこんなに煩いのにやたらスルースキル高いと思ってたんだ。
「……キミのメンタルの野太さには敬服するよ。
普通の対応はあっちだぞ」
ロードさんがため息を付きながら後ろを指差した。
遠めの来た方の通路でアキとファーナが抱き合ってブルブル震えている。間にルーが居てまた苦しそうである。なんでまたあんな羨ましい場所に居るんだ。多分暇があったら拾い上げてしまうファーナのせいだろうけど。
「ここの遺跡、なんかいっぱい居るんだよ。前も合ったことあるし」
「ゆ、幽霊耐性強すぎですよコウキさん! 祟られたりしたらどうするんですかっ!」
アキが割りとギリギリな必死さで俺に言う。
というか、ほぼ地上最強の人間だというのにおばけでこれだなんて。女の子だなぁと思わなくも無い。
「大丈夫だよ。怖がりすぎだって。ほらスゥさんとか見習ってポーカーフェイスになろうよ!」
俺がポン、と近くに居たメンタル強そうな人ナンバーワンであるスゥさんの肩を叩くと、びくん、と驚くほど肩が跳ねた。
「……へ?」
叫びこそしなかったものの、その顔は全力で泣きそうなのを我慢している表情である。良く見るとヴァンの服の裾をがっしりと掴んでいてプルプル震えている。
正直一番まずいものに触れてしまった気がする。
「……キミが特異体質と度重なる戦闘で、多少の見た目や不思議な事では動じないのは分かった。
……私達にとって脅威だと感じるのは、見えない、触れられないといった理由からだ。
だが……キミは違うのだろうな」
「触れられないかもしれないけど、もし何かされたらファーナが浄化ファイアすればいいよ。むしろヒントが聞けたら浄化してあげたいよ」
「わ――わたくしですか……?」
そう! と思いっきり意気込んでグッと親指を立ててファーナに突き出す。
「ファーナは出来る! ゾンビが出来たんだしユーレイも余裕!」
ちなみに無根拠じゃない。
なんか会話すると満足して成仏するやつもいるけど、殆どが自分が死んだ事を忘れている。
痛覚から。身体の状態を把握してその死を理解して成仏するというのが大事な事らしい。
熱い、冷たいはどうやら最も分かりやすい感覚でさらに炎というのは此処のダンジョンで眠る亡者が忘れた痛み。
だからファーナは最初からそういったものに対して、絶大な強さを持っていた。それが前回ファーナがこの迷宮で大活躍した理由なのである。
「太陽を見せてやろうぜ!
眩しくて暑い!
亡者が求めた“世界”だ!」
当たり前だった物でも触れる機会が無くなることで尊いもののように思う。
どんな物語でもそれが顕著に現れる死や別れ。
一番身近に存在しているファーナは最も太陽に近い神子だ。
目は光が無くては景色を映さない。その光に成れる神子なんてそうは居ない。
「ははは、流石コウキ。この世界の扱いには慣れたものですね」
ヴァンがそう言うと小さく俺に
「あの二人が怖がらないように談笑でもして待って居てください。すぐに終わらせますから」
とウィンクしてロードさんとスゥさんを連れて真っ直ぐの道を進み始める。
どうやらこの場の調査に自分は必要無いらしい。それなら言われた通りに大人しく下がっていようと二人に近寄った。ファーナとアキの前で中腰状態になると右手をパーにして突き出す。
「あ、浄化して欲しい時は俺の頭を叩いてファイアって叫ぶときっと良い感じの方向に火が飛ぶよ!」
俺を通すと無詠唱でいいんだけど威力の加減は未だに良く分かっていないっぽい。まぁ大抵俺を使うような状況となったら相当なピンチなので加減どうこうと言っていられる場合ではない事が多い。
「あはっ! それ面白いですね」
「それは浄化としてどうなんでしょうね……」
もっと神々しい感じでやりたいなら毎度シリアス顔を作る必要がある。
ただし頭を叩いてファイアが必要だ。
「……私達が此方にいるのにやる気か貴様等」
「やらないよ! で、道分かった?」
「コウキさんまだ全然時間経ってないですよ。もう少し大人しく待ちましょうよ」
アキがぺしっと背中を叩きながら言う。うん、知ってた。
と言うわけで素直に謝った後三人で元来た通路の端で一休みする。結構時間が掛かりそうだ。一番奥まで進んでしまうと術式陣が敷いてあってピカピカと何度か光らせながら解析しているようだ。
となると暇になってくるのが前衛脳筋特攻隊の性分で、適度に道を警戒しながら皆で会話をして待つことにした。
「ヴァンって前もっとギラギラした視線で睨んでくる人だったんだけどやっぱり今回は丸くなってるよ」
前回の記憶は虚ろ。この症状は王様達と一緒の状態なのだろうか。
実際あの二人もヴァンに会うまでは何も思い出せなかったと言っていた。ヴァン以外の人間も正確に神子とシキガミについて知っている人は居ない。唯一の証人となったヴァンは一体どんな気分だったのだろうか。前回のヴァンの態度からでは今のヴァンに辿り着くまでの道が全く想像できない、というのが俺の感想。
「ヴァンツェがお父様達と旅をしていた時代ですか」
そうそう、と俺は頷く。
前は話しかけるのが若干怖いぐらいだった。実際に「アリーに変なことしたら殺す」と本気で脅された事がある。あの時は本当に走って逃げようかと思った。実際王様も煙草ふかしながら俺を見てたのでこの一団ヤバイ怖いという印象しか無かったのである。
「初めに見たときはヤクザとかマフィアっぽいって思ってたよ。
王様はほら、結構無口で煙草吸いながら観察してくるし。
ヴァンは物凄い値踏みしてくるし、シィルには殴られるし噛み付かれるし。
王妃様には……笑顔のまま信頼は出来るけど、信用は出来ないって言われたし。
なんかこう……大人の心の世界を感じたよ……」
正直一番ニコニコしてた王妃様にそう言われた時が一番ショックだった。俺もグラスハートなんだぜ意外と。
ファーナが困ったような顔で気を落とさないで下さいよ、と言って続ける。
「敵同士なら確かに信用はしないのが吉です。
貴方はそれを身を持って体験したでしょう」
そう、キツキとタケ。
一番近しい親友が俺に剣を向けた。
――でも四法さんは違う。俺側の人間だ。
そう、別にあの二人の事を知ったとしても四法さんは多分俺側の意見に同意してくれる。
俺達が剣を向け合うのはおかしい。俺は――助けてもらいに呼んだはずだ。
でも肝心の記憶が無かった。
俺は二人に助けを乞う事が出来なかった。それじゃあ意味が無かったんだ。
あの二人が何かを知っていてそういう行動をしているのは分かっている。タケは多分納得行かないまま引き摺られているだけな気がしなくも無いが、シェイルさんが居る都合上そうしておく方が衝突が無くて好都合だろう。筋の通る言い訳は多分キツキがしてくれてるはずだ。
「ぁ……申し訳ありません、不躾な事を言ってしまいました……」
黙りこんでしまった俺にファーナが謝る。
俺を傷つけたと思ったのだろう。
「え、ああ。いや、全然。超正論に言葉は出なかっただけだよ。
自業自得なのは分かってる。でも俺は助けてもらう為に呼んだからバラバラじゃ意味無いよなって」
バラバラじゃ――助かる事が出来ないのはわかっていた。
前回姉ちゃんと一緒にシキガミをやって、それは学んでいた。
でも俺には――。
「どうしましたかコウキ、あの、その、やはり……?
そ、それとも具合が悪いのですか?」
珍しく難しい顔で唸った。
いや、本当に不味い問題に今更気付いた。
「シキガミには……いや、ほかの人も多分そうだ……」
「どうしたのですか?」
流石にファーナが心配そうに俺を見た。
少しどうしようかと思ったが、俺はファーナを見て言う。
「記憶や経験が蓄積しない。やっと親友を殺した理由を思い出した王様が、悔しそうな顔をしてた……」
何一つ蓄積しない。
世界の知識も、シキガミの知識も、友人も、経験も全部無かった事になる。
たった一人の勝者を決める事に――意味が無い。それが分からないうちは状況に引き摺られてどんどん準備を進めて逃げられなくなる。
「俺がやりたい、全員救出を行おうとするのにその道は何の意味も無いんだ……!」
俺が言った言葉にファーナとアキが息を飲んだ。
また同じ事を繰り返す。
俺が勝つと俺が終わらせる為にまた三人を呼び出して、残りを適当に決めて。
誰かに勝たれるとそこで別の人間が同じような事を始める。グルグルと歯車が回って役目が終わったら新しいパーツはすぐに補充される。
神子とシキガミっていう、騎手と馬がパカパカと馬鹿みたいに真っ直ぐ走り続けるだけ。
「そういえば前回の神子やシキガミの話を歴史のように語るのはヴァンツェだけですね」
――ちょっとまて。
王様と王妃様も、前回の記憶は無かった状態から始まった。
神子とシキガミと言うのは絶対に存在として残らないんだ。
じゃあ、何が原因で今――。
その人たちは、記憶を持ちえたのか。
通路内にゆっくりと皮の靴が石畳を叩く音が聞こえる。
赤い髪のスゥさんが俺達を呼びに来てお待たせ致しましたと頭を下げた。
全員がその場を立ちアキとファーナが歩き出し、俺もそれに付いて歩いた。
俺達を待っていたのは金色の髪をした賢者と銀色の髪の賢者。
この世界で唯一、神子とシキガミの記憶を持って生き残ったその人。
特殊な人だというのは、前々から分かっていた。使える術式の種類も、その読解力も記憶速度も詠唱速度もまるで――。
「お待たせいたしました。
それではこの場の仕掛けの推理と答え合わせですかね」
銀の賢者は、俺達全員にそういって微笑んだ。
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