第234話『熱は廻る』

 王様はヴァンと少しだけ話をしてそしてそこから出て行った。それ以上俺に何かを言う事は無かった。
 もう俺があの人を名前で呼ぶ事はないと思う。彼との友情を築いたのは俺ではなく元俺だ。元俺って表現が何となく脳内でリフレインする。ああ、それは一体誰なんだろうな。

 何を行うか。それを説明したのはヴァンだ。授業をするように少し身振り手振りを交えながらひたすら説明をし、質問を受けた。
 まず俺が言ったとおり、俺達が向かうのは竜世界だ。呼び出しの手段は明確で、過去一度アキは足を踏み入れている領域だ。
 にわかに、あの人に会えないかなぁと期待した。まぁ今や居ない存在を期待するのは少し馬鹿な事なのだけれど、口にすれば多少同意はしてもらえるとは思う。皆知っている人なのだから。

「竜世界に行くのは分かった。方法もまぁ、それとなく。
 コウキこれはいつやるんだ」
「キツキが治り次第いつでも」
 そう答えると、キツキはロードさんのほうを見た。
「この怪我は最短で何時治りますか」
「……明日だな」
「明日ですか? ……ああ、不満ではなく驚きです。ここの医療は最早魔法ですね。俺達の居た世界すら超えたなぁ」
「まぁ、法術が俺らにとっては魔法だけど、こっちじゃ技術と言うんだ」
 とはいえアレはアレで必要だと思うけれど。人間の治癒力に任せる方がいいというのはロードさんも同意見らしい。それ以上の専門的な話は俺には全く理解できない。
「とにかくありがとうございます。
 コウキ俺は明日には動ける」
「え? そんな、焦らなくても。明後日とかでいいんじゃないの?」
「暢気だな」
「そうかな」
「そうだよ。大体お前と一緒に居るとそれがそのまま日常っぽく暢気な空気になるんだ。
 今お前と一緒に居る時間は短い方がいいんだ」
 事実をきつめに言われて言い返す言葉も無くなる。頭を掻いてため息を吐きながら頷いた。
「わかったよ」
 自分に厳しい分人にも厳しい。体調不良を言い訳に実力が出せないとはキツキは言わないだろう。
「明日の何時に治療?」
「……早いほうがいいなら朝行う」
「じゃあ、お昼食べて出発。とりあえず行き先は――そうだなぁ」
 俺は白い天井を見上げて目を細める。遠い所を思い浮かべるが、人の居ない場所が思い浮かばなかった。
「どこか広くて、誰も居ない場所を目指そう」
 だからそのままアバウトな目標を口にした。
「なんせ、竜を呼ぶんだからな」

 俺達が竜世界に上手く入り込めればそれでいいのだが、竜が現世する事があるらしい。
 竜は呼んだ人間に応じた強さのものが出てくる。勝てないという定義は破られない。竜に勝って戻ってくるというのは本来間違っているらしい。見逃してくれているだけだ、と説明される。
 じゃあ、アキの前に現れた“竜神”が示す事とは何か。

「アキはすでに竜を超える力を手に入れている、もしくはその可能性を秘めている――と定義できます」

 以上の事から、アキは“竜に呼ばれる”事ができる。と解説を行うヴァン。
 絶対か、と言う問いには力強く頷いた。当然、アキの潜在能力から出現したに違いない竜である。
 大袈裟ですよ、とアキが小さくいうとヴァンに睨まれてアキは姿勢を正していた。自覚しろというのはすでに口癖のようなものでもあった。
 基本的にはアキに連れて行ってもらう事が主な話だ。しかし繋ぐのは俺の役割だ。
 アキの話だと世界は完全に別になり、時間の流れ方も此方とは違うらしい。そもそも動かなかったのだから時間という概念ではないとヴァンは言ったが、じゃあどういうものなのかは教えられないといった。その説明をしたのはアキだった。

「時間じゃなくて、記憶ですね。
 えっと、上手く言えないですけど、あちらでは時間が進むんじゃなくて記憶が前後するんです」
「記憶が前後するって……? 俺が凡人だから理解できないだけだとは思うんだけどもっと噛み砕けないかな。例えば? どういう現象が起きるんだ?」
 冷や汗がでる。そういうのはちょっと苦手だった。一般的な人間の理論から外れると途端に俺たちはしどろもどろするしか能が無い存在になる。大概慣れてきてはいるし、順応性はさすが郷に入っては郷に従う一族であると胸を張れるほど世界に染まっている自信もあった。しかし分からない物は分からないのである。

「ええと。あ、ファイアブレスです。わたしの一つ目の技になっている竜虎火炎砲<ファイアブレス>ですが、あれはコウキさんとファーナと一緒に作った技です。
 その時の認識としてはそうですがそこにコウキさんもファーナも存在しないわけですから、並列される記憶からひとつ都合が再現されたんです。記憶の前後に平等ですからね」

 俺は頭を抱えて捻れた姿勢を取った。キツキは眼鏡を取って目頭を押さえている。四法さんは開いた口が塞がらないという風な顔をしていたし、タケは寝ていた。タケが一番正しい行動をしている気がする。
 この話だけは何度聞いても頭が理解しようとしてくれない。タケ寝てんじゃねぇ、と言うと隣に立っていた彼の神子が頬を抓んで起こす。
「竜世界は記憶の前後が起きます。竜世界で先に起こる事、は竜世界の今に起こる事と同じです。
 今彼女はいつか起きる本当の術の前借りに当たる状態だと思われます」
 ヴァンの説明が淡々と続く。
「そ、そうなの?」
「たぶんですけど」
 アキは曖昧に笑う。
 ヴァンは終始真剣な為俺は笑えない。

 キツキが眼鏡を掛けなおしてヴァンを見た。
「……と言う事は、前借りした事が何かを示しているのですね」
「そうです。アキ達三人はアキが招かれる事で竜世界に行けるのです。
 三人が同一の絆で繋がる事でそれは可能になるはずです」
 キツキはそれにすぐ思い当たったようだ。
「血の盟友<エンブレム・ブラッド>!
 そうか……この中じゃコウキしか使えない」

 三人に同一の神子とシキガミ、そして血の盟友<エンブレム・ブラッド>による能力貸与。真っ直ぐ一直線に繋がる形になる。
 繋がっている事を信じる事が道になる。
 割と闇雲に斬ってみる気だったが先にいけるなら次に繋ぐ場所がハッキリする。一つ目の難関の超え方はハッキリとした。
 そして俺が裂空虎砲で世界を繋ぐ。シキガミとしてこれ以上に無い役割を負ったのだ。



 俺たちは思い思いの夜を過ごす事になった。キツキは病室で安静だがジェレイドは退院すると言った。
 神殿に部屋を借り、いつもの所になる。ヴァンが居なくなったので財務官や秘書さん達の部屋が城側に移っていた。
 客室が少し足りなかったがアキがファーナの部屋で寝ることになりタケとシェイルさんが一緒でよいという話があって、客室は事足りた。

 食後ちょっとだけキツキと話をしにキュア班棟に顔を出して、再び神殿へ戻る。その帰り道に空を見上げると月はいつも通り大きく輝いていた。
 この世界の夜空が好きだなと思っていたのは、思い入れのある世界だったからだろうか。
 丁度中庭を横切る途中で足を止めた。考えるのを止めた脳でぼうっと空を見上げている。

 カツカツと高く響く音が二つ聞こえた。上等な革靴っぽい音だ。この城では良く聞くことが出来る。
 花壇を挟んで一つ向こうの道でその足音は止まった。

「俺は今度こそ、神子を助けられるかな?」
「助けてもらわねば困る」
「そうですよ」
 それもそうだよな、と笑った。
 多分皆で同じ月を見上げていた。
「ありがとう、と先に言っておく。随分前の話になるが」
「わたくしからも。ありがとうございました」
「うん、どういたしまして。
 あの人も、もしかしたら何処かに居たのかもね」
 俺の台詞に二人は顔を合わせたようだ。俺が言ったあの人とは王様の親友だった人のことだ。
「そうかもな……まぁ会わなかったって事はどこかで平和に生きてるんだろう」
「わたくし達みたいに会えていればいいけれど……生きていればこそ、ですものね」
「言っとくけど二人は絶対連れて行かないからな」

 あえて振り返っては居ないけれど――。俺の過去に居座る二人を思い描いていた。
 黒い鎧に精悍な顔つきで、いつも「怒ってるの?」と聞かれがちな目付きの悪いのシキガミと、天真爛漫を絵に描いた様な姫様神子。ヴァンツェとシルヴィアがそこにいて、いつも楽しそうだった。

「思い出したの?」
 二人に聞いてみた。徐々に思い出していると言っていたから俺みたいにショッキングな思い出し方はしていないはずだ。
「ふふ、少なくとも貴方よりは早く」
「そうだな。ヴァンツェの入れ知恵も利いているな」
 振り返ると王様と王妃様は笑っていた。月に照らされていて良く見える。
「今回は勝算高いよ。今回だけしか無いだろうけど」
「それはよかった」
「戦いが終わったら是非ここにもう一度いらしてください」
 その台詞には少し困った。顔をしてしまった。
「そりゃあどうだろうね」
「何かあるのか?」
「わかんない……俺って生きてられるのかなぁ。因縁事が多すぎてさ、自分を助かる方の勘定に入れづらいんだよね」
 随分と久しぶりに自分の心配をした気がした。頭を掻いて笑った。
「まぁ、前回とは違う結果はでるよ。
 ファーナは俺が助けるから安心して欲しい。
 前の俺たちみたいには、ならないよ」

 王様は俺を見て心配そうな表情になった。
「自分を不甲斐無く思う。私達に何があればキミを助けられただろうか」
「うーん、若さとやる気?」
「それ本気で言ってるならぶん殴るぞ」
「王様の言葉遣いが崩れてるよ」
「ぐ……前からそうだな、夜になると何故かお前は強気だ」
 前回夜に強気だったのは加護のお陰で夜目が利いたからだったと思う。今回は違うがもしかしたらそんな名残なのかもしれない。
「俺は前回助けてもらってる。ある意味、悪い死に方はしなかったから皆には生きてもらったんじゃないかな」
「そう言って貰えれば助かるがな……若さでも求めて、願いを叶える竜でも探すか」
「それを求める王は、いつでも不幸の死を遂げる物ですよ?」
 丁寧に王妃がそう言った。王様は少しだけ笑って「それもそうだな」と括った。
「俺の方こそありがとう。意識しなかったけど城で自由にできてる意味がやっとわかったよ」
「精々ありがたがるんだな。死なずに戻って来い」
「ふふ、わたくしまた和食が食べたい、わ」
 言い切る前に、ポロポロと涙を零し始めた。それを王様がゆっくりと隠す。
 小さい嗚咽が聞こえた。彼女は感情の起伏が激しい。丁度、アイリスがそうだ。彼女も呼吸より先に言葉が出る。本当に王妃に似ていた。今の言葉を喋りながら、もう次に言う事は決まっていた。だから彼女は先に泣いてしまうのだ。
「ごめんなさい……!
 貴方に、本当は、顔も、合わせられないぐらいだというのに!
 わたくしたちは、のうのうと、生きて……!
 ……ぅっ!
 忘れいたなんて言い訳が、本当に悔しくて……!」
 王妃様が泣いている。号泣している彼女を見て、王様は何も言わない。
 無言は肯定だ。その言葉を受け止めている。
「それでいいんだ」

 もともと俺が願った事なんだからいいじゃないか。
 忘れてしまった事にケチを付けられない。俺なんかその記憶の欠片すら無かったのだ。礼と謝罪に来てくれた事が二人の誠実の証だろう。
 純粋にその心は嬉しかった。
 しかも今感謝すべきは俺だ。
 俺が生きれなかった未来に、この人たちが居た。
 背中を押す役割が変わったんだ。今度はまた俺が押される番だった。

「生きててくれて、ありがとう」

 俺は頭を下げた。そして神殿への道を振り返る。
 ひとつ、スッキリした。なんだか妙に嬉しかった。ひたすら歩きながら上機嫌になっていた。鼻歌を歌う癖でもあれば歌っていただろう。
 世界は満月。
 喧嘩別れした月が、世界に笑いかけるかのように光を照らす。
 笑っているのはあの子だろうか――。



 神殿へ辿り着くと、急に自分が自分に戻ったような気になった。足取り軽いまま、部屋めぐりを開始した。タケとシェイルさんの部屋を訪ねて、その後四法さんとジェレイドと他愛の無い話をした。
 みんなそれぞれ思うところはあったと思う。シェイルさんは明日の俺の行動次第だと期待と脅しの混じった言葉を使ってきたし、ジェレイドはまぁまず疑ってこなかった。見えるって凄いなぁ。と感心する。
 色々話しているとテンションが上がって、浮かれた気分でヴァンの部屋を訪れて王様と王妃様の事を話した。ご機嫌ですね、と笑われながらその自覚はあったためニヤニヤとしながらヴァンに言う。

「悪いけどヴァンはまだ付き合ってもらうからな」
「当然です。今度こそ終わりを見届けなければ気持ちが晴れないのは私とて同じです」
「そっか。まぁもやもやしてしょうがないポジションだもんなヴァンって」
 言ってから調子に乗ったなと思った。
「言ってくれますね。その通りですよ。
 脇役に徹するしかないのです。せめて置いていかれないようにするのに今回は精一杯だったんですよ」
「最初から大概強いと思ってたけどなぁ」
「それでも足りないものは足りないのです。
 本来通りの道筋だとまた置いていかれていましたけれどね」
「そうならなくて良かった?」
「ええ。神に物申しに行きたいのは私も同じですし」
 溜息を吐いて肩を竦める。
「そりゃあよかったよ。皆で抗議しようかっ」
「ええ。明日は成功すると確信しています」
 ヴァンはそう言って不敵な笑みを見せる。
 ちなみにだが、ロードさんとスゥさんは置いていく話になった。ロードさんは一人では動き回れないし、スゥさんは多分自分を守りきれない。
 ヴァンが相手だったのでグダグダと話し込んでいて、ハッと気付いてもう行かないと、と口にした。
 その言葉におかしそうに笑って、頑張って下さいと彼は言う。
「ああ、あと、一つだけヴァンにお願いがあるんだ」
「言ってみてください」
「皆に言って回ってる事なんだけど、先に進む為に運命無視<フォーチュン・キラー>は使わないって約束してもらってるんだ」
 キツキは前回の両足損失が代償に当たるそうだ。あれは俺よりえぐい仕打ちだと思う。
「それは何故でしょうか」
「代償がその後に来るから。それが神子に行ったら堪んないよ。
 ただ撤退する時は遠慮なく使っていいよって言ってる。
 そんだけで四人が無事なら快挙だろ?」
「ふむ、それで? 私に何をしろと言うのですか」
 俺は軽く笑うと何時もの調子で話す。俺の話に、そんなことですか、と彼は首を傾げた。


 三人分のお茶の用意をしてファーナの部屋を真っ直ぐに目指してノックをする。扉を開けてくれたのはアキだった。
 椅子に座って、城の広場で起きた事を話す。不思議な体験だったと括るとファーナが頷いた。
「そうですか。一つ、貴方の物語は終わったのですね」
「んー、そうかもな。すっきりした」
 ファーナの表情は明るかった。涙を薄く浮かべていたようにも思う。
 ルーがファーナのベッドの近くで座ってへたり込むようにして眠そうに目を細めている。ああいうところはなんか普通に犬っぽい。
「いよいよ明日……竜世界ですか。
 新しい世界を旅するなどとは考えも及びませんでしたが」
「わたしもですけど……。でもヴァンさんの話は納得できました。
 わたしたちはあっちの世界に何らかの形で行く事になってたんだと思います」
 そっか、と俺が呟いてから急に静かになる。
 俺は何か話そうと思ってテーブルの上で視線を動かしていた。
「……不安ではありませんか、二人とも」
「わたしは全然不安じゃないんです。
 コウキさんは違いますか?」
 問いが回ってきた事に気付いたが紅茶を一口飲む間を空けた。
「俺? 俺は竜に会って見たいなぁ、ドラゴンレプリカと違って話できるんだろ?」
「そうですけど……。あぁ、コウキさんは一歩前で逆立ちして景色を見てるから……」
 アキがおでこに人差し指を当てて眉を顰めて眼を閉じている。それでその時の俺の行動は見えているのだろうか。
「逆立ちして、俺が世界を持ち上げてるネタは小さい時に良くやったよ」
 それはとても昔の話。小学生の時の話だ。最初にそれをやって見せてくれた体育の先生は面白くて好きだった覚えがある。
「明日は、頑張ろうなっ」
 唐突に思いついた言葉を言うと、驚かれる。それもこれも逆立ちの話を繋げてくれないからだ。
「明日は武術大会みたいなノリですよね……」
「コウキが成せる空気と言うのは、確かに長時間触れていると危ない物なのかもしれませんね」
 二人は紅茶に口をつける。暖かいレモンティーが飲みたいという注文を受けて一番美味しいのを使わせてもらった。それは一口飲むとため息が出るほど美味しかった。
「緊張してヤバイなんて俺が言ったら、皆元気なくなってなんかこうギシギシした関係になるだろー」
「リーダーである人間は常に鈍感で朗らかであるべきですからね」
「あぁ、コウキさんはそのままですね」
「そりゃあよかったよ」
 同じような台詞を学校の先生に言われた事がある。意識をしているわけではないが、それはそのままでいい気質なのだと理解している。
「じゃあ、明日。
 人生で一番クリティカルな日にしよう」
「クリティカルな日ってなんですか」
「偶然も全部使い切るって事ー」
 そう言って片づけを始めると、アキがファーナと目を合わせてからこちらを見た。
「ちょっと待って下さいコウキさん」
「ん?」
「今日は一緒に寝ましょう」
「え?」
「だって明日は最後かもしれないんですよ?」
「いや、そんなことはないんじゃ」
「いいじゃないですか、明日は団結力が物を言うんですよ!
 そもそも恥ずかしがる事もないですよ! 一緒に寝ましょうよ久しぶりに!」
「なんかどんどん押せ押せ状態になってるよアキ……。
 まぁルーが居るから別に床でも寝れるしいっか」
 耳が起き上がると同時に目を開けて頭を上げるとルーが此方に視線を向けた。唐突に呼ばれた事に反応したのだろう。首を傾げてから頭を下げて視線だけこちらに向けて眺めるポーズになる。
「コウキさん、嬉しい情報を教えてあげましょうか」
「何さー」
「何とコウキさんはわたしとファーナに挟まれて寝るんですよ」
「わぁい。俺に寝るなって事?」
 冷や汗が出てきた。ファーナは視線を何処にやっているのか良くわからないが耳が赤く染まっている。
「一緒に寝るだけですよ。ファーナが病気だった時と同じです」
 なんだろうこのアキの勢い。勝てる気がしなくなってきた。
 そういえば二人とももう風呂から上がっているので簡易な服装になっている。
 頑なになって否定しても嫌味っぽいし今何となくギスギスするのも嫌だし……。
「うーん。わかったよ。じゃあ片付けてくるから」


 変な事になったと思う。
 ファーナのベッドが柔らかいいいベッドなのは知っているが、三人で寝るとより深く沈む。一番重い俺が中心に居れば二人が俺にくっつくように近くなるのも仕方のない事だ。

「こんな風に寝るのは久しぶりですね」
「まぁ旅の間は雑魚寝でそれどころじゃないし、宿はシングルベッドだし」
「あの、すみませんコウキ、無理に誘ってしまって。不安だと言ったのはわたくしなのです……」
「そっか。俺がふわふわしてるから?」
 などと最初からふわふわした発言をする。予想に反してファーナは首を振った。
「違います……。二人は強いのです。それはわたくしが保障します。
 わたくしが足を引っ張る事になるのが……」
「そんなこと無いって。な?」
「そうですよ。ファーナはわたし達に出来ないところを補ってくれる……。
 わたし達を信じてるのと同じぐらいわたし達はファーナの事を信じてる」
「そう……言っていただけると、すこし安心もしますが、緊張もしてしまいますね……ああ、一緒に居られてよかった」
 ふぅ、と一息間が空いた。
 布が擦れる音が耳に届く。元々肩辺りに何か当たっていたのだが左側に居たアキがペタペタと腕を触りだした。
 え、何? なんでそういうことするのアキ?
 良くわからない冷や汗を掻く。
「コウキさん腕太くなりました?」
「そ、そう? いつと比べられてるのかわかんないけど、ずっと剣は振ってたし、隊錬もやってるし」
「あ……本当です、ね。
 コウキは全体的に体が出来上がってきた気がします」
 今度はファーナが腕を触ってからお腹を撫でる。

 俺は今叫びながら外に飛び出したい。恥ずかしいって叫びたい。これ本当に俺を寝させない作戦じゃないの?

 アキとファーナは俺を苛めて楽しいの!?
 多分聞いたら楽しいって言うだろうなぁちくしょう!

 そう、今俺がすべき事は――無になる事だ。無とは何かを考えよう。
 考えない事では無い。考えたとしても、全ての思考が一箇所に連なるような思考のことだ。
 触れられていると言う事はどう言う事なのか。いつも通りのスキンシップだ。多少何時もより布が薄いだけではないか。割といつもやってるなそういえば。ハイタッチだの抱きつくだのは別に恥ずかしいという所には無い。二の腕を掴んでぷにぷにだ、とショックを受けるアキと何が違うんだ。そうか。別に同と言う事は無いんだ。
 頭が冷えて正常になってくる。
 多分今俺は心頭滅却を成功した。その頃には二人の興味は俺の体には無かったようだけれど。

「ファーナも髪が伸びてちょっと大人っぽくなったよね」
「アキだってなんだか積極的になりました」
「変わったねっ」
「そうですね」

 俺たちはみんな変わった。成長してる。
 きっと必要なものを得てきた結果だから喜ばしい事だ。
 危機が過ぎて一つ息を吐く。

「明日は一緒に居てくださいね」
 それは俺だけに言った言葉じゃないようだ。俺たちは頷いて言う。
「そりゃみんな一緒だよ」
「明日は一緒です」
「二人とも居なくなっちゃ駄目ですよ」
「その言葉はそっくり返すよ」
「そこの信用は中々回復しなさそうですね……ふふ」

 アキはクスクスと笑う。声を抑えているせいで妙に艶っぽい響きを持っていた。
 ファーナが手を抱きこむようにして俺に密着してくる。
「ファーナはどう不安なの?」
 声が裏返りそうになった。俺はどうすればいいんだ。いや、此処で何もしない事が信頼では無いか。そう、今日の俺は枕! 抱き枕だ。ルーみたいなもんだ。いやルーも好きで枕にされてる訳じゃないだろうけども。
 なんかそう思えてくるとちょっと落ち着いてきた。ファーナの話に耳を傾ける。
「わたくしは……明日で全てが終わる事が不安です。
 ……日常に安定を求めてしまうのです」
「それは普通なんじゃないのかな」
「怖いんです。終わる事が……わたくし達はどうなってしまうのでしょうか?」
「少なくともファーナはここに戻ってくるんだろ?」
「はい……でもヴァンツェは居ません。
 スゥですら居ません……アキも、コウキも居ないならもう此処にわたくしの日常だった物が無いんです……」
「神官さん達だって居るじゃないか」
「そういうのではないのです……」
「バラバラになるかもね。願いが叶った後に俺達の記憶が正常な保障はないもんな」
「それは嫌です、嫌です……それを吐露して、貴方達を縛り付ける事も嫌なのですが……忘れてしまう事はもっと辛いです」
「あんまり喋らないなぁと思ったらそんな事考えてたの?」
「いけませんかっ? わたくしにとってはこれ程大事な事は無いのです……!」
 ファーナが泣きそうになる。いけないわけがないよ、と言って眼を閉じた。
「ヴァンが覚えててくれるかな」
 俺が言うとアキが唸る。
「うーん……難しいですね。
 本来なら自分で覚える以外に確かな方法が無いのが普通なんですけど、記憶の定義が最近曖昧ですよ」
「全くだよ」
 全力で同意して、ため息まで出てきた。
「何か良い方法は思いつく?」
「……せめてと思って文章にしておいてあるのですが、それもどこまで残ってくれるか……」
「なんて書いたの?」
「旅のことを。思いつく限り……です。
 元々記録用に帰る都度に書いていました。報告書として纏める前のものです」
「それ嫌でも思いだしそうだな。それが一番の方法なんじゃないかな」
「ふぅ……わかりました。そう信じます……」

 それから暫く他愛の無い話が続いた。そして誰ともなく会話が止まると、呼吸の音だけが聞こえた。
 二人の体温が熱いほど伝わってくる。
 いつの間にか右手にはファーナの手が指まで絡まっているし、左手はアキが同じように掴んでいた。女の子がこんな無防備でいいものかともやもやと思う。まぁ此処に居てそう考えるのは野暮だろうけれど。
 おなかの上にある二人の手も俺と同様に指を絡めている。
 絶対に信頼できる関係を築いていた。今回一番大事にするべきものだと言っても良い。
 俺の勝手な矜持ではあるがこの二人は守らなければ、と思う。その想われていればこその思考は、口に出来ないだろうなと思った。
 不意に眠気に襲われる。意識が奥に行こうとしたり浮き上がったりする。思考は止まって、ただその眠気に身を任せていた。
 三人の体温で熱いぐらいの世界で、同じ世界へと足を踏み入れる。それは明日の予行演習だったのだろうか。
 せめて今日は穏やかなままでいようと思って――二人の暖かい手を少し握った。

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