第246話『新式シキガミ!』
術士の奮闘は一瞬の判断から始まった。最も判断と行動が早いのは紫電の神子である。
本来彼女も一切攻撃に参加しないし、自分のシキガミへの補助で戦いを終えることの方が圧倒的に多い。
今回の戦いもそうだと思っているし焔の神子が見せた無様な攻撃には正直笑いを堪えるのが精一杯だった。
ただ、その無様な攻撃がなければ自分はこんなにも動かなかっただろう。
面白さなのだろうか、不甲斐なさなのだろうか。それでも彼女は笑いながら自らの運動能力を最大限に引き出す補助をかけてから、タケヒトへと駆け寄って背中に触れた。
「タケヒト!!」
要は再生が追いつく前に再生出来ない状態にすればいい。紫電はファーネリアがやってみせた焼ききる事と同じことができる。
即席で組み上げた術式の練度では恐らく足りないと判断し、彼女が最も有効だと思う武器にそれを付与することにした。
驚いていた彼女の死角から踏み入ったタケヒトは紫電の迸る武器によって切りつけられる。
「よそ見してんじゃねぇぞ!!」
バリィィ!!
爆雷が起こったかのような音が響く。
虚を付いたその一撃は彼女の左腕を吹き飛ばす。
「おおおおおおおお!!」
「大牙!!」
続くアルベントの斬撃と、アキの剣が突き立って体を突き抜ける。
「術式:氷の監獄<バ・ルシュプッセ>!!」
傷口が閉じるより早く、氷の神子がその傷を凍らせる。
息をつく暇もない波状攻撃は戦女神を追い込む。
『くぅぅッ……!!』
思わず仰け反って一歩引いた。
そしてその足に、一つ深々と双頭矛が突き刺さる。
「術式:万 華 氷 刃 倍 化 !!」
パキィ!!
大きな氷の花が咲いた。その氷は周りの氷に結びついて、さらに地面深くに突き刺さって花開く。その攻撃はまるで杭のように戦女神をそこに縛り付けた。
もっとも勝機という華を大きく咲かせた。
たった一度の勝機を掴むという計り知れない意志の強さが形になっていた。
「八重くん!!!」
天高く輝く黄金の光が、それに答えるように閃いた。
それは羽を持ったかのように横に光を広げてから、パァッと空中で一度はじけて一点に収束する。
『きさ、ま、らァァ……!!』
恨めしそうに声を上げる。
間に合わない。肉眼出来ない位置に居るそのシキガミからの攻撃は本来光った瞬間に避けるべきだ。
反射的に動こうとしても足に突き刺さった杭が抜けない。渾身の力を込めて、血をばらまきながら動いても、もう間に合いそうには無かった。
キツキの必殺技は、距離を取ればとるほど早くなる槍撃である。
彼自身が動いて斬るのとは違い、一直線に無限の間合いが取れる。あまりその術が役だったことはなかった。彼自身の視力は平凡で見える距離には限りがある。
ただし彼にはハンデから与えられた特技がひとつある。
耳を澄ませば目より圧倒的に役に立つことだ。
かつてそんな事に何の意味があるのかとため息を吐いたこともある。しかし今この特技に感謝する。これがあって本当に良かった。
聴覚でわかる世界で刃を振るう。
呼ばれた自分の名前に答えてその方向に黄金孔雀の切っ先を向け、全身全霊を込めてその術を発動した。
「術式:天駆・鳥閃光!!」
一線の光が、オルドヴァイユの体を駆け抜けた。
それは腹のど真ん中に大きな穴を作り、彼女は空を仰ぐ。黄金孔雀は彼女の後ろの地面を突き抜け、更に海に飛び込んで消えた。
思い出したように飛び散る血を吐いて、脱力した。
誰もが声を失い、誰もが息を呑んだ。
そして緩やかに彼女の指先から光になって、淡い光は空に向かって消えていった。
戦女神オルドヴァイユとの戦いの決着である。
「う、あ……おわ、った?」
剣を握りしめたまま、アキが言う。
見回してみてもみな同様に不思議そうな顔をしている。
「何も起きませんね……」
空は青々としているままで、氷が溶けて水っぽくなってきていた。
ところどころもうすでに氷は溶けて濡れた地面が露出している。
世界は変わる様子を見せなかった。
「この世界はあのオルドヴァイユが作った世界なのではないのですか。
彼女が消えたのに何故消えないのでしょう。
教えてくれますか、メラミルト」
ファーナは皆が思っている質問を口にした。
それに答えるのはこの場では唯一あちら側の事情を知る戦女神のメラミルトである。
彼女はアルベントの隣に現れて、暗い表情を見せた。陰影のくっきりつくこの空間で更に暗い表情に見えた。
『……それは単純な話です。
私達戦女神は、私達自分の作った空間で死ぬようなことはありません』
『私がここに居る。ただそれだけの事だ』
はためく何処かの国の旗の元。
その戦女神はまた堂々と立っていた。
この空間で彼女は死なない。
ラジュエラは狭間の世界で偶然コウキと対立して戦女神ではなく、ラジュエラとして死んだ。
「そんな……」
絶望からの脱力感に襲われ、アキが膝をつく。
どう頑張っても彼女がそこに現れるのならばこれ以上の戦闘は無意味である。
再びこの空間に熱が戻ってきて、氷は音を立てて割れ始めた。
夏を繰り返すような苦しい感覚に皆が絶望を感じる。
『今のは良い攻撃だった。
地上最大戦力の君たちの本気を見れた。
こんなに心躍るのも久しいぞ。
次はどんな攻撃を見せてくれる?
どんなことをやってくれる?
最後に残るのは誰だろうな?
さあ、続けよう。戦いは始まったばかりだ』
揺れる陽炎に眩む目がこの先の希望まで見えなくしていたように見えた。
不意にファーネリアがオルドヴァイユに歩み寄って両手を広げる。その行動に彼女は首を傾げた。
『無駄なこと、そうか、まぁ無駄だとわかればそうなるか。
いや、いいんだ。それが正しい。
一撃で楽にしてやるぞ』
「術式:炎術剣!」
再びあたりの環境が完全な陽気になったお陰か、先ほどよりも落ち着いた形状の炎術剣が出来上がった。ソレをコウキと同じ形で構えて戦女神と対峙する。
『どうしてそう無駄な事をする?
本気でやっても意味が無いものだぞ』
「わたくしはそう思っていません」
『どうあってもここからは出られないぞ。
たとえあの子が生きていてもソレはない。
ここが私の世界である限りそれは変わらない事実だ。
いかに君が頑張ろうと、人の心に火を灯そうとも。
結局たどり着く結果が同じならばその行動は工程を冗長にするだけの行動だ。
潔く諦めるほうが君たちの苦しみは少ない』
「貴女に決められた事がわたくし達の行動の全てを決定することは出来ません。
わたくしは最後まで戦います。
また吹き飛ぶかもしれません。今度は致命的な怪我をするかもしれません。
それでもここまで来た気持ちが嘘にならないように。
ここまでの道を作ってくれた皆に恥じないように。
進み続ける必要があるのです」
『そうか。私も矜持があるというのは嫌いではない。
それは抱え込んで死ぬべきだ。
それが最も納得できる理由になってくれるからな』
そう言って少しだけ目を閉じて、から彼女も隙なく構えをとった。
もう先ほどのような奇跡も起こらないし、偶然も無いだろう。
消耗した自分たちに追い打ちをかける日差し。
流れ出る汗と、喉の奥の乾き。
この絶望と戦って、無意味に消えるという事実が怖い。
それでも戦わない事がもっと無意味。
ファーネリアの中にコウキの声は聞こえなかった。
繋がりは断たれ、ポッカリと空いた穴のようになってそれに気づかないようにこの戦いを選んで進む事に専念した。
アキが最後の気力を振り絞って立ち上がる。それはファーナが立ち向かっているというのに自分が膝を付いている事が許されないと思ったからだ。
『まるで腐った体の化物だな。
意志が不安定で先ほどのような連携も期待できない。
失望したよ』
「なんとでも仰ってください。
わたくしは! 貴女に負けるつもりは微塵もありませんからっ!!」
ため息が出るほど稚拙な理由で彼女はオルドヴァイユの間合いに踏み込んだ。
ソレを聞いた所で彼女が剣を振るということは変わらない。
今度は全くの油断もなく、剣を振り下ろした。
突然吹いた風が剣に当って剣がピタリと止められた。
風というものではない。衝撃波や斬撃という言葉が正しいだろう。
突然それが飛んでくる、しかもこのタイミングに合わせられるものがあるだろうか。
先に振られた攻撃だということは間違いない。
しかしどこから。
ガァンッ、と大きく剣が弾かれて彼女もバランスを失う。
それも足場が崩れた事によって起きたことだ。
その斬撃は足元から来たものだった。
『なん、だ!?』
唐突に起きた崩落に、振り返る。海が見え、自分が居た岬は崩れ落ちていた。
急いで旗に駆け寄ってソレを抜いて飛ぶ。
『連式!!!』
その声が響いて鳥肌が立つ。
確かに自分はそれを貫いた。致命傷だ。あのまま海に入れば為す術もなく死んだはずだ。
不確定要素はなにかあっただろうか。
近くにいた竜ごと貫いたはずだ。
ありえない――!
『裂 空 虎 砲!!』
ガキィンッ!!!
その攻撃は紛れも無く彼女を斬るための攻撃で、空中に居た彼女が持っていた旗を真っ二つにへし折った。
炎術起因の技故に、焔の基質を得た斬撃が旗を燃やす。
『あ、あ……!!』
手を伸ばす。しかし炎天下と強い焔の気質から、旗の燃える速度は異様だった。
それはすぐに消し炭になって、世界に消える。
この世界にある、たった一つの旗が。
この世界で守るべきたった一つの旗が。
彼女の前で無残にも消し飛んだ。
伸ばした手を握って。
こみ上げて来る怒りに任せて振り返りながら叫ぶ。
『イチガミ……!!
貴様ぁぁあああああああああああ!!!』
コウキは逆鱗に触れた。
その矛先は彼のみに向けられ、オルドヴァイユは空を蹴り飛ばす。
黒い服を纏っている。ソレが血に汚れているというのはわかりづらい。
コウキの姿は波の打ち付ける岩の上にあった。そこには白骨化した誰かの骨が転がっている。
随分と汚れきった豪華な服が高貴な存在だったのだとわからせる。
『其処を退け! 貴様が其処に立つな!!
大人しく死んでいろ!!』
彼が生きていることも、其処に立っていることも忌々しかった。
現実を突き付けてくる。振り切った事だと思っていたのにまたその熱を呼び覚ましてくる。
戦女神のオルドヴァイユはこの状況を喜んだ。
しかし、そうじゃない部分が。
自分の中にある煮え切らないものがコウキを前に爆発する。
『やなこった! 俺はしつこいんだ!
ここを出るまで食らいついてやるからな!!』
『貴様人間では無くなったな!?
竜の臭いだ! 全身に血を浴びたな! 竜殺しになったのか!』
オルドヴァイユが切りかかってきた。その攻撃を受けて双剣でピタリと止めて見せる。
普通の人間の体重と力では無理だ。最低でも竜の加護がなければそれは出来ないだろう。
竜人か、竜になった。血を浴びたなら竜と見ていいだろう。彼女はそう判断した。
しかしイチガミコウキの不敵な笑みは変わらない。
グッと力を込めて押し返され、近くの同じような岩に着地する。
それはラジュエラと対峙するような気分だった。
『なってねぇよ!!
俺はシィルのお陰で強くなったけど“なりたいものになれ”って言われたんだ!!
俺は竜殺しじゃないし! 戦女神殺しでもない!』
彼は何も変わった様子はない。しかし強さから察するにやはり竜になった。それで間違いない。
その事実を理解してオルドヴァイユは苛立つ。
『どうして世界はこうもお前に味方する!?
お前を進ませようとする!!
貴様はなんなんだ!!!』
都合が良い事は何故起こるのか。
私を倒すための力を得た。竜ではないという彼は一体何になったのか。
シキガミという特殊な立場は自分たちの神性位に並ぶ。彼が竜の体――世界を超えた存在になったのなら、すでに自分と等しい。
突然出来上がったこんな無茶な状況に憤りを感じるのは当然のことだろう。
彼は戦女神の問に指をさした状態でちょっとだけ考えるような動作をして、すぐにニヤリと笑って剣の切っ先を向けた。
そして彼は笑い、高らかに叫ぶ。
この世界を変える存在の名前を。
『新式シキガミだ!』
彼の、単純なネーミングセンスで。
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