第250話『導いたものは運命』

 それは突然現れた。
 コウキの開けた穴の向こう側から歩いてきたその人が、神々の一人だということは簡単に理解できた。人知の及ぶ所でもなく、もちろん力でどうにかできるものでもない。
 目の前を通り過ぎた事に気がつく頃には、その槍が振り下ろされた後だった。
 その場に居た誰しもがそれをただ傍観するだけだった。仲間が殺される瞬間を、ただ黙認するだけだった。

 戦場でいくつもの死を見てきた。
 戦場を駆けるものとして別れは覚悟していたものだと笑う。
 長い月日を生きるものとしてそれは私達が当然見送るものだと笑う。

 その光景に真っ先に走ったのは、勿論赤茶の髪を逆立たせるように揺らして走りだしたアキである。まさに鬼のような形相だった。
「ああああああああああぁぁぁあああああ!!
 コウキさん!! コウキさん!!!」
 圧倒的力量差に怯まず、圧倒的な力に屈せず。その大きな剣を振るうその女性は、怒りに震えていた。
 戦う人間が我を忘れた結果どうなるか。
 自分に引き金を持たない人間が、他人に対して引き金を持った場合彼女のように突然化ける。彼女の高いポテンシャルが発揮される数少ない場面でもある。
 ただ、何がどうなろうと、どうにもならない実力を持った者が神なのである。
 彼女がいくら人として進化して、ありえない肉体ポテンシャルを引き出したとしても。

 ただ、その神の槍を使う者に届かないという事実に変わりがない。

 アキが渾身の力で投げた大牙は空を切った。最小限の動きで躱されたようだ。
 其処に突進した彼女の後ろに風のように回りこむと、黄金の槍が彼女の心臓を貫く。コウキの顔に真っ赤な血しぶきの跡が付いた。
「あ……あれ……あ、う、ご、ゴメンなさ……」
 最後に、自分の血で汚れた事を謝って、折り重なるように倒れる。

 ほんの数秒の出来事だった。

 本当にあっけない終わりだった。


「どうして……」

 全てを理解して、やっと言葉にした頃。
 その人が目を覚ましてしまった。
 薄く真紅の目を開けて、金色の髪を揺らす。

『危険分子の排除だ。
 神世界において、イチガミコウキは戦争状況の悪化を招く不安材料として認定された。
 可及的速やかに排除した。それだけだ』

「まだコウキは、神世界に行くと決めていない!!」

 ファーネリアが叫ぶがそれに全く動じない。

『いや。私に会いに来ただろう。
 だから先に終わらせただけだ。
 ここに答えはなく、永遠に答えは出ない。
 戦の先にのみ真実はある』

 戦神としては、そうなのだろう。戦いの結果が全てで戦いでのみの優劣で決めればいい。
 事実勝ったものだけが歴史を作るのはどの世界でも変わらない。

 その場にいる全員が言葉を失っていた。
 戦意すら起こらない。恐らくコウキの瀕死に反応できたアキだけが異常だったのだ。きっとそれを愛の力だと言うのだ。彼女は特にその傾向が強かった。
 彼女はコウキのために強くなっていた。竜人であるけれど、シキガミと並ぶためにあり得ないほど強くなってみせた。きっと彼女の愛ならば竜すら超えたのだろう。

「これが……こんなことが、神のするべきことか……!!」

 怒りに震えて、血管が切れそうだ。
 頭がこんなにも熱いのは初めてだ。
 戦において、仲間を殺されて逆上するのは禁忌だ。繰り返さないために冷静にならなければならない。
 それが無理な状態を作るのを作戦という。

 コレは作戦ではない。
 一方的な虐殺だ。

 歩き去るソレが光の中に戻っていく。
 食いしばった歯からだらりと血があふれた。

「フハハ……これでは、逆だ。
 貴方より、彼の方が神らしかった。
 どこまでも子供だったが、どこまでも勇気のある、誰にでも手を差し伸べる。
 そんな力を持った人間だった」

 振り返って、光に消えていくランバスティに手を伸ばす。
 このヴァンツェ・クライオンの血が叫ぶうちは。

『待て!!!』

 神言語を使って叫ぶ。
 その声が届かないわけがないが、足を止める様子を見せなかった。

「まってヴァンツェ!! その光の向こうに貴方は行けない!! 消えてしまう!!」

 そんな制止の声は聞こえない事になっていた。
 銀色の髪を翻して、大声で叫ぶ。

 光の中へ消えていくその人を見送る。
 また失った。
 終わったのに、全く終わりの無い戦いが始まっている。

「せめて、貴方達は!! わたくしが……!!」

 温度を失う二人を抱いて、最後の力を使う。別れを惜しむ暇もない。

 せめて感謝の一言を言いたかった。でも彼と彼女を救うために最速で術式を編み、肉体をあちらの世界のものにする。

 どうか、向こうの世界は。

 この二人を祝福してくれる世界であるようにと願って、抱えていた両手から二人の感触が消えても涙を流しながら自分を抱いた。




 白い光の割れ目に飛び込んで必死にその後姿を追った。
 何度も目の前が霞んだが叫ばなければ気が済まない。

『アンタは神じゃない!! 悪魔だ!!
 戦いで決めるってのはアンタのルールだろ!!
 絶対神にでもなったつもりか!!

 こんなのはオレが絶対に認めない!!』

 光の割れ目に踏み込む。
 強い光に目が潰れそうだ。
 それでも進む。アレを追って進む事が今唯一できる事。
 程なくして自分の手も足も見えない事に気づいた。
 完全に自分の形を失って、世界に霧散しかける。

『貴様こそ、何様のつもりだ。所詮人だろう。
 ここで何をしている。さっさと地に戻って本でも呼んでいろ。
 貴様に何かを決める権利は無い』

 怒りでどうにかなってしまいそうだった。
 頭がいたい。
 こんな馬鹿だったのかオレは。
 むしろ知性を全部力に変えて殴れたらどれだけ気持ちいいだろう。
 旧知の友人のように拳を振るえればどれだけ気持ちが和らぐだろう。

 思考する。思考する。
 そして、自分の形を思い出す。
 銀色の髪だった。青色の瞳だった。細い顔立ちだった。肉付きはそこそこ。筋肉質で長身だった。その世界にイメージする。
 自分の体はすぐに出来上がった。

 踏み込んだ神世界で、消えず形を持った。

 コレは自分が神だったからだろうか。
 ランバスティと上下の狂った空間に立って対峙する。
 途端に勝てない相手に見えなくなった。

 別に必要も無いのに呼吸をしてみた。
 また頭の回転が早くなる。
 どうやら自分は適応している上に、何故かこの世界の事をよく知っている気がする。

 鏡の中で神をやっている時とは違う感覚だ。
 コレは何だ? 自分のことを考えるようになると、自然とランバスティの事が視界に入らなくなってきた。視野がどんどん広がる。辺りには神々と呼ばれる数多の神が居た。
 みな興味有りげにこちらを見ていた。誰も何なのかわからない、イレギュラー。対峙する相手が我らが神に最も近い神。

 神世界では色々な知識が流れこんでくる。
 本当ならば頭がパンクしそうになるのだろうが、私には心地よかった。

 それは知っていることが流れてくるだけだったからだ。
 記憶が再生されるように。

『なんだ貴様、一体何をやっている……!』

 ランバスティがそう言って、こちらに槍を向ける。
 危機感を抱いた。が、身構えなかった。

 さきほどから不思議な現象に見舞われている。

 どうして私は、神世界に踏み込んで形を保っている?

 突然私は笑い出す。
 不自然なほど、陽気に笑い出す。

『そういうことか!
 ああ、そういうことだったか!!』

 そう叫んで笑い叫ぶ。

 ランバスティの表情が歪む。
 怒気に満ちた表情だった。


 知識が流れてくる。長年不明だった正体を明かしてくれたコウキに感謝しなくてはいけない。
 器の神々にも謝罪しなければいけない。

 言わなければ。


『ありがとう!! 私はここにいるぞ!!』

 ランバスティは目を見開いた。
 私が笑っていたからだろう。
 それとも私の声が、誰かに似ていたからだろう。

『貴様……!
 いや、ありえん!!
 ありえんぞ、私が切って捨てたんだぞ!!
 世界とも、時間ともしれない無限の彼方に!!

 何千年も前に置き去りにして!!

 消えただろう!!』

 戦慄を覚えた表情。
 途端にその矛先は揺れた。

 ボゥ、と自分の後ろから物凄い熱が通り過ぎた。ランバスティ自体に焔の円形武器が飛びかかる。
 炎月輪。ファーナが最後の力を使って、それを投げたのだろう。誰かと誰かを映したようなその武器はまっすぐにその戦神に向かって爆炎を巻き起こした。

『オオォォオオオオ!!!』

 焔を引き連れてその中から飛び出た時にはもう“見つけていた”。



 不在の“神”を――。



 神言預者とは、神の“声”と“言葉”を預かるものだ。
 まさにその通り、誰に付けられたとも知らないこの名は――最高神によって付けられたものだったのだ。
 それが伝わることもなく、広がることはなかった。

 世界に落ちて、旅をした。
 私の記憶は神に帰る。
 私の全ては神に還る。

『私は神言預者<ディヴォクス>!!

 今この声を!! 言葉を返します!!

 我が神よ!!!

 今その怒りを叫び給え!!!』

 時計の針がピッタリと十二時に合うときのように、全ての時がリセットされる感覚に似ていた。光の筋が幾重にも重なって高く伸びる。掲げた手の向こう側に吸い込まれるようにその光の収束点を見つめていた。

『やめろォォォオオ!!!』

 意識が溶ける。ヴァンツェ・クライオンはここで消える。後悔は無い。やっと本当の役割を見つけた。そしてソレが世界のために戦った友の為ならば、この命一つ消えることに躊躇など無い。
 ランバスティの槍は虚空を切った。存在しないものすら切れるその槍ですら届かない領域に全てが溶けた。


 全知全能の光を浴び、ひとつの意志と溶けた。
 心安らかに息をつく。
 こんなにも穏やかな目覚めがあっただろうか。

 神はその巨躯をゆっくりと持ち上げて立ち上がる。
 目の前には子供のように小さくなったランバスティが膝をついていた。

『馬鹿な……たった一人だぞ……世界のたった一人。
 偶然に偶然を重ねただけで、こんなことが……』

 それは自分より小さな存在だ。
 ヴァンツェ・クライオンの形を借りた存在で、銀色の髪がゆらゆらと揺らめいた。

 その場でその存在の大きさに圧倒されたランバスティは頭を垂れた。
 あの時と同じように、隙を付けばと槍を握る。そして、一歩足音が近づいた時に自らのすべての力を使って、はじけ飛ぶように槍を突き抜いた。

『オオオォォオオオオオ!!!』

 その早さは光の如く。その大きさは太陽の如く。

 ゴォッと途轍もない力が通り抜けた後に、変わらず銀色の髪が揺れた。

『それができる人間を、救世主と呼ぶのだ。

 貴様は永劫、

 地に暮らし、

 その罪を贖え!!』

 猫騙しをするように、巨体の男の目の前で手を叩いた。両手の隙間から溢れた光が斬線のように広がる。
 そしてその光はランバスティの体を突き抜ける。そして、彼の周りの全ての堕落が始まった。足元の空間から黒い粘液のような空間にドロドロと溶けていく。

『くそっ!! くそっ!! くそっ!!!
 今更出てきて、何が神だ!!
 偽物め!! 貴様など偽物だ!! 私こそが神!!!
 最高神オーディンの血を引く神たる器!! 神たる神ランバスティなるぞ!!
 混血の神がその地位に居ていいわけが無い!!
 世界が汚れる!! 私の世界だ!!』

 闇に飲まれて堕落していく様を見て、泣きそうになった。
 こんなにも滑稽な神だっただろうか。
 私がまだここで生きていた時は、もっと誇りがあったはずなのに。
 私の知らない何千年で、擦り切れてしまったのだろうか。
 この姿を見ると、人も神も変わらないと思う。

『そうだ……そうだな、私が死ぬことでその信じがたい馬鹿が治ればいいと思ったが……治ってはくれなかったか。
 せめて、温かい地に送ろう。私の友人の居る国の近くだ。冬は少し寒いが、人々は暖かく竜の鼓動が息づいた土地だ。助けあって質素に生きれば不自由は無い』

『あぁあぁああぁァア!!
 やめてくれ!! やめてくれ!!!
 その目を私に向けるな!! 憐れむな!!
 私はそんなものが欲しいのではない!!
 恨むぞ!! 恨むぞ我が神よ!!
 貴様の弱さが私を殺した!!
 貴様の脆さが世界を壊した!!
 後悔するな!!
 私はどこからでもその背中を狙っているぞ!!』

 ゴォ!!

 どす黒い闇に包まれて唐突に宙に放り出される。そしてランバスティを包んだ闇は一直線に下へと落ちていく。
 恨み事が聞こえたが、すぐに静かになった。離反を考え絶対神になろうとした神は何千年もその悲願を達成出来ず、ついに訪れないと思っていた偶然に身を滅ぼす事になった。
 両手を見て、そして喉に手を当てる。久しぶりの声と言葉にまた涙が出てきた。

 神世界に空いた穴の近くに歩み寄る。
 よくこんなことをやってくれたものだ、と感心した。

 一人の男が開けた風穴が世界を変えた。

 その偉業に、手向けられるものは――。

『拍手を。
 敬意を持って。心から感謝の意を込めて。

 ただ拍手を贈ろう』

 始まった世界に響く拍手。
 去り行く者に贈られる。
 それが彼の耳に届く事はなかった。
 その事実は誰に知られることも無かった。

 ただただ、無限の時間の伝説として一つ語られる物語となった。








「ふへぁっ」

 体が痛くない。多分野宿じゃないってこと。かなりマヌケな声に自分で驚いて起き上がった。
 起き上がってすぐに長いものが胸に突き刺さっている感触を思い出して呼吸が乱れる。
 そんな傷跡は無いし、痛いと思ったのは気のせいだった事にほっとする。
 妙にボゥっとする頭を振って辺りを確認した。
 どこの宿に泊まったんだっけ。こんなに意識がはっきりしないのもかなり久しぶりのことである。

 目が冷めてきて、血の気が引いた。
 見覚えがある部屋だったからだ。

 この部屋には窓が無い。マンションの五階の真ん中の部屋で、家賃は大家の厚意により激安。

 壱神幸輝と幸菜の暮らす集合住宅の一部屋だ。

「あ、あれ!? 嘘だろ!?」

 布団は確かに俺の布団だ。今日が土曜か日曜なら干さなければいけない。
 ただこの生活とは一旦別れを告げたはずだ。
 この世界にもう俺の場所は無いはずだ。

 しかし俺は赤いコートではない。いつもパジャマにしている黒いスウェットだ。普通に寝ていたようである。
 あれが全て夢なのか?
 本当に夢の中で、ファーナやヴァンが拍手をしていたのを覚えている。まるでオーケストラが終わった時みたいな壮大な拍手が聞こえた。
 いや、嘘だろ!? 嘘だろ!!
 こんな終わり方は嫌だ。どうなったんだ!
 でも一般人に戻った上にスウェットの俺に何ができるか。割りと何もできないぞ。

 ベッドから降りようと、して手をつくと人の感触がした。
 どうやら隣に誰かいる。多分姉ちゃんだと思った。
 寒いと人の布団に勝手に潜り込んでくる。大体俺の方が寝るのが早いので風呂あがりなんかに潜り込んでくるのは知っているが、起きるのが面倒なのでわざわざ出て行けとも言わない。

「ンぅ……ハキレ……サァク。
 ハァメントー」

「はい?」


 予想していたのと全然違った。思っても見ない所で俺があの世界と関係していた事をしめす証拠が現れた。
 そもそも全然言葉が通じないようだ。

 ゴシゴシと眠そうに目を擦って、首をかしげた。
 とりあえず現状を見てもらわなきゃいけない。

 俺は彼女の手を持って、部屋を出る。
 その間も彼女は何か話しかけてきていたが、理解できる言葉じゃなかった。
 多分どこに行くんだとかそんな感じだとは思うのだけれど。

 ベランダを開けて、鉄筋コンクリートのマンションの立ち並ぶ光景と、小高い丘から見下ろせるたくさんの建物群の光景を見せる。
 冬だから冷え込んでいて寒かった。

 しかし暑いとか寒いとかそんな事よりも目の前の光景が信じられなくて、彼女がキョロキョロと見回して、指をさす。
 アレは何か、アレは何かと聞いてきているのだ。

「あぁ、ええと。うん。
 とりあえずさ、ようこそ俺の故郷へ!!」

 俺がしゃべると、彼女も言葉が通じていない事に気づいたようだ。
 慌てていろいろとまくし立てるが結局言葉はわからない。
 でも長い時間を一緒に過ごしたから、結構身振り手振りで分かってしまうものだ。

 きっともうあの世界の俺達とは違う。
 はじめまして代わりに。

 ベランダで二人で握手をした。

 彼女はへにゃっと笑って両手で俺の手を握ると、そっと一つ涙を零した。


 青い空に流れる雲は穏やか。
 平和な地球の果てで俺達は笑った。
 ここから始まる新しい話がどうなるかは分からない。
 それでも――あの拍手が。明るい未来の始まりの合図だと信じて。

 また、新しい生を歩む。

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