閑話.『竜士が往く! 4』
僕ができる事は何だろうなぁ。モゾモゾと動きながら冷たい床を探す。
あまり動くと掃除されていない箇所の埃を貰う事になってしまい、それをすると竜人様にお風呂に連れて行かれてしまう。でも窓際は暑い。こんな時だけ毛の短い他の種類が羨ましいと思う。
カーバンクルは基本的に季節と実りのある場所を住処にする。冬場でも動き回って鳥や魚を取ったりするが、夏場は逆に水場近くで涼んで動かなかったりしている事が多い。
何が言いたいのかと言うと、僕は涼しい場所に居たい。ただそれだけなんです。
竜人様は、お仕事に出かけた。どうやらこのお家の仕事の手伝いらしくてお客さんの呼び込みだそうだ。僕の出る幕ではない。
窓を開けていってくれているので、いつでも出入りは可能だ。姿を消せば別に町を歩いてもいい。竜人様を見に行ってもいいけれどさっきはナンパされてた。
やっぱり何処かへ行こう。
色々聞いておけばもしかして竜人様の役に立てるかもしれない。
そう思ってくるっと振り返る時に丁度此方を向いている鏡に僕の額の石が反射した。そしてそのまま鏡に姿が映らなくなる。
ああ、でもまぁ、こうやって外の屋根を飛び回るぐらいの方が風を感じられて涼しいかもしれない。
人の動きを身ながらとりあえず竜人様の所を覗いて見る。一生懸命声を張っているが見向きもしてくれない。
人って見はするけど興味を持ってくれないことが多い。仕事してるってわかると特に少ない。
師匠には良くない人が近づくなら追い払ってあげてって言われてるけど、今は逆に邪魔をしてはいけない。
とりあえず屋根を飛び移りながら、色々と見て回る。
獣人街って呼ばれてる方と大通りって呼ばれてるところの境目は突然現れる。
獣人街の子供達は今日は上の広場ではなく下の広場で遊んでるみたいだ。
こっちの広場は人が少なくてとてもいい遊び場になっている。
ふと、獣人街を挟んだ壁の向こうでその様子を覗き見る大通り側の子達が居た。
――僕に出来ることって、無い。
もし師匠なら、声をかけて一緒に遊ぶんだと思う。でも僕には声が無いから――。
「カウ!」
「あ……犬?」
「カゥ!」
僕が立っているところに来ると、獣人街である。
誘い込もう、と思った。
例え僕が喋れなくても、あの子は喋れる。もっと手伝えるなら理想的だけれど。
「かわいい……」
そう言いながら、その子は境界を越えた。近づいてくるその子に合わせて、僕は少しずつ広場へ逃げよう。
そう思って振り返った時には、広場には誰も居なかった。
「あ……」
もう、誰も居ない。
楽しそうに駆け回っていた子供達の影は無く、静かな広場に風が吹いただけだった。
「うぅ……おいで……? あそぼ?」
それは僕じゃなくて。
あの子達に言いたかった言葉じゃないのだろうか。
人間が獣人を怖いように獣人も人が怖い。でも同じ言葉が話せるじゃないか。話し合って分かり合う事ができる。もっと近づくことができれば……。
それはやっぱり、僕には出来ない事なのか――。
「グルルルル……!」
なんだかお怒りの声が聞こえて、僕は振り返る。
僕よりずっと体の大きな犬……この辺りを縄張りにする犬のようだ。
僕が勝手に踏み込んできた事に怒っている。
そんなに怒らないでよ。僕は直ぐにいなくなるから。
僕がそんな態度でも、向こうは気に入らないらしい。
あと、この子が僕を抱えてしまったせいで僕は身動きが取れない。子供って意外と抱きこむ力があるから、割と苦しかったりする。
「ガゥ!!」
此方に向かって強く吠えた。
今のは威嚇と――仲間を呼んだ!
これはまずい! 離して! ぐにぐにもがいてみるけど、姿勢が悪化して余計苦しくなっただけだ。
「う、う……! や、やめろ! あっちいけ!」
「ガゥ!!」
一斉に、此方へ向かって飛び掛ってくる。
これは拙い!
壁を――
「いっけえええ!!」
一斉に飛び掛る勇気は、誰を模したのか。まるで戦いに出た大人たちのように勇ましい。彼等は逞しく育っている。
獣人の子だって、大きな野良犬は怖いだろうに――ああ、居なくなったのはそういうことだろうか。犬が去るまで待とうと隠れたのに、わざわざ此処まで来たのか。
「キャウン!?」
「ガフッ!!」
小粒の石が沢山飛び交う。危ないのをいくつか小さい壁で弾いておいて、それでも結構な数が当たった。
「どっかいけ野良犬ー!」
この子を背にして四人が守るように囲む。
石を投げられた犬は溜まらずその場を去っていった。あんまり悪さしないようにしないとダメだよね。
僕を抱きとめている子は唖然としながらその子達を見る。獣人の子供達はその子を見て、大丈夫? と声をかけた。
「うん……ありがとう」
「あいつ、最近噛み付いて来るんだ!」
「だから、みんなあいつが来たら隠れるの!」
「そうなんだ……僕、こっちきたことなくて、わかんなくて」
「獣人街へ?」
「う、うん……」
「大人はみんな意気地なしだからな!
お前はやるな! 強い人間はコウキのにーちゃん達ぐらいだ!」
「にーちゃんはもっと強いよ! 剣二つあるんだぞ!」
「いいや、アルベントの方が強い!」
本格的に苦しくなってきたのでわりと本気でもがいて腕を抜ける。ぶるぶると毛並みを整えると少年達と目があった。
「あっ! ルーメンだ!」
「ルー!」
獣人街の子供達には一通り知れ渡ってしまったと思う。ここに来た初日は子供達に沢山触られた。
「ルーメンって言うんだ……」
「お前は?」
「え、僕は……フリック」
「そっか! 一緒に遊ぼうぜフリック!」
「……! うん、遊ぼ!」
手を差し出されて、それに一瞬驚いたが、彼は直ぐに笑顔になってその手を握った。
「あれっルーが居ない!」
「ホントだ! 逃げ足速いなぁ」
僕が出来る事は無い。
ただ足を進ませる手助けをするだけ。
その勇気の手助けをできるっていうのも、師匠に近づけたって事かなぁ。
「何するー?」
「イチガミ流正義の味方ごっこ!」
「な、何それ!?」
仲良くなれそうで何よりである。ああ、そうだ。見回りをしないと。町の地形を細かく覚えるのもいいかもしれない。皆は大通りは覚えるが細い道がどこに繋がっている近道なのかわかれば、町はとても歩きやすくなるものだ。
って、あれ。
塀の向こうにはまだ此方を覗いてる子が居た。
また僕が必要かなぁ、と思ったけれど。
「……! 一緒に、遊ぼう!」
手を差し出す勇気は、きっと皆に伝染するんだ。小さな切っ掛けにでもなれれば、僕は嬉しい。戻ったらきっと師匠が褒めてくれる。うん。
尻尾を一振りして、大通りへと足を向けた。
お風呂は嫌いだ。唯一安心して入れるのはグラネダの神殿のお風呂で、お湯が流れ出る浅い溝のような所に入れてもらえるからだ。耳や鼻や目が侵されることは無い。
あとは師匠なら、僕の言葉を聞いて手加減してくれる。他の人は手加減というものを知らないんじゃないかって言うぐらいわしゃわしゃ洗ってくる。
だから嫌いだ。嫌いだー!
「はいルーちゃん逃げないのー」
『許してください! 許してください!』
「だめですよー。今日は暑かったですし、ルーちゃんもドロドロだし!」
こんな時だけ、言葉の意味が通じる。僕に出来ることは何かあるだろうか。ついに何も無い。ただもがくだけである。
抵抗は意味がある相手と、無い相手がいる。竜人様は後者だ。まったく歯が立たないという体を成している。
『せめて! せめて耳の周りに石鹸つけないでください! あと鼻も!』
「しっかり洗っちゃいますよ〜」
ああ、師匠! 僕はどうしたら!
この大事な事を伝えられるでしょうか!
泡立つタライに放り込まれながら思う。それがきっとこれからの課題だ。
がんばれ僕! カゥ!
夜は涼しい。驚く程この地域は寒暖の差が激しい。夜は竜人様と一緒に寝る。それを考えれば僕が洗われるのは当然かもしれない。
「さ、明日も早いし、寝よっかルーちゃん」
「キュー」
「今日は疲れたなー」
「キュッ」
「……今日はね、剣作ってもらえる事になったんです。
後は新しい剣がどれだけ掛かるか……」
『早く戻れるといいですね』
「早く戻りたいね」
僕が言った言葉はわかっていないけれど、気持ちは一緒だった。
「……ちょっと、寂しいね」
ちょっとだけ竜人様が零した、寂しいという言葉。
それは、二人に会えなくて寂しいのか。
それとも、師匠に会えなくて寂しいのか。
僕にその真意は測れない。でも竜人様って、絶対師匠好きだよね。
こっそり寝かせる法術を掛けながら、まどろみ出した竜人様を見て思う。
せめて幸せな夢を見れることを祈るばかりだ。
「……ひ、ひゃああ!?」
朝方、びくんと目を覚ましたのは竜人様の悲鳴を聞いたからだ。
「あ、は……夢……か……」
何か良くない夢でも見たのだろうか。汗びっしょりである。師匠もこんな感じだったことがあるなぁ。なんか三割がどうとか言ってたけど。
「キュ?」
「えへ? あ、うん、なんでもないよ。なんでもないの、ホント。夢みててちょっと驚いただけ。うん、オハヨ」
良くわからないがやっぱり夢がよくなかったらしい。僕が一緒に寝ると良くない夢を見させてしまうのだろうか。
あ、耳が痒い。
「良くないっていうか、変っていうか……うん……不満なのかなわたし……」
ガシガシやってるうちにブツブツと何か言っていたようだが、顔を洗いに行こうと起き上がって行ってしまった。
布団の暖かさが心地よいので僕はもう少し寝ていよう。そう思ってまたベッドの端で丸まった。
それから一週間は一気に過ぎ去った。何も無かったと言ったほうがいいのだろうか。竜人様は店番、その後は勇者様と鍛錬して疲れて就寝。そんな一週間。
僕は子供達にもみくしゃにされたりしながら一緒に遊んでた。こんなので良いんだろうか。でも取り合えず町の子はみんな仲良しになった。流石に数十人に追い回されるのは辛いけど、結構楽しかった。
一週間が過ぎた朝。いつも通り、竜人様が目を覚ました。
何となく朝から緊張した面持ちで、お早うと一言言ってから顔を洗いに行く。その日は僕もすぐに起きて、床で身体を伸ばしていた。あ、耳痒い。
興味が湧いてちょっとだけ工房を見に行ってみた。
大きなイビキが聞こえてきて、鍛冶屋さんは寝ているようだった。
寝かせてあげるべきだ、と竜人様は優しいから言うだろう。恐らく完成品であろう剣は、作業台の上に置かれていてシートで隠されていた。
竜人様も準備が終わったらすぐ此処を訪れるだろう。だからそれまでは――鍛冶屋さんは寝ていてもらおう。剣の完成を待っていたのは竜人様だけじゃない。
竜人様がひょっこりと顔を出して工房を覗き込んできたのにあわせて、僕が鍛冶屋さんをぐいぐいと押してみたり髭辺りをペロペロと舐めて見たりした。なんかしょっぱい。
「あ、ルーちゃん、悪いよそんな事しちゃ――」
「……ん……? ああ、お早うアキちゃん。
すまんね、さすがに寝てたわ!」
「すみません、起こしてしまって」
「いいんだよ、自分の物になる剣を早く見たいってのは誰だって同じだろ。
約束通り、モノは出来たぜ――見てくれよ」
工房からは夜中も音が聞こえてきていた。
鍛冶屋さんの言葉に竜人様が息を呑む。テーブルの上にかけられていたシーツがばっと剥ぎ取られ――ついに彼女の剣が、ついに持ち主と出会った。
元々は十字架剣という灰色基調の剣だった彼女の目の前には黒鉄一色の見た目通りの重さを伴った剣が現れた。
「銘は貰ってないが、この大剣の名前は黒豹・大牙だ。黒豹はオレのシリーズな。カッコイイだろ?
持って見てくれ、あと重心なんかの要望も聞くぜ」
黒い刀身ではあるが、刃は研ぎ澄まされて光に当たると灰色に近い色で見える。
手を伸ばしてグッとその剣を持ち上げる竜人様。相変わらず出鱈目な腕力だ。普段からも強いが竜人の力として大きく効果が出るのは剣を持つ時や戦う時と言うけれど、僕はアレの下敷きになったらぺったんこになれる自信がある。
「大牙<タイガ>……」
「豹だけとダイガー! なんつって! はははは!」
自分で言って爆笑した後、自分の後ろの椅子につっかかって盛大にこけた。鍛冶屋さんが限界だ。
「だ、大丈夫ですか……?」
「ああ……流石に、今日は寝るわ……。店番、チップに頼んどいてくれ……」
「はい! あの、有難う御座います!」
「……いいってこった。恩人のダチなんだ。
それに、今週は今までで一番の売上だしな。感謝すんのはオレのほうだなっはは!
あぁ、そうだ。その剣は今術式ラインが書かれてないんだ。いい術士が居たら書いてもらいな」
「あ、そうだったんですか。ちなみにアルベントさんのは?」
「ありゃ確かなんかヨボヨボのじいちゃんが書いてくれたんだ。名前は確か……リードレックとか言ってたっけ。
あっちの村の時に道端で倒れててなぁ。しょうがないんで連れて帰って看病したんだが、礼にって勝手に書き込んで帰ったんだわ。
あれ以来会ってねぇが、そのあと命名貰う大騒ぎになってな。すげー爺さんだったんだ多分」
「そ、そうだったんですか」
「そうそう。アキちゃんもスゲー術士が知り合いに居るんだろ? 書いてもらったら元が良いから命名されっかもな!」
ぱっと思い浮かぶ大術士。大神官様に違いない。竜人様はそうします、と笑ってもう一度礼を言った。
そしてフラフラと去っていく鍛冶屋さんを見送る。この一週間は殆ど寝ていなかったらしい。
竜人様は嬉々としてその剣を見て、置いてあった鞘に仕舞った。
「――よし。ルーちゃんいこっか。修行しながらクロスセラスだね」
ギッと皮が鳴ってその重さを訴える。その剣を背負い込んで、一度真っ直ぐ立った。凛々しい冒険者、と言っていいと僕は思う。クロスセラスまではここから一週間弱。往復を考えると一週間だけ滞在できる。ただあちらの方が大きい所なので色んな依頼が来ているだろうと踏んでの事だ。
決意に満ちた竜人様の瞳は、これから進もうとする道を見据えていたのか、遠くを見ていたような気がした。
これから数週間、戦女神杯まではひたすら剣に慣れる為に仕事を請ける。
多分自分から辛い仕事に身を投げるつもりだろう。
僕は彼女に最低限の保護と最低限の命の保障を頼むと言われた。元々師匠に頼まれている分もある。それに頷いてただひたすら走って竜の道を登る彼女を追いかけることにした。
敗走する事十回。
瀕死になる事二回。怪我自体はいくつ負ったのかわからない。それでも血の流れない日は無かった。
クロスセラスに到着するまでにこなした依頼は、なんと一週間で二十四件である。たった一人の成績にしては優秀過ぎのやりすぎもいいところだ。クロスセラスに着いたボロボロのアキは今までに見たことの無いような酷い顔をしていた。
あの優しい顔をしていたアキが、人に恐れられるほど自分を追い詰めた。
その使命感の強さは尋常ではない。そしてそれを成し遂げた思いの強さもまた異常である。
そのお陰でクロスセラスの門で止められついに町に入ることも出来なかった。町外れの道でついに、アキは倒れた。
傍に居た幻獣の悲痛な遠吠えが辺りに響いた――。
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