閑話.『竜士が往く! 7』

「ワイバーンってそういえば超高レベルの依頼だよね。
 なんたってお城に行くレベルだし」
「もう国もいくつか対ワイバーン兵器の設置を始めたって新聞で読みましたよ」
「そっか。まぁでもそれでも一つ一つ大きな攻城兵器みたいなのを作ってたら時間掛かるよね」
「カゥー」
「ルーちゃんは知ってる? ワイバーン」
「キュー……」
「そっか。でも、なんかね、今なら大丈夫な気がするんだー」
「カゥ」

「アイシェ! ルーちゃん! 伏せて!」

 ブワァッッ!!

 台風が訪れたかと思うような荒い風が吹いて、視界の自由を奪う。頭上は雲が太陽を覆い隠したかのように暗くなった。
 ワイバーンが頭上を一気に通り過ぎた。ルーちゃんは元々小さいから伏せてって言う必要は無かったかも。でも立っていたら風に転がされてしまっていただろう。それだけ風が強かった。
 咄嗟にしゃがんでつかまれる事は回避したが、いきなり嵐のように現れたそのモンスターは一気に遠くへと飛び去って旋回する。

 なんて自由で爽快なモンスターなのだろうか。
 緑で一杯の丘の上に立って思う。
 青い空と白い雲。もし叶うならこんな場所に一度皆で集まってピクニックしたり、キャンプしたりしたい。
 吹き抜ける爽快な風に乗るワイバーンさえ居なければ。

 この世界ではもっともドラゴンに似たモンスターである事で有名なワイバーンは毒怪鳥と呼ばれ、大体四・五メートル。勿論つめ先には毒があると言われていて、現在その治療が出来るようになったのはグラネダと協力関係にある国だけだ。
 だけどグレートワイバーンは更に少ない種類で体調は一番小さいもので十メートル程度。そう一番小さくてだ。

「カゥーーー!?」
「きゃあああ!?」
「大きいのがいるね!
 三十メートルはあるかなー!?」

 まさに、ドラゴン級である。
 しかもワイバーンは飛行速度が風のように速いのである。
 空中戦なんて挑もうものならひとたまりも無い。

 シルストリアに行こうと歩みだしたわたしが何故没にしたはずのグレートワイバーン退治に来たかと言うと、再び旅立とうと言う早朝に起きたある事のせいである。



 乾いた砂利道は子気味良い音を立てて歩ける。わたしは好きだが、ルーちゃんは大粒の石が沢山ある場所は嫌と通訳されていた事がある。足が小さいから微妙にはまりやすいのだろう。金色毛並みは道路脇で小刻みに揺れている。
 目の前を歩く人影を見て、どう挨拶すべきかどうかを悩む。お年寄りの朝は早い。それはサイカの村に居た時に毎朝の散歩の時間がやたら早いお爺さんが居たのがそう思わせられているだけかもしれないけれど。
 どうやらご年配の人ではないらしいと気付いて、逆に興味が湧く。朝早くから仕事だろうか。それならとても感心なのだけれど。
「お早う御座いまーす」
「ひゃ!? あ、あの、お早う御座います……!」
 突然声をかけた為驚かれてしまった。
 挨拶に驚くってあるのか。それは田舎思考をしているからかもしれないが。
「あ、驚かせてちゃったみたいですみません、お仕事ですか? 朝から大変ですね」
「いえ、その……!」
 線の細い声をしたその人は私よりも幾分か年下のように見える。ファーナぐらいかな、と思いながら田舎ではそのぐらいで働く子は居るので不思議には思わなかった。
「じゃ、お仕事頑張ってくださいね」
 颯爽とその場から立ち去ろうとする。
 挨拶は良いことだって思っているから物怖じはしないでいいと良いながらファーナがサイカの村で挨拶をしていたら村の皆が物凄く腰が低くて面白かった思い出がある。一通り挨拶が終わるとおじいさんおばあさん達に囲まれて祈られていた。リージェ様というのはやはり凄い人なんだなぁと思ったわけである。
「……あああの! 待ってください!」
 後ろから慌ててわたしを追いかけるような声がした。顔だけで振り返って、彼女が一生懸命此方へ追いつこうとしているみたいだったので足を止めて振り返った。
「はい?」
「アキ様ですか!」
 そう言った彼女はわたしの傍まで来て祈るように手を合わせてわたしを見上げた。
「はぁ、あの……」
 別に拝まれるような事はしていないとまた説明しないといけないのだろうか。
 そういえばわたしもコウキさんにやってしまったけど、こういう気分だったのだろうか。
 わたしが考え込んでいる間に、彼女に袖を掴まれた。
「た、助けてください! ディオが!」
 栗毛のセミロングの髪に病的に白い肌をした愛らしい小顔で、淡い紫色の入った目がわたしを見上げた。可愛い少女と言えるその子は、どうやら目か足が悪いようで杖を持っていた。わたしを掴んだ事で、その杖がカランと音を立てて地面へ倒れる。
「え、ええっ? あの落ち着いてっちょっと色々話が見えなくて……」
「あの、私……っえと、アンシェル・ウェルターと言います」
「アンシェルちゃんね……ウェルターって、チャックさんとシンシアさんの?」
 そういえばもやっとウチの娘にも会って行ってやってくれと言われたような気がする。けど積もる話の方が多くて色々話しているうちに夜になってしまったので、また寄った時にと流してしまった。
 彼女がそのウィルター夫妻の子。言われて見ればシンシアさんに似ているような気がする。かといってチャックさんにはあまりにていない。
「あ、はい。私の父と母です」
 自分に手を当てて彼女は頷いた。サラサラとした栗色の髪が揺れる。
「なるほど。で、ディオがどうしたんですか?」
「はい……その、ワイバーンを倒すって出て行っちゃって」
「……別に放っておいたら帰って来るんじゃないですか?」
 正直に言えばわたしの中の彼の好感度はかなり低い。それも手伝って冷たい物言いをしてしまった。彼女には全く関係無い事だというのに、彼女にも冷たく当たってしまったように思う。
 しかし男の子は何時も無茶をするものだと思う。死んでしまえば馬鹿だったと言えるが生きて居なければ価値を得る事はできない。だから死ぬほど無茶な事をするとは思っては居ないのだが、どうだろうか。
「そんな……、その! グレートワイバーンは強いんです! 先日も竜士が二人食べられてて……!」
「それも聞きましたね。無理なら帰って来ると思いますよ?」
 あの子の事は良くわからないが――。わたしが殴った時はすぐに剣を返してきたし、冷静になればちゃんと逃げ時の判断はできるはずだ。
 わたしの言葉にアイシェはブンブンと首を振った。
「違うんです! ただ力試しに行ったんじゃないんです! ……私のせいなんです……っ」
「アンシェルちゃんのせい……?」
「私、足が悪くて……。グラネダに行けば治せるらしいんですが、治療費とか、高くて……。
 でもグレートワイバーンを倒せば手に入れられる懸賞金で足りるって、最近妙に強くなりたがってて……。
 王国軍に倒されるからぐずぐずしてられないって、さっきアスリドの渓谷に向かって行っちゃって……」

 ――なるほど、と手を打ちたくなった。
 彼はこの子を助ける為に躍起になっていたようだ。私の剣を手に入れてはしゃいだのはグレートワイバーンの首を落とすに値する剣を手に入れられたからだろう。それを扱う腕は無いようだったけれど。
 あの子は苦手だ。あんなに失礼を働かれて良い印象を持てているわけが無い。同じ十五でもアイリス様がいかに出来ている人なのかを考えさせられる。オセレッタさんがエルフ基準で育てているのかもしれないが礼儀礼節は子供のうちからしっかりやらせるべきだ。ふと厳しいと思っていた昔の父を思い出す。ああいう態度をしていたらたぶん頭にいくつかタンコブができているだろう。

「なるほど……彼女を助ける為にかぁ。カッコいいね」
「か、彼女じゃないです! その、お隣さんだから……っ!
 口は悪いけど、悪い人じゃないんです!」

 なんだ――良い子じゃないか。
 彼女の為に盗人にでもなってやろうという意気込み、ああ、あのわたしの仇ではあるけど熱血剣士さんが居れば無償で手伝ってくれたかもしれない。ああも熱量だけで生きられるなら、どの世界も随分と楽しいだろう。

「うん! 感動したー!」

 ビクッとその子が慄いた。大声で言って両手を組んで頷く。
「あ、ごめん。とある人の真似だったんだけど、知らないよね」
「と、とある人……?」
「グラディウス様だよ」
「アキ様って凄い人とお知り合いなんですね」
「あんまり良い縁じゃないんだけどね〜。
 所で、そのアキ様って言うのやめない?」
「では、なんとお呼びすればいいでしょうか」
 栗毛で丸顔の彼女がつぶらな瞳を此方に向けて首を傾げた。
 アキ様でなければ何でも良いのだが――彼女の名前をふと思い出す。
「アンシェル」
「はい?」
「知ってる? 私達竜士の子って神話から名前を取る事が多いんだって」
 かつての旅の途中に銀色のエルフが戯れに話してくれた事を辿る。雑談の中の他愛のない知識が誰かを繋ぐ。
「泉の女神シルビアの娘、アキ、アンシェル、アイルって居るらしいの。わたし達の名前はそこからきてると思うんだけど――それだとわたしがお姉ちゃんだねっ」
 ビッと親指を立ててアピールしてみると、おずおずと同じポーズになって彼女が言う。
「アキ、お姉ちゃん……?」
 うわあ、可愛い。白い顔がほんのり赤く染まって、仄かに照れている彼女が堪らなく可愛いと思ってしまった。
「うん、それで!」
 コウキさんやファーナよりは年上なのにも関わらずわたしは遠慮してばかりで何となく対等である。別にその事を気にする程でもないが、ファーナとアイリス様みたいに仲の良い姉妹をいいなぁと思うことはあった。
「ええっ!? いや、でもっ」
「あはは! あと危ないからお家に戻っててね。ちゃんと連れて帰って来るから」
「……あの、私も行きたいんです」
「ええ!? それは危ないよ。だって身体悪いんでしょ?」
「ディオは……その、言う事聞いてくれないので。
 いつも私が死んでやるーって冗談を言うと聞いてくれるんですけど」
「それ本気にとらえられてるよね……」
「お願いします、私も連れて行ってください……アキお姉ちゃん!」
「でも……」
「お願いしますっ! ディオに何かあったら私……!」

 彼女の目は真剣である。私に訴えかけてくる目は少し涙を帯びてわたしの良心を掴んで離さない。
 彼女を連れて行くのは実は問題ではない。ルーちゃんが居る為、怪我をしていようが歩けなかろうが連れて行く事は可能だ。
「お願いします! 私をディオの元へ連れて行ってください……!」
 確かにわたしが口で止められるかと聞かれれば、無理と一言で言い返せる。まず人の話を聞かないという致命的な欠点がある。彼女の話を聞く限り、剣の事はもう諦めてとっととワイバーン狩りに旅立ったのだろう。無鉄砲にも程があると言いたくなる。
「まぁあの子も大概無鉄砲だと思うけど、アンシェルもそうだよねぇ……。
 でも危ないし。自分の身が自分で守れないなら旅になんか出ないほうがいいよ?」
 個としての実力は重視されるべきである。わたしは別に仕事でこれを請け負うわけじゃないから余計な手間が増えるならそれは避けたい。
 色々危険な事があるのは分かっている。それは何も町の外だけじゃない。コウキさんたちと一緒に居る時だって結構酒場では女というだけで冷かされたりもした。
「だ、大丈夫です……!」
 なかなか頼りない返事である。へっぽこ全盛期だった自分と勝るとも劣らない空気だ。
 しかし、何をもって大丈夫だと言ったのだろうか。
「本当に?」
「は、はいっ!」

 返事を聞いてからすぐ、背中の剣に手をかけた。彼女を覆う影はわたしが立っているだけでできるが、その影よりもさらに長く大牙の影が伸びる。
 その剣を重さに任せて振り下ろした。もちろん彼女に向かってである。これが避けられないならそもそも無理である。足が悪いのも分かっているが、そのアドバンテージは旅をするに当たって一番の痛手だ。それを持って敵だらけの外界へ身を投じようと言うならそれ相応の技量が必要だ。
 勿論試すだけだ。彼女に当てる直前で止めようとは思う。わたしはその時目を疑う。

 足が使えない彼女がいかにしてその攻撃を防いだか。

 剣速は遅かった。とはいえ、一瞬で行った彼女の行動は目を見張る物があった。まず驚いたのはアルマの具現化、つまりはアウフェロクロスのような武器を持っていたということ。
 ヒュゥっと細い腕を一閃して5歩ほど横に言った場所にある柵にキラリと光るワイヤーを引っ掛けた。先端には掌を広げたぐらいの彼女が持てば大きく見えるナイフが見えた。
 剣をわたしが止めたときには、すでにその場所に彼女の姿は無く、自らの腕の力でワイヤーを引いて見事にわたしから距離を取った。
 そしてさらに顔を上げたわたしの横を鋭い音が通り過ぎる。咄嗟に少し顎を引いたせいで当たらなかったがかなり近い位置を通ったそれはスパァンッ! と勢い良く私の後ろ側の木に刺さって少しだけ揺れた。
「び、ビックリしました!」
 と行ったのは柵に手を当てて何とかバランスを保つ栗毛の少女。
「……うん。それわたしの台詞かなっ!
 でも凄い、さすがチャックさんの娘さんだよね」
 両手の人差し指の指輪が彼女のアルマのようで、その二つともが切れ味の良いナイフを持っているようである。アウフェロクロスと同じ自分のマナの続く限り繋げられるワイヤー付き。しかも結構速い。
「どうですかっ? が、頑張って足手纏いにはなりませんから……!」
 彼女が頭を下げると、ドシャっと勢いで土下座するような形になった。
 別にそこまでさせるつもりは無く、わたしは彼女に手を差し出す。
「うん。一緒にいこっか」
 顔を上げてパァッと笑顔を見せた。
 わたしがこうやって手を差し伸べる側になれるのはわたしが成長した証だろうと思う。
 それにしても皆もわたしが始めてベアと戦って見せた時はこんな気分だったのかなぁと思う。見ず知らずの子がいきなりある種の熟練した戦闘を魅せてくると背中にいやな汗をかく。なんだろう、やってる事に無駄が無くてわたしがあの年頃に振り回していた剣よりは随分と精錬されたもののように映る。
 武器のアドバンテージがかなりあるが、足の事を考えると瞬時に取れる距離とナイフを投げる速さと正確さはかなり訓練されたものだ。
「あ、有難う御座います……っ」
 彼女はホッと胸を撫で下ろして武器を仕舞う。わたしは杖を拾って彼女に渡すと、ガジガジと耳の裏を掻いていたルーちゃんを振り返った。
「よし、ルーちゃん運んであげてくれる?」
「カゥ!」
 ルーちゃんの額の石がキラリと光る。そして彼女の周りに休憩の赤い壁が出来上がった。それがふわりと浮き上がってルーちゃんの傍に浮かび上がる。
「えっ!? わっ」
「それじゃ、早く追いつこっか!
 愛しの彼に!」
「は、はいっ! あれっ違いますよっ! 彼じゃないです! あと何ですかこれっ!?」
 色々な事に困惑しながら頑なに否定する辺りが、とても怪しい。というか、彼の為に足を引き摺ってでもその人を追いかけようと言うのだ。生半可な想いがあるわけではないと思う。彼女の足が治れば確かに良い竜士になれる。
「そっか。そうだよね。まだ違うんだよね」
 まだね、と強調すると彼女はわたしから目をそらして口をつぐんだ。顔は赤い球体も手伝って文字通り真っ赤に見える。
「ねぇねぇ、ディオ君ってどんな子? これから一緒に旅するんだし教えてくれないかなぁ?」
「意地悪はやめて欲しいです……アキお姉ちゃん……」
 妹の恋路ならば姉が協力して然るべき――でもないか。あまり言うのも流石に可哀想なので軽く聞く程度にしよう。でも気になるから小さい頃から順に、彼女等の関係を解き明かしていこうと思う。彼女の事も知りたいし。それも今回の旅の楽しみになる。
 朝焼けの空を見上げて、息を吸った。透き通った空気は頭を落ち着かせてくれて、とても良い気持ちになる。
 そんな清々しい朝の下をわたしの新たな旅が始まった。

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