[PR] この広告は3ヶ月以上更新がないため表示されています。
ホームページを更新後24時間以内に表示されなくなります。
閑話.『竜士が往く! 9』
アスリドの渓谷は北東から南西方向へ伸びた大きな亀裂である。某シキガミたちが割った大地とは違って自然に出来たものだ。ギザギザと続く割れ目が下へと遠く伸びていて、日が差し込んでいる間は遠くに川が流れているのが確認できる。
先ほどの丘からは少し歩いて高い木々の中を歩いた。渓谷の周りは森、そしてこの川の水は川沿いに二日行けば海に出れる。
岩肌には殆ど植物は生えておらず、時々出来ている大きな出っ張りには沢山の巣が作られていた。
轟々と吹き荒れる風はワイバーンが発生させているものだ。
アイシェの視線の先の人物が振り返った。サアッと栗色の長い髪が強い風で靡く。気だるげにも見える切れた目をしていた。
でも、その顔立ちは良く知っている顔にとてもよく似ていた。
アイシェはシンプルな格好をしているが、彼女は色とりどりの布を重ねて作ったような服を着ていて民族衣装にも見えた。病弱にみえるアイシェとは対照的に彼女は健康的――むしろ野生的と言って良い空気を持っていた。
「あ、アイル……」
彼女の妹に違いない。それはわたしが知っている名前だけの知識に過ぎないけれど。
アイシェが名前を呼ぶと途端に険しい顔になる。
そして何を言わずただ興味を失ったかのようにくるっと元の方を向き直った。
「なんでアンタが此処に……!
ディオは!?」
すべての兄弟姉妹が仲が良いわけではない。わたしが空気を読む分にはかなりの険悪ムードである。
ぴりぴりとした空気の睨み合いの後、彼女の言葉を噛み殺すような顔をしたアイシェが彼女を無視して歩き出す。
そんな彼女が目の前に差し掛かってとき、パンッとアイシェの杖が強く蹴られた。
アイシェは杖が無いと歩けない。支えが無くなってしまえば脆くも崩れ落ちる。
「アイシェ! 大丈夫?」
「……平気、お姉ちゃん」
駆け寄るよりも早く、彼女はぐっと腕を立て杖を取り立ち上がる。
「アンタ……また人に騙して貢がせてんの?
いい加減止めなよ」
その言葉に目を細くしてとアイシェは彼女を見上げて睨んだ。
「違う!」
「違わないじゃない。だからディオがこんな所まで来てるんでしょ。家で大人しくしとくことも出来ないの?
ほんっっとに良いご身分だよねぇ、お姫様気取りなの?」
それが皮肉だと分かるように彼女は全く笑いすらしないまま言い切った。
「――そんなんじゃない!
なんでアンタディオを止めないの!」
起き上がって掴みかかる様に彼女の服の裾を持ってアイシェが叫ぶ。それをすぐに振り払って彼女もまた叫んだ。
「止めなかったと思ってんの?
なんでアンタみたいな奴の為にアイツが頑張ってると思ってんの?」
「知らないわよそんなの!」
その言葉に、ギリッと彼女が歯を鳴らした。
「いい加減にしてよ、アンタそんなんだから……!
アイツの荷物になってばっかり……!」
「……わかってる。
……もう、最後だから。ディオは何処? 止めてくるから」
「……谷の底よ……偵察が終わったらプリッツと一緒に帰って来るわ」
わたしは騙されたのだろうか。いや一体何を? 彼女の足が動かないのは本当のようだ。これが演技だとしたら大したものである。わたしに殺されていたかもしれない状況を見切るのは非常に困難なはずだ。
まぁ、それ自体が本当だろうが嘘だろうがわたしの本分には実は関係がないのだけれど。
もう一人一緒に居るのだろうか。しかし荷物は二人分しか見えない。
「そっか。じゃあ、ちょっと行ってくるね!」
わたしが頼まれている仕事は可及的速やかにディオとアイシェを会わせることである。この断崖絶壁だと流石にアイシェを連れて行けない。
そんなわたしを見てアイルが眉間に皺を寄せて首を傾げた。
「え、ちょ……ねぇこのオカシイ人何?」
指を差されておかしい人呼ばわりされたのは人生はじめてである。
ちょっとショックを受けた。いや、かなりショックだ。
「わ、わたし何かおかしい事言った!?」
「う、ううん。お姉ちゃん、大丈夫だから私を揺さぶらないでっ」
わっさわっさと揺さぶっている手を止められる。かなり動揺してしまったようだ。気を取り直してコホンとせきをする。
「ディオをよろしく。プリッツは放っておいても上がってくるからいいよ」
「プリッツって誰かな?」
その質問にプッとアイルが笑う。アイシェはああ、と手を打ってフルフルと首を振った。何か違うらしい。
「あ、えと……ポッキィの子供で、茶色っぽい狼だよ」
「あ、ポッキィも子供が居たんだー」
ポッキィもたしか誰かおかしな人に名前を付けられたと言っていたが
「じゃあお願いします」
「うん。じゃ。
行こうルーちゃん」
「カゥ!」
切り立った崖が目の前に広がる。
高所から降りる時、水中に潜る時、もっとも心強いのは実はルーちゃんだったりする。
あまり遠くのものを囲んで操作する事は出来ないが自分に近い球体ぐらいなら動かせるらしい。その力を使えばゆっくりと崖を下る事ができるだろう。
「五分で連れてくるよ彼氏!」
「だから!」
「あはは! あ、アイルちゃん、後でお話しようね!」
「え」
「行って来まーすっ」
わたしは色々な台詞を言い捨てると、二人に手を振って渓谷を振り返った。ポンポンとバッグを叩いてルーちゃんにサブバッグの中に入ってもらう。
そして谷底へのサルベージを開始にまず全力で崖を走るような降下を始めた。
ぶわぁっと視界には大きく開いた谷の底が入る。ゆっくりと近づいてきているように見えるその景色の端では崖が物凄い勢いで通りすぎる。風が鼓膜を掠めて物凄い音がする。そしてその風の荒れ方が酷くなって横向きに壁に当たったかのように地に足を着かない状態に投げ出された。
グルッと青空が見えた。結構崖を降りていたようで空は限られた谷に阻まれた限られた空間しかみえない。冷たい風がまたブワッと吹き荒れる。この風はおかしい――。
グルグルと回転しながら少し位置を変えてすぐにその正体を突き止める。
わたしが最初に見たものよりはずっと小柄だがワイバーンがそこまで迫ってきていた。空中で捉われそうになるが剣を抜いて態勢を変える。
グレートワイバーンはワイバーンの希少種で巨大な身体を持っており、その羽に巨大な術式がある。強い嵐を巻き起こし、何者も寄せ付けない飛行をする本物のモンスターである。
この渓谷はかなり広い為、その大きなサイズのグレートワイバーンも通る事ができるのだろう。あの羽があればかなりの機動性を持つ事ができる――。
ガンッッ!!
ほら来た!
視線の端に捕らえたワイバーンに剣を当ててグルリと姿勢を変える。動物ならぬ動きでその剣に歯でぶつかってから垂直にまた浮き上がる。
その影からは先ほどのように大きな奴ではないと分かった。子供だろうか――まぁそれなら最近暴れまわっているというのにも理由がわかる気がする。
それにしても空の上で一瞬にして差をつけられるとそもそもわたしに追いつく術がない。
狩りに慣れる為に行われるその行為は、子供ながら凄まじい勢いがある。確かに普通の人なんかじゃ一溜まりも無い訳だ。これでは攻城兵器というのはそもそも当たらないだろう。結局名持ちの勇士を連れてくることになるだろうか。
――まぁそんなのが来る前に今わたしがやってしまうのだけれど――。
空中でもう一度来る。なるべく仰向けになって太陽を遮るその姿を見る。
ドッ! ドッ!! 二度何か重いものにぶつかるように身体を揺らしてグレートワイバーンが此方へと一直線に突っ込んでくる。垂直に落ちているはずなのにあちらは加速している。
こんなの――まともに戦って攻撃を当てれるわけが無い。
ただ、空中戦に於いてはわたしにも覚えがある。伊達にアウフェロクロスを十年近く振っていたわけではない。
大口を開けたワイバーンが迫ってきたのに会わせて、ぐるっと空中で再び姿勢を変える。抜き放った剣を軸にその剣の面で空気を押して落ちる速度を一瞬大きく緩めた。
速さゆえにわたしが消えたように見えたそのワイバーンは真っ直ぐにわたしの横を通り過ぎる。その瞬間も物凄い風がグレートワイバーンを覆っているのが分かった。ただそれはわたしを吹き飛ばす為の風ではなく、そのワイバーンを飛ばす為の風である。わたしは引き寄せられるようにそのワイバーンの近くに寄り、ぐるんと身体を回転させて剣を振りぬいた。
本来剣で相手を斬るには、地に足を着いていることが必要である。本来なら、そのウロコに阻まれ、わたしが弾き飛ばされて――終わる。投げる事が出来るなら別の話だけれど、斬るならば力を必要とする。
しかしこの大牙。硬度と研ぎの精錬さが並ではない。
・・・・・・・・・
押し当てて引き抜く事ができれば、大抵のものは斬る事が出来る。かかる力は剣が持っている重さのみでいい。
業物を持って初めて気付く技巧。今までのわたしは愚直に剣を投げるばかりで、斬ったものなど殆ど無い。剣が投げられないわたしは、その動作ばかりを鍛え上げてきた。
手首の動きが固い事は、コウキさんと模擬練習をした時に何度か思った事である。物を切る動作が綺麗だと切り口も綺麗になる。それは料理と同じだ。
スパァ! 殆ど抵抗無く、わたしの剣が肉と骨を切断した。小石に当たったかのような感覚の場所がきっと骨だった。わたしの返し切りが決まって尚、そのグレートワイバーンは落下を止めない。もうやめる事が出来ないのだけれど。
「ルーちゃん!」
わたしは川が近づいてきたのに合わせて、ルーちゃんの入っているバッグをポンポンと叩く。
「キュゥ! カゥゥゥ!」
ザバァン!! 凄まじい勢いで川に落下した為、高い水飛沫が飛んでくる。その前にわたしはルーちゃんの球体壁の中に避難していたので濡れる事は無かった。
「ふぅ、ちょっとビックリしたね。一応回収に行こっか」
小さい奴でも別報酬になるかもしれないし。
具象ではないのでその怪物の血が川になみなみと溢れる。
ルーちゃんが川から中州に引き上げた時にはわたしの斬った切口からは夥しい血が流れ出ていた。グレートワイバーンは首が長くあんな風に不意を取れば斬れるようだ。まぁ、今回が子供のグレートワイバーンだから出来たことだけれど。歯で受け止められた所を見ると、歯や骨は相当固いはずだ。
しかし、仕留めたこの巨大怪鳥はさすがに大きすぎるだろうか。試しにルーちゃんに聞いてみようと思いバッグから出てきてプルプルと身を振っているカーバンクルを振り返る。
「ルーちゃん、これは持てる?」
「キュ、キュー……」
流石に自信なさげである。ちょっと引いてもルーちゃんの視界にその全てを入れるのが難しいぐらい大きい。
「持ててもマナが凄い減っちゃうよね」
「カゥ」
こくんとルーちゃんが頷く。コウキさんが居ればすぐなのだけれど、わたしは分からないので簡単なジェスチャーで確認していくしかない。
「じゃあ、翼だけは?」
「カゥ!」
元気良く返事をくれた。オッケーなんだろう。ルーちゃんは可愛いなぁとちょっと和んでみる。わしゃわしゃとルーちゃんを撫でてわたしも頷く。
「じゃあ翼だけにしよっか」
鳥の解体は結構やるがワイバーンの解体は初めてだ。食べるわけじゃないけど、一応手を合わせてから剣で翼を切り落とす。ワイバーンの身体の上に乗って、剣を振り下ろして斬ったわけだが、中々豪快な手段だったなとその片翼を見て思う。落とした翼はルーちゃんが大きく壁で囲ってから消し去る。
ちなみに川岸は結構まちまちに出来ている。渓谷の底を大きく波打っている川が、いくつか大きな川岸や中州を作っていてわたしは丁度そのなかでも大きな中州に下りてきた。それでもこの巨体の竜は大きすぎる。
「お、お前……! 何やってんだよ!」
谷底にきていて、この騒ぎを起こせば当然彼はやってくる。探す手間が省けてよかった。
「あ、丁度よかった!」
「丁度良かったじゃねーよ! なんでここにお前がいやがんだよ!!」
相変わらず口が悪い。
「うーん、そうだよね。わかんないよね。ここで一から説明とか面倒だから上で話しよっか?
アイシェちゃんが来てるから」
「アイシェを連れてきたのかお前!! 馬鹿じゃないのか!!」
その大声は渓谷に木霊した。彼の横では此方をみてジッとしている狼の姿が見える。あの子がプリッツか。ポッキィとよく似た顔をしている。
「もっと大馬鹿のディオくんには言われたくないなぁ。
アイシェちゃんすっごい怒ってたなぁ~」
「ぐ、いや、俺はほら、いいんだ! 修行の一環だっての!」
「ほら、アイシェちゃんに会いに行くの」
「いや、俺はこれから巣の下まで探索に……!」
「そんなのあと!」
「つかどうやって降りてきたんだよお前っ」
「え? 真っ直ぐ降りてきただけだけど。ディオは?」
「そこの道に決まってんだろ」
「えっ道なんかあったの?」
ショックだ。けど真っ直ぐ降りた方が近かったし、いいよねこれで。
「あるに決まってんだろ! どこまで規格外なんだよアンタ! グレートワイバーン倒してるし!」
「でもこの子は子供だよー。多分懸賞金掛かってたのはもっとおっきい奴だよ」
「まだでかいのが居るのかよ……」
「多分普通の装備じゃ近づけもしないし、傷も与えられないと思う。
一番柔らかいのは首辺りなんだろうけど、この皮膚とウロコの厚さからみて、わたしの剣でも成体のワイバーンの首は落とせないかな」
多分、というか絶対骨まで届かない。もしかしたら肉にすら届かないかもしれない。うろこの厚さが尋常じゃない。成体じゃないこの竜がようやく骨に届いていた。首の皮が繋がっているが生き繋ぐ事はできなかったようだ。
考えれば考えるほど、化物とはこういうものの事だなと頷ける。
「まぁわたしはアイシェに頼まれて、貴方と会わせて愛の告白をさせる事が使命だから!!」
「え!?」
「ルーちゃん確保!」
「カゥ!」
「うわっ!? なんだこれ! おいやめろっ!」
「よし、あがろうっ!」
「キュー!」
ルーちゃんに号令をするとわたしも球体に囲まれる。
画してわたしはその任務を達成するべく谷の上を目指す。
「おい、なんか来てるぞ!」
ブワッっと風が吹いて上空の光が一瞬消えた。
キャェェェェェ!!! っという途轍もない音量の衝撃咆哮と共に、空から物凄い質量が落ちてきた。ボゥっと轟音を上げて通りすぎるそれは、岩の塊すら木の葉のように思えてしまうほど容易く風に弾かれる。超高速で通ったその道にバリバリと縦に亀裂が入った。
ルーちゃんが姿消しを使っていたからわたし達が捕捉される事は無かったのだろう。真っ直ぐにその影はわたしの倒した子供のワイバーンへと向かい――そしてその死体に噛み付いた。それは悲惨な光景である。グチャクチャになって血のあとだけを残して綺麗さっぱりその姿を消した。なるほど、この習性があるからグレートワイバーンの研究が進まず、倒す方法が見つかってないのか。
わたしはごくりと生唾を飲む。あの巨体で、さっきの子供より素早く動いている。
感心しているうちにスイスイと球体は崖を上る。ルーちゃんはやっぱり凄いなぁと上を見上げるルーちゃんをもそもそと撫でる。
無事に彼をサルベージできたようでよかった、と内心ホッとする。ここまで簡単に出来たのはルーちゃんの便利すぎる能力のお陰なので後々ちゃんとお礼をしようとは思う。
「よいしょ、到着」
「俺の二時間を返せ……」
ようやく下に降りたと思ったら引き上げられた。確かに報われない感じである。
――しかし、そこで済んでよかった。もし巣に頭を出していたら、どうなっていたか分からない。
ドサッと降りた私達を迎えてくれたのは、突然現れたわたし達に驚くアイシェとアイルである。
『ディオ!』
二人は声をそろえて彼を呼んだ。でも近寄る速度には圧倒的に差があった。アイルはすぐに駆け寄って彼の安否を確認する。
アイシェは杖をついて二人にゆっくり歩み寄ると、ディオの前に崩れるように座って、彼を見た。
「もうやめて帰ろ? 治療費とかそういうのいいからさ。ディオはディオのテンポでゆっくり強くなればいい」
「うるせーよ! 俺の勝手だろうが!」
「迷惑なの! 勝手に自分のせいだと思い込んで、勝手に死のうとしないでよ!」
「俺が何を狩ってようが俺の勝手だろ」
「私の為じゃないならそれでいい!
ならこんな無理なんてしなくて良い! 貴方の寿命は私たちなんかとは比べ物にならないでしょ!?
ゆっくり強くなって、夢だってなんだってかなえればいいじゃない!」
アイシェは真面目にわたしに説明していた事と同じ内容の話をした。
自分の為に無理をするディオ。彼には竜士団を作るという夢があった。その為の邪魔になりたくは無いとアイシェは言っていた。
「それじゃあ意味がねェ……!」
ギュッと拳を握ってディオが叫んだ。
「その夢の先に!
お前等が居ないなら!!
俺たちの約束はなんだったってんだよ!!
竜士団になるんだろ!?
意思は俺たちが継ぐって決めただろ!!」
約束とは。
守ろうとする意志が強いほど、誠実に見え頭が固いように思われる。逆もまた然りで約束を守ろうとしない人間ほど薄情に見え信用が薄くなる。どっちつかずな人間は中途半端だ。この人間像ならば誰しも約束に縛られる事には憧れないはずだ。
ただ、あるべきは守ろうとする意志である。
「もういいよ、私は。
足手まといは置いていって。
……いつか、必ず追いつくから」
諦める事は、己の道を変えることである。それに納得がいくのならばそうすればいい。
柔軟か強情かは回りに居る誰かに決めさせるとして、進むべき道に相応しい納得と努力ができるかどうか。何かをやっては止めてを繰り返しているだけでは、結局何も出来ない人間になるだけだから。
彼女の投げるナイフはビックリするほど遠くの的にきっちり当たる。正確な判断を下す頭の回転の速さも魅力的だ。
「……嘘つき。その足で追いつける訳が無いじゃん」
アイルが俯いてそう言った。
「まだやっても無いのに嘘つき呼ばわりしないでよ」
彼女は考えているよりもずっと大人な思考をする。きっと気を使わせる環境がそうさせてしまったのだろう。気遣いに敏感で在り難いと申し訳無いが混在したような顔をする。そんな表情を見るたびに痛いのは周りの人だって同じなのに、簡単に隠し切れるものでもない。
アイルは顔を上げて同じ顔をキッと歯を食いしばるような辛そうな表情でアイシェを見る。
「アンタはいつもそうじゃない。
上辺の言葉だけでアタシ等を騙せると思ってんの?
無理だって思ってるんでしょ?
思ってるよね?
なのに安っぽい言葉で足止めしないでよ!
邪魔しないで!」
言ってしまった後に。
とても言い難い表情になった。
「邪魔をするつもりが無いから言ってんの。
もう、諦めてよ。
ありがとう。ディオ。此処まできてくれたってだけでも嬉しいから。
アイルも、ついてきてやってくれてありがとね」
「そうじゃ、なくて」
と。アイルが小さく言う。彼女は口下手な子のようだ。
「わたしも、みんなであんなのと戦って。
竜士に……っ」
なりたかった、というその声は、谷の底へと消えていく。
皆が唖然としていた。
彼女は自らの意志で跳んだから――。
視界から消えるまで誰も動けなかった。その光景だけが異様に目に付いてガリガリと心を引っ掻く。
わたしがすべき事は何か。彼女を見送るだけでよかったのか。
わたしが彼女に手を差し伸べたのは――こんな事をさせるためじゃないはずだ。
崖に向かって全力で地面を蹴り飛ばす。今から降りて追いつけるか――ああ、今真下には凶暴なグレートワイバーンが居るのに、そんな事をしたら……!
嫌な予感に冷たい汗が背筋を走る。まだ間に合うルーちゃんを呼んでいる暇は無いが、一緒に飛び出してくれたと信じて、崖面を走るようにして速度を上げた。
「カゥ!!」
英雄の一人である金色毛並みは、本当にそこに居てくれた。作ってくれた壁を更に蹴って彼女に近づく。
そして追いついたわたしは抱きとめるように彼女を掴んだ。
「死なせて……!」
彼女はわたしに抱かれたままそう言った。
「そんな悲しい事言わないでっ」
「だって私は!!」
「一生の重荷になる気なの?
特にディオは寿命が長いって言ってたでしょ。
あと何年苦しませる気なの?」
「私の事なんか忘れればいい!!」
「それが出来たら、こんなところまで来るような子達じゃないよね」
「じゃあどうすればいいの!?
私はもう強くなれない! 重荷にしかなれない!」
「そう思ってるならそうでしょうけどね」
「じゃあ放って置いてよ!!」
「嫌!」
それを言った時には多分満面の笑みだったと思う。
「な!?」
「わたしをお姉ちゃんと呼んだ以上、わたしは見捨てない!
貴方が一度でも竜士を心から目指したなら、折れる事も許さない!
あはは! 残念だったねっ!」
心底楽しい。
今此処で、こんな所で死なせたりはしない。手の届く範囲の誰かを助けるのは当然。
「お姉ちゃ……! でも私は……!!」
「竜士になりなさい! どれだけこけても、何度でも立ち上がって!
本当に絶望して死にたい人が、助けになんか来るわけないでしょ? わたしにだってわかるよ!
貴女もちゃんと竜士になれる素質はあるから!
そんなことに負けないの。片手でドラゴンレプリカと戦った人だっているんだから。
貴女だってそれでいいんだよアイシェ」
「私は……!
生きてて、いいのかな……!」
「良いに決まってるでしょ。
ほら一緒に跳んでくれる人も居るし」
「え!?」
ぶわぁと見上げた彼女の顔から涙が風で吹き飛んだ。
ルーちゃんが球体を発生させて全員をゆっくりと受け止める。
『馬鹿!!!』
それらを一纏めにした瞬間、その二人は猛烈な勢いでアイシェを怒った。アイルは彼女に抱きついて泣いている。ディオはそんな二人を覆うように手をやった。
「ごめん……ごめんなさい……!」
アイシェの頬を大粒の涙が伝う。
かつて――こうやって。
再び合えた時に泣いた私達はこんな風だっただろうか。
わたしが抱えてた状態のアイシェちゃんを放した所に二人が来た。丁度わたしの目の前でその感動の一つを目にした事になるのだろう。――多分全ての憂いが解決したなら、もう一度。
「――まぁ、皆ちょっと危ないけどねコレ」
『えっ』
皆が同時に私を振り返る。
ばくん、と視界が全て遮られ真っ黒な中に消える。
「うわぁ……丸呑みされちゃったぁ……」
『う、うわあああああああああ!!』
狭い球体の中で、叫び声が響き渡る。
ルーちゃんの額の術式行使光がその肉肉しい喉の中を赤く照らし、余計にグロさを増した肉壁をずるずると滑り落ちてその竜の胃に至る。先ほど食べたであろう肉の塊のお陰で、その見晴らしは最低なものになっていた。
「この中で吐いたらほんとにまずいから、危ないと思ったら眼を閉じてケーキの夢を見るようにね!」
『ケーキ……、ケーキ……!』
アイシェとアイルが同時にケーキの呪文を唱えだす。何この二人……物凄く可愛いんだけど。
「うおっ……こりゃ壮大なゲロだな」
ケーキを唱える中、ディオが周りを見渡して率直な感想を述べた。
「ディオー! やめてぇぇ!」
ガッとディオの口を塞ぎに掛かるアイル。それに押されてアイシェの頭が私の胸にもぐりこんでくる。
「だめっ思い出すな私っ! えとーえとー! お姉ちゃん胸がやわらかいぃぃ!」
「え!?」
アイシェが混乱のあまりに何故か密接しているわたしの胸の感想を言い出す。
わたしの胸は完全にアイシェの枕にされている。別にこんな事態でもあるし、同性だしいいんだけどね。
「ドサクサに紛れて何言ってんのアイシェ!」
「な、何これっ! ふっかふかだぁ!」
アイシェとアイルの混乱っぷりが半端無い。特にアイシェがさっきの事も相まってか妙なテンションになっている。こんな面白い子だっけ。いや、面白くていいんだけれど。
「後でアイシェにはちょっとお話があるから。マグナス式説教っていうつらーいお説教があってね?」
「ごめんなさいい!」
頭をグーで挟むようにぐりぐりとやってアイシェに言ってみた。
この状況でも笑っている彼女がとても微笑ましい。たぶん、恐怖もあるのだろうけれど――きっと嬉しい気持ちの方が勝っている。
「そういえばディオ、一人だけ男だ」
「何!? ラッキースケベしようっていうの!? 変態!
私なんか足が動かないからってあんな事やこんなことをする気ね!」
言われてからディオがアイルの手をぐいっと取り払う。
「ぷはっしねーーよ!!」
「アイルと密着楽しんでたの?」
「えっ!?」
アイルが驚いて赤くなりながら恥ずかしそうに身体を引く。
「ゴメンねー邪魔しちゃって?」
「無実の罪を塗りたくんなっ!」
元気だなぁ。ああ、いいなぁこの空気。わたしも混ざりたいけど、アイシェの枕役になりそうなのでやめておこう。アイシェの素はこれなのかもしれない。ディオをからかって笑う陽気な気性が板についた喋り方だなと思えた。
わたしと一緒に居た時は不安で仕方が無かったのだろう。わたしの名前をきいて頼ったのは藁にも縋る気持ちというのが一番しっくり来る所だ。
さて、コレは本格的にピンチだ。
球体は実は、空気が余り無い。しかもあまり大きく無い球体に四人。
わたしたちはここをどうやって切り抜けれるか。
一先ずわたしは落ち着いて持ち物を確認する。
剣がある。これがつっかえていてやっぱり邪魔になっている。まぁこの剣のお陰でルーちゃんは広めに空間を作ってくれているみたいだ。けどこのブレスレットに再び仕舞えるようになる日が来ないだろうか……。
そういえば――チャリッと金属音がする。上げた手の赤いハートマークがブレスレットとぶつかった音。仄かに赤い光を持つそのブレスレット。
「あれ、それ何?」
「ん? これはね」
わたしの信じる二人がわたしに贈ってくれた物である。
「友達に貰ったわたしの宝物。マナを通すと――」
もしかして、と皆が目を輝かせる。
「とっても暖かくなる!」
ぐっと拳を握って言う。ポワッと光って和やかな明かりをブレスレットが発する。水浴びした後に温まるのに最適である。髪も良く乾く。
そう、そんな凄いものじゃないってファーナが言ってたけど。女の子的には嬉しい一品。一度使うともう肌身離せないが、使いすぎて乾燥しすぎに注意も必要だ。
決して凄い法術が使えて速攻脱出みたいなアイテムではないと思うけど――。
「じ、地味に便利……お姉ちゃんそれ何処で売ってるの?」
「残念だけど売ってないの」
暖かさはお墨付き。リージェ様の祝福付きとなればホントはグラネダの教会で静かに飾られる物なのかもしれない。わたしにと選んでくれた物をそんな風に言うのは失礼なのかもしれないので、もらった事自体は素直に嬉しいと思っている。
「うーん、いいなぁ」
ぴん、と閃いてわたしは指を鳴らす。まぁ、ペチッと情け無い音が鳴っただけだけど。
「まだ試した事が無い事、やってみようかな」
わたしはまた面白くなってきて笑う。こんな時でもポジティブに居られる事は中々無い。このブレスレットに感謝しながら――ルーちゃんにある事をお願いする事にした。
/ メール