01.バトンタッチ
*Ryoji...
夏休みも終盤の勉強会――というか殆ど柊の補習状態だが、そいつは懲りもしないで俺達の宿題を写す作業をしていた。確かに提出点は稼げるが問題は休み明けテストだと言うのに。
序盤の方は真面目にやらせたのでまぁ休み前より悪化する事は無いとは思うのだが。
その作業が終わって丁度いいタイミングで母親が飲み物を持ってきてくれた。もちろん居座る事は却下させてもらった。だが今日は食事に二人を招くようだ。ちょっと面白いものを作るとウキウキとした足取りであの人は部屋を去っていった。
なんら変わらない日常のように思えるが、此処にはその日常に加わっていた一人が居ない。四人の中で言えば一番仲は浅いが俺にとっては最も大事な人になった。
長い髪と元気な笑顔が特徴的だった俺の彼女は――ここに居ない。
突然。本当に突然彼女はアメリカへと旅立った。
驚いたのは当然俺だけではない。空港で電話を俺にしてきて、殆ど泣きながら飛行機に搭乗していったのを覚えている。
次の日に突然転校が知らされて、クラスも騒然としていた。
そのシキとも色々連絡し、俺は一つ決めた事がある。
それを伝えようと、勉強のインターバルでちょっとグダっている二人に「そうだ、二人とも」と言って何気なく話しかけた。
「俺も留学する事が決まった」
ガタッと机の下に身体を入れていた柊が起き上がろうとして膝を机で思い切りぶつけて悶えていた。上にあった飲み物がピシャット跳ねて、柊のプリントに引っかかっていたがそれは無視した。
机に頭を乗せいた京はバッと顔を上げてピタッと俺を見て止まった。
そして何かを言いたそうに口をパクパクとさせていたので言葉を待ちつつ俺も自分の飲み物を取って一口飲む。
「りゅ、留学!? そんな……リョウジまで!?」
本当に心の其処から驚いた時は良く声が響く。それは俺の友達でも同じで声が少し窓を揺らした。
珍しくもなく俺の部屋に集まった三人に俺は少し前に決めた留学の意志を話した。親友だから家族を除けば最初に言っておかなくてはいけないと思ったのもある。
「いきなり悪いな。でも決めたんだ」
「そうか。涼二よ……オレは寂しいぞぉ!」
「キモい」
「くっ! いっつも思うんだけどよ、オレへの風当たりもうちょっとなんとかなり」
「あ、見送りは要らないからな。
メールは通じるし休みになったら帰って来る。
俺は誘拐じゃなくて留学だからな」
「聞けよ!! せめて聞いてください!!」
シュウが足をジタバタさせながら抗議してくる。
「ふぅ、仕方ないな……じゃミヤコ、発言を許可する」
「えっと……」
「オレは!?」
「じゃぁいいぞ」
「いいのかよ!! えっと……」
二人して何と無く気まずい空気を醸し出し始める。
詩姫が誘拐された――というのは当の詩姫が言っていた事で、母親の都合で突然アメリカへ行く事になったそうだ。
スーパーモデルな詩姫の母親はニューヨーク近辺に住んでいて詩姫もそこで生活する事になったらしい。転校手続きも引越しもあっという間に終わっていたとか。
泣きながら電話してきて、ゴメンとか会いたいとか歩いてかえるとか言い出すので落ち着いてもらってからまず連絡手段のメールのできる携帯を手に入れてからメールで色々と話した。
詩姫はメール越しでもナヨナヨしていた。彼女らしくも無いが彼女もいきなりでとても混乱していたようだ。別れた方がいいのかなと言うメールにだけは怒ったが、それ以外は頑張って慰めたつもりだ。一応落ち着いてから、暫く俺のほうで色々と考えて夏初めに募集をしていた留学の事を思い出した。先生に頼み込んでなんとか滑り込みで入れてもらった形だ。
突然のことで相談もしなかったのは悪かったと思っている。ただ事は急を要していて本当に話している暇は無かった。
「二人して詰まるなよ。じゃあ俺が話すけどさ。
一応入学は九月だ。まぁもうすぐ。今週中に荷物纏めて行ってくるよ。行くのは親父の都合に付いていく形だ。
試験は英語で全部受けてきた。まぁ全部英語なだけだったな。
ホームステイじゃなくて、一応部屋を借りる。
あと母さんも落ち着くまでは向こうに付いてくる。
親父が帰るタイミングとか俺が帰るタイミングで戻ると思う。見かけたら身構えてな」
一気にそういうとチョットだけ間があってから柊がため息を吐きながらコップに入っていたジュースを飲んだ。
京は何も言わない。ただぼーっと水滴の垂れるコップを見ていた。
「なんでお前はそうやって母親を危険動物みたいに言うんだ……ウチも大概だが」
「危険なのはお前にだけだろ」
「……なんで相談してくれなかったんだ」
「相談するも何も俺は迷わず行くと決めたからな。
まぁありがとな。でも俺は詩姫を追っかけるよ」
「姫っちは帰って来るって言ってたぞ?」
「いずれ、だろ?
それに……詩姫は俺を諦めなかったからな。
俺も詩姫を諦めない。会え無いけど信じるより、会って話さなきゃな。何も変わらない」
気恥ずかしいきがしたけれど、俺をまた涼二だと認めてくれたのは彼女だから。救ってくれた分のお返しはするつもりだ。
兄貴になる事を目指していた頃――。誰かの姿に埋もれきった俺を見つけてくれた彼女。一緒に手を取って生きると決めたのだから俺はただ真っ直ぐに彼女の為に世界の半分ぐらい飛んで追いつこうと思った。
「お前は主人公か」
人生皆自分主観の主人公だというのに。
「知るかよ。別にニューヨークに行くのは悪い事だらけじゃない。
世界教養は必要なんだ。就職にだって有利なんだぜ?」
英語が話せる。しかもビジネスレベルより深い生活レベルで話せるのはとても技能として有能だ。
あと歌を英語で歌うのはカッコイイ。
「それは分かるが……ほら……」
何も言わない京のほうをチラリと柊が見る。俺もさっきからこっちが物凄く気まずいと思っていたところだ。
「京も色々ありがとな。なんか土産を買ってくるよ」
何とか喋ってもらおうと思って話しかける。
「じゃあニューヨーク饅頭でお願いします」
それに手を挙げて答えたのは柊。なんとなくイラッとしたので、ニコッと笑って、
「わかった。死ぬほど甘い青いチョコレート塊二キロな」
俺は絶対にコイツに洋菓子の怖さを教え込んでやろうと思った。
「糖尿病でしぬぅ! つか青い食いモンとか怖い!」
そのやり取りに少し笑って、京はへにゃっと笑う。あんまり笑えてないけどそれは彼女なりに俺に気を使って笑ってくれたんだと思う。
「涼二、遠くに行っちゃうんだ……」
「ん、なんかごめんな」
「……そっか、寂しいなぁ……姫ちゃんも涼二も……二人とも……」
涙ぐんで顔を抑えたので慌てて何とか取り繕おうとする。
「あわーわーまーまー。ほら、俺あと二日は居るから」
「お前それ何の慰めにもなってねぇよ」
図星をよりにもよってそいつに突かれた事に腹が立ったのでバッとソイツを見て指差す。
「言うなよ!」
「ばれないと思ってたのかよ!」
「もも、もしかするかもしれないだろっ」
滅茶苦茶どもってしまった。それには多分二人とも笑った。だが已然として京が顔を伏せている。
長く一緒にやってきた気の置けない友人なだけにこの話は酷である。
「ぷっ! ほらもう滅茶苦茶泣いてるし! なーかしたーなーかしたー!」
「ぐ……! ご、ごめんな京!」
「あははっ、大丈夫だよー。ちょっと、うん……。
寂しいけど二人ともちゃんとたまには帰ってきてよ?」
「ああ、わかってるって。母さんになんか持って帰ってもらったりするかも」
「そっか」
「……なんか、ごめんなさい」
「そればっかりだね」
「京には悪いなって思ってるから」
「なんで?」
「一番俺が世話になったからだ。
京と柊に止めに来られると、正直気持ち揺らいだと思う。
だから言わずに試験だけ受けた。あっ受かったぞ、一番良かったって」
「そりゃそうだろうよ……全く、友達がいねーなー?」
「ひどいねー?」
柊と京が顔を合わせて同時に首を傾げる。結託してやられると腹が立つ。
「な、なんだよっ素直に悪かったって言ってるのにっ」
割と恥ずかしい事を言っているのは承知の上なのだ。詩姫見たく連発は出来ないがこれぐらいできないとストリートで歌ったりはできない。あと凄く余談だがストリートで歌うのは市の許可が必要だからな。
俺の必死の抗議をみて二人が目を合わせてからふっと笑う。
「はっはっは。このツンデレさんめ。頑張って来いよ」
「うんっ。涼二なら大丈夫っ頑張ってね!」
柊なんとなく爽やかに送り出してくれるような気がしていた。京は最悪今度こそ嫌われるかなと思っていたがそんな事は無かった。
「……ありがとな」
二人の親友はそう言って笑う。それに心の底から安堵した。
その後俺がツンデレと呼ばれた件について抗議していると母親に呼ばれ俺達は夕食を共にした。
夕食はウチの母親には珍しい料理で中華料理だった。ラインナップは餃子、シュウマイ、ホイコーロー、炒飯、サンマーメンと言うもの。サンマーメンは残念だが秋刀魚の乗ったラーメンじゃない。シャキシャキの野菜と肉の餡かけがラーメンに乗っかった奴だ。俺も聞いた瞬間は秋刀魚だと思った。まぁそういったものが沢山机に並べてあって、適当によそって食べるという風な感じだった。初チャレンジと言うぐらいなのでウチでは中華っぽい中華は食っていないと思う。柊がまだ戦闘力が上がるお母さんなんて羨ましいなと言ったので今度玲さんにも頼んでおくよと返した。勿論物理的に戦闘力を上げてくると思う。
楽しい食事も束の間である。ウチで食事をして行ってくれたのが嬉しいのか母はずっと上機嫌だった。京には暫く会う機会もなくなる。本当に自分の子供みたいに面倒を見ていたんだから寂しく思うのも当然だとも思う。
ランニングついでに柊についていって話をする事にした。
と言っても殆どは雑談でいつも通り何の意味も無い話ばかりだ。
柊の家の前で折り返して帰るまえに一つ柊に言っておきたい事があった。
「柊」
「なんだ」
「京を頼む。俺の幼馴染で、優しくていい奴なんだ。
騙されやすい……あと地味に繊細だ。少し意固地になって変な事をする事もあるが……」
「分かってるよ。オレだって割と付き合い長いんだぞ」
「ああ。お前でよかった」
「言ってろよ。普通に褒めんな恥ずかしい奴め」
「キモイな」
「褒めろよ!」
それは気心知った友人であるからこそ出来る事。
「変な奴に騙されないようにって所が一番心配なんだ」
「お前はお父さんか!」
「ははは。京のおじさん曰く最強の虫除けスプレーだ」
言われるのは癪だったが、言うのは案外そうでもない。
「じゃあ、頼んだ。あ、一つ訊いていいか」
「なんだよ」
柊が訝しげに俺を見た。それに少しだけ首を傾げて今聞くべきかを悩んだが訊いてみることにした。
「お前京好きなんじゃないの?」
「好き嫌いで言えば好きに決まってるだろ」
『そりゃそうか』とも言えるし『そうじゃなくて』と感情的にもなれる。まぁ普通に考えれば恥ずかしげも無く言う好きは友人として、という前置きがあるからだろう。俺は当然女性としてを聞いたつもりだ。しかし考えてみればどっちにせよ、種になりうる。ただ誰にだって選ぶ権利はあると思うし、感情の強制はしたくもない。
「そうか。それならよかった。押し売りも可な……」
ただし京は別だ。その労力は惜しまない。
「お前親友を押し売るとかどんな根性してんだよ!」
ニッとそれに笑って見せて当然のように言う。
「捻くれて一回転してるぞ」
「違いねぇわ。捻りなおそうか?」
ボキボキ指を鳴らしてニヤリと笑う。冗談じゃない。
「お断る。まぁ、嫌いじゃないなら……そういうのもアリかなって思っただけだ。
危なっかしい奴なんだ。大層なもんじゃないが……頼まれてくれないか」
柊はため息を吐いてなんだかな、と言って頭を掻いていた。きっと考えた事は無かったんじゃなかろうか。お前はいいよなーと柊に言われていて、きっと京は俺が面倒を見るってずっと考えていたんだろう。俺は兄弟みたいなものだと思っていたのだが。だからいつかはこんな事を言っていたんだと思う。
でも世の中ビックリするほど不確定な事ばかりだ。
俺の小さな世界で纏まっていて欲しいという小さな欲求。
知らない誰かに彼女を取られるのが癪だ。ああ、これはきっと柊に言われた通りお父さんに近い感情なんだろう。
きっと俺のやってる事なんて余計なお世話だ。どっちも当人が何とかする話だろう。
でも少し種でも蒔いて行こう。芽生えるかどうかは別にして。
それが俺が今、親友に送る究極の余計なお世話――。
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