02.悩みの種
*Syu...
「行ってきまーす」
「行ってらっしゃい! 車に気をつけるのよーっ」
「うーす」
母親に見送られながら玄関を出て、士部<はにべ>の道場の門をくぐる。オヤジは今朝食後にだらだらとテレビを見ていた。いつも通りの光景である。
オレはいつも通りの和食を食べて腹を満たすと学生服を着た。母親がアイロンを掛けておいてくれていたワイシャツだが、きっちり仕立てられていてこれ以上筋肉が付くときつくなる。夏服なので学ランは要らないがぴっちりだと暑い。母親には成長しすぎだと言われるオレの身長は中学の終わりで既に百八十に届いた。なお今も成長中である。
士部柊<はにべしゅう>という漢字にすると読みづらい名前の自分は道場の家の子だ。連日沢山の稽古を行う人達が居てオレもその一人となる。そんな家で育ったからだろうか運動神経にはそこそこ自信がある。それ以外の取り得なんて思いつかないような人間だ。
いつもと同じように見える改正の青空。夏休みの終わりでその日からは本当にいつも通り町が動いているように見えた。
そして今日は少しだけ気分が違った。
海岸通りを通って住宅街へ道を曲がる。
いつもなら慣れ親しんだ顔がいるかいないか、そんな時間。昨日見た音楽番組の話でもすればあのグループがいいとかあのグループは歌わされてて面白く無いだとか色々と持論を話す。
少し前までは興味が無いからと全面拒否していたのに、いつの間にか音楽大好きな奴になっていた。凄くあいつは変わったよ。素で生きてるというか、楽しそうに笑うようになったと思う。
遠い地に旅立った友人は水ノ上涼二<みずのうえ りょうじ>と言う。付き合いの長い奴で多少裏表はあったが自分に厳しい良い奴だった。当面の問題は自分の勉強の面倒を見てくれる奴が居なくなったので普通に自分で勉強するしかなくなったという事だ。学年一位というふざけた頭の良さを持っていたそいつにほぼ寄生していたオレが留学という壁の前にあえなく駆除されたというわけだ。
おのれ涼二め……さてはオレがこういう事で困る事を見越して遠くで笑ってやがるな……!
基本的には酷い奴だ。細かく人を虐めてくるというか。最終的には宿題も見せてくれるし何時でも呼べば出てくるし文句言いながらも面倒見は本当にいい奴なのでオレも何とも言えないのだが。ああいうのはツンデレって言うんじゃないか。本当の意味で。
「あっ柊くんおはよー」
「はよーっす。京ちゃん。寂しくなったなぁ」
京ちゃんはいつも通りに見える。
秋野京<あきの みやこ>という雅な名前をしていて、おっとりとした彼女は元々涼二の幼馴染だ。家も目の前につき合わせていて家族ぐるみの付き合いだったそうだ。
名前の通りに丸顔の和製美人であり、引く手数多の珍しい子である。
水ノ上涼二と言う天才というか変態が居たせいで目立たないのだが彼女は彼女でやたら頭が良かったり運動が出来たりする。それもこれも涼二の影響なのだと彼女は言うけれど元々の素養が高かったんだろう。
嫌とは言えない性格で基本的に色々な事をやっている。
ついひと月前までは、四人で登校していた。
此処に居ないのは涼二ともう一人。
織部詩姫<オリベ シキ>という元気な女の子だ。
長い髪が特徴的でよく大声で笑っていた。声が通って、物凄く歌が上手かった。カラオケでは全力熱唱するし、ライブでも熱唱していた。本当に歌う為に生まれて来た人みたいにオレには思えた。
そんな彼女と仲が良かったのが京ちゃんである。一番仲の良かった友達が居なくなって本当に寂しがっている。
現状、俺達二人は中学で涼二を経由して仲良くなった。というよりオレの勝手な要望を手伝ってもらったからと言うのがある。オレは別段気まずいとは思わないが二人となると何か違和感を感じるのは事実だ。
「そうだね……。でも言ってても仕方ないし、いこっか」
「おお。そういえば昨日さ――」
涼二と話すような雑な話にも彼女はちゃんと相槌をくれたり、笑ってくれたりする。
そういえば涼二も自分も健康優良児なので学校を休むなんて事をした事が無い。だから涼二と二人になる事はあっても京ちゃんと二人になるような事は無かった。
だから不意に会話が止まると――。
『お前京好きなんじゃないの?』
変な台詞が頭を過ぎる。そりゃあ――彼女にしたら可愛いだろうさ。誰に自慢しても羨望の目を向けられるだろう。
最強の虫除けスプレーなんて自分で言っていたが自分が一番近くに居たオレに効いていなかったと思っていたのだろうか。
普通に運動も勉強も出来て家柄も良くて爽やかなアイツがオレにカッコよく映って無い訳がないだろう。こんな可愛い慕ってくれてる幼馴染が居て、なんであいつはオレに頼んだって笑うんだ。
二人の関係には入れない所もあった。まぁそれは誰にでもあるもんだと思っていた。いきなり空いた穴にオレを放り込んだって何にもならないだろ。オレは涼二じゃない訳だし。
「あの、柊くん」
「あ、ああ、わりぃ、ホラオレもちょっと涼二居なくてオリーブなのかもな!」
「おり……あっナイーブ?」
一瞬悩んで、ピンときたのか指を立てて言う。
「それだ!」
「ふふっ柊くんは面白くていいなぁ。私全然面白い事言えないから詰まんないよね」
「そんなこと無いぜ。面白い事言わなきゃ生きてけ無いのは関西だけだし」
オレのおじさんがまずボケなのか突っ込みなのかを心がけてから関西入りするようにと言っていた。まぁ正直な所おじさんを見ていても関西人も面白い人ばかりではないだろうという所もあるが……。
「そうなんだ……私関西じゃ生きてけ無いなぁ〜」
「オレだってそうだ」
「あっ今のがボケだねっ」
ぺちっと手を合わせて、物凄く悪気無い笑みを見せる京ちゃん。
物凄く余談だがオレは地元派だ。就職するにせよ道場継ぐにせよ生まれ住んでる地元に居たいじゃないか。そういうところでは涼二は凄いと思える。旅以上の遠出なんてオレには到底出来ないだろうから。
「ボケてませんヨ! 京ちゃんも中々オニっスね!」
「えっあ、ごめんなさい?」
「えっあ……いえいえこちらこそ?」
こう、涼二のテンションだと次はスルーだったはずなので思わず彼女の言葉に釣られる。それは凄く新鮮な気分だった。
それは彼女も同じだったのだろう。オレを見てニコっと笑う。
「ふふふっ柊くんと二人なの初めてだからちょっと、変だね」
「あぁちょっとな」
「またみんなで行ける様になるといいね」
「それもそうだな。オレはこのままでも構わんぞ。京ちゃん独り占めだし」
「えっ、あ、そう、かな? あはは〜」
普通に照れる京ちゃんが普通に可愛いんだがオレは一体どうすればいいんだ。
まぁどうする事も無くオレがそれを茶化したりしながら学校への道を歩く。いつも通りと言えばいつも通りだ。
そんな事をやってるといつの間にか学校に着く。休み明けで久しい顔も多かった。下駄箱でじゃあと言ってオレは自分のクラスへと向かった。
その日初めてクラスの皆は涼二が留学した事を知った。一応涼二が伝えたのは先生以外ではオレ達と所属していた軽音部だけだって言っていた。ざわざわと教室内がざわめく。
愛の逃避行だのなんだのと噂が流れ始めるがまぁあながち間違っていないしオレは突っ込まないで置く事にした。どうせ当人達は居ないし何を言った所でこの結果は変わらない。
流石にいつもつるんでた奴が居なくなると寂しいといわざるを得ない。まぁいずれ慣れるのだろうけれど、それも寂しいことだなと思う。
結局その日涼二とヒメっちの噂話は最後まで絶えなかった。オレや京ちゃんに本当の話をしろという噂好きが相次いで現れては同じ説明を何度も繰り返してやるのが物凄く面倒だった。
最終的にはオレは噂の通りだ、とテキトウに言っていたがキャーキャー言う女の子の間でどんな噂になって盛り上がっていたかまでは流石に知らない。
大丈夫だろ、多分。
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