03.その道の一歩

*Miyako...

「酷いよね織部さん」

「えっ……」

 遠くに聞いたのは噂話である。

「寝取られ? だっけ? うわー濃いね。秋野さん可哀想ー」

 尾びれ背びれの付いた誰かの物語が誇張されて何処かへ何処かへ。
 可哀想なんて心にも無い事を言われると乾いた気持ちになる。
 というか、トイレから出づらい……。
 まぁ気にしなくてもいいか、と思い切って私は扉を開けて洗面台に向かう。

「あ……」
「秋野さん……」

 やっぱり顔を合わせたのはクラスの女の子だ。この人達とはあまり話した事は無い。大体出席番号でグループができて、その後の席替えで色々な子と仲良くなっていくものだ。未だに出席番号で並んでいる席のおかげか番号が末の子とはあまり喋った事が無い。
 酷い噂が横行しているのは知っていた。昼休み時点で柊くんが事情を話すのを諦めたらしい。解らなくもないけれど……もうちょっと二人のためにやってくれても良いと思う。

「ん、何かな?」
「いや、聞こえてた、かなーって」
 一人は黙って、もう一人の色黒な子が頭を掻きながら言う。
「うん。どうしようかなってちょっと思ったけど……トイレは出たいし。
 あ、ヒメちゃんは別に寝取ったとかじゃないよ。涼二がヒメちゃんを好きだったってだけで」
 一応角の立たないように説明はしておく。二人ともちょっと面食らったような顔をして、ヘラッと笑った。
「そうなんだー。でもあの子中学別だったでしょ?
 いきなり出てきて取ってくなんてやっぱり秋野さんが可哀想だよー」
「ありがとう? でも、それだけ良い子だったでしょ?」

 それだけの話だと思うのだけれど。
 私には無い沢山の宝石の輝き見たいな魅力があった。
 羨ましいほど歌う人に特化した才能。
 私はあんな人になりたかったかもしれない。
 私が可哀想だからと、あの子を貶すのはよく無い事だ。
 涼二はよくそういうのは言わせておけばいつか消えるって言う。主に言われるのが自分の事だったから気にしないようにしていただけなのだろう。ある程度はそれに習うべきだと思うので私も気にしないで置く事にする。

「秋野さんは良い人過ぎるよー」
「そうかなぁ」

 自分を良い子だと評価した事は無い。
 むしろたまに自分勝手をしてしまって後悔している。決して埋まらない溝を抱えてしまったし、それに皆を巻き込んで傷つけてしまった事もある。
 でも全部纏めて元に戻りたいのだとヒメちゃんは言ってくれた。私が好きなのだと泣いてくれた。私の話が終わるまで信じてくれた親友が居た。
 やり方は変だったけど。私達の絆が、確かに在ると、実感できた。

「もっと、こうっアタシの水ノ上君なんだからっみたいな? 独占欲アピール? やっとけば良かったのに……っていうか全然水ノ上君好きだったのは否定しないのね?」

 よく喋る彼女は疑問系が多い。
 何に答えれば良いのかよく解らないがとりあえず最後のに答える。

「それは否定しないよー。それは事実だし」
「ひゅーぅ! 秋野さんカッコイイ! 流石女神様ねー」
「め、女神様?」

 そんな呼ばれ方をしたのは初めてだ。
 訳がわからなくてはてなと首を傾げるとペラペラとその子が喋り続ける。

「だって、可愛くて、勉強できて、運動できて、優しくて、料理上手いんでしょ? しかもあの演劇にスカウト? スゲーじゃん? 一個ぐらいアタシに才能頂戴よー」

 私は洗った手を拭きながら苦笑いする。そんな風に褒められてもなんだか実感が湧かない。
 完璧だよね、と言われる場合、私はどうしても涼二を思い出す。ああいうのを完璧と言うのだ。わたしのは完璧に見える彼の模倣でしかない。

「でも早起きが出来ないよ」
「あっは! 笑える! アタシも無理だし早起きとか! そんなのマイナスに入んないっしょ!」

 ケラケラと笑う色黒の子。元気の良い子だ。
 そろそろ予鈴も鳴る。
 私は笑ってありがとうと答えて教室に戻る事にした。
 トイレの扉を閉める瞬間に、ずっと黙っていたもう一人と目が合った気がした。

 そして――

「……良い子ぶってて、気持ち悪い」

 聞こえてしまった――のだろうか。私に向かって言ったつもりなのだろうか。
 でも分かる人には分かってしまうのだろうか。私は良い子じゃない。
 誰がつけたのか私の形を固定するメガミサマ。
 扉が閉まって二人の声も姿も見えない。何か話しているようではあるのだけれど――。

 私は足早にその場を離れた。



 放課後はクラブ活動をするようになった。
 私が入っているのは演劇部。この学校では人数が限定されているほど凄い部らしい。なんにせよ専念するクラブに所属するのは初めてである。

「では、入団テストを行いますわ。
 まぁ形式ですから、気楽にどうぞ」

 演劇部の部長が休みが空け、全員揃った所で私の紹介を改めてした。
 元々、私はこのクラブに居てはいけない十一人目の新入生だ。しかも半端な時期に入った為に私は本当に色物扱いだ。
 ただこのクラブには色物と呼ばれる人物が集まる巣窟らしく、まず折沢部長が凄い。金髪のハーフで睫毛の長い美人さんだ。私は自分が何故そんなにその人に気に入られてしまったのかを思い悩む。

 入団テストは喜び怒り哀しみを表現せよ、という題材でその身一つで舞台の上に立たされる。
 一応求めれば台詞もいくつか渡してくれるらしい。というわけで早速台詞は貰った。
 流石に緊張して、ぎこちなく舞台に上って振り返る。高い位置から様々な表情で私を見る皆が見える。
 言われた事は三つ。声は大きく。大袈裟に。自然に。
 そして後は貴女次第だから頑張ってって。
 投げっぱなしみたいにも感じる。

 涼二は私がこの演劇部に所属する事を嬉しがっていたようだ。
 打ち込めるもの、遣り甲斐、そういったものに縁遠かった私にそういうものが出来るかもしれないからって。
 そう言われるのは嬉しかった。
 ちょっと頑張ろうと思ったのも事実。
 涼二にはサッカーも、歌もある。柊くんには柔道、ヒメちゃんは歌。それぞれ打ち込んで自分の良さを出して行っている物があった。

 皆と一緒に居るうちに私にも欲しいと思うものが出来た。

 それは、熱だ。
 もっと感情的に熱を持てたら。
 私は違ったと思うようになった。

 確かに。あの子達の言うとおり、もっと独占欲のような、ヒメちゃんみたいな――熱量があれば。

 あの人の事を後悔してる訳ではなくて、ただ傍に居てくれる人が居なくて怖くて泣くような私が居なくなるんじゃないのかと思うのだ。


「さぁ、まずは名前を!」

 ぱん、と手を叩いた音が響く体育館で折沢先輩の号令が私を駆り立てる。

「私は――!」

 ――熱を持て。
 もしかしたらこの場所が涼二やヒメちゃんに見た私の憧れた場所なのかもしれない。
 ステージでスポットライト浴びる事があの二人にとってどれだけの熱量に変わるんだろう。
 周りは暗い。人の気配を感じる。羞恥も感じる。周りには私を邪魔と見る人のほうが多い。
 それを含めて、昂揚する――!

 今ここに立って、私が出来る事の全てを見せよう。
 そしてこの道で不確定だった私の形を得よう。

 此処に立つ以上、覚悟を決める必要がある。
 私が真似を続けるのはやっぱり憧れる友人達の為である。
 全ての逆境に打ち勝つにも、チャレンジあるのみである。
 私は女神様じゃない。
 ただの良い子でもない。

 息を吸って、思い切り叫ぶのだ。


「秋 野 京 で すっ!!」


 思ったよりも響いて、自分の声に驚いた。
 何処に向かって叫んだのか、全員に聞こえなかったという事は無いだろうけれど。

 どんな状況にだって私は“負けない”。
 今たったそれだけを心に決めた。

「よ……よろしくお願いしますっ!」

 慌てて先輩の方を向いてペコリと一礼をした。
 先輩はふふっと和やかに、バッと扇子を広げると口元を隠すように持って「やっぱり面白いですね」と微笑んだ。
 それから私の入団試験が始まった――。

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