06.愚直

*Syu...

 その姿を見て思わず目を疑った。目を擦ってみたけれどオレの知っているオレの思ったとおりの子で歩き辛そうに校門へと向かっていた。
 居ても立ってもいられなくて思わずオレは裸足で走り寄る。

「ミヤコちゃん!? 大丈夫か!?」
 オレが声をかけると驚いた顔で振り向いてオレに言う。
「あ、シュウくん。練習は?」
「え。練習中だけど水飲みに降りただけだ。え? どったのそれホント」
 別に今オレの事はどうでもいいのでそのガーゼやら湿布らやで覆われた足と手を差す。
「うん、演劇の練習中に階段から転げ落ちちゃって……私は今日は早退させて貰う事になったの」
「そか……。送ってこか? ちょっと待ってて」
「でも」
 多分部活中だからいいよ、なんていうんだろう。
「えーからえーから! おっちゃんの言う事はききんさい!」
「う、うん。わかった」
 まぁそんな時は無理矢理ついていくのが一番だ。
 彼女の断らない弱味に漬け込んでいるような気もするが……。
 割とサボる事自体は定評があるオレはそっと着替えをしてダッシュで教室へ向かう。別に胴着を着て走りこみだという名目でも構わないが戻ってくるのは面倒だ。
 制服を着たオレを見て、サボるのは良くないよ、と彼女は言った。オレは帰ってもどうせ稽古はするんだし同じだと笑った。


「それなんで転げ落ちたの?」
 再びオレは訊いてみる。どうしても京ちゃんがそんな大怪我をするような事をする子とは思えない。だから特別な理由があるのだと思った。
 彼女は一瞬だけ考えるような素振りを見せた。
「その、躓いて……かなっ?」
「躓いたって……そんな危ない場所だったか」
「ううん、少し暗くて、備品が置いてある事に気付けなかっただけだから」
「へぇー演劇って危ないことしてんのな」
「そうでもないよ。私のドジだし」
「えっまたまたー。寝ながら包丁使える京ちゃんに限ってそんなこと無いだろー?」

 これは聞いた伝説だけれど……。朝眠そうな京ちゃんを女子が授業で家庭科の調理実習に連れ出したら眠そうに船をこいでいながら手元だけはさくさくと包丁を扱っていたという伝説がある。余談として何故か京ちゃんの居るグループは他の所より美味しそうな物を作る。
 まぁ何事もそつなく丁寧にこなす彼女だからこそ何と無く信じられないと思った。

「あはは、私もたまにはミスぐらい……」
 ちょっとだけ遠い目をして、言葉を止めた。
 前を向いていて彼女が止まったことに三歩気付けなかった。
「ねぇ柊くん」
「何?」
 京ちゃんは俯いて顔に影を落とす。
「ちょっと……聞いて欲しいかな」
「おう」
 拒む理由も無い。むしろそれを聞きたくてここにいるのだから。
 彼女は少し考えるように視線を色々と動かして、結局何かを決めたように一度目を閉じてからゆっくりと語りだした。

「今日、少し、なんだろ、いじめみたいなのにあった」
「……穏やかじゃねーなぁ」
 なんだそりゃ、と思った。
 基本的にオレは京ちゃんの良いところしか知らない。
「うん。クラスの子も庇ってくれたりしたし、やり返そうって話もあった」
「……」
「でもそれじゃ解決にならないでしょ?」
 報復が何を生むか。
 結局は同じ恨みを生んで、同じ報復を受ける。いたちごっこになって終わらない。
「……初めはね、理不尽だし絶対負けてやるもんかって思ってた」
 京ちゃんは強い。
 誰かさんにずっと付き添っていただけあって、我慢強いし配慮もできる。それにたまにその誰かさんにも似ていると思うところがある。負けず嫌いはどうやら伝染もするようだ。


 一部始終を聞いて、もやもやとした気分になった。
 流石に温厚なオレもブチギレそうだ。
「そっか。オレなら殴ってるね」
 温厚なんて冗談は置いておいて、オレはいい育ちしていない分手が出やすいのだと思う。明確な悪意がある。ならば退けるためにオレはそういう手段しかしらない。
「えっそんな」
「涼二は殴ったしな」
 前例がある。自己中心的感覚で勝手に全部の価値を決めて、悪意を作ってでも自分の道を進む。
 オレはどうしてもそれを正解だと思えない。

 京ちゃんは黙って俯く。歩く速度はゆっくりで元気の無い靴音がアスファルトの上で硬質な音を立てる。今日は蒸し暑くて稽古以外でかく汗はジトリとして嫌なものだった。
 彼女がなんの答えを知りたがっているのか解らないがオレが涼二を殴りたかった理由を思い出す。あれ自体は今思い出しても腹立たしい。
「……一つ言っとくと、オレは別に喧嘩して、京ちゃんに泣き止んで貰いたかった訳じゃないんだ」
 今更だけど、と言って何と無く背伸びしながら空を見上げた。
「……そう、なんだ?」
「そ。涼二が気に入らなかっただけ」
 単純明快。阿呆なオレは本当にアイツを殴るためだけに道場に呼び出して喧嘩を吹っかけた。

「そっか」
「でも、殴って分かり合うって意味がわかった」
 お前みたいなのが居るから。
 アイツはそう叫んだ。本当にオレみたいな奴ばかりなら最悪だろう。ソイツをただ腹が立つから殴りたいだけだなんて理由は最低だと思う。
「でもオレはアイツみたいな自己犠牲なのかいじめなのかよくわかんないやり方が嫌いだった。
 オレのわがままだったんだ」
「でも、柊くんは正しかった」
「ああ、実際殆どいじめだったわけじゃん? それに、オレが勝ったからオレが正義だった」
 それだけ。本当に。
 あそこで意地を通せば、オレはただの虐めを行った不良だろう。完全に間違った道とも言えなかった。その正当性を証明したのがオレ自身だからだ。
「でもアイツが自分が悪いって思ってる所はあった。
 オレは運良く殴る事と勝手な説教で罪悪感を引き出す事が出来ただけ。
 謝ったほうが負けてただけだ」
 恐らく、今ぐらい心の安定した涼二が相手なら、普通にオレが悪者になって終わっただけだった。
「京ちゃんは優しいからな。

 でもいじめはでも許しちゃいけない」

 オレが単純に正しいって思ってる事。
 理由があろうが無かろうが良くないだろ? そう思っているからただそれを正すための行為をする。
 オレが動く理由にそれ以上は無い。

「でも……私は役のヒロインとか興味無いよ?
 それってやっぱり邪魔だよね……」
 その彼女を貶める誰かは真剣にやってる奴の邪魔だと言った。
 真剣にやると言っても彼女はそれを否定した。
 オレのやり方は殴るで構わないが彼女はそうは行かない。彼女の信条でもないだろうし、望んでる事も平和で丸く収まればそれで、と言うのだろう。
 こんな時アイツなら何ていうか。ガリガリと頭を掻いて考えるがさっぱりわからない。オレの正解ばかりを突きつけたって意味が無い訳だしどうするかなとため息をついた。

「涼二じゃねーし上手く言えないけどさ……例えばヒロインは要らないなら、悪役もらうとか?」

 秋野京は――隙の無い人物であるべき。長い間友達をやっているがオレには隙っぽい物は見当たらない。単にオレが間抜けなだけだろうけれど、おっとりしているかと思えば手際や考えに全く遅さは無いわけだし。
 演劇の悪役というのは基本的に嫌われ役となって皆避けたいのではないだろうか。
 でも悪役を足掛けに演劇で成功する人だって居る。

「悪役……」
 京ちゃんは小さく呟く。
 悪役買ってでもとは言ったがオレはどちらでも良いと思うんだ。
「オレは無理やり京ちゃんを道場に連れて行ったわけだし。
 協力してくれって言ったのはオレの都合だろ?」
 悪役で始まったと言えばオレじゃないだろうか。
「そうだったね……」
「大事なのは、貶める事じゃないだろ。
 もちろん京ちゃんが我慢する事でもない。

 自分の正解を訴えて証明することだろ?

 京ちゃんが演劇をやる事が悪いわけがねぇんだ」

 もしかしたらそっから夢って奴ができるかもしれない。部活の質が落ちるって言うのは京ちゃんが許さないだろう。台詞の読みとか暗記とかも頑張ってる。
 彼女的な正解は解らないがそれだけわかった上でどうやってその子に認めてもらうか。
「……うん。そうだよね……」

 ……結局、オレじゃやっぱり、彼女の力になる事は出来なさそうだ。
 それはそれで辛いが元気付ける言葉を見つけるのも本当に難しい。ただ黙ってゆっくりと歩む帰り道がいつもより長く感じた。
 彼女の家が近づいてきた。いつもの倍以上かけて歩いた道が少しずつ涼しくなってきた。
 最近夕方は気温が下がってきて過しやすい。誰かが居ないというのにも案外慣れていくものだ。仕方の無い別れは存在する。
 結局一緒に歩いて帰るぐらいしか出来なかった。

「それじゃ……あっ!」
 別れの挨拶をする前に、オレはある事を思い出した。
「……うん?」

「京ちゃんオレ来週居なくなるから」

 今日は金曜。部活にも自然と週最後の余力を使い切る気合が入る。
 しかし柔道部は早めに解散しようという話になっていた。だから今日はサボったとは言いがたい所である。
 来週の月曜から三日間は、とある理由でここにも学校にも居られない用事があった。

「え……何処に? 何で?」

 何故か本当に驚いた表情をしてか弱く聞こえる声でオレに問う。
「九州! 柔道の合宿試合だからえっと、三日間!」
 オレがそういうと京ちゃんはきょとん、として小さなため息をついた。なんでこのタイミングにとか思われたのだろうか。確かに空気を読まない発言だったかもしれないけど……。
「えっ……あ……そうだったんだ。頑張らなきゃだね!」
 ぐっと拳を握って微笑む。
「おう!」
「何の大会? 秋場所?」
「それ相撲だから! 名所かもしれねーけども!」
 相撲はもっとオレより肉のある奴がやるものだ。
 突っ込みを受けて笑顔になってそうだ、と小さく手を打つ。
「明太子がいいなぁ」
 お土産の相談だった。いや全然いいけども。
「それは頑張る。土産買い込み時間を要求しとくぜ。オレも食いたいし」
 きっとご飯が美味い。
 クスクスと笑う京ちゃんをみて、少しは元気が戻ったのかなと思って安心する。
「戻ってきたらぶっこんで行くんで」
「何処に?」
「演劇?」
「それは、やめて欲しいなぁ」
「冗談冗談!
 ま、でも傷が増えてるようなら当然行く。
 何かあったら言ってな! オレは大会中でも戻ってくるぜ。走って」
「走るのっ!? 遠いよ?」
「じゃあ車の上とかに捕まりながら戻ってくる」
「危ないよ〜」
「はははっ! そんな調子じゃ心配だぞ!」
 そう言ってブンブンと手を振る。
 京ちゃんは少し驚くような表情のあと、満面の笑みを見せた。
「んじゃっまったね〜!」
「うん。バイバイ柊くん。ありがとう」

 何かしてやれることは無いだろうか。さっきの笑顔を作らせてしまったのなら、俺はとんでもなく阿呆だ。
 アイツに頼まれた分もあるし、オレ自身がそう思っているのもある。
 ああ、でも情けない。
 誰かを真剣に助けてあげようと思うときに結局何も出来ない。八つ当たりに電柱を蹴りつけてから、オレは走って家に帰る事にした。

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