07.正立

*Miyako...

「大事なのは、貶める事じゃないだろ。
 もちろん京ちゃんが我慢する事でもない。

 自分の正解を訴えて証明することだろ?

 京ちゃんが演劇をやる事が悪いわけがねぇんだ」

 私の思う正解の形。それは“私が負けない事”だろうか。
 演劇をやる事が間違っていないのならば続けたいとは思う。まだ私は何もしていない。
 ――悪役。
 役の選考の時に悪役は向いていなさそうね、と言われた事がある。
 それを超えれば彼女は私を認めてくれるだろうか。天才だからとまた言われてしまうのだろうか。
 ……難しい答えばかりを求めても無駄だ。私では答えを出せない。
 どうしても実力を示して認めてもらう事を戸惑う。結局私が頑張ったせいでやる気を無くすという彼女の言い分の通りになってしまう。私がやりたいのはそういうのを気にしないで部活動をする事なのだけれど……何か間違っているのだろうか。

 家の前に到着して私が足を止めた。それを見た柊くんも自然と一度止まる。
「それじゃ……あっ!」
 元気良く手を振り上げて、そのままぺしっと頭を叩いた。
「……うん?」
 私が首を傾げると柊くんはとんでもない事を言う。

「京ちゃんオレ来週居なくなるから」

 二人居なくなって。そして、一人になる。
 それは寂しいから嫌だった。
「え……何処に? 何で?」
 もしかしてニューヨークだろうか。ああ、それなら本当にもう私も両親に打診しなくては……。
 自分のネガティブが加速して変な事を考えていると分からずにぐるぐると色々な妄想を巡らす。
 柊くんはあー、と空を見ながら軽くくしゃくしゃと自分の髪の毛を掴んで一瞬間をおいてから私を見た。

「九州に。柔道の合宿試合だからえっと、三日間!」

 ああ、なんだ、紛らわしい――。一瞬思ったがすぐに自分がかってにした勘違いな為凄く寂しい気分になっていたのが恥ずかしくて顔を伏せた。
「えっ……あ……そうだったんだ。
 頑張らなきゃだね!」
 ちょっと大袈裟に言ってみると柊くんも満足げに笑って頷く。
 お土産は明太子がいいなぁとか。
「戻ってきたらぶっこんで行くんで」
「何処に?」
「演劇?」
「それは、やめて欲しいなぁ」
「冗談冗談!
 ま、でも傷が増えてるようなら当然行く。
 何かあったら言ってな! オレは大会中でも戻ってくるぜ。走って」
「走るのっ!? 遠いよ?」
「じゃあ車の上とかに捕まりながら戻ってくる」
「危ないよ〜」
「はははっ! そんな調子じゃ心配だぞ!」

 ――今、その言葉を嬉しいと思うのは私が誰かに依存したい寂しがり屋だからだろう。
 柊くんの広い心からの厚意であっても。それほど安心できる物は無い。
 迷惑をかけてばかりだ。私が謝ろうものならまた心配をかけてしまうのだけれど。
 だから頷いて手を振る彼に小さく手を振り返す。

「んじゃっまったね〜!」
 いつも通りに変わらない。単純明快な信条を持ち歩く柊くん。表裏が無くてあんな風に生きれるのは羨ましい。
「うん。バイバイ柊くん。
 ありがとう」

 柊くんが角を曲がって見えなくなるまで見送って、空を見上げた。
 雲が沢山あって、暗く見えるのだけれど、所々から光が漏れていてその後ろに太陽がある事がわかる。夕立がくるかもしれないと天気予報で言っていた。早く帰ってきたのは正解なのかもしれない。

「ただいまー」
「おかえりなさーい」
 リビングの方からお母さんの声が聞こえた。この時間ならもう少しゆっくりしているだろう。怪我を見られる前にと部屋に上がっていく。
 カバンを机の上に置いてベッドに転がった。天気が良いうちに干されていたのだろうか、布団からは暖かい太陽の匂いがした。

 ……落ち着いて考えれば。やっぱり柊くんの言ってる通りだ。
 私が演劇をやっていて悪いわけが無いのならば、私の前に現れた障害を私が乗り越えなくてどうするのか。
 負けず嫌いを装って傷ついても進むのは違う。痛いのは嫌だし。頑丈でもない。
 話し合いで和解できるのが一番だ。仲良くなれるのなら喧嘩をするのもいいのかもしれないがおおやけでやると亀裂が大きくなるとしか思えない。ならやっぱり傷は覚悟で直接……?
 ……大事なのは私が我慢することじゃない、か。
 言われると、じわりと何か目頭に熱い物を感じる。深い意味なんてないそのままの意味だからこそ、私には大事なこと。
 私が我慢すれば大丈夫だって思っていた事もあった。そうじゃなくて、と我侭をぶつけて来たのはヒメちゃんだったけれど。
 私はあの時、ヒメちゃんを――。

 ああ、そうか。
 方法を思いついた。私らしいというか私達らしいというべきか。
 喧嘩が柊くんの方法。
 柊くんは私は悪くないと言ってくれた。
 なら私が取る方法もいつも通りで良い。

 歩み寄るべきは、私だ。

 ――私の中のもやもやとしていた気持ちはもう無かった。
 友達の作り方ってどうだっけ、となんだか笑いたくもなった。私は女神様でもないし天才でもないし普通の子だと知ってもらうなら私から行くしかないじゃないか。
 その際の多少の痛みはまぁいいか、と思おう。私がヒメちゃんを受け入れたように私を受け入れてくれるかどうかなんてわからないけれど――その在り方が有っていると思った。



 ――3年前――。

 柊くんは私の為では無いと言ったのだけれど、他人思いな所はずっと昔から変わっていない。
 涼二に近づくなと言われて泣いた私に柊くんはすぐに声をかけてくれた。
「アイツ……腹立つな。……大丈夫か?」
 私はその声を聞いてそこを立ち去ろうと思った。
 そこで私が泣いて居ても涼二がどんどん悪者になっていくだけで、何もいい事なんて無い。

「おい、まてよ! あのままで良いのか!」
「……言い訳、無いよ……! 帰って、謝らなきゃ……!」

 私が謝って済むのならそれで良いと思った。
 もっと静かに目立たないようにしていなくてはいけない。極力邪魔にならないようにする。だから嫌って欲しくなかった。

「なんで秋野が謝るんだ!」
「どうだって、いいじゃないですか……! なんなんですか、ホント……!」
 手を掴まれて、それを振り払おうとしたのだけれど、力が強くて全然放してもらえなかった。
 その時の怒っている柊くんは怖くて、早く逃げたかった。暴れる私に彼は怒鳴りつけるように言った。
「どうだって良いわけ無いだろ! アイツ腹立つし!
 別に悪い事なんかしてないんだろ!? なんで謝るんだ!? 謝るのはあっちだろ!」
「あ、謝らないに決まってるよ……! だって近づくなって……!」
 もう会ってすらもらえないかもしれないのに……!
「いーや、謝るね。謝らせる。協力しろよ」
 何の根拠と自信があるのかは知らないが私にそう言った。
「や、やめて! 先生呼ぶよ!?」

「アイツがこの先あのままで良いのかよ」

 なんで、関係ない人なのに、って思った。
 それも柊くんの本心なんだと思う。
 あの人の堕落に何処までも付き合うなんておかしい事を私に突きつけた。

「……っ!」
「このまま避けられ続けて、アイツ結局嫌な奴なだけじゃねーか。
 ダチなんだろ?
 アイツ助けたくねーのかよ」

 妙に私の核心に響く言葉で言いながら私を見た。

「……な、なんとかなるなら、したいよ……!」

 出来ないのだと、決め付けていた。
 あの人は強情だから、絶対に折れないと思っていた。
 怖い顔をしていた柊くんは、その時ニッと私に向かって笑った。

 そこまでにあった恐怖は一瞬で無くなった。

「よし!
 まずはアイツを呼び出そう。
 学校じゃまずいしウチにすっか――」

 そして私は柊くんの道場で携帯を使って初めて涼二に電話した。
 助けてって言うだけで良いからって言ってた。今冷静になって思えば涼二が警察を呼んだらどうするつもりだったんだろうとか考えたくも無い。
 電話をにこやかに私に返した後、柊くんは道場の縁側の柱にもたれかかって入り口を見て待っていた。私は玲さんに事情を話したり膝枕されたりお茶をもらったりしていた。
 喧嘩の一部始終は見ていた。聞こえていた。悲痛な声が上がるたびに泣きそうになった。飛び出て止めたいと思っていた。
 その喧嘩の最後に倒れて、嘔吐して、柊くんの前では決して折れなくて。
 こんな事をさせた私が馬鹿だった、と思った。
 だから飛び出して涼二を庇った。救急車を呼んで、助けてもらおうと必死だった。
 弱った彼が、ゆっくりと私をみて、一言。

「ごめん……!」

 蔑むような目で私を見る涼二ではなくて、本当に、私の知る彼に戻ったから。
「―――っりょう、じっ……っ」
 ポロポロと涙が溢れた
「ごめんな……っごめん……! 俺……こんなことしか出来なくて……!」
「私は、涼二と―――」
 ただ一緒に居たかっただけなのに。
 そう言葉を続ける前に私達はもう笑って居たのだけれど。


 その喧嘩で沢山の物が変わった。
 涼二と柊くんが仲良くなった事。涼二が優しくなった事。
 その時の私はそれで十分幸せだった。

 人の良し悪しで一緒に居るんじゃない。悪いなら悪いと言ってくれる。そういう人だ。私が間違った行動さえしなければいい。

 柊くんが怒るのはいつも誰かが泣いている時だ。
 ヒメちゃんと喧嘩する前の涙を流さない私に対しては怒って居なかった。
 悲しんでいる人を見捨てない。それを何と呼ぶだろう。

 私達の折れ曲がりそうな心はいつも柊くんが正してくれる。私達の真っ直ぐである基準。縁の下で支えてくれる人が居てここに居る。
 私はちゃんとそれを知っている。


 私が進もうとしないのは柊くんにも迷惑だ。
 さてさてどうやって私を認めてもらおう。
 やり方なんて、その時には決まっていた。
 柊くんにはまだ明日話す時間があるし、お礼と一緒に言おう。
 とりあえずロングパンツと長袖の服に着替えて、遠い地の二人を無駄に悩ませようと私は携帯電話を開いた。

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