10.他が為に強く

*Syu...

「麻白って名前の割りに黒いよな」
「アタシゃね、本当の姿になりたくないの。つまんないしー」
「本当の姿ってなんだそりゃ。脱皮すんの?」
「こう、ぬる〜って出てきちゃうよ。惚れんな? ビーナス級だし〜?」
「貝柱に恋心はいだけんね」
「謝れ! ビーナスと可憐なアタシに謝れ!」

 ――あの二人が外国に旅立って一年が経過しようとしていた。
 京ちゃんは演劇部の主要メンバーになった。一年を経て可愛くなったしその舞台には本当に引き寄せられる魅力があった。閉幕の挨拶の時には一際大きな拍手が鳴ったものだ。
 オレはその観衆の一人でただパチパチと拍手を送った。遠い人になったなぁと言うところである。
 あの日から朝一緒に行く事は無かった。帰りに会っても常に演劇部が一緒だった為にオレも気を使って誰かの自転車の後ろに乗せてもらったりしてた。それでいいんだと思う。
 二年生になってもクラスは違った。一応涼二とヒメっちも進学テストは受けに帰ってきていたので進学はしている。
 当のオレは何も変わっていない。
 置いてかれたような気もしたがオレの周りにはやたらトロフィーやメダルが増えていた。確実に時間は過ぎていっていた。
 何故か仁井田麻白が柔道部のマネージャーになって、朝練の時に付いて来るようになった。まぁ同じクラスになったよしみと言うところでもある。思ったよりも働き者で色々と柔道部の事をやってくれる。一年軍団からは姉御と呼ばれるほど慕われていたりもする。
 帰宅光景は少し変わった。自転車圏外組みなので徒歩でダラダラと帰る。そういうのも嫌いじゃなかった。

「悪かったって! 叩くなっ」
「あーあー。アタシ超機嫌損ねた。あーあー。アイス食べたいー」
「脈絡ないな。タカるんならもっとマシな方法にしろよ」
「コンビニ寄ってこ! アイス驕れ!」
「だぁーもー」

 結局アイスをたかれて自分のと一緒に買って帰る。
「ピノのが美味しーし!」
「いやコストパフォーマンスが悪いし。ジャンボだろ」
「コスパならスーパーカップじゃね? コンビニじゃなくてスーパーで買えばもっと安いっしょ」
「おいおいスーパーが出てくる時点でコンビニに行く意味が問い直されちまうぞ」
「ま、ね。あ、一口ぷりーず!」
「貴様の一口は一口と言わん」
 がぶりと三分の一ぐらい持ってかれた時はどうしようかと思ったぞ。
「これ一個あげるからっ」
 そういって一つオレに向けて差し出してくるのでいただく事にする。
「諦めねーのかよ。ほら一列ならやるから」
「ぬ。そのまま渡さないなんて賢くなりやがって!」
「ふん、惚れたか」
「惚れた惚れた。付き合う?」
 ニヤニヤとオレを見ながら言う。
「まだ言うのなそれ」
 呆れたため息が出た。

 事あるごとにある売り込み。営業と言われるほど皆に浸透した付き合う攻撃である。
 それは流すに越した事は無い。
「アタシの何がダメ? 直すよ。黒髪に戻そうか? 肌が白い方がいい? 眼鏡?」
「なんだそりゃ見ては見たいがどうなるのか想像できんな」
「じゃ、柊には特別に見せたげる」
 言ってゴソゴソとカバンから沢山ストラップのついた携帯電話を取り出すとカチカチといじりだす。すぐに何かの画像で止めてこちらに突き出してきた。
「……写真? 誰これ。モデル?」
「アタシ」
 自分を指差してニコッと笑う。写真は色白で少し目付きがキツイが美人に見える眼鏡をかけた黒髪の人だ。彼女の面影は感じる事が出来る気がするけどやっぱり別人だ。
「ははっまたまた!」
「アタシだっつの!」
 言ってまたバシバシとオレを叩く。どうしてこうなったといわざるを得ない。
「へぇー。可愛いじゃん。こっちのがモテるぜ。ウザ可愛いキャラで」
「ウザいは余計! 別にそんときはウザくなかったし。多分。
 ねぇ、アタシわかんないよ。何で柊そんな身持ち固いの? 好きな人居るの?」
「いねぇよ」
 パコッと携帯を閉じて返す。それを受け取ってむっとした顔でしまいながらオレに訊く。
「じゃなんでダメなの? アタシだから?」
「そんなんでもないぜー。
 ただオレが柔道に集中したいだけだ」
 オレが言った言葉に彼女は一瞬黙ってキッとこちらを睨んだ。
「……嘘だ。嘘吐き」
「嘘なんかついてないぞ」
「嘘だよ! 秋野っちが好きなんでしょ!?」
 京ちゃんには会ってもいない。
「……別に関係ないな。
 オレはな、オヤジを倒せるぐらい一人前になるまでは格闘一筋で居たいだけだ。
 中途半端してちゃ、勝てねえんだよ」
「……それが理由……?」
「それが理由だ」
 言い切ると俯いて足を止めた。
「……そっか。ごめん、アタシ先帰る」
「……おう気をつけてな」
 怒らせてしまったようだ。足早にオレの前へ出て一度振り返る。
「じゃあね」
「じゃあな」
 それ以上は何も言わず駆け出すように彼女は帰って行った。
 気持ち悪い感覚に少し捉われたがアイスを食って誤魔化しながら帰る事にした。



 家に帰っても稽古。やっと作っていた体付きもらしくなってきた。
 挑む試合の回数でも増やそうかと思っていたところで母親が道場を訪れた。塾の時間は当に終わっているのでオレしかいない。メシかなと思ったけれどどうやら違うようでオレの携帯電話を持っていた。
「柊、電話よ。さっきからずっとだから」
「あ、わり。ありがと」
「ん。ついでにもうすぐご飯だからお風呂はいってらっしゃい」
「うーい」
 
「もしもしー? わりぃ稽古中だったわ」
 しん、と携帯の向こうからの声は聞こえない。風の音のようなものが聞こえるので通話は出来ているのだろう。
「えっと、誰? もしもーし?」
『柊くん』
 波の音と共に微かに声が聞こえた。久しぶりに聞いた声だ。前は何ヶ月前に話したっけ。
「あれっ京ちゃん? どったの?」
『助けて、今あ……!』

 ガッと言う激しい音の後ぷつん、と、電話が途切れた。

 ……。
 えっ? 何、何の悪戯だ?
 オレはそう思って、電話を掛けなおそうとする。でも、今の番号は非通知で京ちゃんのじゃないと思われる。
 京ちゃんの携帯に掛けなおしても、通じない。
 俺がやったバカな悪戯とは違う。通報するべきか……? つか信じてもらえるのかそれが。何の証拠も持ち合わせていない。今何処に居るのかすらわからない――。
 いや、海岸か。風が強くて、声も余り聞こえなかった。

 とりあえず携帯を持ってみて回れる所を見て回ろう……!
 誰かの真似じゃないけど、動いて探さないと訳がわからん。

 道場を出ようとしたオレの前に、酒瓶を持った親父が現れる。悪い癖で食事を待って居る時に飲み始めるのだ。
 恐らくストックがなくなったので取りに行こうとしているのだろう。オヤジはご機嫌にオレを見た。
「おう! もうすぐメシだぜ〜」
「後で行くからどけてくれ!」
「あ〜ん? ツレネーな。反抗期か?」
「うるせえよ! 今それどころじゃねぇんだ!」
「はっはーん? 此処を通りたきゃオレを倒せ!」
「退けよ!!」

 突きだしたオレの拳を掴んで巻き込むように投げる。道場からは飛び出て庭に転がり出た。オヤジは機嫌よく酒瓶を置いて玄関側にたって構える。
 こんな時に限って物凄く邪魔だ。本当に今はそれどころじゃないのに――。
「退けてくれ!」
「嫌だね」
「この……!! クソオヤジ!!」

 オヤジに対してはどんな手法を用いてもいい。柔道でも空手でもそれ以外のものでも。柔道を基礎にして色々な方法でオヤジに食って掛かる。
 その全てを軽くかわされ、取り込まれ、逆に庭に投げられて全く進まない。
 説明するなんて頭は働かなかった。
 今は全力でソイツを排除する事だけを考える。

 足を払おうとしても岩のように動かない。突きをだしても同じだ。何時ものように本当に途方の無いものに挑むような気分になってきた。
「どうした! キレがないぞ!」
「るせー!!」
 二段蹴りから強烈な回し蹴り。それをがっちり左腕で守って逆に足払いされる。両手で着地して、一度態勢を整えるとオヤジは低く構えた。
「何処にいきてーのかしらねーがそんなんじゃ何もできないぜ?」

 今例えばドッキリじゃないとしたら。オレは一生後悔する。
 オレも姿勢を落として同じ姿勢をとった。
 相手の懐にもぐりこむ為の姿勢で、警戒して居ても下から現れるような錯覚に陥る。

 どうせ、その技がオレに決まって投げ飛ばせると思っている。
 だからあえて同じ技で――ぶつかる事にした。片手が地面に付けるようにバランスを取ってしたから潜りこむ。伸ばされた腕がオレの襟を掴みに来るがそれを手ではじくと腱が切れる寸前までオレも手を伸ばした。
 ならオレはそのさらに下を目指す――!
 ザッと肘を地面で擦ってオヤジの帯を掴んでいた。
 そこから、持ち上がるのか――。
 右足を滑り込ませて、左手が袖を掴む。筋肉を軋ませて、筋肉だらけで重いソイツを持ち上げる。動きはほぼ垂直にソイツを持ち上げて背負い込んだ――!

「うらああああああ!!!」

 ザバーーーーン!!

 庭の池に思い切り投げ込んでオレは玄関へと走り出す。白い胴着は泥だらけでオレは裸足。情けない格好であるけれど、今――全力でオレは海岸通りへと向かった。

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