2.関係
教室の端、窓側の一番前の席が俺の席だった。
黒板が見えにくいな……まぁ一番後ろよりは見えるだろ。
最近少しだけ目が悪くなってきたかもしれない。
眼鏡も悪くないと思うんだけど周りがどうにも気になるし……眼鏡キャラってイメージじゃないって言われるし。
まぁ後ろになったら大人しくコンタクトの検討でもしよう。
もっと問題なのが隣に居る事だしな。
「何でお前が隣なんだ?」
わざと微妙なニュアンスを含ませる。
「おい、失礼ないい草だな」
まぁ席は割かし近くなるとは思っていたが、まさか隣とは。
シュウが身体をこちらに向けて椅子に踏ん反りかえる。
「ふ、俺たちはこういう運命なのだよ。あきらめろボーイ」
椅子の上で足を組んでタバコをふかすまねをする。
俺も同じような形で壁を背もたれに二人で駄弁っている。
語尾の微妙な英語が無駄にむかつくな。
「そういや担任の先生、若そうな男の人だったな」
これ以上その話題は無意味なので次の話題を打って出てみた。
このクラス1−Aの担任の…確か、高井先生はわりとすっきりした雰囲気の男の先生だった。
それもかなり若い。それは声からの憶測でしかないけど、
かなりの確率で二十台の前半。
「だなー。でも俺隣のクラスの美人のせんせーの方がよかった〜」
それもある。と柊にうなずいた。
「でもやっぱ一番はあれだな」
「だな」
多分俺と柊は同じことを言える。
別に呼吸を合わせたわけでもないのにきっちり一致した。
『Cじゃなくてよかった〜はははははは!!』
伸ばし具合まで完璧に一致した。
同時に大爆笑を引き起こす。
そう、1−Cは担任の先生が体育教諭の白宮。
現代っ子には付いていけない熱血先生っぽかった。
体育館で一人「元気ですかーー!!」とマイクなしで叫ぶ姿は思わず笑ってしまう。
1−Cの人たちはすでに引いていたところに追い討ちをかけられて
真っ白で失笑すらしなかった。
「イタかったなあれ!」
柊は半分涙目で俺も笑いが止まらずにしゃべれない。
ほんと、その瞬間1−C全員から『やっちまったーー!』っていう雰囲気がはみでていた。
「あの瞬間ほどCが哀れに見えるもんは無いだろっ!」
「そう言ってやるなよ。一年間が悲しくなるだろ?」
他人事だがな、とクスクス笑う。
「うわっお前のが酷いだろっ」
「C組みには悪いが、俺等はまだ幸運だからな」
「違いねぇっ」
にししし、と笑いを噛み殺している柊。
俺たちの周りでは話題が伝染したのかこの話でみんな笑っていた。
ひとしきり笑ってまた雑談を続けていると急に廊下側が騒ぎ出した。
『先生来た』と口々に言って、立っていた人たちはすばやく席に戻り
教室が静かになっていく。
そしてドアのすりガラスに先生の影が映ると一斉にそこに視線が集中した。
シンと静まり返るなかをガラッと音を立ててドアが開いた。
スタスタと歩いてきて教壇に立つ。
全員を一瞥すると、ヒソヒソと喋っていた声も消える。
「はじめまして。1−A担任の高井です。」
当たり障りの無い挨拶。普通の髪型に眼鏡、灰色系の黒のスーツを
すっきりと着こなした若い先生だ。
雰囲気的には独特の爽やかなものと真面目な空気がある。
勉強にはきっといい雰囲気を出してくれるだろう。
まぁ、そう思うのは俺だけかもしれないが。
クラスを軽く見回して、出席簿だろう黒い硬そうな表紙の冊子を一枚めくると
ボールペンを走らせた。
「欠席は……いないな。じゃ、出席をとります。呼ばれたら返事をして下さい。
読み方が違ったら言ってください……と、あだちななみさん」
「はい」
クラスの点呼がはじまり廊下側の席から順に呼ばれていく。
この時点で俺にはある種の確信があった。
この点呼は柊のところで一旦止まる。
横顔でもわかる柊の顔には不気味な笑みが張り付いている。
きっと間違えたときの絡み文句でも思いついたのだろう。
自分の列に近づくにつれて口元がどんどん歪に引きつっていく。
「の……えっと、なんて読めばいい?」
柊に来る前に躓く。
期待に満ちながらすごくもどかしそうな柊の顔を見ながら必死に笑いを堪える。
「……のもざきです……」
「え? なに?」
声が小さくて聞き取れなかったらしく先生が更に聞き返す。
引きつった笑顔で俺の方と先生を交互に見る柊を笑いをかみ殺しながら見守る。
「のもざきですっ!」
もともと大きな声を出すのが得意な子ではないのだろう。
言うと同時に真っ赤になって俯いてしまう。
かわいそうだなとか、人事な感想を思いながら柊に振り向いた。
笑いが押さえきれないのか、ずっと口元がひきつったままの状態で先生の持っている名簿を睨みつけている。
「野母崎いちごさんね。すまんな。次えーと、はにべしゅう」
「ええ!! 読めたんっすか!?」
ガタッと半分コケながら大声を出す。
「まぁ…ほら、近くに空手道場があるだろ? そこだろ? 士部<はにべ>の家は」
「いや、ぶっちゃけそうですけど! 納得いかねぇっ!」
しろよ。と心の中で突っ込んで案の定柊のところで詰まったのにため息をつく。
「ははは。俺はこの地元出身だからな。
この辺だと結構有名だろ? 士部の空手道場は」
確かに柊の家はこの辺では結構大きな道場なので有名だ。
柊の父親である士部冬侍は全盛期はスポーツ誌に載るほど全国に通った空手家だ。
いや、今でも多分いろいろ取材はあるみたいだ。
中学校のときにその当時の新聞の切抜きや大会のメダルなどを見せられた気がする。
見せてもらうのを断ろうとするとものすごく落ち込んだ顔をするので
京と苦笑しながら見せてもらった記憶がある。
決して自分たちから見たいといったわけではない。
この辺の性格は柊とそっくりだ。
「ぐぁ……計算外……」
ガックリとうな垂れる柊。
「よ、地元有名人」
そんな柊に追い討ちをかけると頭を抱えたまま動かなくなってしまった。
柊の…恐らく先生に無駄な時間を使わせる打算は不発に終わった…。
その後妥当に進み、俺の番まで回ってきた。
「みずのうえ……ん? みずのうえりょうじ?」
「はい」
そんな難しい名前じゃないんだが……なぜか先生は疑問形にして俺の名前を呼ぶ。
そして何故かこっちをじっとみてじっと何かを考える仕草をする。
「な、なんですか?」
「あ、いや。すまんな。才色兼備なやつもいるもんだと思ってな」
苦笑しながらどうもと言うといきなり柊が飛び起きた。
「それだっ!」
「な、なにがっ」
思わず言い返すが柊は俺を無視して先生に向き直る。
「こいつ! 容姿端麗、文武両道な才色兼備でなおかつ家柄良好こと水ノ上社長の息子水ノ上涼二です!」
思い切り振りかぶってビシッと俺を指差す。
「な?!」
こいつの勢いは収まらない。
「ま、単に水ノ上社長なんていっても漠然としかわかんないよな。
聞いて驚け! 世界にチェーンする天下の集積企業体っがっ!?」
ほぼ反射的に俺の右手が柊の頭に垂直に落ちる。
「なにすんだっ!?」
「こっちの科白だバカっ!!」
「あーー。こらこら、喧嘩はよそでやれ」
『とめろよ!!』
ビシッと二人そろって先生に手の甲を思いっきり突き出す。
ちなみに仕込ではないが、同時にツッコミをいれてしまう。
それと同時にクラスがドッと笑い出した。
「ふふふ、この調子でクラスを捲くってやるぜ!」
「考えてる事が全部口から垂れ流れてんだよっ!」
もう一度チョップを振り下ろすが軽くよけられてしまう。
「ぉぅ…そうやって暴力を振るのは良くないと思いマース」
「お前にだけだよっ!」
容赦なく言葉で切り込む。
こいつにだけはどうあっても手加減はできない。
「そういう形でしか俺たちの友情は表現できないんだな……この不器用さん♪」
「キモいわっ!」
早く、このみんなからの笑いと痛い視線から逃れたい……!
ところどころでざわざわとしている教室。
騒ぎを鎮火されてから、柊は机に突っ伏して初日から爆睡を決め込んでいた。
こいつが寝ている間に今日の午後の教科書販売の説明や、生活手引きの
説明はすべて終わってしまった。
あとで全部俺に聞く気なんだろうなと思うと少しムカついた。
軽く息を吐いて教壇のほうに目を上げると先生と目が合ってしまった。
なんか少し気まずい。
必死に頭の中の言葉で質問を作ろうとするがなかなかうまくいかない。
「……水ノ上は士部と仲がいいんだな」
先に先生のほうから話を振ってきた。
「あ、ええ。中学はずっと一緒のクラスでしたから」
「水ノ上は、もしかして――」
先生が何かを言いかけたときにチャイムが鳴り響いた。
新一年生は3時間で初日は終了だ。
この後、教科書販売があって授業は明日からとなる。
何かを言いかけた言葉を切って先生はみんなに振り返った。
「それじゃ、今日はここまでだ。起立!」
ガタガタと椅子を引いてみんなが立ち上がる。
その音に気づいてワンテンポ遅れて柊が立ち上がる。
「礼!」
一連した行動が終わると、また教室にざわめきが戻った。
首を鳴らしながら柊が伸びをする。
「よしっ帰るかっ!」
「ああ。勝手に帰ってくれ。俺は教科書をもらいに行って京と帰るから」
柊を置いてスタスタと歩き去っていく。
「つめてぇなーまてよー」
そういえば先生はさっき一体何を言おうとしたんだろう。
そう思って教壇を振り返る。
周りにはたくさんの生徒が寄ってきていて、どうも今は話せる状態じゃないみたいだ。
「ん? 涼二、先生に用事か?」
柊が振り返り俺に聞いてくる。
「いや、なんでもない」
まぁ、いいか。
俺は踵を返すと教科書販売の教室へと急いだ。
それから、先に待っていた京と3人で教科書をもらいに行った。
さすがに教科書はいろいろと重かったが母さんが車で来ていてそれに3人分全部詰め込んだ。
あまり大きな車ではないせいか、荷物を載せるとスペースが無くなってしまった。
仕方ない。ということで、俺たちは歩いて帰ることになった。
「まぁ、仕方ないよね」
俺たちが乗らない、と聞いて母さんたちは
「お茶でもして帰りましょうか」
なんて科白を残して去っていった。
なんていうか……大人ってずるい。
「腹減った〜〜」
柊の腹から何も入っていない音が響き渡る。
「わかったって……とりあえず学校出よう」
グゥ〜〜〜……
いいタイミングで柊の腹の虫が鳴く。
「腹で返事をすなっ」
「あははははっ」
駐車場になっていたグランドを高校の先輩であろう野球部の人たちが整地を始めた。
そんな中をさらに校舎の側の校門に向かって歩き出す。
その間にも柊の腹は唸り続ける。
「あはっ」
「うぅ。ひどい、そんな笑わなくても」
キューーン?
「あっははははっ……っだめーー止まらないっぷはははっ」
京の笑いは止まらない。
意外とこういうシンプルなところに弱いみたいだ。
渡り廊下にさし当たった所だった。
一番最初に気づいたのは柊。
「あれ? あ、先生じゃねぇ?」
「ん?」
言われて柊の目線を追いかける。
目の前の開放された渡り廊下のドアから出てくるところだった。
俺が先生を見つけたのと同時に向こうもこちらに気づいた。
「お。士部と水ノ上か。今帰りか?」
「はい。母親において帰られたんで仕方なく歩いて帰るんです」
事情を軽く話しみんなで苦笑してみせる。
「そりゃ、災難だったな」
あ、そういえば。
「先生」
HRでのあれの続きを聞こうと思った。
「ホームルームでなんか僕に言いかけてませんでした?」
「あ……ああ」
今更気づいたようにバツが悪そうな顔をする。
何か良くないことなんだろうか。
そして申し訳なさそうな表情で俺を見て、言った。
「……水ノ上には……もしかして、お兄さんがいたか?」
一瞬、何事かと思った。
先生は知っている。言葉は過去形だ。
いや、そう聞こえるのは俺だけ―――?
でも、それなら、先生の表情の説明がつかない。
何で知っているんだ?
いや、そんなことはどうでもいい。
ズキリと俺の心の傷が疼いた。
「ええ。居ましたよ。多分……先生の考えている通りです」
笑顔で本当にさりげなく答えた。
「そうか……悪いな。変な話して」
「いえ、それじゃ先生また明日」
見た目には笑顔を崩さなかったと思う。
横に居た柊と京も口々に先生にさようならを告げる。
そして二人同時に俺の背中を後押しして進みだす。
「腹の虫とめんの結構きついんだぜ〜? はやくメシ食いに行こうぜ」
「だねっお腹が減ると元気も無くなるしっ」
「ほらシャキッと歩け涼二っ」
「―――ああ、行こっか」
兄は、5年前に死んだ。交通事故だ。
当時11歳だった俺の目の前で死んだ。
今でも鮮明すぎるほどに思い出せる。
真っ赤に染まる血の中で、兄貴が言った最後の言葉は………
『死にたく…無い』だった。
俺が背負って生きる、彼の最後の言葉だ。
そしてこの時―――。
俺はまた、過去の偶然と、出会った。
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