3.偶然

「あーーーーー! けいちゃんこんなとこに居たっーーーー!」

 キィィィン……
 耳が痛いんですが。
 反射的に声の主のほうへと振り返る。
 入学式後の昼下がり。
 春先といえど今日は日差しはきつかった。
 声の主は校舎の陰。
 日なたのこの場所からは見えなかった。
 ただここの生徒と言うのは分かる。
 ブレザーを着たままだと今日は暑いからか、ブラウスが揺れるのが見えた。
 あの位置から声を出して少し耳が痛いと感じたのだ。
 近くでその声を出されたらどうなるんだ……。

 そして、彼女は、日陰から飛び出してきた。

 息を呑んだ。
 長い髪が翻って太陽の光にキラキラ光る。
 先生に全力の笑顔を向けて、華奢な手を振っている。
 美人と呼ばれるであろう顔つき。
 何が一番俺の視線を止めたのかと言うと―――

 彼女が俺の知り合いだったと言うことだった。

「けいちゃん!」
 先生へと走り寄る。
 真っ白いブラウスが反射してまぶしい。
「おー。シキ……じゃないオリベさん。学校では先生と呼べ」
「あっはっはっいーじゃん放課後だし」
 とても親しげに先生と話している。
「お前は放課後かもしれんが俺は仕事中なんでな」
 駆け寄ってきた彼女の言い訳を軽くかわす先生。
「それに声がでかい。恥ずかしいだろうがっ」
 先生が持っていた出席簿で軽く小突く。
「ぅいたっ……以後気をつけます〜」
「ん? 大丈夫か水ノ上〜? 耳痛いだろ?」
 唖然としているこちらに気づいて先生が声をかける。
「水―――?」
 彼女がこちらを振り返った。
 きらきらと銀色みたいに光る長い髪が翻る。
 目線はほぼ同じ。
 数秒、時間が止まったみたいだった―――。




「あ―――」
「あああああああああああああああっ!!!」



 キィィィィン……
 耳が……。
 耳を押さえて蹲る。
 俺だけじゃなくて先生と柊と京もだ。
 とりあえず俺の蚊ほどの声はパワーアップした彼女の声にいとも簡単にかき消された。
 今の声なら学校のどこに居たって聞こえたんじゃないのか。
 そう思えるくらい大きな声だった。
「涼二だっ!?」
 ビシィ! っと指をさして叫ぶ。
「五月蝿いぞ織部!」
 先生に名簿で小突かれていた。
「いたいっ!」
 その頭を押さえて涙目でプゥッと頬を膨らませている。
「ははは……久しぶり。その癖、直ってないんだな」
 乾いた笑いと正直な感想を返した。

 俺が知っているあの時も。
 同じ事が起きた。
 つい懐かしくて笑う。

「いやー、どうしても直んなくて。あははっ! ほんと久しぶりだね涼二っ!」
 懐かしい気分になった。

 ―――織部詩姫<おりべしき>。

 俺はまた彼女と出会った。
 シキの笑った顔は昔とほとんど変わってない。
 純粋さがあって―――……眩しい。
 あの時の記憶が無数に甦ってくる。
 少しだけ心の奥が暖かくなった気がした。
 そう思うと―――ごく自然に、声を出して笑い始めた。
「っ―――はははははっ」
「わ、笑わないでよっ! 一応直そうとしてるんだからっ」
 必死の弁解。これですら聞いたことのある懐かしい言葉。
「いやっ変わってないなっホント! ははははははっ!」
 可笑しかった。あまりにも変わっていない詩姫が―――……変わりすぎた俺自身が―――。
「もぅ笑いすぎっ!」
「いや、ごめん。色々思い出してっ」
「そうか、存分に思い出話に花咲かしてくれ。俺は行くぞ」
 先生がスタスタと職員室に向かって歩き出す。
「あぁっちょ…ちょっと、けーちゃんっ!」
「じゃ、またな〜織部〜水ノ上〜」
 ひらひらと手を振って校舎の中に消えていった。
「なんだ、用事があるなら行けばいいじゃないか」
「たいした用事はないんだけど………
 けーちゃんがこの学校の先生になったって言うから会いに来てみただけなんだっ」
 ふぅーんと会話が終わったときに消えてた存在が話しかけてきた。

「で、どちら様?」
 肩をポンと叩くのはイヤに笑顔の柊だった。



「私知ってるよ。織部さん、席が隣だよね」
 そう言ったのは京だ。
「うんっ覚えててくれたんだ秋野さんっ」
 女性陣の黄色い声が響く。
 今は帰り道の下り坂を降りている。
 詩姫も俺たちと同じらしく、親に置いて帰られたらしい。
 親の仕事の都合でそうなったんだと言っていた。
 で、そのまま歩いて帰るのもなんだから知り合いだという先生に会いにきたと言うことだ。
「で、時にヒメよ」
 ヒメとは詩姫の「姫」の部分だけのことだ。
 もともと短い名前なのであだ名が付きにくいと言っていたので柊が即座につけたものだ。
「そういうお前は馬鹿殿っぽいな」
 と、俺はさっきも言った。
「うっさいわっ。んで、涼二のいつぐらいを知ってんの?」
 なんだかいやな笑いだ。
 笑ってるそばから黒いオーラが漂ってる。
「小5、6ぐらいかなぁ、涼二初めて会ったときは防波堤から落ちてたっ」

 鮮明によみがえる恥ずかしい記憶。
 ―――なんでそんな事覚えているんだ……!?

「すいませんそのシーンカットで! カットで!!」
 やばいっ過去に起こした俺の赤裸々な事実がっ!
 不意にワシッと両肩が掴まれた。
 京の左手と柊の右手がそれぞれ俺を押さえつける。
「うん。それで?」
 京が―――笑顔で続きを聞いた。


 さて、俺の純粋な少年時代が詩姫によって語り明かされたわけだが。

「京は知ってんじゃん……」
 心ばかりの抵抗を示してみる。
 俺と京は小学校以前からずっと家が目の前。
 両親は知り合いでとっても仲が良い。
 だから一緒にいた時間も必然的に長い。
「いや、涼二って意外と天然っぽい生き方してんだなっ」
 柊にバンバンと背中を叩かれる。
 何がイヤかって言うとこいつに知られるのがイヤだった。
 このあとこの事がどこに広がってるのわかったもんじゃないからだ。
「ううん、あの時はほら、涼二うちに来なくなったから」
 そういえばそうかもしれない……。
 まぁ、年がら年中顔合わしてるんだから家に行かないぐらい大差ないだろう。
 俺の毎日を知っているなんて必然以外の何物でもなかった。
 一人っ子だった京は良くうちに遊びに来た。
 俺も良く京とおじさんとおばさんに引き込まれた記憶がある。
 向こうの旅行についていった事もあるぐらいだ。
 逆に京がウチの旅行についてきたこともある。
 ―――ほんと親戚みたいなもんだ。
「へぇ……涼二とみやちゃんそんな仲良かったんだ〜」
 ニヤニヤと俺と京を見る。
 何故か京は少し恥ずかしいようで顔を赤くしていた。
「そうそう。もう熱くて熱くて」
 詩姫の言葉に柊が悪乗りしだす。
 そして二人は目を見合わせて、ポンと京の肩に手を置いた。
「洗いざらいはいてもらおうか」
「ねっ!」
「え? えっ?」
 京は柊と詩姫の顔をキョロキョロと見ている。
 突然の事に要領を得ないようだ。
 つか……こいつらさっきあったばっかりなのに息ぴったりじゃねぇか……!
「ちょっと―――! おまえらっ」
 そんな俺の声に二人は笑顔で

『だ・ま・れ』

 と、見事に声を重ねた。
 ―――……どうやら俺にプライベートは無いらしい。


 そのあとも、俺の人生の半分以上が語り明かされた。
 主に小さい頃は京が、その京にあっていない時期を詩姫が、中学のときを京と柊が。
 ……もう、好きにしてくれ。




 小さいときの俺は基本的に兄ちゃんに引っ付いて歩き回っていた。
 なんでもできる兄ちゃんは俺にとってヒーローみたいな存在だった。
 走るのも一番早かった。
 サッカーも誰より上手かった。
 頭も良くて優しかった。
 いつも周りにはたくさんの人が居て、その中心に兄ちゃんはいた。
 子供目に見てもそれはすごいことなんだとわかった。
 だから―――。





「ありがとうございましたー!」
 春うらら。
 日差しはポカポカと暖かく、桜の木には満開の花。
 そして、入学式の日からハンバーガーを持ち歩く4人。
 ファーストフードは安くていい。
 学生の懐にもたまに行く分には全然いいじゃないか。

「いや、持ち帰りはいいんだけど、どこで食べるの?」
 思わず今の状況に突っ込んでしまう。
「はははっ花見でもしながら食うかっ」
 一見いい提案のように聞こえる。
 流れ作業でつくられたこいつもすばらしい味に思えるだろう。
 ―――だがっ。
「遠い。却下だっ」
 柊の言葉に対しては即座に思ったことを言う。
 大体歩いて20分とかかかる場所に行ったときにはハンバーガーがまずい。
 いやむしろポテトとジュースが不味い。
 水分を吸ってしおしおになったポテトと氷が溶けて更に薄くなったジュースは如何な物か。
 一度は食べたことあるだろうから分かるだろうけど、テイクアウトしない方が美味しい物が食える。
「この辺座れる所って無いよ〜?」
 京もちょっと考えて柊に投げかける。
「む。そうは言ってもどうせ中に居たって座れないんだから外に行くしか無いだろ?」
 それもそうなんだが。
 この今居る駅前のバーガーショップ。
 席はたくさんあるが、いろいろな人のたまり場になるため、
 昼時のこの時間に座れることは滅多に無い。
 3人で唸る。
 3人寄れば文殊の知恵ともいかないものだ。


「ねぇ! カラオケ行かない!?」

「は―――?」
 突然3人の思考に4人目が乱入してきた。
 俺たち3人の思考を1人斜め上を通って奇抜な発言。
 なるほど4人いれば奇想天外と言った所か。
「行くとこないしっアタシの知り合いの所だから持ち込みもできるし、ね!」
 やたらとうれしそうに俺を見る。
 その視線を受けて柊と京に目配らせをする。
 答えは「ふむ」とニコッだった。

「よしっ決まりっ!」

 詩姫は俺の手を掴んでブンブンと上下に振った。
 その詩姫の姿に思わず苦笑する。
「あ、笑ったっ! なによっ!」
「ぷ。ははははっいや、このやり取り、昔もやったよなっ変わってないなホントっ」
 慌てて手を離して振り返る。
「あ―――あたしだってちょっとは成長してるよっ!」
「あぁ。身長はなっ!」
 ポンポンと頭に手を置く。
 やべぇホントに身長はでかいな……。
 俺と殆ど変わらない。
 でも中身は変わってないみたいだ。
 あの時の―――詩姫のまま―――……。
 その思いに心のどこかがチクリと痛んだ気がした。
「うぅ……っひどいっ」
 およよ。なんてことを言いながら京に寄っていく。
 顔を京の胸に埋めてシクシク言っている。
 柊がボソっといいなぁと言ったが無視した。
 俺はそんな事思ってませんよ……?
「よしよし」
「涼二がいじめるよ〜」
 そんな感じの会話が繰り広げられていた。
「そんな悪い子には……お仕置き?」
 聞くのか。
「いじめてません」
 俺は溜息を吐いて歩き出す。
 少しだけ皆を振り返って言う。
「ほら、行くんだろカラオケ?」
 詩姫が一瞬にしてこちらを振り返って嬉しそうに俺に並ぶ。
「―――うん!」
 そして俺より先に歩き出して皆を手招く。
 皆でそんな彼女に微笑みながら、その道を歩き出した。




「おぉ〜カラオケ久しぶりだな〜」
 そう言いながら柊がソファーの真ん中を陣取る。
「おりゃ、邪魔だっ寄れっ」
 そんな柊を端に追いやりながら、続いて京と詩姫が座る。
「みやちゃんはカラオケ良く行くの?」
「うーん。受験のときは全然行けなかったけど、3月の終わりは良く行ったよ」
「そうなんだ!」
 うれしそうに声を跳ねさせる。
 こういうところは全く変わっていない。
 喜怒哀楽がすぐにわかる純粋な性格。
 そして―――。
「アタシ、一番歌うねっ」

 曲が始まった。
 イントロからゆっくりとメロディーが流れていく。
 そしてマイクを持つ詩姫は不思議な雰囲気をまといながら静かに微笑む。
 俺はまた、そんな詩姫に圧倒されながら、歌を待つ。


 ―――どくん。
 心臓が強く握られたみたいに、緊張した。
 呼吸を忘れて、彼女の歌に聞き入る。
 綺麗だった。
 圧倒的な歌唱力。
 暗いカラオケボックスは彼女の声に包まれた。

 一曲目から京が泣いている。
 とっても自分の涙を意外そうに見ている。
 柊も詩姫から目が離せないみたいで呆けた顔をしていた。
 かく言う俺も―――。

 あの頃を思い出して。
 あの時の言葉を嘘にしてしまった自分を責めたくなる。
 まだ諦めていない彼女を眩しく思う。
 彼女を―――羨ましく思う。

 世界が、変わったような気がした。
 歌はメロディーと混ざり直に脳に響く。
 声が、歌詞を心に届ける。
 そう、5年前となんて比べられないくらい―――……上手かった。
 楽しそうに歌う詩姫。
 そんな彼女をみていると―――。
 涙が、でそうになった―――……




 歌が終わったのを機に思いっきり拍手を送る。
「ひゅーーっ!!! すっげぇ! 上手すぎるよ姫ちゃんっ!」
 柊が立ち上がって絶賛する。
 その気持ちもわからなくも無い。
「うんっありがとうっ!」
 最高のほめ言葉をもらい笑顔で答える。
 言われ慣れているのかそこまで照れることも無い。
「すっごーい。私ちょっと泣いたよ〜」
 京も賛美の言葉を並べて詩姫と握手をする。
 本当にすごかった。
 俺も真剣にそう思う。
 だから俺も最高のほめ言葉を探して詩姫に言おうと模索していた。
 そんな俺を振り返って彼女は―――
 ただ、マイクを差し出す。

「涼二も歌おうよっ!」

 ―――思考がとまってしまう。
「いや―――俺は」
 とっさに俺の口が何か言おうと動き出す。
 だけど次に繋がることは無かった。
「ほらっ初めて歌ったっていうあの曲とかっ」
 ―――……仕方無い―――。
 そう思って、リモコンを手に取る。
「言っとくけど、俺は全然下手だからなっ」
「ほほう。そうやって予防線をはっておくつもりだな? 実はメッチャ上手いんだな?」
 柊が余計な事を言い始める。
「だから下手だっつぅにっ」
 俺は曲を見つけるとタッチパネルの送信ボタンを押した。
 題名が表示されて皆が口々になつかし〜と言う。
 歌が、始まった。


 どんな歌だったか思い出す。
 おぼろげに思い出せる歌を辿る。
 ―――久しぶりに聞いた自分の声は低くなっていた。
 ……俺は……成長していた。
 少し歌い辛いな。
 顔を顰めながら歌いやすい声の位置を探す。
 皆が微妙な顔をしている。
 まぁそうだろうな。
 ―――マイクを通して歌うのは、何年ぶりなんだろう。
 そんな事を思うぐらい遠い事。

 柊と京に誘われても、カラオケだけは絶対に行かなかった。
 ―――そのぐらい避けていた。
 だから、皆で行くのは今日が初めてだった。

 一通りのサビまで終える。
 皆は微妙な顔したり手拍子したりといった雰囲気。
 ……なんか嫌だな……。

「―――はああああああああああああああっっっ!!!!」

 シャウトした。
 皆がビックリして俺を見る。
 意味はある。
 よし。
 喉が開いた。
 声域は今ので上がった。
 さっきまでで声の出し方は思い出した。
 声量を上げる事で歌い方に遠慮をなくした。

 ―――久しぶりに、歌ってやる。
 下手だと思われるのは悔しいからな。
 俺はディスプレイにある歌詞に目をやった。


 そして―――合致させた俺の声で、歌い始めた。


「上手いな! 二番だけ」
「ホントびっくりしたよ二番〜」
 柊と京が拍手をくれる。
 まぁ、今の俺ならそれでもいい結果をとったほうだろう。
「次は京? はい」
「あ、うん。ありがと」
 マイクを渡して京と入れ替わり俺は席に座る。
 立って歌う派の人間だ。
 隣の詩姫が俺を見ているので目を合わせて首を傾げる。
「涼二―――…ほんとに歌を……」
 きっと、俺の歌い方を見てたんだろう。
「まぁ、やめっちゃってから結構経つしね」
 詩姫は視線を下げた。
 歌をやめた理由を―――知っているから。
「ごめん―――」
 そして謝る彼女。別に悪くなんて無いのに。
「いや、詩姫は全然気にすること無いって」
 そう、彼女に関係の無い俺の人生。
「詩姫は、真っ直ぐ進んでくれ―――」
 笑顔でそう言って歌い終わった京に拍手を送った。



 帰り道も皆ではしゃいた。
 俺の中学校時代の話を永延と詩姫に聞かせ続けた。
 詩姫は楽しそうに二人の話を聞いていた。
 時々は昔の俺と照らし合わせながら、楽しそうに笑う。
 俺は四六時中ふて腐れていただけだった。
 別れ際に詩姫はこう、聞いてきた。



「涼二は今、目指してるものってある?」



 と。

 俺はそれに「ああ」とだけ、答えた。


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