4.春の影

 ―――シキはすぐに俺達に馴染んでしまった。
 入学式から1週間。
 もう、次の日から登校から下校まで一緒にするようになった。
 元々俺と接点があって、かつミヤコとは高校初めての友達。
 ……シュウはもともとの性格があれだし。
 当然と言えば当然の事だった。
 そして俺達の集団はかなり目立っていたみたいだ。

 俺はまぁ頑張った甲斐あっての主席入学。
 京に関しては中学のときから、先輩に爆発的支持をもっていたのだが、
 やはり入学式にチェックされてるのかかなり人気が高いみたいだ。
 詩姫も言うまでも無くその整った目立つ容姿が初日から注目を浴びている。
 そして、柊。
 柔道部に入部早々、部長や顧問の先生を倒してしまったらしい。
 期待のエースとして全学年で話題となっている。
 と、入学したてで近づき難いらしく、
 まぁ必然的に4人固まるしか無くなってるような感じになった。
 チョーシ乗ってるとか指さされることもあったが……。
 こういうのはそのうちはれるだろうしまだ入学して間もない。
 じっくり頑張るかぁと俺は決めた。



 ……。
「ねぇ、三平方の定理ってこれであってる?」
「え?三平方の定理って何?」
 普通の中学校の3年生の後期に習う問題だ。
 もっとも、公立の学校に通う高校生には一般的に知っていなければ
 学校には通えないはずの問題だ。
「あってるよ。悩むほど難しくはないだろ」
「まぁ。聞きまして奥さん。この子自分が余裕だからって人を馬鹿にしてますよ」
 さっきから聞こえるあほな回答は柊によるものだ。
「してねぇ。それにほら、ちゃんと二人ともできてるじゃないか」
 京はすでに次へとすらすらと進んでいる。
 詩姫も取り立てて早くはないが、確実に問題を解いていっている。

「で? お前は?」
 さっきからしゃべってるだけでまったく進まない柊のノートを見る。
 第一問を俺に言われながら書いたところから全然やっていない。
 ノートの端に筋肉男の落書きや青いタヌキの絵が並んでいる。
 一人連想絵描きゲームらしい。
「問2は1同じ解き方だぞ」
「いや、はい…分かってはいるんですが」
「じゃ、やれよ」
 無言でシャーペンを手にする柊。
 一文字目を書いてペンを投げ出した。
「あ゛ばぁ〜……先生、俺はもうだめです………」
 はやっ!
 目がもうあっち側の人だった。
「もうだめなんだ…」
 その様子を見た詩姫が呆れて唖然としている。
 こいつは一体ここに何をしに来たのか…。
「ん、終わったー」
 不意に京が声を上げる。
 流石としか言いようがないが、その集中力はたいしたものだと思う。
「早いなー京ちゃんすごいっ」
「え? そうでもないよ。涼二なんかほら、もう現国の方にいっちゃってるし」
 そういって俺の方をみる。
「いや…俺もそうは言ってもまだ始めたばっかりだからな、
 詩姫ももうちょっとで終わりそうじゃないか。」
 これなら実力テストで十分半分より上を目指せるだろう。
 そしてチラリと横を見ると完全に脱力している柊が目に入ってしまった。
「…そうだな、お前が数学終わらしたら休憩にしてもいいぞ」
 テストの範囲は入試程度だったはず。
 スポーツ推薦のこいつには辛いだろう。
 あまり高得点は期待できない。
 なら、せめて宿題での補習ぐらいは回避するべきだろう。
「じゃーさっさと終わらせるから見せろー」
「お前が俺のを写してばれなかったためしがないだろ」
「またまたー。中学とは違うんだぜ?」
 確かに今回はばれないかもしれない。
 だが、いずればれることになる。
 中学のときなぜばれていたか―――それは、こいつに解けるわけがないと
 踏んだ先生が柊に鎌をかけるようになったからだ。
 それに対してこいつは「何で知ってんの!?」なんていう始末。
 究極級にバカだった………。
 明後日からテストが始まる。
 1年の一番初めにある学力テスト。
 今日は俺の部屋でそれに向けての勉強会をやっていた。


「おわったぁ〜〜〜」
 詩姫が大きく息をつく。
 う〜んと伸びをしながら後ろに倒れていく。

 が、いきなりバネでも付いているかのように起き上がった。
「お前はびっくり人形か?」
 そんなものは知らないが一応言ってみる。
「違うっ! それよりさ、涼二ってもう塾には行ってないの?」
 身振り手振りしながら不思議そうに聞いてくる。
 ……そうか、たしか昔は土曜日はサッカーと塾が重なってたんだった。
 朝サッカークラブに出かけて、帰ってきたらすぐに着替えて塾。
 なかなか元気だったじゃないか俺も。
「中学校卒業して塾は終わり。サッカーはリトルだから小学校で終りだったよ」
「でもサッカーはずっとクラブに入ってたじゃん」
 柊が妙な所に突っ込んでくる。
 いや……入ってたけど。
「詩姫が知ってる俺がやってたサッカーは小学校で終わってる」
「ふぅん。ね、みやちゃんとか柊君はクラブ何やってたの?」
「私? 私は家庭科部」
 京は詩姫にふふっと微笑んで返す。
「わかりやすいよな」
「似合ってるからいいんだって」
 俺の言葉に柊がペロンペロン手を振りながら言う。
 まぁ、確かに。
 裁縫とか料理とかそんな女の子らしいイメージが京にはある。
「あぁ〜わかるわかるっ」
 詩姫も納得して何度もうんうんと頷いていた。
「んで、柊君は?」
 詩姫が柊に目をやる。

『柔道』

 同時に二人の声が重なった。
 ん? と顔を見合わせたのは俺と京だった。
「俺に言わせてよ!」
 くわっと柊が叫ぶが、それを聞き流しながら二人で爽やかに笑った。
「あははは、3人とも息ぴったりだね〜」
 ――勉強会のくせにやたらまったりすすむ昼下がり。
 まぁ普通こんなもんか。
 ただ―――、いつも通り笑う俺達の中で詩姫だけちょっとだけ
 寂しそうな笑顔を見せることが多かった気がした。



 ―――夕方前。
 やっと柊が宿題を終えて、今日は此処までと打ち切った。
 息抜きも必要だ。
 皆に何か出そうと思った瞬間、部屋にノックが響いた。
「頑張ってる〜?」
 ヤバイ。
 俺の背中に冷や汗が流れる。
 あの人が現れてしまった……っ!!
「あ、おばさん。お邪魔してます」
 京がいつも通り挨拶をする。
「何でこんないいタイミングで現れるんだ……母さん……」
 俺はその人を見上げる。
 く……!
 さっきまで下で大人しくしてのにっ……!
 俺のことなんて何処吹く風。
 母さんはみんなの顔を見る。
「京ちゃんに柊君と……アレ?」
「あ、あのっお久しぶりです」
 詩姫が頭を下げる。
「……! もしかして詩姫ちゃんっ?」
 記憶の糸を手繰り寄せて思い当たったようだ。
 片付けられた机に全員分のグラスが置かれて、作りたてだろうお菓子がテーブルの真ん中に置かれた。
「ああっ涼二っすごいっ覚えててくれたよっ」
「ああ……まぁ……」
 さすがにあんな事しといて忘れるわけないだろう……。
 俺は遠い過去を思い出す。
 ……。
 ……。
 ドンマイだな……。

 ウチの母さんは無類の子供好きだ。
 小さかろうがデカかろうが自分の子供的な年代であれば歓迎している。
 特に……女の子は。
 大抵は餌付けして、買い物に引っ張りまわすのが王道だ。
 詩姫も昔、着せ替え人形のように遊ばれた日がある。
 ……まぁそれはさておき。
 この人は容赦なく俺達の会話に割り込んでくる。
 性格が悪いわけじゃない。
 母親としてはとても良い人だし、美人だとよく言われる。
 だが、息子は恥ずかしいのだよ。
 おいそれと人を家に呼べない環境になってしまった。
 今ではウチに呼べるのは柊と京……詩姫はまぁ知ってるしいいかなと思って連れてきた。

「……ふふふふ。いいなぁ涼ちゃん。こんな可愛い子いいなぁ……じゅるり」
「母さん、犯罪に走る前に俺の部屋から出て行ってくれ」
 真剣に。
「嫌だわぁ涼ちゃんっママショック〜」
 ジュースの入ったグラスは五個。
 俺と柊と京と詩姫と―――母さんの分。
 多く持ってきちゃった、なんて言っていたが絶対確信犯に決まっている。
「お夕飯も食べていかない? 頑張るわ、エビフライも16倍盛るから〜」
「多いよ!」
 冷蔵庫にそんなに海老が詰まっているのかウチはっ。
 突っ込みどころが多い人だなホントっ。
「あははははっおばさん全然変わらないですね〜」
「あらありがとっ」
「美人さんだしっ」
「照れるわ〜うふふ〜」
 褒められてクネクネしている。
 もう見てられねぇ……
「涼二……」
 肩にポンと手を置かれる。
 柊が哀れみの目で俺を見ていた。
「いい母さんだぜ……?」
「なんか腹立つなくそっ!」
 俺は苦し紛れに飲みのを一気に呷った。

 ―――夕飯は全力で阻止した。



「ばいばーい」
「じゃ、また月曜っ京ちゃん! ヒメちゃん! ついでに涼二」
 京と柊が手を振る。
「へーへー。はよ帰れっ」
 柊に言い返しながらひらひらと手を振ってみんなを見送る。
「ん。ばいばいっみやちゃん柊君」
 詩姫も反対側の道へと歩き出す。
 それだけ。
 京も家に入り、柊も見えなくなってみんな散らばって帰途についた―――はずだが。

「どーした?」
 詩姫が手を振った状態のまま固まって残っていたので、とりあえず話を振ってみる。
「あー…ふ、ふでばこ忘れた………」
 言いながら微妙な笑顔で笑っている。
 変な奴だな。
 そんなことぐらいすぐ言えばいいのに。
「あぁ、そうか。じゃぁ取ってくるよ。ちょっとまってて」
「あ―――…」

 部屋に戻ろうと踵を返した瞬間に詩姫に手を掴まれた。

「え―――?」

 反射的に詩姫を振り返る。
 詩姫は俯いていて顔を上げない。
「詩姫?」
 その微妙な空間に妙に心臓が高鳴った。
「ごめん………嘘」
 掴まれている手の所が、ちょっとだけ熱くなった気がした。
「ねぇ、ちょっとだけ………つきあってもらって、いいかな………?」
 顔は上げずに目線だけ上げて上目遣いになる。
 さっきよりほんの少しだけ手が強く握られた。
「―――ああ、いい、けど」
 途切れ途切れに、何も考えずに返事をした。
 実際その仕草に焦っていて何も考えられなかった。
 そして、トドメのように、少しだけ赤くなった顔を綻ばせて、「ありがとっ」と言った。
「―――っど、どこに行くの?」
 思わず顔を逸らして、照れ隠しをする。
 今射している光が夕日でよかった。
 心からそう思えた。
 だからあえて夕日を遮らず詩姫に視線を戻した。
 彼女はもう一度掴んだ手を強く握りなおして、満面の笑みでこう答えた。
「海!」

 そして……俺達はまた、俺達が出会った場所へと戻っていった。
 昔と彼女は変わらず、俺を連れる手を離してくれなかった。




 ―――海岸通りに差し掛かる。
 少し強めの風が潮の匂いを運んでくる。
 この海岸通は車通りが無く、閑散としている。
 赤と白で作られたタイルの歩道は所々草が生えている。
 防波堤は人ひとり上に乗って歩けるぐらいの大きさで、よくこの上を歩いた。
 夏は海水浴場として良く人が集まるが海開きをしていない今の時期は本当に何も無い。
 遠くの沈みかけた夕日が眩しくて顔を背けるとちょうど詩姫と目が合ってしまった。
「あはっ」
 無邪気に詩姫は笑う。
 あぁ………これって………コレってあれじゃないのか!?
 あの、恋人同士がやってるシチュエーションと全く寸分も違わないのでは!?
 そう思うと急に全身が沸騰したように熱くなった様な気がして、弾かれるようにして詩姫から離れた。
「わわっ!?」
「うわっっご、ごめんっ」
 少しだけ驚いたような顔をしてクスクスと彼女は笑い出した。
「あはっはははっほんと、涼二だねっ」
「はは―――」
 カラ笑い―――…。そう彼女に言われるとちょっとだけ辛かった。

 俺はまだ、あの人になれてないってことだから。

「ねぇ、涼二―――」
 不意に彼女の目は真剣なものとなる。
 彼女の純粋さを表している澄んだ目が眩しくて少しだけ目を細める。
 一度視線を下げて食いつくように俺を見直した。
「―――っ涼二! また歌おうよっ!」
 ―――無理だよ。
 心の声はすぐに反論する。
 でも、自分の声にはならなかった。
「涼二ならすぐにもっともっと上手くなって」
 ……―――無理だって。
 口が少しだけ動きかける。
 心が苦しい。
「すぐ約束とか果たして―――」
 不意に彼女の目に涙が宿る。
 その理由は明白だけど、どうしても笑顔にはなれなかった。

「なんでっ―――ぅ、そんな、悲しそうな顔するの―――?
 歌おうよ涼二!
 約束したじゃん!
 シンガーになろって!」

 きっと、隠せないぐらい俺は滑稽な表情をしているんだろう。
「―――…ごめん、な。俺、どうしてもならなきゃいけないんだ」
 あの人の影が、大きく俺の瞳に映る。
 記憶の中の、あの人の影。
 それを追い続ける。

 彼女の目が見開かれる。それと同時に大粒の涙がひとつ零れた。
「なんでっ―――…! 涼二は涼二なんだよ!?」
 眼を強く閉じて、彼女は叫んだ。

「涼二は、優一さんにはなれないんだよ!!?」

 一際大きな声が俺を通り過ぎて海の向こうへと消えていく。
 もう一度海から強い風が吹いてきた。
「……―――俺は、優一になるんだ」
 風のほうを向いて風に乗せてゆっくりと言葉を吐き出す。
 また詩姫を振り返る。
 睨むような顔をしていたと思う。
 俺の決意を曲げに来たのならそれは許せないことだから。
 彼女はひるむことはしなかった。
「なんで―――っ」

「交通事故で死ぬのは俺だったんだ」

 真っ赤になって横たわる兄。
 赤い血だらけの記憶。
「みんな泣いてた。なんでこんな有望な子が―――って」
 毎日、泣きっぱなしの母。
「兄ちゃんは『死にたくない』って未来を望んだんだ」
 父さんですら泣いたその中で俺は泣けなかった。
『僕は―――なんで―――?』
 みんなの視線が痛かった。
 兄ちゃんの友達の叫びが怖かった。
 兄ちゃんの彼女の泣き声が辛かった。
 みんなが怖かった。
 僕のせいだって言われるのが。
 言われたって僕には兄ちゃんを生き返らせる事なんて出来なかった。
 だから考えた。
 みんながもう悲しまないで済む方法。
 悩んでもがいて苦しんで。
 泣いて、叫んで―――!

 此処で答えが出た。


 ボクが―――ユウイチになればいいんだ―――


「だから俺が、その未来になるんだ―――!」
 5年前に言った決意をもう一度口にする。
 拳が無意識に固く握られている。
 手のひらの感覚は無い。
 詩姫がポロポロ涙を零して俺を見る。

 ―――パンッッ

 彼女に頬を叩かれた。
 当然。
 でも俺は間違ったなんて思っていない。
「俺は変わらない……!」
 そう言って耐えられなくなって走り出した。
 ―――恐らく逃げ出した。

 彼女の視線に決意が負けそうな気がして。
 言葉に、負けそうな気がして。


「でも涼二! ―――――――――……ぁ!!!」
 最後に走り去る俺に向かって彼女は何かを叫んでいたが―――
 強い風と心臓の音に遮られて何を言っているのか聞こえなかった。






『だから僕が、優一になるんだ―――!』
 五年前に聞いた涼二の声が鮮明に思い出せた。
 やっぱり走って逃げていく涼二にはあたしは絶対追いつけない。
 だから涼二を押していった風が逃げる方向へ振り返って、

「でも涼二! あたしはあきらめないから!!!」

 絶対に諦めない!!
 せめて、この思いだけでも涼二に追いついて欲しくて、渾身の力で叫んでいた。
 あんなに苦しそうに歌う涼二はイヤだった。
 さっきみたいに逃げる涼二はもっとイヤだった。
 昔みたいに此処に立って、何にも無い海の向こうに向かって
 楽しそうに歌っている涼二を取り戻したい―――。

 あたしには―――あの約束は、本当に大切な物だったんだから……!

 此処まで着た。
 涼二を叩いてしまった。
 あした、謝らなきゃ……。
 避けられたらどうしよ。
 …………謝ろうっ。

 夕日が沈んだ藍色に染まっていく海を見ながらもう一度決意した。
「絶対、また、此処で歌う―――」

 風に吹かれて頬が冷たいことに気づいた。
「あ、あれ?」
 全く気づかなかった。
 それを制服でごしごしと拭う。
 み、見られたよね〜やっぱ。ダサッ。
 どうしてもカッコよくは決まらないものだ。
「よしっ」
 そう意気込んで第一歩を踏み出す。
 ガッと足が地面の凹凸に引っかかる。
「あれ?」
 ペジッ!!と波の音の間を縫って派手にこけた音が響く
 最悪な第一歩。
 ちなみにノー受身。
「………負けないからっ」
 ガバッと起き上がるものの虚しかった。
 ―――右目から涙が零れるのは鼻の頭が痛いからだ。
 幸い血は出ていない。
 もう一度袖で頬を拭うと今度こそっと歩き出した。
 日は沈みきって辺りは真っ暗だった。
 でも前だけ見て帰ろうと決めた。
 ………そのせいで頭の上にたくさんの星が出ていることには気づけなかった。

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