10.夕陽(2)

*Ryoji...

 えーと、確かこの前父さんが持って帰ってきた陸上のスパイクが………。
 朝焼けの残る空の下、朝一番で家の倉庫を漁っていた。
 もちろんチカザワさんに挑むためだ。
 試作品らしい新作のシューズ。
 足の形にフィットし、何もはいていないみたいに軽い。
 どれだけ力を入れて走っても全部速さに変わる。
 履かされて思ったのがそんな感じ。
 あとはちょっと削れが早かったりする以外の欠点は特に見つからなかった。
「あ、コレか」
 置いた場所がわかっているのですぐ見つかった。
 手早く倉庫のドアと鍵を閉めると、袋に入ったスパイクの中身を確認して、
 そのまま出かけていく。
 今日は真っ直ぐ公園へと走った。


 あ、しまった。
 気づいて少し走る速さを緩める。
 昨日色々遠まわりしてあの時間、あの場所に着いたんだ。
 そんで、近澤さんはその時間にストレッチとアップを始めていた。
 今行っても早すぎるじゃないか。
 餓鬼みたいに期待していた自分に苦笑する。
 と言ってももう公園は目の前。
 まぁ、スパイクに慣れるために軽く走るのもいいかな。
 そう納得させて公園への階段を駆けた。
 期待していないことも無い。
 ちょっとだけ早めに―――近澤さんが居ることを。
 だから、公園に着いた瞬間、

 俺の心臓は一瞬高鳴った。

 素直に言おう。
 嬉しかった。
 相手の得意としている分野で俺が挑んで行って、
 引き分け以上の相手をしてくれる奴は少なかった。

「―――早いな、近澤さん」
「っ!」
 何にそんなに驚いたのか機敏な反応を見せる。
「あれっおはよう、水ノ上君も早いねっ」
 昨日と同じ状態で俺のほうを振り返る。
 昨日と違うのは彼女がちょっとだけ笑顔だと言うこと。
「うーん。いや、昨日は色々走ってからここに来たから。
 今日は真っ直ぐ来たんだけど居るとは思わなかったかな」
 期待は少しあったけど。
 その気持ちがばれないように視線を逸らして、ふぅっと息を抜く。
 何か待ち合わせに早くきたのに相手もいるって嬉しいな。
「ちょっと早く起きちゃったから…」
 近澤さんもなんだか気恥ずかしげだ。
 まぁ、そんな所だと俺も思っていた。
 よくあるよねと相槌を打って靴を履き替えることにした。



*Asahi...


「―――早いな、近澤さん」
 私はちょっと驚いて振り返った。
 そのせいか、なかなか言葉は出てこなかった。
「あれっおはよう、水ノ上君も早いねっ」
 ちょっと焦った声で私は反応している。
 驚いた。いつもよりかなり早いはずなのに、もう水ノ上君は現れてしまった。
「うーん。いや、昨日は色々走ってからここに来たから。
 今日は真っ直ぐ来たんだけど居るとは思わなかったかな」
 そう言って彼は私から視線を逸らして、ふぅっと息を吐いた。
「ちょっと早く起きちゃったから…」
 どう考えてもこんなベタな理由しか思い浮かばない。
 実際そうだった。
 でも、いつもより短針が一回り早い時間に起きてしまうのはどうだろうかと思う。
 なんだか落ち着かなくてそわそわとストレッチに戻る。
 彼はそんな言葉には特に関心を持たなかったらしくよくあるよね、と言ってスパイクを履き始めた。
 それを不思議そうに見ていた私に軽く微笑んで答えてくれた。
「このスパイクまだ何回かぐらいしか履いてないから、今から履いとこうと思って」
 なるほど、にしても、見ないデザインのスパイクだ。
 ダークブルーを基調にして黒のラインと中心に白のライン。
 なんとなく見入ってしまうデザインだ。
 大抵デザインがいいと性能が落ちると言われている。
「ね、そのスパイク…」
「あ、コレ? うちの親父が持って帰ってきたんだ。多分夏ぐらいに出るやつじゃないか?」
「非売品? すごいね」
「あぁ、ちょっと役得? みたいな感じ」
 あ―――そういえば入学初日に士部君が言っていたことを思い出す。
 水ノ上社長、とか、天下の集積企業、とか。
 結局それ以上は誰も知らない。
 今、ちょっと気になった。
「水ノ上君のお父さんって何の仕事やってる人なの?」
「はぁ、元々はスポーツ用品の開発の人。こういうスパイクとかね。
 今は………色々やってるってさ」
 ちょっと困ったみたいに首を傾げる

 自慢話があんまり好きじゃないみたいだ。
 うん。やっぱり水ノ上君はかなりいい人みたいだ。
 夕陽が言っていたようにカッコいいし、頭も良い。
 運動もできちゃうし、自慢話なんてしないし、チャレンジャーで明るい性格。
 ―――て、何考えてるんだっ私はっ。
 その考えを振り払うために跳ねるように起き上がった。
 さ、アップやって短距離勝負だっ。
「じゃ、先走ってるね」
 おっけーと言う言葉を背にしながら私は走り出した。
 ちょっとだけペースを上げて。


*Ryoji...

『10秒、9、8、7、6』
 スタートラインに手を置いて足をセットする。
『5、4、3、2』
 手に体重をかけるように腰を持ち上げて合図を待つ。
『1、スタート』
 ダッ! ほぼ同時に2人がスタートした。
 ちょっとだけ前に近澤さんが出る。
 息が詰まるような焦燥感が俺を襲う。
 20mほどそれが続いて、ちょっとづつ差が詰まってくる。
 20mと言っても2秒だ。
 もう、なんかかなり必死だ。
 そして50m地点、また、同時に足を着いた。
「―――っづはぁ! せぇぇぇふ!」
 守ってやったぜ。何をと言われると困るが守った!
「はぁ、は、はは、また、引き分けだねっ」
「は、ははは、ちなみに、近澤さん、50mいくつ?」
「50は、やんなかったなぁ、100は、12秒が、ベスト」
 そうか、まぁ俺と同じと考えて良いから5秒5ぐらいだろう。
 というか、女子でそれだけ走れるとはさすがとしか言いようが無い。
 100だと伸びの差で勝てそうだが50は難しい所だ。
「っし、もっかいいこーかっ」
「うん」
 2人してゆっくりとスタートラインへ引き返す。
「スタート速いよなぁ近澤さん」
「あはは、多分身長が無いから。100走っちゃうと水ノ上君に伸び負けちゃうなぁ」
「いや、サッカー選手としてスタートで負けてるのが悔しい」
 反応が同じなら俺より早くボールが取りにいけるじゃないか。
「私、陸上部だよ?」
「陸上部もサッカーに混じらない? たまに」
「それは男子の話じゃない? 私はバスケに混ぜてもらってた」
 確かに。さすがに女の子にあの荒っぽいスポーツは危ない。
 妙に納得してうんうんと頷いていた。
 スタートラインまで戻ってきて、カウントダウンマシンをセットしなおす。
 意外と便利なこいつ。
 ちなみにカウントダウンだけじゃなくてカウントアップのほうもできる。
「じゃ、いくよ」
「うん」
 カチッとスイッチを入れる。
『10秒、9、8、7、6』
 マシンはもう一度、秒読みを開始した。

 何度走ったか。
 俺はついに彼女に勝ってしまった。
 でも、それはスタミナ切れという問題。
「ま、負けたぁっ、はぁ………」
「は、仕方無いんじゃない? スタミナ切れみたいだしっ」
 その言葉に息荒く苦笑する彼女。
 汗だくになったTシャツの襟元をつまんでパタパタと仰ぎだした。
「ふぅー……水ノ上君には勝てないなぁ」
 歩き出しながらそう呟く。
 白いTシャツが肌に張り付いて、背中とかのラインが浮き出ているのが見えてしまった。
 が視線を逸らしてかわす。
 ………不可抗力なんだって。
 ついでに腕時計に目をやって、もうそろそろ帰らなければいけない時間だと気づいた。
「あ、今日はもうそろそろ上がりだな」
「―――そうだね、お疲れ様っ」
 一呼吸置いて彼女は振り返る。

「明日は―――、私が勝つから」

 それは約束の言葉。
 普段はそんな勝気な言葉を発しない彼女も、これについては譲れないらしい。
 本当に綺麗に笑った彼女を裏切ることはできない。
「いや―――…俺も負けない自信はあるよ」
 だから、了承の意味を込めて、そう啖呵をきった。
 明日、筋肉痛じゃなけりゃ良いけどなぁ……なんて考えながら。




*Yuhi...

「ただーいまっ」
 玄関から声が響く。
 あーちゃんが帰ってきた。
 寝ぼけた頭を回転させながら
「おかえりー」
 と玄関のほうを向いて返した。
 あーちゃんはいつも通り
「あっつーっ」
 なんて言いながら、そのままお風呂へと向かって行った。
 あたしはテレビへと視線を戻して朝ごはんをぱくつく。
 昨日聞いたようなニュースをいくつも聞いていると
 あーちゃんがお風呂から戻ってくる。
「おはよっ」
 今日もあーちゃんはご機嫌だ。
 いつもなら、あたしから挨拶をしないとこの挨拶は無い。
「……おはよー」
 ほんのちょっと間を置いて挨拶を返す。
 本当に頭が回っていない。
 だってあたしがあーちゃんが起きる音に気づいたのが5時。
 何事かと思ったらあーちゃんはシャワーを浴びて、スパイクの手入れをし始めた。
 味気ないがアレを水ノ上君との約束に緊張していたと考えたら………

 めちゃくちゃ可愛いじゃないっ!?

 女の子やってるよ、あーちゃんっ
 なんて色々悶々と考えているとあーちゃんと目が合う。
「え、どしたの?」
「……んーん。あ、あーちゃん占いで1番だったよ?」
 私たちは双子座―――なんてオチは無い。
 あーちゃんは乙女座。あたしは天秤座。
 丁度、日境に生まれて、親によってきっちり分けられたのだ。
 あたしはまぁ、それでよかったと思っている。
 育ってきた過程をどうみてもあーちゃんはお姉ちゃんだ。
「ふぅーん」
 素っ気無く答えるあーちゃん。
 あまりの素っ気無さにむっときた。
 もうちょっと構ってよっ。
 なんだかいろいろむらむらっときた。
 不本意だけど、からかってやろう。
 うんそうしよう。
 あたしはあーちゃんと目を合わせて、最高の笑顔を見せるとこう言ってやった。
「恋愛運、一番。告白するなら今日だって」

 あーちゃんは飲んでいた牛乳を噴いた。



 ちなみにその後ずっと、あーちゃんはあたしと目を合わせてもくれなかった。
 あーどれもコレも今日あたしが12位だったせいなんだろうかっ。
 好きな子にはやさしい態度で接してくださいとか言ってたけど、こうもきっちりあたらなくても良いのに。
 廊下を歩きながらちょっとナーバスになる。

 ふと、男の子2人仲良く歩く水ノ上君とすれ違う。
 私はゆっくりと歩くのをやめて水ノ上君を振り返った。
 あぁ、そうか、全部水ノ上君のせいにしちゃえばいいかっ。
 あたしは過ぎ去った水ノ上君の後姿に向かってべーっと舌を出して歩き出した。
 一瞬こっちを振り返ったような気がしたけど
 ………多分見られてないっしょ。

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