18.束縛

「どはっっ!」
 再びの攻撃を受けた俺は危うく意識を持っていかれかかる。
 しぬっ!
「ご、ごめんっ大丈夫涼二っ」
 上半身だけ起こした状態で詩姫は俺に話しかける。
「お、おおう……なんとか」
 軽く世界が白くなったが何とか大丈夫だ。
「よかったっ―――…涼二、話しがあるのっ」
 安堵の表情から一転、厳しい顔つきになる。
 詩姫の真剣な剣幕に押され、そのまま話を続ける。
「……な、なに?」

「夕陽ちゃん達から、CD、もらったよ……ね?」

 ―――っ!
 なんで、詩姫が知ってるんだ?
 俺の表情から何を考えてるのかわかったんだろう、そのまま話を続ける。
「柊君が言ってたんだ……もらったんだって」
 詩姫が急に泣きそうな顔になる。
「ねぇ……涼二。お願い……CDを聞いて……っ」
 それでも彼女は耐えて言葉を紡いでいる。
「お願い―――っ」
 傍から見れば俺が押し倒されたように見える体勢。
 詩姫は上から俺の顔を覗き込む。
 詩姫の目を見る。
 思わず流されてしまいそうだ。


 俺は目を閉じた。
 まだ鮮明に思い出せる。
 目の前で俺の代わりに死んだ兄ちゃんが言った言葉。
『死にたくない―――』
 目を開いた。
 俺は首を振る。
 その願いには答えることが出来ない。
 俺は、

「俺には無理なんだ詩姫―――!」

 そうやって生きれないんだ、
    
 詩姫。

 俺の視界は何かで滲んだ。
 詩姫の顔はよく見えなかった。
 次の瞬間には俺の上から飛びのくように離れて、部屋から走って出て行った。
 残された俺は仰向けになったまま、真っ白な天井を見上げていた。
 涙は―――流れなかった。




*Shiki...


 ―――っ!
 ―――っっっぁ!!
 走りながら、泣いていた。
 涙が、止まらない。
 前も良く見えない。
 でも、走らずにはいられない。
 時々こけながら走った。
 膝を擦りむいたけど、立ち上がって、まだ走った。
 走った。でも、体力の限界はすぐに来た。
「―――っはぁああ!」
 肺から暑い息を吐き出す。
 そこで、倒れた。
 こけたのかもしれない。
 分からない。
「うぅ……」
 だめだ、止まっちゃだめだ。
「あぁ……」
 だって止まってしまったら―――
「っうぁぁぁぁっ」
 あたしには泣くことしか残らないから。
 あたしはまた立ち上がって走り出した。
 体中が悲鳴を上げる。
 もともと運動が出来るような体じゃない。
 立ち上がって、2歩で本当に倒れた。
 走れなくなった。
 走れなくなったあたしは―――

「―――ぁぁあああっ!」

 泣き出した。
 何でこんなに泣いてるのかよく分からない。
 でも悲しい。
 こんなに泣いたのは2回目だった。
 1回目は涼二があたしの前から居なくなった時。
 約束を守れないとあたしに謝って、走って行った時。
 あたしは追いかけたけど、追いつけなかった。
 その時も泣いて、こけた。
 今回は涼二はあたしの目の前にいた。
 でも、あの目が嫌だった。
 一度閉じて開いた目は、あたしを見ていなかった。
 そんな目で泣きそうになりながら涼二はあたしに無理だと言う。
 あの目の奥に張り付いたものをあたしは知ってる。
 悔しい―――あたしには何も出来ない。
 苦しいよ涼二。

 もう一度、ここで歌おうよ―――

 波の音はあたしの耳に届いていた。
 防波堤のすぐ横のアスファルトの上であたしは泣いた。
 きっと波の音が……あたしの声を消してくれるから。





 痛い。
 それは体だろうか。
 でもあったかい。
 なんでだろう。
 母さんに触られてる時みたいな感じ。
 あたしは目を覚ました。
「お目覚め?」
 目の前には知らない人が居た。
「え―――?」
「あぁぁ、ごめんごめん。ウチは柊の母で士部玲です」
 ぽんっと頭に一本ぐらい花が咲いた。
 もちろんあたしの。
 なんで柊君のお母さんが?
 え? ここ、何処?

 あたしは起き上がると周りを見回した。
 和風な一部屋。
 障子の方が開いていて、中庭のような涼しい風景が見える。
 膝には絆創膏が貼ってあって、手のところどころにもあった。
 そして、柊君のおばさんの方をみる。
 あ、膝枕……?
「あ、ご、ごめんなさいっなんか色々ッ」
「いーよ別にウチが勝手にやったおせっかいだから」
 あっはっはと笑うその姿は柊君に似ていた。
「それより大丈夫? なんか海岸んとこで倒れてたらしいけど?」
「あ、ああ、はいっ大丈…夫……です」
 尻すぼみになっていく自分の言葉は大丈夫じゃないと言っている。

 不意に両頬ががっちり掴まれる。
「んもっ!?」
 そのせいで変な声が出る。
「ほーら、お姉さんの顔をよく見てごらーん?」
 言われて、というか強制的に顔が固定されて、柊君のおばさんに―――
 わ、若っ!!
 めっちゃ美人っ!!
「ほ、ホントに柊君のお母さんですか?」
 思わずそう聞いてしまった。
「何? おばあちゃんに見える?」
 それはありえないけど。
 顔がどんどんプレスされていく。
 しかも抜けれない。
 今ヤバイ。かなりおかしい顔をしているハズ。
「えぇ、あの、お姉さんとかじゃないかふぉ……」
 ちなみに最後の方はちゃんとしゃべれなかっただけ。
 急にパッと手が離された。
 その手は頭に移ってクシャクシャとあたしの頭を撫でた。
「でっしょー! ウチのことは玲ちゃんって呼んでねっ」

「それは歳を考えろよオバン」
 急に聞き覚えのある声が降り注ぐ。
 柊君が玲さんの後ろに立ってあたしたちを見下ろしていた。
「ちょ、誰がオバンよっあんた……後で道場に来なさいよねっ!」
「それは遠慮するっそれより大丈夫かヒメっち〜」
 無視するな〜! と叫ぶ玲さんをひらりと避けて柊君が言う。
「海岸で倒れてたから、運んできたんだけど何かあった?」
「それは―――」
 あたしは口ごもって俯く。
 そのあたしの様子を見て玲さんと柊君は一瞬目を合わせて頷く。
「ま、いいや。オレ稽古に戻るな〜」
 そう言ってスッと部屋から出て行った。
 また、玲さんと二人になる。

「えっと、ヒメちゃんだっけ?」
 改めて玲さんがあたしに話しかけてくる。
「はい?」
「何か―――あった? 目、真っ赤よ?」
 ―――っ
 痛い。今度は確実に心が。
 苦しそうな顔をするあたしを見かねてか、玲さんはちょっとため息をつく。
「ひーめちゃん、もっかいここおいでっ」
 そういってポンポンと太ももを叩く。
「え、あ、いや、そんな―――」
 さすがにそれは気が引ける。
 今あったばかりの人にそこまで迷惑をかけられない。
「んもっ!?」
 もう一度両頬がガッチリ掴まれる。
「お・い・で?」
 笑っている。
 大人しく従わないとまた良くないことが起きそうだ……
「ふ、ふぁい……」
 あたしはもう一度横になる。
「―――わわっ!」
 いきなり目の前が真っ暗になった。
 目の上がひんやりとしている。
「よっぽど泣いたのね。そんなんじゃせっかく可愛い顔が台無しよ?」
 そう言ってあたしの頭を撫でる。
「ごめんなさい……」
「なんで謝るの? ひめちゃんは悪くないわよ?」
 ゆっくり……あたしの頭を撫でながらそんなことを言った。

 不意にまた、泣きそうになった。

「―――…ごめんなさい」
 あたしはまた、謝ってしまった。
「ほら、また。柊から聞く分には、ヒメちゃん頑張り屋さんだし、
 みーちゃんや涼君にもすぐ馴染んだって言ってた。それってすごくない?」
 え?
 どういうことだろう。
「すぐ馴染んだ……? あたしは涼二と昔から知り合いだったからじゃないですか?」
 あたしはとりあえずそう答えた。
「うん。それも聞いた。でもヒメちゃんは特別」
 あたしの言葉を待たずに玲さんは続けた。
 そこで信じられない言葉を聞いた。
「涼君、中学校始まってしばらく、友達居なかったらしいから」
「う、そ―――」
 涼二は確かにちょっと不器用な所があったけど、友達はいっぱい居た。

「ホントらしいわよ?
 みーちゃんはずっと涼君をかばってたみたいなんだけど、
 涼君関わるなって突っぱねたみたいで……。
 気に入らないって言う柊とそこの道場で大喧嘩してね。
 ボロボロだったわね二人とも」

 玲さんが可笑しそうに笑う声が聞こえる。
「っと―――涼君に食いついたってことは涼君がらみの何かかな?
 告白でもしたの?」
「こ―――そ、そんなんじゃないですっ」
 あたしと涼二はそんな仲じゃないし……っ
「んふ。でも泣いてたのは涼君のことでしょ?」
 目を合わせていないのに玲さんはどんどんあたしを見抜いていく。
 何故か、この人には話せてしまう。
「はい……」
 あったかい手があたしの頭の上で止まった。
 ―――安心する。
 誰かにこんなに長く触れてもらったのは久しぶりだった。
 あたしの目からまた、涙が出た。
「ん。泣き終わって、気が向いたら、話してね?」

 あたしが涼二との話をしだしたのは、そのあと涙が枯れてからだった。

 玲さんはあたしの話を最後まで頷きながら聞いてくれた。
 あたしも時々泣きながら、記憶をたどって、色々話した。
 最後に一つだけ、玲さんはあたしに聞いてきた。
「ヒメちゃんは? まだ涼君に歌って欲しいって思ってるんだ?」
 あたしは頷いた。
 玲さんは何も言わずにあたしの頭を撫で続けた。
 それが心地よくて、いつの間にかあたしは寝てしまった―――。


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