20.涼二(2)

*Ryoji

 逃げた俺に行く場所なんてなくて。
 こんなボロボロじゃ家にも帰れなくて。
 俺は海岸に居た。
 海岸の真ん中で倒れた。
 走るのにも疲れて、もう、面倒くさくなって。
 不意に思い出した。
 2回目に詩姫にあったときもこんな感じだったのを。

 ただの、我侭だったのだろうか。
 別に二人に迷惑を掛ける気は無かった。
 詩姫にも諦めてもらえれば、俺は今まで通り振る舞うし皆で楽しくやっていくつもりだった。
 ただ三人で―――今は、四人か。
 四人で、遊んで勉強して、告白に驚いて。
 そんな日々が、いいなぁと思ってた。

 ダメなのかそんな些細な幸せは……!
 俺は逃げてる。
 詩姫から。
 責任を放棄したくない。
 僕は、ユウイチになるんだ。
 その声が―――消えない限り。




 しばらくすると足音が聞こえた。
 俺は振り返らない。
「見つけた―――」
 月を背負った銀色の艶の長い髪。
 そう言ったのはやっぱり詩姫の声だった。
 俺は無言で月を見つめ続ける。
「ねぇ……涼二」
 そういって俺の顔を覗き込む。
 その距離約30cm……相変わらず近い。
 でも、今回は目を逸らさなかった。
 詩姫の成長した顔を良く見る。
 雰囲気的なものは変わらない。
 でも、可愛いから美人へと成長したと思う。
「美人だな詩姫」
 思わず言葉に出てしまった。
「へ―――うわっ!」
 詩姫は目を見開くと、真っ赤になって後ろにバランスを崩した。
 それでも性格は全く変わってない。
 ドジっぽいけど、一途な頑張り屋。
 それは、とてもすごいことだと思えた。
 俺は、この通り。
 女の子傷つけて、親友と喧嘩してボロボロ。
 行く所も無くて浜辺に寝転がってる。
 ―――ホント救えねぇ奴。
「え、りょ、涼二っ! からかってる?」
「いや……そんな余裕ない」
 言いつつ俺はボーっと月を見る。
「うぅ〜……と、とりあえず、怪我みして。
 きっ救急箱借りてきたっ」
 言って仰向けに倒れる俺の手を取る。
「あっ砂が入っちゃってるっ……ん〜あ、そこ自販機あったね。ちょっとまってて」
 パタパタと走って上がって、水を買って戻ってきた。
「これで砂落として〜……っと……傷だらけ、だね」
「……ん」
 水で砂を落として、消毒を掛ける。
 傷にしみて、思考がはっきりしてきた。
 そして、グルグルと包帯を巻く。
 妙に手際がいい。
「―――あたしは怪我多いから慣れてるのっ」
 ぷぅっと頬を膨らませた。
 俺そんなに不思議そうな顔してたか。
 それから、逆の手、顔と手当てをしてくれる。
 顔は綺麗なモンだった。
 ―――アイツは手加減してたから。
「……ごめん……」
 詩姫に謝る。
 最低な俺。
 また俺は……此処で……。



 不意に、何か意を決したように詩姫が立ち上がる。
 歩いて防波堤への階段を上がると―――あの場所に立った。

 そこを明るく照らしているのは一つだけの街灯。
 星空が空間を淡く彩る照明。
 その空間だけは、この瞬間ステージ。
 懐かしい感覚。
 あそこに立った感覚は緊張、そして昂揚。
 それが伝わってきて、俺の心臓も高鳴る。
 照明の光で詩姫の輪郭が白く光る。
 しばらくして―――詩姫が叫んだ。


「あたしは!! 織部詩姫!」


 そういった瞬間、強い風が舞った。
 でも―――詩姫は前のように防波堤から落ちることは無かった。
 銀色に光る髪が靡く。
 世界が全て彼女になった。
 更に強く光が俺の目に入る。
 そして―――彼女は歌い出した。
 叫んでいたようにも見える。
 あの時の歌。
 織部白雪が俺にくれた曲。
 俺は心奪われるように、詩姫の歌う歌に聞き入った。

 あの曲は、偶然知った。
 すぐに覚えてしまった。
 その日たまたま聞いてた曲。
 白兄に貰った。俺の歌。
 詩姫はあんなにも楽しそうに歌う―――。

「今度は―――涼二の番だよっ」


 また、歌いたい―――そう思ってしまった。





 俺は立ち上がって階段を上った。
 彼女は黙って自分の身を引いた。
 俺は防波堤に触れた。
 懐かしい感覚だった。
 不意に下を見下ろした。
 ―――誰かが立っている。

 兄貴―――。

 それは記憶の作り出した幻想。
 でも、血まみれの格好で俺を見上げている。
 不意に口が動く、
『死にたくない―――』
 俺は弾かれるように防波堤から飛びのいた。
「涼二?」
 挙動不審な俺に詩姫が近づいてくる。
 俺は首を横に振った。
 手が震えているのが分かる。
 詩姫はゆっくりと俺の手を握った。
「涼二は立てるよ?」
 それだけ言って俺を防波堤の近くまで連れてくる。
 が、俺は途中止まる。
「涼二?」
 だめだ、これ以上行ったらまた、見える。
 詩姫は俺の手を引っ張る。
「涼二なら行けるよっ」
 踏ん張りも体重も俺のほうが重いため、詩姫には俺を引いて連れ出すことは出来ない。
 詩姫はザリザリと足を滑らしながら懸命に引っ張る。
 さながら俺は散歩を嫌がる犬みたいなものだろうか。
 てこでも動かない。
 不意に後ろを車が一台通り過ぎた―――。

 え?

 反射運動で身体は車を避けるため後ろへの力を弱める。
 気付いた時には、俺はもう詩姫に引っ張り出されていた。
「わっ!?」
 詩姫もいきなりのことに驚いて声を上げる。
「―――だっ!?」
 詩姫は右側の方に倒れたが俺は防波堤めがけて突進することになった
 ぶつかる―――!
 そう思った瞬間俺は跳んだ
 満足な体勢じゃなく、足が防波堤に突っかかるようになった
 落ち―――!!
「涼二!!!」
 後ろから聞こえた詩姫の声。
 でも、俺は目の前の砂浜にたたずむアレが怖くて仕方が無かった―――。

 俺は成す術もなくその砂浜に向って落る。
 ―――まだ、アイツが立ってる。
 俺を見上げている。
 見るな。
 俺を見るな。
 見るな!

 何で―――俺と同じ顔で……!!

 ソレは言った。
『死にたくない―――』
 と。
 でも、
 その姿は誰だ―――?
 俺じゃないか。
 何で俺が泣いているんだ。

 死にたくない。
 俺の、存在を―――誰か。



 誰か、俺を認めてくれ。




 走馬灯って奴だろうか、
 たくさんの記憶を見た。
 もう一度あの日を思い出した。
 兄貴は俺の目の前で、死んだ。
 俺は悲しんだ。
 当然、父さんと母さんも悲しんだ。
 葬式の日には父さんも泣いていた。
 来る人来る人、みんな泣いていた。
 ―――急に、怖くなった。
 みんな、兄ちゃんが死んだことを悲しんでいる。
 僕のせいで死んだ兄ちゃん。
 みんなに必要とされていた兄ちゃん。
 ボクは―――?
 みんな、泣いている。
 誰も僕なんか見てない。
 みんなが悲しんでいるのは
 僕の代わりに兄ちゃんが死んでしまったせい。
 どうすれば、みんなが泣き止むんだ?
 ―――兄ちゃんは生き返ることはできない。
 ―――僕が死ぬはずだったんだ。
 ―――…僕が―――優一になればいいんだ。
 僕が優一になれば、父さんは泣かない。
 母さんも泣き止む。
 僕なんか、要らない。
 どうせ、死んでたんだ。だったら―――!

 俺が優一になればいいんだ―――!

 そう決めたのに。
 子供の頃から彼女は俺を見失わなかった。
 突き放して消えたのに。
 嫌ってくれればそれでよかったのに。

『涼二は、優一さんにはなれないんだよ!!?』

 本当は分かってたんだ。
 昔は、それが嫌で毎日に嫌気が差していたのに。

 誰か、俺を水ノ上涼二だと知っている誰かに―――。

 手を差し伸べてくれるのを待っていた―――。


 ふわり、手が触れる。


 暗転。
 俺の意識は、そこで闇に飲まれた。






「涼二」
 京に呼ばれる。彼女は大丈夫だから、と俺を慰めた。
「涼二!」
 柊が怒鳴る。どんな状態の俺でも等しく涼二と呼ぶ。触れて欲しくない事に触れられた俺は逃げ出した。
 柊は正しい事を言っていた。その言葉は本当の俺に痛く突き刺さった。
「涼二っ」
 詩姫に呼ばれる。彼女は最初から“俺”を真っ直ぐに見ていた。






「涼二っ! 涼二っっ!!」
 ゆさゆさと肩を揺さぶられた。
 詩姫の叫びに俺の意識が急激に覚醒していく。
「―――う? し……き?」
 ―――頭がくらくらする。
「大丈夫っ!? よかったっ! よかったぁぁぁぁっ」
 そのまま、詩姫は泣き出してしまった。
「う、え? お、おい、泣くなって」
 俺はたじろぎながら詩姫をなだめる。
「うぁあぁぅんぅんぅんっ」
 頷きまくりながら泣きまくる詩姫。
 ど、どうしろと?
 寝転がったままとりあえず防波堤を見上げた。

 刹那―――もう一つ、思い出した。


 こけた。
 こんな風に上向きになって頭の上の方に兄貴が立っていた。
「はは〜まだまだだな。まぁ涼二だしすぐ俺より上手くなれるよ」
 そう言ってサッカーボールを足で玩ぶ。
 俺はどうしても兄貴に勝ちたくて、何度も挑戦していた。
 でも、あのボールをどうしても兄貴から奪うことが出来なかった。
 不意に兄貴は俺に尋ねた。
「涼二はサッカー選手になりたいのか?」
「―――別に」
 兄貴のやっていた事だからやってた。ただそれだけ。
「ふ〜んだろうなっ聞いたぞ? 織部と歌の練習してるんだってな」
 意地の悪い笑顔で俺を覗き込む。
「……そうだよっ」
 だから俺もぶっきらぼうにそう答えて起き上がった。
 なんだか兄貴にばれているのはとても気に食わなかった。
 兄貴は嬉しそうに笑うと、俺の頭を撫でた。
「俺の真似ばっかしてるのも面白いけど、
 涼二は涼二のやりたいことやればいいんだぜ?」
 そういってクシャクシャに俺の頭を撫でた。
 その時思った。
 絶対この余裕な人を超えて―――すげぇって言わせるんだ。



 そう、事故の前、そんなことを言われた。

 俺のやりたいこと―――?
 もう一度詩姫に視線を戻した。
 泣いている。
 俺を追いかけてこけた時と同じ。

 ―――でも、今は強く手が握られていた。

「詩姫」
 詩姫が俺を見てゆっくりと手を放した。
 俺は勢いをつけて起き上がった。
 今更、格好が柔道着で裸足な事に気づいた。
 ちょっと笑えた。

 軽い足取りで階段を上った。
 防波堤の下には―――不思議なモノを見上げる詩姫がいた。

 俺は防波堤の上に飛び乗った。
 そして思いっきり潮の匂いのする空気を吸い込む。
「俺は―――!」

 そうだ。
 叫べ。
 取り戻すんだ。
 俺の名前を。
 俺の意味を。
 彼女が思い出させてくれた歌を。
 俺の名前は―――!!

「―――水ノ上 涼二だ!!!」

 歌うんだ
 兄貴でもない、
 詩姫でもない、
 白雪さんでもない
 ただ唯一俺だけの、

 この”声”で―――!

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