21.リターン
*Shiki...
涼二の声が響く―――
あの防波堤の上で今、楽しそうに歌っている。
その声は、昔とは比べ物にならないほど、あたしを引き込む。
心臓が高鳴る。
呼吸をどれだけしても足りない気がする。
涼二の声には力ある。
世界を染め替えてしまうような爽やかな声。
人を後押しする勇気を与える。
ひたすら真っ直ぐに見えるその姿に自然と笑顔が浮かぶ。
何度お兄ちゃんに涼二の歌を歌ってもらっても、
あたしの中には、涼二の声でしかその歌は流れなかった。
あの歌は、涼二の声が、涼二のものにしてしまった。
お兄ちゃんはソレが涼二の声の力だって、笑いながら言った。
あたしはその声に惹き込まれていた。
涼二の歌が大好きだった。
涼二が歌っている姿が大好きだった―――。
今の涼二はあたしの大好きだった涼二。
その姿を見てあたしはまた泣きそうになる。
「腹減った!」
歌の最後にそう涼二が叫んだ。
楽しそうな表情のまま。
一瞬呆気に取られてあたしも笑った。
*Ryoji...
黒と青だった暗い世界。
詩姫みたいな真っ白な歌に憧れた。
晴天を駆け抜ける希望の歌。
―――光が、世界を彩るように。
この声で、世界を作る。
叫ぶ。
自分の存在をこの声で形にする。
この歌は俺自身の証明。
この世界はこの歌が創る。
俺自身はこの声で、この世界に居る事を許される。
俺の目の前で歌う彼女が真っ直ぐな道になる。
―――ああ、これなら―――真っ直ぐ歩けるな。
待ってろ。
すぐに……
俺が追いつくから。
―――久しぶりにこんなに楽しく歌えた。
歌い終わったところで腹が減っていることに気づいた。
「腹減った!」
そう叫んだ。
真っ黒い海にその叫びは消える。
下を見下ろすと面白いものを見るように詩姫が笑っていた。
俺は詩姫を飛び越えるように防波堤から跳ぶ。
「わわっ」
予定通り詩姫より遠くに着地した俺は、詩姫を振り返った。
詩姫は驚いた表情を見せるとヘラッと笑った。
「……ありがとな」
自然に俺の口からそんな言葉が出てきた。
気恥ずかしくて視線を逸らしながらそう言った。
詩姫は真っ赤になると顔をブンブン振りながら
「そんなっあたしの方こそっ!」
そう言った。
俺は何もしてないんだけどな。
手当てもしてもらって、励ましてもらって。
俺はしてもらってばっかりだ。
そう思って笑う。
きゅぅぅぅ〜……
……詩姫の腹が鳴った。
「っはははははは!」
あまりのタイミングのよさに俺は笑う。
詩姫はいつもそうだ。
しんみりしそうな所で笑わせてくれる。
こんなに楽しいのは久しぶりだ。
「わ、笑わないでよっ」
更に顔を真っ赤にして詩姫は言う。
「うんっじゃ、メシ食いに戻るかっ」
そう言って詩姫が立ち上がるのに手を差し出した。
が、
「ご、ごめん……腰抜けた……た、立てない……」
なぜ!?
どのタイミングで腰が抜けたんだ!?
「いや〜、さっき涼二が起きた時に、安心したら……腰抜けた」
「そ、そっか……」
軽く顔の温度が上がるのを感じた。
な、何故だっ
とにかく、どうにかして運んだ方がいいよなぁ………
俺が思案していると期待の目がこっちに向いているのに気づいた。
多分、この先の言われることがわかってるんだろう。
「……わかった。俺が背負うよっ」
「わーいっ!」
何がわーいだよ………
「あ、涼二、くつ。これ涼二のだから」
「なにゆえっ」
「履き間違えたっ」
そう言ってビシッと親指を突き立てる。
………実はどっかで全部仕組まれてるんじゃないのか?
ま、いっか。
詩姫を背負って歩く。
何を隠そう、俺の顔は真っ赤だ。
流血してるわけじゃない。
柊は手加減して数発ぐらいしか顔は殴ってない。
絆創膏が数枚張ってある程度だ。
問題はこの背中に……。
その、5年前も同じようなことはやったが、詩姫も俺も幼かったわけで。
意外とやわらかい感触とか、胸が背中にあたってるとか……不可抗力ですよ?
あと、
「なつかし〜―――…涼二の匂いがする」
「……汗臭いだけじゃないっすか」
「ん〜ん。涼二の匂い」
そう言って俺に密着する。
は、はずかし〜〜〜〜!!!
と、諸々の条件で俺は詩姫に真っ赤にされている。
昔っからそうだった。
恥ずかしいセリフを平気で言ってのけるタイプだ。
今、俺は走りたい。
すんげぇ走りたい。
もう一回海岸に戻って恥ずかしいと叫びたい。
「ねぇ……涼二」
不意に耳元で話しかけられる。
「……何?」
内心かなり色々焦っているが平静を装って言葉を返す。
「……なんで歌ってくれたの?」
「―――…あぁ。それは……
……思い出したんだ。昔の事少し」
「どんな?」
声が近い……。
でも、顔を見ないですむからなんとなく落ち着く。
「兄貴は……俺には自分のやりたいように生きろって言ってた」
「優一さんが?」
「そう……バイクの事故に会う前にさ。
サッカーの相手してくれてたんだ。
俺は犬みたいにボール追ってたよ」
「あはっ涼二かわいい」
「……でさ、そのときに言ってくれたんだ。
その後なんだか悔しくてやっぱりサッカーでもこの人を負かしたいと思ってさ。
頑張ったんだ。頑張って、全力でスライディングして、なんとかボールをとったんだ」
「すごいじゃんっ」
「……その後、嬉しさ余ってそのボールをダッシュで取りに行って―――事故」
「あ、あぅ……ごめん……」
「別に」
「え、えっと、結局なんで?」
詩姫はそう聞いてきた。
余計な話が多かったみたいだ。
「まぁ……詩姫のためだよ」
言ってそれがすごい恥ずかしいセリフだと気づいた。
「や、約束があるからなっ」
慌ててそう修正する。
いや、もうフォローになってない事にもその瞬間は気付けなかった。
「―――うんっ」
頷いて、力いっぱい首に抱きついてきた。
―――くるしいっ!
「ちょ、くるしっ! ギブギブ!」
「あはははっ」
何処ぞのバカップルにも負けないこのやり取りに、
終始俺の顔の温度は上がりっぱなしだった。
『おじゃましまーす!』
再び士部家の玄関をくぐる。
「おう、お帰り」
そういって出迎えてきたのは柊。
ボロボロだ。
「……柊、男前があがったな」
「お前もな……もう、片付いたか?」
腕組をしてそう聞いてくる。
「ああ、ありがとな」
俺は詩姫を背中からおろしながら答える。
「じゃ、メシ食いますか!」
柊は拳を固めて強くそう言った。
『食べましょう!』
俺と詩姫は激しくそれに同意した。
「たーんとお食べっ」
テーブルには彩り鮮やかな料理が所狭しと並んでいた。
「残したら吐くまで稽古だから」
『なんだってぇ!?』
俺と柊の声がハモる。
そんな二人に詩姫は笑う。
―――喧嘩の方が楽かもしれない……。
机いっぱいに並んだ料理を見ながら、そう思った。
―――柊とガツガツ料理を消化していく。
目の前では玲さんと詩姫が、楽しそうに会話しながら食事を進めている。
「へぇ〜じゃ、涼君と会ったのが5年前で今年感動の再会を果たしたって分けねっ」
玲さんはキラキラとした目で俺と詩姫を見る。
「はいっ」
詩姫ももう玲さんには慣れているのか笑顔で返事をする。
「―――で? 浜辺でもうシテきたの?」
ぶばっっっっ!!!!!!!!!
思わず柊の方向を向いて飲んでいた水を噴き出した。
「何すんだコラァ!」
「生みの親に聞けぇ!!」
柊と俺はその場でつかみ合いのケンカを始める。
古いなりにも的確にこの場の雰囲気を呑める言葉だ。
「あはははっ元気で何よりよっ」
「して?」
詩姫はモムモムとご飯を食べながらそこを聞き返す。
玲さんは俺をちらりと見ると歪に笑う。
冷や汗が背中を流れる。
そして詩姫の耳元に顔を寄せると、小さな声でボソボソと何かを呟く。
うわぁ三文字だった。簡潔だ……。
途端、
ボンッ! と音を立てて詩姫の顔が真っ赤になる。
「ああぁぃいやっ! あぁたしと涼二はそっそそんなっ」
見てるこっちが恥ずかしいぐらい動揺して否定する。
「とかなんとか言って〜おんぶして帰って貰っちゃってたじゃんか〜?」
柊が詩姫に追撃。
くっ……余計なことを―――!
「ほ〜ぅ? ヒメちゃんやらしちゃいますねぇ?」
玲さんは意地悪な笑顔で詩姫を追い詰めていく。
「いぃやああのっ」
もう詩姫はタジタジだ。見てられない……。
助けて〜という視線をこっちに投げかけてくる。
この手の話に免疫が無いんだろう。いいように玲さんのオモチャだ。
「やめてあげて玲さん、詩姫そこらへん弱いですし」
「あら涼君。ヒメちゃんの弱い所はもう知り尽くしてるのねっ?」
嫌なニュアンスを含んで言葉を繋ぐ。
その言葉にも詩姫は更に顔を赤くする。
「ふふっそんなヒメちゃんが可愛いっお姉さんが食べちゃうぞっ」
手放す気は無いようで。
俺は諦めて、食事を進めることにした。
数時間。
「……ほら、食えってあの天ぷら、柊を呼んでるぜ?」
「……ははは、いや、あっちの厚焼きだって涼二を見てんぞ?」
俺と柊はついに限界という地点まで来てしまったみたいだ。
互いに不毛な会話に花を咲かせながら、超ゆっくり箸を進める。
「……お腹いっぱい?」
玲さんは笑顔でそう聞いてきた。
残っている料理は後一皿分。
ただし、大皿。
『あはは、そんなわけないじゃないっすか〜』
そう言って俺と柊は睨みあう。
ちなみに詩姫はそこで湯気を出して倒れている。
玲さんに色々教え込まれたらしい。
……
「よしっじゃんけんで行くかっ!」
柊は提案した。
「ああそうだな。勝った方が玲さんの料理を食べれるんだよなっ!」
もちろんコレは予防線。
万が一、玲さんの機嫌を損なえばその場で一本背負いが確定だ。
「ああ! まけねぇぞ涼二!」
「おうっじゃんけん―――!」
『ほい!』
俺はチョキ。柊はグー。
「くっしまった! あのデッカイから揚げがっ!」
俺は皿の品を見ながらそう叫ぶ。
これは暗黙のルールだ。
負けた方が指定したものを食べなければならない。
「い、いよっし……―――」
気合を入れて柊がから揚げを口にする。
うえっ……
柊は泣きそうな顔を上げて、もう一度じゃんけんを挑んでくる。
「い、いくぞ……じゃんけんっ」
『うらぁ!』
俺はパー、柊はグー。
「あーやっちまった……エビフライ食い損ねたかっ」
くっっ!
揚げ物がまだっ……!
俺は深呼吸をするとエビフライに噛み付く。
うぁっ……
―――…のめ、飲み込むんだ俺っ!
ん―――ぐはぁ!
玲さんは分かっているようで面白そうに俺達を見ている。
酷く愉しそうだ。
「よ、よーしっ次行こうか……」
玲さんの料理はおいしい。
特に運動の後に用意されている、このボリュームのある料理は、格別だ。
いつもは、他にも練習に来ている人たちによって、
こんな量はペロリと食べつくされてしまう。
だが、今日は4人。玲さんはもうお腹いっぱいと言って箸を止めた。
詩姫は玲さんによって撃沈。
なら、もう俺たちしか居ないわけで―――。
俺は再び拳を握る。
ジャンケンという決闘を始めるために―――
ピロリロラリッピロリロラリッ♪
不意に機械音が俺たちの間を通り抜ける。
俺は柊にタンマを出して携帯を鞄から取り出す。
柊はアイコンタクトでなるべく時間を稼ぐようにと。
―――OKボス。
俺は携帯を開くとメールのチェックを始めた。
母さんからだった。
何度か着信もあるみたいだった。
「悪い、俺帰らないと。ご馳走様でした」
「あら。お粗末様でした」
「はぁ!? なんで!?」
柊がかなりの勢いで振り向く。
当然だ、残りのアレは全部柊に任せることになる。
パコッと携帯を閉じると俺は言った。
「父さんが帰ってきたんだ……」
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