23.京(2)

*Miyako...



 ―――冷たい。
 目を開けた。
 ぼぅっと周りの景色はぼやけていて、徐々に視点が合わさっていく。
 見える景色はいつもの天井じゃない気がする。
「お? 起きたか?」
 目の前のソレはしゃべった。
 私の目は半分しかあいてないけど、そこで視点が合った。
 多分、涼二。
「ん―――?」
 私は身じろぎする。
 感覚はなかったが、おでこの上に乗っていた何かが横に落ちた。
 興味は湧かなかったので目を閉じた。
「寝るのかよっ! くっそっ」
 意識の外側で、涼二が動いている。
「よしっく・ら・えっ」
 涼二の楽しそうな声が、聞こえた。
「―――ひぅ!?」
 途端、首から背中にかけて、冷たいものが一気に滑った。
「あ、いやぅわぁ!?」
 いきなりのことに私は起き上がった。
「ミッションコンプリート!!」
 私のベッドの横でガッツポーズを取る涼二。
 なんでここに―――より先に、背中に入って行っているこの冷たいのをっ!?
「なにこれっいゃぁっ!?」
 私はワタワタと背中の方に手を回す。

「どうしたぁ京ぉ!? 貞操の危機かっ!?
 いくら涼二君でも京はぐはぁぁああぁぁぁぁ……」


 お父さんが勢い良く扉を開いて現れたが―――一瞬にして横に吹き飛んだ。
 登場も退場も勢いが良かった。
 続いてゆっくりとお母さんが現れる。
「お早う京、あなた? さっさと朝ごはん片付けてね?」
 笑顔でそれだけ言うと、ピクピク痙攣しているお父さんを引きずって階段を降りていった。
 ズゴッ! ガゴッ!
 何かを引き摺る音が一段一段生々しく響く。
「………」
「………」

「おはよ、京」
「うん、おはよう涼二。どうしたの?」
 何もなかったことにして私達は話を進める。
「……んや、その、なんだろな。起こしに来てみた」
「……ん?」
 なんだろ―――?
 目の前に居る涼二が別人に見えた。
 でも、なんだか懐かしい―――そんな雰囲気。
 触れてみたい。
 そう思って涼二をペタペタと触る。
 シャワー上がりなんだろう髪がフワフワとしている。
 寝起きの私の行動はよく分からないものが多い。
 だから涼二も動かないで許容してくれているのだろう。
「いや、えっと……」
 さっきから涼二にしては歯切れの悪い返答。
 口元が赤いな。怪我してる。可哀想。
 そんな事を思っていると私の手が届かない位置に少し体をずらして正座した。
「その、今更なんだけど、ありがとうを言いに来た」
 視線を泳がし真っ赤になってそう言う。
 久しぶりにこんな可愛い涼二を見た。
 どうしよう。
 なんだか一気に目が冴えてきた。
 こう、みなぎってきた。
「な、何の? 私、何かやったかな……?」
 焦って色々記憶を巡らすも、思い当たるものは特にない。
 涼二は基本、何でも一人でやってしまうし、世話甲斐が無い。
「兄貴を目指してた俺と―――ずっと友達で居てくれたこととかだよ」
 目を合わせないでしゃべる涼二。
 私は涼二の顔を見て目を離さない。
 涼二は顔の所々、怪我をしているみたいだ。
 青あざや小さな傷がいくつか見える。
 前に一度―――それと同じようなことがあったことを思い出した。

「―――柊君とケンカしたんだ?」
 そう、一度、中学生の初めにそれは起きた。
 多分、私は涼二にひどいことを言われて、泣いてたんだと思う。
 柊君が私に理由を聞いてきた。
 私は泣きながら全部話した。
 そしたら柊君はまずあたしを道場に連れて行って、涼二を呼び出させた。
 胴着の人に囲まれて涼二に電話しろって言われた。
 その時は怖かった。
 だから、涼二に助けてって留守電を残した。
 そしたら玲さんが今日はもう解散と言って、その胴着の人たちは散って行った。
 玲さんにその時初めてあってもみくしゃにされた。
 二人の喧嘩……あれはすごかった。
 私は思わず止めに入った。
 二人とも止まって、涼二が―――元に戻って。
 それから私達は3人で親友。

「……あぁ、今度は詩姫を泣かしてたみたいだ」
 最低だな。と言ってうな垂れる。
 その様子が可笑しくて、笑いながら私も「最低ねっ」と言った。
 ……うわっへこんだっ
 部屋の端っこでのの字を書く涼二。
 あぁ………この涼二は―――。

「―――そっか、優一さんになるのやめたんだ」

 素直になれなくて、ぶっきらぼう。
 だけどちゃんと非があると認めて、誤りに来る。
 やりたいことに一途になる涼二。
 不器用で懐かしい涼二は、何年ぶりに見ただろう。
 自然に涙が零れた。

「よかったねっっ涼二っ」
 私は、その場で泣き出してしまった。






 小学校五年生の時だ。
 冬休みが開けて、涼二とあんまり会わなくなった。
 たまに会うと楽しそうに今やっているレッスン教室の話をしてくれた。
 先生が凄いとか、デビューしたシロユキの妹がいるんだとか。
 ―――毎日楽しそうだった。
 ちょっと寂しかった。朝起こしに来てくれる事も少なくなっていって、いつの間にか来なくなった。
 寂しかった。

 ―――そして、優一さんが死んでしまった。
 途端、涼二は塞ぎこんでしまった。
 誰が見ても涼二は変わっていた。
 自分から人を拒否して、孤立していった。
 私すら、涼二は拒否した。
 そんな涼二を見てられなくて、何度も涼二に声をかけた。
 でも、私の声は届かなくて。
 中学生の初め、涼二にもう近づくなと言われて、
 私はついに、泣いてしまった。
 その言葉は一番言って欲しくなかった。
 せめて私は―――ずっと涼二の近くに居ようと思っていたのに。

 私が泣き出したことで涼二はかなりうろたえている。
「な、なんで泣くんだよっ!? 俺かっ!? ごめんな?」
 うろたえている涼二は、なんていうか可愛い。
 前から思っていたけど、子供っぽいところが更に出てきている。
 その様子が楽しくて、今度は急に笑ってしまった。
「ぷっははっあはははっ」
 元々うれし泣きだ。
 今、嬉しくて、楽しくて仕方が無い。
「嘘泣きっすか!?」
 その様子を見て、驚いた顔でそんなことを言う涼二。
「ち、ちが―――はははっぷくっ〜〜〜〜っあはっはははっ」
 笑ってる自分が面白くて笑う。
 そんな状況だ。
 私は再び布団に倒れて、なお笑う
 涼二はムッとした表情を見せて、
 私の後ろから円筒形のものを取り出してほっぺたに押し付けた。
 冷たい―――。
「目を覚ませっネボスケっ」
 その正体は缶のスポーツドリンク。
 ジュースの冷たさが私の中に溜まっていた熱をどんどん吸収してくれる。
「ぁ―――うん」
 笑いは収まっても笑顔で頷く。
 それに満足したように涼二も頷いて、
「よし、これはミヤゲだ。差し上げよう。寝ている間に失われた水分を取り戻せ」
 そう言って器用に横になった私のほっぺたの上に缶を乗せる。
 私はそれを受け取ると、起き上がって飲むことにした。
「―――おいしい」
 涼二が買ってきてくれたんだろう。
 多分、この悪戯だけの為に。
 とある雪の日もその為に雪玉作って持って上がってきた。
 懐かしい記憶に笑う。

 ……ドドドドドドバゴンッ!!!
 勢い良くドアが開かれた。
「こおおおらああああ!! ナニを飲ませごはあああぁぁぁぁぁ!!」
 今度はちらっとお母さんの足が見えたような気がした。
 お父さんは恐らく廊下の奥の方まで滑って行ったのだろう。
 キューーーーッと肌が廊下を擦る音が響いた。
 続いてゆっくりとお母さんが現れる。

「涼二君、ご飯食べていく?」
 にっこりと涼二にそんなことを聞いた。
「いや、悪いですよそんな。家目の前だし」
「いいのよ。男の子が居てくれると、私も作り甲斐があるもの」
「そうですか? じゃぁお邪魔します」
 そういった瞬間、お母さんが小さくガッツポーズしているのを見た。
「えぇゆっくりして行ってねっ」
 そういうとパタンとドアを閉めて足音が廊下の奥へ向う。
「さぁ、あなたは出かける時間よ」
 そう言いながらまた階段を引きずり降りる。
 ……
 ……
「……大丈夫なのか? おじさん」
 涼二は苦笑いしながらそう聞いてくる。
「多分……」
 私も苦笑しながらそう答えるしかなかった。

「ところでなんでありがとう?」
 あたしは本題を聞くのを忘れていた。
 思い出したところパッと口にしてみた。
「……あぁ。昨日、ケンカした後さ、詩姫には言ったんだ。ありがとうって。
 京には言ってない気がして、報告ついで言いに来た」
 ばつが悪そうに笑う。
 そんな涼二を見ていると、ついからかいたくなる。
「ふぅん? で、ありがとうとジュースで済まそうと」
 両手で缶を持って口元に当てたまま意地の悪い笑顔で私は涼二を見上げた。
「ぐむっ……俺に出来ることならなんでも……させていただきます」
 ―――少し意地が悪すぎただろうか、涼二は辛そうな表情になった。
「あ―――ごめんね? 別にそういうんじゃ―――」
「いや、俺が悪いから、仕方無い」
 責任感が強い涼二は、借りを作ることを嫌う。
 自分に強い非がある今回は絶対に引かないだろう。
 ―――そんな涼二も懐かしくて可愛いと思う。
 そうだなぁ……
「じゃぁ―――いっこお願い」
「ん? 何?」
 私は手招きをすると涼二を近くに呼んだ。
 涼二は訝しげな顔をして近づいてくる。
 その顔も可愛いと思った。
 だから―――

 私は涼二の首に手を回してキスをした。




 涼二は何をされたのか分からない顔をして固まっていた。
 数秒、短いような長いようなキスが終わって、「え?」と声を出した。
「私を許してね?」
 私はそう言って笑った。
「―――っ!!」
 涼二はいきなり燃えるように真っ赤になると部屋から走って出て行った。
 かくいう私もほのかに顔の温度が上がっていた。
 ……しまった、どうしよう……。
 このあとちゃんと涼二に会えるかなぁ……。
 真っ赤になって綻んだ顔を引っ張りながらあたしはそう思った。

 ドドドドドドバタン!!
 勢い良くドアが開かれた。
「〜〜〜ゃこぉぉおおおお!!! 大丈夫かっ!?
 純潔は守り通しっごはあああぁぁぁぁ!!!」

 今度は完全にお母さんの長い黒髪が舞うのが見えた。
 お父さんは再び勢い良く現れて勢い良く消えた。
 そしてひょっこりドアの所から顔を出すお母さん。
「涼二君は……? 帰っちゃった?」
「あ、うん。ごめん」
 多分お母さんにはちょっとしたリベンジがあったんだろうけど、それを無下にしてしまうような事をした。
「……ん〜ん? なんでみーちゃんが謝るの?」
「だって私のせいだし」
 ほっぺたを小さく掻きながら私は言った。
「京は悪くないぞ!! 私たちの娘はてんしっぐっはぁ!!
 お母さんの足元辺りに倒れているのだろう。
 お母さんはドアから覗かせている顔の位置を動かさずにお父さんの暴走を止める。
「あんたはさっさと会社行きなさい」
 ドムッッ!
 お母さんはお父さんを蹴飛ばして階段の方へ飛ばす。
 なんだか、涼二がサッカーボールを遠くへ飛ばすような音がした。
「どぉぉうわああああぁぁぁぁ……」
 ガタガタガタ!! ドンッッ!!
 階段を落ちて壁にぶつかった音だ。
 あとの音は何も聞こえない。
「まったく……何かあったの?」
 お母さんが部屋に入ってくる。
「う、ううん?」
「……ホント?」
「うん」
「……ホ・ン・ト??」
 ―――…お母さんは笑顔で私を見る。
 お母さんが何で涼二にそんなに拘るのかと言うと、過去―――
 料理を必ず涼二のお母さんと比べられ、おいしいと言われた事が無いからである。
 その涼二のお母さんはうちのお母さんの料理の師匠でもある。
 だからちょっと躍起。いつも本気。
 涼二を美味しいと言わせたらあの人に振る舞うのだと日々こつこつ頑張っているのだ。
 そんなとっても頑張り屋さんなお母さん。
「……ちょっと、やっちゃったかも」
「う〜ん?」
 困った顔で首を傾げるお母さん。
「涼二、来ないと困る?」
「……だって、師匠にぶっつけで挑むの怖いんだもん……」
 その妥協しないスタイルは大学時代の女子サッカーで大いに活躍してたとか。

 そうそう凄く余談なんだけど、優一さんや涼二にサッカーを教えたのが、ウチのお母さんとお父さん。
 涼二のお父さんとウチのお父さんも同じ大学の同期生という関係。
 だからこんなに親密な関係になっているのだ。

「大丈夫だよ〜」
「でも……良く味を知ってる人に美味しいって言って貰ったら自信つくの……」
 確かにそれはそうだ。
 涼二が来なくなって、悶々としてたみたいだし。
「うぅ〜……じゃぁ、頑張って明日も来て貰うよ」
「……お願いね?」
 両手を合わせて口元にあわせる。
「お母さん」
「ん……?」
「んと、ちょっと変な事聞いていい?」
「変な……?」


「キ……キスした後って、どんな顔してればいい……?」


 お母さんは無表情で私を見る。
 不意に真剣な顔になって、ポンと頭に手を置いた。
「……ゴールを決めたら、笑ってもいいのよ?」
 そういってフッと微笑を見せると部屋からゆっくり出て行った。

 ダダダッッドムッ!
 廊下を走って階段を下りる音と、激しく何かを踏んだ音。
「づはぁ!! 何故!!?」
 まだお父さんは居るみたいだ。

 ダダダッと上がって来る音がしてそしてドアの方から親指だけ突き出された。
「がんばってね京っ!」
 それだけ言うと、今日はお赤飯〜と言いながらまた降りていった。
 ……お父さんはいつもあれだけどお母さんはいつもこうじゃ無いんだよ?
 私は窓の方をみる。
 涼二がここを見上げて丁度目が合った。
 だから笑顔でゆっくりと手を振る。
 そしたらまた赤面して走り出した。
 きっと今から日課なんだろう。


 試合には相手チームが必要だ。
 トロフィーを彼だとしたら、私の相手は―――

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