27.答え

*Ryoji...

 感情は全て声になる。
 怒りも悲しみも畏怖も溢れる情熱も。
 その声が歌を彩り一つの歌はいくつもの色を帯びる。
 詩姫はその表現に長けていた。
 俺の声がそれに相当するかは知らない。
 力任せに歌っているだけだ。
 でも、その叫びは―――誰かに理解してもらいと思っていた頃がある。
 ―――っ!
 枯れた声を出して最後まで歌を歌いきった。
 声は、もう、出ない。
 俺は防波堤の上に、呆然、立ち尽くす。

 ―――もう、コレで最後にしよう。

 空を見上げてそう思う。
 涼二は戻ってきちゃいけなかった。
 また、戻ってしまう。
 だから……

 涼二は……要らない――。
 途端に、世界が酷く色褪せた。
 黒い海。黒い空。白い砂浜、白い道路。

 また誰かを閉じ込める。もうその声が聞こえないように。
  死にたく無いなんて叫んでも。いくら扉を叩いてもその音がもう聞こえないように――。

 ここで、ミズノウエリョウジが舞台から降りるんだ。

 パチパチパチパチ!!
 拍手が浜辺から、いくつか、聞こえてくる。
 誰も居ないはずだった場所に誰かいる。
 拍手はいつも波だけのはずなのに。
 詩姫は居ないし、白兄だって居ない。
 暗い浜辺……でもそこには……。

 ―――父さんと母さん。
「―――な、んで?」
 俺掠れて出もしない声でそう聞いた。
 厭きもせず2人は拍手を続けた。

「行ってあげて」
「――、詩姫……?」

 振り返ると俺の後ろの歩道にいつの間にか居た詩姫が姿勢を小さく言って手を振って笑った。
 ――また、俺に手を差し伸べるのは、彼女――。

 俺は言われるままに防波堤を飛び降りる。

 母さんは泣いていた。
 嗚咽が止まらなくて顔を隠していた。
 父さんはそんな母さんを宥めながら
 困ったように笑う。
 拍手をくれた二人は、穏やかに見えた。母は何度も良かった、と言っていた。

 声も枯れて何もいえない俺は、呆然と立つ。
「ごめんねっごめんねっ涼ちゃんっ! 母さん知らなかった―――!」
 泣きながら俺に抱きついてくる。
「すごいんだねっ涼ちゃんっそんなに歌が上手かったなんて―――知らなかった」
「あぁ―――涼二、お前はすごいよ」
 親父はそう言ってグシャグシャ俺の頭を撫でる。
 それは―――そう、昔っから不器用だった、親父の褒め方。
 ―――あぁ。父さんと母さんだ。
 俺の、父さんと、母さん。
「ゴメンね、母さんずっと涼二に謝ってないっ……涼二を病院で怒ったことっ」
 後にも先にも、母さんが本気で怒ったのはあの時だけ。

「……涼二。済まなかった。京ちゃんに言われるまで気付いてやれなかった。
 愚かな父親ですまない。
 ……気付いていたつもりだったんだ。
 お前が、優一が死んで、アイツの事を引き摺って離れそうだった私達を繋ぐ為に、優一になると言ってくれた事を。
 それは嬉しかったんだ。本当に」

 悔やむように、視線を落とす父。
 あの日の決意は皆に一度は言ったと思う。
 俺ならなれると思っていた。あの日から俺は自分を追い詰めて閉じ込めに掛かっていた。

「子供だと思って甘く見ていたな……。
 優秀な子供も、考え物だ、本当に。
 優一を演じていたなんて思っても無かった。だけど、お前の部屋は優一が持っていたものを全部自分で集めたんだな……」

 兄貴が持っていた賞状や盾、形は違ってもある物としては殆ど同じだ。得る事は出来ても納得は行かなかった。何をやってもあの人よりも苦労しなくては手に入らないから。
 それは俺の勝手な価値判断でしかないのは知っているけれど、きっとやりたい事をやっていない俺には辛かったから手に入れるまでを長く感じて苛立って荒んだのだと思う。

「そっくりだと思ったよ。ありがとう涼二。
 私達はまた優一と過せていた。それでも精算し切れなかった。
 でも私達はそれよりも重い罪を犯してしまって居る事に気付けなかった。

 ……お前を、あの日に置き去りにしてしまった」

 涼二という存在が、あの日に閉じ込められて、置き去りだった。
 この海岸で、ずっと待っていた。

 忘れられたくないしにたくない、と、海に叫びながら――。


「ごめんねぇ、涼ちゃん……!
 母さんも、ずっと、涼ちゃんに甘えるばっかりだった……!
 私達ばっかりが泣いたり、落ち込んだりして、涼ちゃん傷つけて、ああ、ごめんなさい……!
 それでも、いつも笑っててくれて、ちょっと、荒れてた頃もあったけど……うん。
 でも、こんなに良い息子ばっかりなのに、ああ、何やってるんだろう私……!
 ホントは、涼ちゃんだってあの日泣いても良かったのに、ただ私達の事の為に笑っててくれた……! ごめんね、本当にごめんね……! ありがとう……!」

 何年かぶりに両親を暖かいと感じた。
 心の底から零れるような言葉を聞いた。

「最低なのは私だった。ごめんなさい涼二」
「いや。最低なのは私だ。すまなかった涼二」
 母さんと父さんが俺に謝る。
「優一になんて、ならなくていいの……」
 母さんの声が聞こえる。
「お前はお前のやりたいようにすれば良い」
 一に優れ二に涼しく、と俺達を呼ぶように父はよく言っていた。
 俺達の根底はそれだ。優秀であれば苦を前にしても冷静であれる。
 その在り方さえ成っていれば一人前で、後は好きなようにすれば良いと言った。
「私達の自慢の息子なんだからっ」
 母さんは俺を抱く手を強めた。
「――お前まで、私達の前から居なくならないでくれ……」
 父さんは俺と母さんごと大きく抱き込む。

「気づくの、遅いんだよっ……」

 掠れて出にくい声で言う。
「……ゴメン、父さん、母さん」
 俺も泣きそうになった。目じりに軽く涙が溜まる。

「俺、優一に、なれないよ……」

 目じりの涙は、頬を滑る事は無かったが視界が歪んで見えづらかった。
 母さんは俺に抱きついたままブンブン顔を振る。
「いいっいいの涼ちゃんは今のままでいいっ―――だってアナタは」

 『涼二なんだから』

 父さんと母さんの声が重なった。

 俺は、それを聞いて、涙が頬に流れ落ちる感触があったのを感じた。

 ―――数年ぶりに、俺達は、本当の家族になった。
 そんな気がした。


「……なんでここが?」
「詩姫ちゃんが教えてくれたの。海岸に居るからって聞いたわよ?」
 言ってまた防波堤を指差す。やはり詩姫が連れてきたらしい。
 詩姫が見えて、慌てて隠れていた。
 上ってみると顔を隠して蹲っていた。
「いや……見えてるから」
「あ、あたしからは見えないっ」
 防波堤の上に上って詩姫の後ろにしゃがみこむ。
「……ありがとな……詩姫」
 俺は詩姫にそう言った。
 掠れて裏返ったりする声。
 詩姫はその状態のまま答える。
 彼女は顔を手で押さえたまま上げて指の間から覗き見るようにしたあとへにゃっとした笑みを見せた。
「ううん。いいよ。たまたま、涼二の家に行ってたらさ、
 涼二はフラフラ出て行くし、おばさんたちは慌てて出てくるし」
 良く分からない状況だが、多大な迷惑をかけたらしい。
「ゴメン……」
 自己嫌悪しながら謝る。
 あまりウチの内部事情に他人に関わってもらいたくは無かった。
 これは俺が何とかするべきだったんだろう。
 何とかしようとした結果ではあるのだけれど。
「あはははっだからいいって。んでね? 涼二の後追いかけてると、
 海岸に行ってたから、声かけるの待ってもらったんだ。
 どうせなら、涼二の歌を聞いてもらおうと思ってちょっと遠くから見てた」
 ん―――?
 おかしいな。
「詩姫、さっきそこで歌ってなかったか?」
 俺は詩姫の姿をみてそこに立ったんだ。安っぽくて言うのも恥ずかしい俺のステージではあるが、練習にもってこいの場所だ。広いし人通りは少ないが歌っていれば人も車も通る事がある。声は出し放題で、度胸も鍛えれる。場慣れするなら駅前とかで歌うほうが良いのだろうけど、そこに行くにはまだまだ練習が足りない。
 そんな嬉し恥ずかし俺達の練習場ステージに詩姫を見た。あの姿があったのは本当に詩姫が居たからじゃないのかと思った。
「へ? いやいやいや。あたしはずっと涼二の後ろに居たんだよ?」
 詩姫は手を外して俺のほうを見る。
 涙の跡が見えた。

 ―――なんて、こと。
 あれは俺の見た幻覚。俺の聞いた幻聴。
 無意識の中に出てきたのは―――詩姫。
「―――っ」
 顔が火照るのを感じだ。
 今、詩姫の顔がまともに見れない。
 無意識に彼女を―――。
「涼二?」
 視線を逸らした先に詩姫が入り込む。
 ドキッなんてもんじゃない。心臓が飛び出る。
「いぃぃいぃや、なんでもないぞっ」
 俺は激しくどもりながら、後退する。
 あっ後ろが―――無い。
「とぉぅっ!」
 全力で踊り場を蹴り飛ばし上手い事一回転して着地する。
「だ、大丈夫涼二?」
 詩姫が防波堤から覗き込んでくる。
「おうっ」
 もう、あの時みたいな失態は見せないぞ。
 怪しい事この上ないが。
 不意にポンと右肩に手が置かれる。
 海岸には泣きじゃくっていた母とそれを宥めていた父が居たはずだが、二人とも落ち着いたようでにこやかに俺を見ていた。
「涼ちゃん、ちょっと話し合いましょうか」
 どうやら家族会議的なものではないようだ。いや、もしかしたら家族会議なのだが議題が兄貴の件じゃない。
 それに続いて左肩。
「織部さんか、京ちゃんか」
 一気に顔の温度が上がるのを感じた。
「だぁぁぁあああっ!!!」
 その父さんの声に重ねて思いっきり叫ぶ。
 だ、ダメだっ声が―――っ
 声が枯れていて、雨の日に拾ってくれた人間に怯える子猫みたいな声が出た。
 父さんと母さんは怪しくニヤニヤとした笑みで俺を見る。
 母さんは俺の腕をガッチリ掴むと、詩姫に向かってにっこりと笑った。
「ゴメンね詩姫ちゃんっこれから大事な家族会議をしようと思うのっ」
「あ、そうですか? じゃ、あたしはこれでっ」
 ピシっと敬礼をする詩姫。
 そんな時にも、可愛いな、なんて思ってしまった俺を誰か叩いてください。
「んっ別に詩姫ちゃんも参加してくれて良いんだけど、涼二の判断がにぶにゅはふぁふ」
 俺は声が出ない。
 よって、母さんの口を塞ぐ。
「ははは、良かったな。恵まれてるぞ涼二っ」
 バンバン俺の背中を叩く親父。
 くっそ、声さえ出れば―――!
 人間最大のコミュニケーションがとれない俺は今の二人を止めることができない。
 誰か、こいつ等とめてくれ!




 ……
 ……
 結局、詩姫はうちの夕食に招かれた。
 なんと、家に帰ると、京が料理を始めていた。
 八つ当たりなんだそうだ。
 母さんと父さんは笑ってそれを許した。
 秋野家とは長い付き合いだ。小さい頃から旅行も一緒だったしキャンプやバーベキューなんかもやったりしていた。最近はめっきりしなくなったのだけれど、母たちが交代で腕を振るようなこともあった。
 家族ぐるみの付き合いだ。俺は秋野の小父さんや小母さんにサッカーを習ったし、京は母さんに料理を教わる事があった。
 だからたかだかそんなことで、俺達の両親は怒らずに、笑ってそれを受け入れた。
 それを見た詩姫が手伝いに入ると、母さんも嬉しそうに混じった。
 俺は……京に、
「座って待っててね?」
 と笑顔で牽制された。
 どうせ、キッチンにはそんな人数入らないの分かっている。
 でもあえて牽制されて、心なしかショックを受けた。
 そんな俺の肩を親父はポンポンと叩いた。
「女ってなんであんなにキッチン占領するのが好きなんだろうな……」
 いつの時代もそうみたいだ。
 俺たちは大人しくリビングで待つことにした。
 そういえば京が父さんと母さんを説得して俺を迎えに行くように言ってくれたってことなのだろうか。
 どんなやり取りがあったのかは知らないが俺はまた京にお礼を言わなくてはいけない。
 京にも詩姫にも……って、ああ、なんか親父の言葉が頭を過ぎるので後にしよう。

 程なくして、母さんがジュースとビールを持ってテーブルの上においていく。
「今日はすごいわよっ♪」
 ノリノリだ。
 そう言って、リビングから去っていった。
 俺は父さんと目を見合わせる。
「……涼二、あんまり飲むな……」
「わかった……」
 なんとなく、通じ合った。
 でものどが渇いて声が掠れている。
 俺はジュースをコップに注ぐと、一杯だけ一気に飲み干した。

「で、涼二」
「ん?」
 まだ微妙に声がおかしい、もう一杯だけ飲もう。
「どっちが本命だ?」
 ボファ!!!
 一気にオレンジジュースを噴き出す。
 お約束ですか!?
「いや、涼二の好きなほうで構わんぞ」
「ちょっ! え――…!?」
 父さんそんな人だったっけ?
「んー、パッと見、京ちゃんのほうが胸はあるよなぁ……。
 しかしあいつの娘らしくないほど落ち着いててしっかりしてる」
「いや、胸とかじゃなくてさ―――」
 でも詩姫も背負った時に押し付けられた感じ……ね?
 思い出してちょっと赤くなる。
「ほほぅ。詩姫ちゃん派か?
 モデルっぽくて綺麗だよなぁ彼女。きりっとしてる割に柔らかい感じで」
「それは京も同じじゃ……」
 京と最近触れたところ―――といえば唇なわけだが。
 更に頭が熱くなった気がする。
 恵まれた美人な二人をこれ以上容姿や体系の括りで天秤にかけても仕方が無いだろう。

 何真面目に考え始めてるのだろう俺。
 目の前の親父はニヤニヤと笑っている。
 は、謀ったな!?
「二人とも、嫌いなわけじゃないんだなぁ涼二」
 ニヤニヤ笑い続ける親父。
 俺は、何も言い返せない。
 嫌いなわけが無いだろう。
 例え二人が俺を嫌いでも俺には返せないほどの感謝の念を感じる。
 ていうか、恥ずかしいからやめて欲しかった。

 不意に、キリッと真剣な顔をして、俺を見る。
「でもな―――涼二。答えなんて、初めから持ってるだろ―――?」
 そういって優しく笑った。
 呆気にとられて父さんを見る。
 まぁこれにはお前の選択を信じるさ、と、ビールを一杯煽った。

 そんな事をしているうちに、料理が運ばれてきた。
 和洋折衷、冷蔵庫が空になるまで材料をつかったそうだ。そして母さんが京と詩姫を前に本当に娘を得たかのように嬉しそうに笑っている。
『さて……』
 俺と親父は箸を持って手を合わせる。
 俺に課せられたノルマ、すべてを最低一品ずつ食べて、感想を言わなければならない。
 ……結構お皿使ってるな……テーブルが埋め尽くされてる……
「いただきますっ」
『召し上がれっ』
 女性陣から声が上がる。
 俺の戦いは始まった。
 何でもいいやっ腹減ったっ
 俺はとりあえずから揚げに手を伸ばしてパクつく。
「あははっ男の子だねぇ〜」
 詩姫は心底可笑しそうに笑う。
「……男の子だよっ」
 俺はもぐもぐとやっていたものを飲み込んで抗議する。
「ん? なんだこれ? 味の広がり方が違う―――」
 なんていうか、悪いけどいつもより……
「……おいしい?」
 詩姫は不安そうにそう聞いてきた」
「おいしい」
 即答してしまった。
 だってウマイ。
 詩姫は照れくさそう笑って、母さんにつつかれて悶える。
 ……可愛い……
 は!? いかんっ
 俺は視線を戻して近くにあった肉じゃがを食べる。
 ―――なんだこれ。
 いつも食べてる味の中に深い味付けがされている。
 父さんもそれに気づいたのか、唸っている。
「それ作ったのみーちゃんよ?」
「うそっ!? これ、でも母さんのやつと近い味がするんだけど……」
 家によって違うもんじゃないのか?
 その質問には、京が答えた。
「ウチのお母さんに料理教えてくれたのが涼二のおばさんなんだ〜っ。
 コレはね、男の人用の味付け。少し濃い感じに作ってるのっ」
 ……なるほど……そういうことか……
 さすがに料理も3代目まで行けば、深みもでるだろう。
「さすが優秀よねあたしの愛弟子っ」
 母さんは心底嬉しそうだ。
「そういえばそろそろお母さん仕掛けてくるみたいですよ?」
「あらっほんとっ!? 最近めっきり来ないから嫌われちゃったのかと思ってたのに」
「ううんっなんだか涼二を打ち負かしてから来るらしいですよ?」
「あはっなるほど〜楽しみ〜っ」

 そんな調子で、スープを飲んだり、和え物食べたりしているうちに
 お皿はすっかり片付いて、俺も満腹に突っ伏した。
「あ゛ーーー……もう食えね……」
 ソファーに四肢を投げ出して限界を表現する。
「お粗末さまでした」
 京がそう言って水を一杯置く。
 俺はそれをチビチビ飲んだ。
「さ、涼二」
 父さんが俺を振り返る。
「どっちがいい?」
 ぶっ!?
 飲んでいた水を噴きそうになった。
 父さんは嬉しそうに俺を見る。多分答えが聞きたいわけじゃなくて恐らくからかっているだけだろうけど。
 俺は咳き込みながら二人を見た。
 京は笑顔、詩姫も何も分かってないだろう笑顔。
 俺は何も言わずに水を飲み干すとテーブルにコップを戻した。
 ……親父ってこんな性格だったか?
 ……もしかしてついに崩壊したのか……?
 疑念は尽きない。
 しかし、今、唯一つ俺が出来ること。
 それは―――。

「ご馳走様!!!!」
 そう叫んで部屋にダッシュを決めた。

 父さんは言っていた。
『でもな―――涼二。答えなんて、初めから持ってるだろ―――?』
 こたえ……?

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