29.白雪

「だ、誰かいるよ涼二っ」
 詩姫はまた追いかけてきたのか、人影をみて俺に引っ付く。
「詩姫はそこで待ってろって」
 俺は詩姫に小声で呼びかける。
 詩姫は少し俺を強く握りなおすとブンブン頭を振った。
 さらに周りを見回すと、コンロの上においてあったフライパンを手に取る。
 ……今最も優先するべきことは詩姫の安全。
 詩姫がくっついてる状態のままであの誰かに近づくのは危険すぎる。
「……じゃ詩姫、この部屋の電気をつけてくれ。俺が起こすから」
 詩姫は頷くとリビング側のドアのそばを指差した。
 とりあえずそこまでは詩姫を引っ付けたまま移動する。
 詩姫は小さく震えている。怖いのだろう。
 スイッチの前まできて詩姫はスイッチに手を当てる。
「……合図したら押して」
 そう言って詩姫から離れてソファーに近づく。
 そして、合図に手を上げた。
 パッと電気がつく。

 その寝転がる誰かの肩に俺は手を置いた。

 そいつはガバッと勢い良く起き上がる。
 俺は反射的に身を引く。
「みず―――」
 誰かは何か言いながら俺の腕を掴む。
 その手を振り払おうとしたその時―――。
「いやぁぁぁぁっ!!!」
 ―――詩姫が、前に出た。
 何を―――?
 詩姫は構えていたフライパンを思いっきり誰かの頭に向けて振り払った。
 パガーーーンッ!!
「み゜っ!?」
 壮絶な音が部屋に響き渡る。
 ……可哀想な誰か……。南無。
「や、やった! 涼二っ」
 詩姫は嬉しそうにちょっとへこんでるフライパンを振る。
「そ、その人、死んでないよな?」
 一応確認をしておく。
「あ、あーーーーーー!!」
 その誰かを見て、詩姫が叫ぶ。

「お兄ちゃん!!!?」

 ―――…。
 ソファーで痙攣する白雪さんを見る。
 TVで騒がれているトップシンガー、シロユキその人に間違いなかった。
 詩姫はワタワタと白雪さんをゆすり起こしていた。




「誰だい君達は?」
 記憶喪失したみたいだ。
 爽やかに笑いながらそんなことを聞く。
「ど、どうしようっお兄ちゃんじゃなくなったっ」
 爽やかな笑顔に引きながら詩姫は言う。
「うーん。もう一回やれば記憶戻るんじゃないか?」
 俺は腕組をして軽く言い放つ。
「あ、そ、そうだねっよーしっ……」
 詩姫は思いっきりフライパンを構えた。
 白雪さんは本気の目の詩姫にたじろぐ。―――刹那、
「ちょ、まったっ! たんまっ嘘だからっやめ―――うおぅわ!!」
 ブンッッッッ!!
 思いっきり空を切る詩姫のフライパン。
「やめろ詩姫っ次は死ぬ! 死ぬって!」
 ソファーと水平になって仰け反る形になる白雪さん。必死だ……。
「お命頂戴っ!」
 詩姫が本気で殺りに行った。目が怖い……。
「すなっ!」
 コンッと俺は調子こいてる詩姫に軽くチョップをあてる。

「―――死ぬかと思った……」
 言って白雪さんはソファーに座ってお茶を呷る。
「で、コピー水ノ上。何者だてめぇ。
 起きた瞬間に学生時代に戻ったかと思ったじゃねぇか」
 そういって俺の顔をまじまじと見る。
 ―――…てか顔近い……。
「……涼二です」
「……あ? あぁぁあぁ? あ!」
 変な呻き声を上げながら詩姫と俺を交互に見る。

「でっかくなったな詩姫っ! 涼二っ!」

 ポンと手をたたいてそういう。
『今頃!?』
 俺と詩姫は同時に突っ込んだ。
「なるほど! そういうことなっ! ハイハイハイハイハイ!」
 一人で勝手に納得してウンウン唸る。
「つーことは……涼二、歌やるのか?」
 途端、真剣な顔をして俺に聞いてくる。
 俺はそれを強く見返すと、ハイ。と答えた。
 それを聞いたシロユキさんは心底嬉しそうに笑った。

「でもさ、何で今頃お兄ちゃん帰ってきたの? 仕事は?」
 詩姫が白雪さんにそう切り出した。
 確かにかなり不思議だ。
 シロユキというトップシンガーがこんな時期に優々と休んでいて良いのだろうか?
「ん? あぁ。ツアーが終わってGWの生番組まで休みもらった」
 シレッとそう言い切る。
「え? いいのそんな……」
 あまりにもあっけなく言いきられて詩姫も不安になったのだろう。
「いいんだよっ3ヶ月休み無かったんだから、俺は今死ぬほど休みたいんだっ」
 そういってソファーにふんぞり返った。
 ……これがトップシンガーの素顔、織部白雪。
 不意にガバッと白雪さんは起き上がる。
「んっ!? つぅことはアレか!? 今ここはお前等の愛の巣だったか!?」

 ぼぶぅぅぅぅ!!?

 俺と詩姫は同時に飲んでいた紅茶をふき出す。
「ふおぉおおっ!? 目がぁ!? めがぁぁぁぁあ!!?」
 白雪さんはそれを片方ずつの目に受けて悶える。
「違うよお兄ちゃんっ!」
 ブンブンと首を振る詩姫。
 その度に俺に髪の毛がベシベシ当たる。
 ……かゆい。
「今日たまたま詩姫に誘われてお茶に連れ込まれただけですよ……」
 落ち着けて改めてお茶を飲む。
「あぁ! そうかっすまんな詩姫っこれから襲うとこだったか!」
「ちーがーうー!」
 真っ赤になって抗議する詩姫。
 それを楽しそうにからかう白雪さんも昔のまま。
 自然と、俺も笑ってしまった。

「じゃ、俺啓んち行くから後は二人で楽しんでくれっ」
 目をきらめかせて言って颯爽と玄関へと歩く。
「え? 帰ってきたばっかりなんだからゆっくりして行けばいいのに」
 詩姫は後姿にそう投げかける。
「わかってないな……居なくなって詩姫が大泣きしてた涼二が戻ってきたんだ。
 二人きりにしてやるのが兄心ってもんだろ?」
 言ってヒラヒラと手を振りながら去っていく。
 ―――最後にとんでもないこと言ってなかったですか?
「……大泣き?」
 ゆっくりと詩姫を振り返る。
「あ、あたしに聞くなぁ〜っ」
「聞きたいか!?」
 白雪さんはリビングのドアから顔だけ覗かして嬉しそうに笑う。
「ききたいっす」
 俺はその白雪さんに向かって頷く。
「大変だったぜ〜? なんせ詩姫ずっと泣きっぱなしでひょふふふ」
「ちょっとっまってっそれは―――っ!」
 詩姫の慌てようが最高潮に達した。
 白雪さんの元に異常な速度で走り寄ると
 ペチッと手で口を塞いだ。
 んーーー! と白雪さんは暴れるが、未知の力でパワーアップした詩姫は強い。
 俺は笑う。
 コレが織部兄妹。
 尊敬できた人の3人目。
 シロユキ。





*Shiki...

 ―――泣いていた。
 大好きだったあの子が居なくなって。
 朝起きて泣いて。
 夢をみてしまうから。
 お昼でも泣いて。
 あの子の姿か見えないから。
 夜も泣いて。
 寝るのは泣きつかれてから。
 あの子の歌う歌だけがあたしの中にずっと残ってて。
 何度も、何度も、あの子の家に行ってみたけど、
 その子はもう歌わなくて、
 何かに一生懸命で
 泣きそうになりながらいつも勉強している顔が見えた。
 あたしにはどうすることもできなくて、
 ただ、あの子に歌って欲しかっただけなのに、
 ただ、あたしのそばに居て欲しかっただけなのに―――
 この手はあの場所に届かなくて、
 この声はあの子に届かなくて。
 悲しみに暮れるあたしは涙を流し続けた。

 涼二はあたし達を見て、懐かしそうに笑った。
 ちょっと困った笑い方。
「俺帰るよ」
 ふわりと浮くように涼二は立つ。
「あ? 別に居ればいいのに。二人の愛の〜〜〜いだだだっ」
 また変な事を言うお兄ちゃんの頭を掴んで引っ張る。
「ははっ白雪さん別に俺用事があって寄ったわけじゃないですから」
 微妙に年の差を感じさせる言葉遣い。
「なんだ、他人行儀になったな涼二」
 あたしに顔を掴まれたまま涼二を睨む。
 お兄ちゃんは友達とかには絶対ため口を使わしている。
 それは年下の涼二にも例外じゃなかった。

「―――シロ兄もかわんねぇなっじゃ、帰るよ」
 シロニィ。涼二はお兄ちゃんをずっとそう呼んでいた。
 そう呼ばれて懐かしさにか、お兄ちゃんの顔も綻ぶ。
「おう。いつでも来いよっ」
 自分は滅多にいないくせにっ。
「―――っバイバイ涼二っ」
 あたしは思い出したように涼二にそういう。
 涼二は優しい笑顔でバイバイと言うと素早く家から出て行った。
 昔からそうだった。
 心遣いと言うのだろうか。周りの気配りが上手い。
 自分が邪魔だと判断するとすぐにいなくなる。
 ―――あたしにわざわざ別れを告げに来たのは、自分を切り捨てろという心遣いだった。
「―――なんだ。あいつもなんだかんだ言って変わってねぇな」
 お兄ちゃんはあたしの腕から逃れると再びソファーに寝転がった。
「おら、詩姫。せっかくなんだから聞かせろよ、今、涼二とどう?」
「ど、どうって……」
「いや、違うな。まだ涼二は好きか?」
「―――…」
 あたしは答えれない。
 たとえお兄ちゃんでもこの質問に答えるのは恥ずかしい。
「―――はっ……この純情ラブマシーン1号が」
「い、意味わかんないよっ!」
「うっせぇっ。あ゛、一発殴んの忘れてた」
 変なことと物騒なことをしゃべるお兄ちゃん。
「相変わらず鈍そうだなあいつも」
 ヒヒヒっと嫌な笑いを私に向けてくる。
「さ、水ノ上の涼二君は最近どうなんだ?」
「ど、どうって」
「いろいろ。学校では?」
 ニコニコと笑ってあたしを逃がさないで洗いざらい吐かせる気だ。
 お兄ちゃんのこの話から逃げれたことが無い。
 観念したあたしは、言われるままにしゃべることにした。
「学校? 学校ではすごいよ涼二。
 入試で一番だったんだって。それに学年順位も1位だったよ!」
 ほんと、言えば言うほど凄いとしか出てこない。
「はーん……じゃ、クラブはサッカーだな?」
「え? なんで知ってるの?
 そう、サッカー部でねっ1年生でレギュラー取れるかもって! すごいよねっ!」
 涼二は色んな才能に富んでいる。
「っぽいな……。んで、さらに歌もやる、と?」
「うんっ一緒に最近カラオケ行くようになったよ!
 カラオケ行ってるだけでどんどん上手くなるんだ涼二っ! 凄いよね!」
 嬉しい事だ。
 あたしの望んでいた理想に近づいていく。

「ははー涼二をよーく見てるな詩姫」

 あたしは耳まで熱くなるのを感じた。
「―――っっ! そ、そんなでもないよ!?」
「いやいや。命短し恋せよ乙女ってな。頑張りたまえよ。うははは〜
 して隊長、メシはまだかね?」
 からかうだけからかってそう要求する。
「も〜……わかってるよすぐ用意するからまってて」
「うぃ〜」
 あたしはキッチンに立って料理を用意する。
 今日はもう食べたからお兄ちゃんの分だけ用意すれば良い。
 ―――久しぶりに帰って来たんだし、少しは美味しい物を作ろう。
 あ、そうだ。さっき教えてもらった覚えたてのレシピを使おう。
 涼二も美味しいって言ってくれたアレとか。
 うきうきとあたしは冷蔵庫をあけた。


 あたしの大好きだった少年が、帰ってきた。

 ―――大きくなったあたしの手は、少年を助けることが出来たのだろうか……?


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