30.織部家

*Shiki...


 あの子が、歌っていた。
 あたしの知らない歌だった。
 とっても楽しそうで羨ましかったのを覚えている。

 それはレッスン教室の行きがけ。
 冬で日が傾くのが早かった。
 夕方と言えるオレンジ色が広がった海岸通り。
 あたしは気分がよくてスキップしながらお兄ちゃんの横を歩いていた。
 お兄ちゃんも同じ教室に行って同じようにレッスンをうけていた。
 そしてデビューが決まった。
 だからあたしもそうなれる。そう信じていた。


 いつの間にかあの子は心の中で大きな存在となっていた。
 だからあたしは救えない自分が悔しくて泣いた。
 ……一度は忘れようと諦めた。
 思い出さないようにしていた。
 あの子が歌っていた歌を聴かない限り、思い出さないところまでいった。
 彼の夢を自分の夢にすることにした。
 でも あの子はまた 私の前に現れた。
 あの歌がまた私の中で流れ始めた。
  涼二の歌が大好きだった自分を思い出した。
   拒否された時また私は大泣きした。
  もう、本当に諦めようと思った。
 でも心のどこかで、諦めたくないと思っていた。

 涼二が歌っていた。
 あの時より力強く、あの日より強い声で。
 ただ叫んでいたようにも聞こえて、それは涼二の歌だった。
 昔の涼二の歌は、再び涼二の声に置き換えられた。
 あたしたちの拍手に涼二は視線をおろした。
 あたしを見てハッとする。
 2メートルちょっとを軽く飛び降りてあたし達の前に立つ。
「さすが涼二っ!」
 あたしは笑顔で涼二に拍手を送る。
 おばさんが抱きついて抱擁を交わす。
 おじさんはそんな二人をやさしく見守りながら涼二の頭を撫でた。
 懐かしい気がしてちょっと淋しい。
 そんな三人を邪魔しないようにあたしは海を振り返った。
 黒くて何も見えなかったけど、いつも声を吸い込んでいく大きな海。
 あたしはこの海が大好きだった。





 お兄ちゃんに散々いじめられて、あたしは部屋に逃げてきた。
「―――っ」
 セクハラだっ絶対セクハラだっ!
 トップシンガーのシロユキと言えどただの男。
 家に帰ればムカつくあたしのお兄ちゃんにしかなり得ない。
 んでもって、聞かれたことが……

 何処までいった? から始まって、

 キスしたか? とか初めての邪魔だったかーーー! とかっっっ!!

 セクハラ大魔王シロユキ降・臨!
 あたしは真っ赤になった顔をベッドに埋める。
 ちっとも冷めやしない。
 むしろ暗くなって悶々と考えてしまう。
 昼間にもみやちゃんに言われた。
 あたしは涼二が―――す、す、すもも?

 すも―――っ!?

「しーちゃんいるー?」
「―――っ!!?」
 がばっとあたしはベッドから立ち上がった。

「ま、ママっ!? 帰ってたの!?」
「た・だ・い・まっ」
 うふっとオチャメに笑う。

 サラサラと流れる髪が印象的なママはあたしと姉妹に間違えられるほど若い。
 まぁ……見た目の問題ではあるのだけど。
 今はセレブ雑誌に良く載っているモデルさんだ。

「もぉー入るならノックぐらい……」
「だってだってだって? しーちゃんついに涼君と体で結ばれたって白雪言うし?
 真相のほどを―――」
 ダンッとその場を踏み切って、ママの脇をすり抜ける。
 あれ? なんて声を聞いてリビングのドアを勢い良く開けてソファーに座っている後姿を捕捉する。
 それに向って一気にとび蹴りを放った。
「何吹き込んでんだっ馬鹿兄ーーーー!!!!!」
「ごがぁぁっっっ!!!?」
 あたしの蹴りがモロに直撃した後、テーブルで頭を打った。
 再びお兄ちゃんは天に召されることになった。

「……いいじゃねぇか。心も体も大差ねぇよ」
「大有りだよ!」
 あたしは息荒くテーブルを叩く。
「あはははは。面白く育ってくれてお兄ちゃんは嬉しいよ〜」
 気持ち悪いぐらい爽やかに笑う。
 誰かこの人なんとかしてください。
「なんだ〜結局まだなんだ〜?」
 誰かこのママどっかにやってください。
「じゃ、お姉さんが食べちゃおうかな♪」
 ママゾクッとするほど艶やかに笑う。
 お兄ちゃんですら笑顔が引きつっている。
 あたしたちはその笑顔の後にある悲劇を知っている。
「……なによその反応?」
 ビクッとあたしとお兄ちゃんが反応する。
『いいいゃや! なんでもなんでもっ』
 二人でブンブン首を振った。
「ふ〜ん? しーぃちゃん♪」
 隣に居たあたしにピトッと引っ付く。
 あたしの顔を見ると美しくかつ妖しく笑った。
 ―――ひっ!
「ええい」
 そう一言言うとあたしの腰に手を回して抱きつく。
 ―――わき腹に手がセットされた。
 容易に次に起こることが予想できた。

「あ、あっいやぁぁぁははははははははははは―――ははははははっ!」
 その状態のままママはあたしをくすぐり始める。
「ほぅら観念して涼君との関係全部言いなさい?」
「みゃーーっはははっやめてーーーーっ」
 ピタ、と手が止まる。
「言う?」
「あはは……あたしと涼二はとも―――!! っみはははははは!!!」
 ピンポイントで一番弱い部分をくすぐってくるママ。
「しーちゃん♪」
「はぁはぁ……はぃ」
 笑いの余韻で顔が引きつる。
「あんたも素直になんなさい」
 にっこりそう笑うと、ペチッとおでこを叩いてあたしから離れた。
「一番素直じゃねぇ人がよく言うよ」
 ハッとお兄ちゃんは鼻で笑ってみせる。
「……白雪、あんたの減らず口もまだ直んないみたいねぇ―――?」
 ゆらっとお兄ちゃんに近づくと、妖しく抱きついた。
 ホントお兄ちゃんには同情する。
 ―――うちのママは好きな子は意地悪したくなるタイプなんだって。
 主に被害にあうのは男の人。
「あ、あたし、部屋に戻るねっ」
 あたしは即座にその場から消える。
 これから起こるであろう自体を予想して非難することにした。
「あっ、ちょ、詩姫っ助けていけっ―――!」
「し・ろ・ゆ・き♪」
 あたしは後ろ手にドアを閉めた。
 バスタークラッシュのカウントダウンに入ったのだろう。
 お兄ちゃんのもがく声がする。
「白雪にはバスターはハジメテだよね♪」
 ママの嬉しそうな声が聞こえた。
 あたしはその場を離れて、部屋に戻る。

「はふああああああああああああああああああ!!!!」

 数秒後に、断末魔の叫びが響いた。

 説明しようか?
 バスタークラッシュはくすぐったいやら痛いやらで大変になる技なのだ。
 裏投げとかジャーマンスープレックスっていうのかな? それに素晴らしい指捌きが加わる。
 凄まじい威力があるのだ!
 だから、あの人の事は暫く忘れよう。南無南無。
 あっしまった。涼二を募集にけしかけに行ったのに、結局いろいろあって忘れてた……。
 まぁ、明日で、いいか。



 スゥっと息を吸った。
 ジンッと体に体温が宿っていく気がした。
 目を覚ました。
 いつもと同じ天井。
 目覚まし時計は鳴らない。
 無意識にゆっくりと時計を手に取る。
 6時。
 いつもより30分以上も早い。
 勝手に目が覚めたので起きやすくてそのままベッドから起き上がった。
 んーー、と伸びをしながらバスルームに向う。
 時間あるし、シャワーでも浴びますかー。
 ぬるめのお湯でざっとシャワーを浴びる。
 完璧に目は覚めた。
 ついでに寝癖も取れた。
 熱っぽいため息をついて、タオルに手を―――。
 ……タオル忘れた。
 バスルームの扉の外に人の気配がする。
 ちょっとだけ開けて覗くとママだった。
「あ、おはよママー、タオルとってくんない?」
「ん。わかったー」
 そう言ってタオルのしまってある棚からバスタオルを引き出す。
「ありが―――」

 ガタンッ!

 ママは勢い良くバスルームの扉を開く。
「―――!?」
「ほほ〜しーちゃん良い体してんじゃな〜い?」
「ちょとっママっタオル〜〜っ」
 さすがに恥ずかしくなってあたしも色々隠す。
「あっはっは、まだウブねぇ〜はい」
 顔に似合わない豪快な笑いを見せるとあたしにタオルを差し出した。
 あたしはそれを素早く奪い取ると、後ろを向いてタオルを巻くために広げる。
 ―――その瞬間
 むにっ。
「あ、しーちゃんもうあたしよりあるじゃんっ」
 そのまま両手であたしの胸を弄ぶ。
 手つきがぁぁぁぁっ!
「―――っっっきゃーーーーーー!!!!」
 朝っぱらから、あたしはママのセクハラに耐え切れず叫んだ。
 最高の朝が、一気に最低の朝に変わった……。


 お風呂で叫んだため全部の声は中で反射、
 ママの耳を直撃してそのまま倒れた。
「……お前の声、ある種兵器だな」
 お兄ちゃんはさっきの声で起きたらしく、和室からリビングにのそのそと出てきた。
 目覚ましにしては大きすぎるからヤメロ。と睨まれた。
「あの、セクハラママなんとかしてくれたらねっ」
 むっとした顔をしてヘラッと笑う。
「ムリ。何されたの?」
「………………お兄ちゃんのエッチ」
「はぁ!?」
「なんだっていいでしょっセクハラ兄っ」
 どうしてあたしの家族はこうもセクハラが好きなんだろうか。
「なんじゃそらっ、まぁ朝飯ヨロシク。詩姫と同じでいいぞ」
 あたしのそう言って肩を叩くと、ソファーに座ってテレビをつける。
 ……仕方無い。
 あたしは大人しく、キッチンへと向った。

 ソファーでニュースに目をやる。
 他愛も無いニュースがいつも通り流れている。
「やべぇ……このバターきてやがる……うめぇぇー……」
「何でパン一枚でそんな感動してるの……」
 お兄ちゃんは焼いた食パンにバターを乗せて感動している。
 どんな食生活だったんだろ……。
「はぁ〜家は平和でいいなぁ〜」
「おかーさーん? ゴハンできたよ〜?」
 食パンにかじりつきながらしみじみとお兄ちゃんは言う。
 あたしはそれを聞き流しながら、まだ来ないママを呼ぶ。
 ママはまだ起きないようだ。
『さて、今日の芸能ニュースの紹介です』
 テレビ画面にきらびやかな文字が浮かび上がる。
『エンターテイメントエクスプレス!』
 と題された画面にシロユキが映し出される。
「んっ!」
 飲んでいた牛乳をふきかける。
「うわっそうや昨日の朝とられたんだったっ」
 恥ずかしぃっなんて叫びながら画面を見るお兄ちゃん。
『シロユキのアルバムが音楽チャートの一位を5週連続獲得』
 そんなテロップが画面に張られている。
 当然だ。あたしですらお金を出して買ったのにそのぐらいなってもらわないと困る。
『「ども。お早うございますお目覚めテレビをご覧のみなさんシロユキです」』
「ぶはっ」
 ゲホッゲホッと咳き込む。
 ども。って!
 そこにその顔が居るから更に面白い。
「……なんで笑うんだよっ」
「あははっだってお兄ちゃんが―――」
『「みなさんのおかげで5週連続なんてうれ……えー、感激ですっ」』
「あはははははは! 言えてないしっ」
 嬉しいって言えばいいのにっ!
 身内が出てるのはかなり笑える。
 しかも本人は目の前。
「うっせぇっカメラの前に一人ってのは緊張すんだよっ」
 むっとした表情であたしに抗議する。
『「今後の目標を教えてください」
 「そうですね。とりあえず俺は突っ走るだけですよ」』
 頭をかきながら恥ずかしそうに言う。
「突っ走ってるよね今」
 本人の蹴りをクッションでガードしながら言う。
 ぶっすぅーっと不機嫌な顔をしてそっぽを向く。
『「一人でプロダクションを立ち上げたいという噂は本当ですか?」
 「えーっと……まぁ将来の夢として掲げとこうと思いまして」』
「へぇ……そうなんだ?」
 ニヤニヤしながらお兄ちゃんを見る。
「そうなんだよっ」
 相変わらず仏頂面でそっぽを向いている。
「へぇぇっねぇねぇ? 誰を引き込むの?」
 構わずあたしはお兄ちゃんに突っ込む。
「物騒な言い方すんなよ。オレは新人育てたいんだ」
 うっすらと笑うとパンにかじりついた。
「へぇ〜誰?」
「ほはへふぉひょうひはひょ」
 もごもごとパンを咥えたまましゃべる。
「へ? わかんないっ食べてから言ってよっ」

 でもそれ以上は聞いても楽しそうに笑うだけで答えてくれなかった。
 画面の中のシロユキも笑顔で手を振っていた。
 アレは詐欺だと思う。

「ごはーーん! しーちゃんアタシのごはーん!」
 ママが蘇ったようだ。
 耳が遠いのか叫んでいる。
「ご飯はここだよ」
「うぅーパンよりご飯がいいー」
 なんて親だ。
 あたしは溜息をつく。
 でも言っても聞かないの知ってるしなぁ……。
 お父さんのゆーことしか聞かないんだよねママは。
「……お兄ちゃんそれ食べる?」
 あたしはテーブルにあるパンを指差して聞く。
「ん? いいのか?」
「ごはんまだ残りがあるから作れるから。
 パン湿気ちゃうと美味しくないし」
「どうせなら目玉焼き乗っけてくれ。あぁ、半熟な」
 あたしはこの人たちの給仕かっ。
 そうだけどね……っ
 泣きながら走り出したくなる。
「……はぁいわかったよーっ」
 頑張ってあたしを生かしてくれる二人に逆らう権利など無い。
 まぁたまに帰ってきた時ぐらい好きなもの食べてもらいたいし。
 とりあえずお湯を沸かしながら目玉焼きを作ってお兄ちゃんの前に置く。
「はい……できたよ」
「おうっさっすが!」
 お兄ちゃんがかぶり付こうと大口を開ける。
 ふと、ママを見た。
 つぅぅぅっとヨダレを垂らしている。モチロン表現的に。
「……」
「……」
 ママは酷く物欲しそうな顔でこちらを見ている。
「……ママ食べるの?」
 あたしは流石に耐え切れず聞いてみる。
「……た、たべ―――ない」
 カッと顔を背けて耐えている。
「ダイエット中?」
「うん」
 ああ、なるほど。モデルも大変なのだ。
「ははは! 大変だなモヘフモ! ングッうめぇー……これ、メッチャうめぇー……」
 お兄ちゃんがお構い無しにサクサク食べ始める。
 恐らく日々のお返しに苛めているのだろう。
「くわっ! くぅ! ほしく……ない、もん……!」
 ママが耐える。
 下唇を噛んでビックリするぐらい耐えている。きっとアレはプロの魂だ。
「あはははっじゃぁ、夜は豆腐入りでハンバーグ作ったげる〜サラダ付きでね?」
「しーぃぃぃちゃああああああん! 大好きっ!」
 文字通り飛びついてくる母。
 今の様子だと絶対濃いものに飢えているんだと思った。
「おいおい甘やかすなよー。オレのは普通に肉だけでいいからな」
「はいはいわかったわかったからああっもうっママっ離れてっ朝ごはん作れないよ」
 ママよりお母さんしてるあたし。
「しーちゃんは良いお母さんだー」
「まだお母さんじゃないっ!」
 ピシッとチョップして離れるとあたしはキッチンに向かった。
 もう何年目だろうか。
 誰かの為に作るのは悪い気はしない。

「ああ。かーさん、まだそいつは新妻なんだよ。お母さんなんて恥ずかしいんだ」
 得意げに言うお兄ちゃん。
「まぁ! そう! 深雪うっかりしてたわっ」
 そして頬に手を当てて年甲斐もなく騒ぐママ。
「熱されたフライパンと、沸騰したお湯と、包丁があるけど、二人とも選んでいいよ」
『すみませんでしたああっ!』

 殺意の、GWを明日に控えた朝だった。


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