34.問題

 音楽は一斉に始まった。
 ドラムの音にあわせて、俺の心臓も高鳴っている。
 ―――叫びたい。
 シロ兄が見せてくれたように、やってみたい。
 俺はマイクを力強く握ると、歌詞も何も無い場所で意味も無く叫ぶ。
「――――――ぁぁぁあああああ!!!!」
 ―――ガチリ、と、音楽が声にヒットした。
 今なら分かる。
 シロ兄は音あわせだと言っていたシャウト。
 俺が、声を出すことによって、七風たちも―――俺の声にあわせて音を紡ぐ。
 あとは―――、音が、歌わせてくれる。

 声を出す。
 はじけるように出て、たくさんの音と混じる。
 楽しい―――。
 固まってた何かを体の底から吐き出すように―――
 俺は声を弾ませた。

 ―――テンションが上がってくる。
 Aメロが終わりBメロに入ると断然声量が出るようになってくる。
 サビが待ち遠しくてしかたがない。
 走り出したい気持ちに似ている。

 スタートラインに立っている。

 ギターがベースがドラムが―――スタートラインにたどり着く。
 音が、ゴーサインを出す。

 ドン―――ッ!

 地面を蹴るように声をはじき出す。
 風を感じるように感情を流し出す。
 走る理由は走りたい道がそこにあるから。
 歌う理由は伝えたいモノがそこにあるから。

 歌えるんだこの声は。
 踏み出したスタートラインは振り返らない。
 たどり着くゴールは歌の先。
 スタートはあそこに有った事だけを思い出す。

 ランナーは走ることだけを考え、
 シンガーは歌うことだけを考える。
 ランナーの終わりはゴールライン。
 シンガーの終わりはスタートライン。始まる事。

 いくつでも駆け抜ける―――スタートライン。
 いつかこけて走れなくなったら走れなくて良い。
 休みたくなったら休めば良い。
 ただそこに存在するラインだけは忘れるな。
 今まで駆けてきたラインを踏み越えてそこまで来たんだ。

 水を飲めば喉が潤う。
 息を吸い込めば声が出る。
 さぁ、今からでも立て。目の前のそれは―――
 スタートラインだ。

 ランナーは走ることだけを考え、
 シンガーは歌うことだけを考える。
 ランナーの終わりはゴールライン。
 シンガーの終わりはスタートライン。無限に歌い続ける。



 ジャンッッ!
 耳鳴りと一緒に耳に残る。
 全ての音が同時に終わる。
 いつ始まって、いつ歌い終わったか分からない。
 それほど、夢中で歌っていた。
 スタンドにもたれ掛かってうな垂れる。
 ―――っ。
 涙が出てくる。
 止まらない。
 パチパチパチ
 と、拍手が聞こえる。
 それは少しずつ増えていって、この場の全員が拍手をくれた。

 嬉しかった。
 俺を認めてくれたってことだから。
 でも、顔を上げることが出来ない。
 なんで、涙が、止まらないんだ―――?
「水ノ上? どうした〜?」
 榎本が顔を上げない俺に声をかける。
 や、やばいぞ……。
 不意に、頬に手が触れる。
「泣き虫っ」
 小さくそういって手で頬から目の水を拭うと、顔を上げさせた。
「―――せっかく感傷に浸ってたのにな」
「ん? 何だって?」
 榎本が俺の言葉に反応する。
「いや、なんでもない。それより詩姫だっ次!」
 顔を挟む手から抜け出して振り向く。
 サンキュと言うとニコニコと笑う詩姫にマイクを手渡した。
 去り際にガンバレヨと言って教室の端に移動する。


 兄ちゃんは『頑張れよっ』と言って俺の頭を撫でて、去っていった―――。
 それは、昔の記憶だろうか―――







 シン―――とした空間の中、まだ夢を見ているように詩姫を見ていた。
 鳥肌がいまだに収まらない。
 ―――なんて、歌唱力。
 バンドの中心で歌っている詩姫は、想像以上だった。
 俺以外のみんなも呆然と彼女を見つめる。
 恐らく、いつ弾き終わったかなんて誰も気づいてないんだろう。
 だから俺が拍手を送る。
 それに気づいて全員力いっぱいの拍手を彼女に捧げる。

「すげぇええ!」
「コレなら絶対客入るって!」
 思い出したように賛美の言葉を送る榎本と七風。
「そ、そんな大したもんじゃないよっ」
 プルプル震えながら否定する詩姫。
 わかるなぁ。あそこはマイクを持って立っているだけで緊張する。
 俺は詩姫の近くに寄って行ってポンと、肩を叩く。
「決まりだな。よかったな詩姫」
「そそ。二人には頑張ってもらわないと〜」
 榎本はヘラヘラ笑いながらそんなことを言った。
 ―――ん? 二人?

「歌うのは、七風と詩姫だよな?」
「え? 水ノ上君もだよ」
 またまた〜と手をヒラヒラさせる。
「いや、おれポグッ!?」
「歌いたくて仕方ないですっ!」
 詩姫の掌底がアゴにクリーンヒット。
 し、舌噛んだっ!
 しゃがみ込んでアゴをさする。
「だよね!」
 グッと親指を突き出して同意をはかる榎本。
 詩姫は元気良くそれに同じ格好で答えていた……。
 こと、音楽に関して俺は、詩姫に逆らえないように出来てるらしい。

「さて、本題があるんだが……」
 七風がギターを立てかけながらそう言った。
「本題?」
 詩姫がそう聞き返す。
「ああ……バンドをやるのはいい。ちゃんと人数も揃ってるしな」
「何がダメなんだ?」
 歯切れの悪い七風にそう聞き返す。
「……体育館が取れない」
「場所が無いんだよ〜」
 七風と榎本が交互に言う。
「先生に言えばなんとかなるんじゃないのか?」
「善処はするらしいな……どうなったのかはまだ聞いてねーし」
 ……今の言葉で誰に頼んだのか分かってしまった。
 我等が担任高井先生……。
 やる気は……ないよなぁ多分……。
「しゃーないよ……とりあえず聞きに言ってみよう」
 俺は両手を小さく挙げてそう言った。
「まぁしゃーないかぁ。文化祭まで時間も無いし」
 榎本が頭を掻きながらため息をつく。
「でも俺ら、この学校で信用のある人間じゃないからなぁ〜……」
 そういってニヤリと俺を見る。
 ……は!?
 みんなの視線が俺に集まる。
「たのむっ水ノ上君っこのとーーーーーーりっ」
 手を合わせて俺を拝む榎本。
 断る理由は―――無い。
 なら、頼まれてやるが道理だろう。
「はぁ……わかった。先生も多分それ見越して俺にプリント渡したんだろうし」
 ……なるほど。最善の処置じゃないか。
 侮れないな高井先生。
『うおっしゃーー!』
 熱いバンドマン達の雄たけびが上がる。
 まて、まだ何も決まってないぞ……。
 俺はため息をつきながら笑って、次の行動を考えていた。

「んじゃ、早速行って来るな」
 壁から離れてドアに向う。
「あぁっあたしもっ」
 パタパタと俺に続く。
「よろしく〜」
 と後ろから七風君の声がした。
「なんだ、待っててもよかったのに」
「む、ムリだよっ初対面の男の子達の中に置いてかれても困るよっ」
 歩きながらそんなことを言う詩姫。
 ていうか、これから仲良くしていかないといけない奴らだぞ……大丈夫か。
「で、ねぇ? 何処に行くの?」
「あぁ、とりあえず職員室で高井先生捕まえねぇと」
「へ? 啓ちゃんになんか聞くの?」
「うん。とりあえず、体育館を使うクラブとかイベント聞いてこないと交渉できないだろ?」
 なるほどっと手を打つ。
 北校舎の2階の職員室へと歩く。
 予想は吹奏楽と演劇ぐらいなんだが―――
 ファッションショーとかマジックショーとか他に無ければバンドも全然いけるはずなんだが…。

「馬鹿言うな。この学校は何でもあるんだぞ?
 それこそファッションショーやマジックショー、漫才にダンスまでな」
 放課後でクラブに散っていった先生達の少ない職員室。
 先生は手に持った赤ペンをくるっと指先で一回転させながらしれっと言い切った。
「そんな……じゃぁ体育館は取れないんですか?」
 ある種の絶望感……。
 後参戦になるバンドはどう考えても演奏する時間が空いていない。
「……まぁ……できないことは無いんだ。お前らさえ気にしなければ」
 え? と詩姫と顔を見合わせる。
「どゆこと?」
 詩姫が先生に聞く。
「体育館は3つあるだろ? 第1体育館はもう予定が一杯だが―――
 第3体育館には空きがあるんだ」
 言って、職員室の窓から第3体育館を指差す。

 ―――……第3体育館。
 結構最近に建ったらしく、真新しい白い壁が印象的だ。
 バスケット部が主に使う建物で、意外と広い。
 別段、問題が無いように思える。
「……何を気にしなければなんですか?」
「………………演劇と時間が被る」
『…………それが?』
 詩姫と同時にそう聞き返す。
「はぁ? お前ら演劇部のことも知らないのか?」
 演劇部に一体何があるんだろう……。
「まぁその辺は七風たちにでも聞いてみろ。榎本とか良く知ってるんじゃないのか?
 特に、今年はやばいぞ」
 言って机に視線を戻す先生。
 俺と詩姫はもう一度目を合わせて首をかしげた。
「先生、出来れば体育館全部の予定表が欲しいんですが」
「熱心だな……構わんが。コピーしてやるからちょっと待て」
 俺達は予定表を手に入れて職員室を去った。


 再び軽音部部室のドアを開く。
「お? おかえり〜早かったな!」
 榎本がヒラヒラと手を振る。
 こういったところが柊に似ているかもしれない……。
 ただ悪そうな感は抜けないな。
「どうだった?」
 七風が早速聞いてきた。
 俺たちは微妙な顔で頷く。
「あぁ……なぁ、演劇部ってどうなんだ?」
「演劇? あぁ、陽華劇団か」
 よ、陽華劇団……なんとなく凄そうだ……。
「知らないのか? 毎年凄くてさ、団長とかちょ〜美人だぜ?」
 いつの間にかアコースティックギターに持ち替えた榎本がポロンポロンと弾き語る。
「毎年〜限定10人の新入部員に〜♪
 実力派の団長〜総勢30人の伝説のクラブさ〜♪」
 歌い終わってなはは〜と笑う。
 するといきなり真剣な表情になってピッと指を立てた。

「入部希望者は何十人も居てな。そのうちの10人だけ入団を許されるんだ。
 やっぱり女の子が多いらしくて、今や陽花宝塚とも言われてる。
 まぁ姉貴から聞いた話だけどな〜」
 ジャカジャンッとギターを弾く。
 そこで話を切った榎本に代わって七風が口を開いた。
「……つまり、客が入らないかもしれないってことだ」
 ―――…ヤバイな……。

 こうして―――俺たちの初舞台の文化祭は始まった―――。


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