36.涙
*Shiki...

 は―――はぁ―――っう―――!

 走っているのかそうじゃないのか。

 はぁ―――は―――もう―――

 良く分からないけど、眩暈がして、コケた。
 でも今度は意識がある。
 はぁ……はぁ……―――
 息が切れる。
 座り込んだ状態で地面に手をついて、体力の回復を待つ。
 ―――また、ここで倒れた。
 顔を上げると、いつもの防波堤が見えた。
 あたしは最後の力を振り絞って防波堤に支えられながら立ち上がると、
 その防波堤の上に寝転がった。
 あつ―――。
 揺れる視界から動かない星空を見上げる。
 ドクンドクン脈打つ心臓が、忌々しい。

「あ―――」
 不意に泣きそうになる。
 色々理由はあった。
 自分がイヤだった。
 ―――なんで、みやちゃんなんだろ。
 分かってた、と思う。
 考えたくなかった。
 あのままみんなで、一緒に居たいというのは―――あたしの勝手な理想。
 みやちゃんが居て、柊君と笑って、涼二と歌って―――……。
 いずれは―――あたしもあたしの幸福の為に、涼二を望んだ。きっとそうだ。
 だから、みやちゃんの選択は正しくて、ただ、あたしの勇気が無さ過ぎただけ。
 初めからみやちゃんが彼女だといったなら、諦めてた。
 でも、違った。
 自慢の親友だと、涼二は言う。
 3人の関係。それにあたし。
 それは、あたしが壊した。
 あたしの勝手な嫉妬で、涼二も―――みやちゃんが好きだと言うのが分かるから。
 みやちゃんを突き飛ばして走ってきた。
 最低―――っ。
 自己嫌悪で泣き出した。
「あ―――ぅぅ……ぁく―――」
 腕で顔を覆って、泣き出す。
 かみ殺しても嗚咽が口から漏れる。助けて―――誰か―――ぁ

  ……涼二―――っ







 ザンッ……と波が押し寄せる。
 目に映る月は歪んでいた。
 手の甲で涙を拭うとその形は半分ぐらいの月が綺麗に見えた。
 でも、すぐに歪む。
 ザザン……
 止めない波のように溢れる涙。

「みぃーつけたっ」
 不意に―――声が響いた。
「……みやちゃ……ん―――?」
 逃げ出したい衝動に駆られる。
 体中がだるくて、動かない。
 あたしの前で笑顔で佇むみやちゃん。
 あたしの顔を見るとすぐに心配そうな顔をしてあたしを覗き込む。
「大丈夫ヒメちゃん? あ―――また、擦りむいてるっ」
 ポケットから小さな消毒薬と絆創膏を取り出して、あたしの膝を手当てしてくれる。
 その消毒液と絆創膏は、あたし専用だそうだ。
 ―――あたしのためだ。
 この子は本当に優しい。涼二にも柊君にもあたしにも。
 また、涙がでる。
「あ―――ほら、泣かないで? ヒメちゃん……」
 良く分からない―――。
 あたしはボロボロ泣きながらみやちゃんに抱きつく。
「うぅぁ―――っみやっちゃ―――ぅ―――!」
 みやちゃんにすがって、泣きじゃくる。
 こんなときでもあたしを助けてくれるの……?
「……うん。ごめんね……ヒメちゃん……」
 謝るみやちゃんにあたしは顔を押し付けたままブンブン首を振る。
 みやちゃんは何も悪くないのに―――っ
 謝らなきゃいけないのはあたしのほうなのに……
 みやちゃんは続けて、あたしの頭を撫でる。
「私ね? 知ってて言っちゃったんだよ?
 ヒメちゃんが涼二のこと―――好きってこと」

  ズキッ
 心臓が悲鳴を上げる。
 痛い。
 あたしもみやちゃんが涼二のことをずっと好きだったことを知っている。
 初めて、みやちゃんを見たときから、ずっとそうだと思ってた。
 だから、そんなの―――。
 あたしは首を振る。
 いけないのはあたし。
 素直にスキって言えなかった自分。
 たった一言、それを認めることすらしなかった。
 だから、それはあたしのせい。

 なのに―――……

「ごめんね……ごめんっ……」
 みやちゃんは謝り続ける。
 あたしにあてられたのかみやちゃんも泣き出す。
「みや―――ちゃん?」
 あたしの頭を抱えたまま泣くみやちゃんの顔は見えない。
「うぇ―――ひっく―――ぅ」

 泣いていたのはあたしなのに。

 だんだんとあたしを放していって、視線を同じにするみやちゃん。
「ひめ……ちゃん―――私―――…」
 今度は震えるみやちゃんをあたしが抱きしめる。


「私、涼二にフラれちゃった―――っ」

 あたしの涙は、止まっていた。

 なんて、こと。



*Miyako

 視界がぐちゃぐちゃになって、見えなくなった。
 涙が溢れ出して、止まらない。
 目の前に立っている涼二はやっぱり―――
 やっぱりヒメちゃんが好きみたいだ。
「―――…ごめん……」
 顔を伏せて、涼二はそんなことを言う。
 でも、それでも、私の手は、涼二の手を掴んで離さない。
 もう、
 だめだって、
 涼二は、
 言ってるのに、
 私の手は、
 それを、
 聞き入れない。
「―――っっぅ!」
 ボロボロと熱い涙が頬を伝う。
 壊れてしまった。
 毎日顔を合わせて笑うことも、起こしに来ることも無くなって―――。
 私は独りになる。
 失うのは怖いと思った。
 でも言わずには居られなかった。
 ―――だって、ヒメちゃんが居たから。
 ヒメちゃんみたいに魅力の無い私には―――言葉にする事しかできないから。

「京―――……ミヤコはっ俺の一番大切な―――っ」

 真っ直ぐ私を見つめる涼二。
 涙で良く見えなかった。

「一番大切な友達なんだっ!」

 スルリ、と私の手の力が抜ける。
 それを涙を隠すために私は顔に手を当てた。
「だから―――…だから、ありがとう……
 俺みたいな奴好きだなんて言ってくれて」
 泣きそうな顔をして、暗闇に振り向く涼二。

「俺は強くなりたい。
 京や柊に迷惑かけないぐらい心の強い奴になりたい。
 京みたいに優しい人間じゃない。
 柊みたいに真っ直ぐ生きてない。
 詩姫みたいに歌うことも出来ない。

 俺の目標は、そんな親友を自慢できるぐらい自分も凄い奴になる事だ」

 少年が前を向いて歩き出した。
 力強くその一歩を踏み出す。
 心に篭ったその思いを言葉に、声にする。
 涼二は魅力の多い人間だ。
 本人は気付いていないだろうけど、心を声にする力があるんだと思う。
 だから、一つ一つの言葉が、頭に残る。

「今までありがとう。京が居なかったら、俺はここに居なかった」
 彼は振り返る。
 相変わらず泣きそうな顔。
 でも、涼二は泣かない。
 ―――知ってる。涼二が泣くのは、ヒメちゃんがいるときだけ。
 織部詩姫と言う存在にだけ、弱さを見せてる。
 そんな、ヒメちゃんに私は嫉妬していた―――。
 走り出す涼二の手をもう一度掴む。
「なっ―――!?」

「―――っ私に、行かせてっ」
 涙を拭って、涼二を見上げる。
「私のせいだからっ私、ヒメちゃんに謝らないといけないのっ!」
 涙は飲み込んで、涼二を睨むように見つめる。
「お願い―――涼二っ」

 私たちの―――最後でいい。

 だから せめて。
「私に行かせて―――っ」
 私に償わせて下さい―――。
 祈るように涼二を見上げた。
 もちろん、涼二が首を縦に振るまで手を離すつもりは無い。
「……」
「……」
 譲る気はお互いに無いみたいで、沈黙が続く。
「……」
「……」

「…………頑固者めっ」

 ワシッと頭に涼二の手が降ってくる。
 ちょっと膨れてて、拗ねてる感じが可愛い。
「……5分だけ、遅れて行くっそれ以上は絶対待たないっ
 ていうか10秒ぐらいしか待てないっ!」
 みじかっ!
 全く落ち着かない涼二を見ているとどんどん私は落ち着いてくる。
 そわそわしている涼二は、挙動不審で面白かった。
 私と、ヒメちゃんの行き先をキョロキョロと交互に見ている。
 なんかもう、地震に怯えるウサギみたいな感じで。
 それが、面白過ぎた。
「―――ぷはっ!」
「へ!?」
「あはっあはははははっ」
 不思議。
 私はもう笑ってしまっている。
「涼二っ面白いっあはははっ」
 それもこれも、目の前に居る彼のせいなのだが。
「む……ふざけてるなら俺行くぞ」
 そう言ってまた振り返る。
「あ、まってまってっ私、行くからっ!」
 言って、涼二の前に出て、振り返る。
「ヒメちゃん、何処にいるかわかる?」

「海岸の西側……防波堤の上……かな」

 迷わずそう涼二は言った。
 この瞬間にも私は羨ましいと思った。
 繋がっている二人。
 私は笑って振り返ると、走り出した。
 涼二は本当に5分しか待たないだろう。
 一刻も早く、ヒメちゃんを見つけ出して―――

 私が、言わないと。

 走りながら、出てくる涙を拭って、涼二の言っていた防波堤を目指す。


 せめて、探している間だけ、泣いていようと―――。

 でも前を見るために涙を拭うのだ。

 潮風が熱い体を冷ましてくれる。
 あたしは頬を伝う涙を拭って
 深呼吸を一回だけして
 ゆっくりと彼女に近づいた。

 「みぃーつけたっ」

 今できる最高の笑顔で、ヒメちゃんに笑いかけた。

 月明かりで銀色に光る長い髪。
 私の声に反応してゆっくりと起き上がった。
 涙の跡の消えない顔で、一生懸命言葉を探しているようだ。
「……みやちゃ……ん―――?」
 傷だらけの膝。それに手。
 ―――もう少しだけ笑顔で居よう。
 もう少し優しくて強いみやちゃんを演じよう。

 もう少しだけ―――私をヒロインにしてもらおう。

 ゴメンねヒメちゃん。私は悪い子だ。
 泣いているヒメちゃんを抱いて、慰める。
 ゴメンね、と謝る。

 もう、私はヒロインじゃなくなった。

 ヒメちゃんの胸を借りて泣く―――ただの脇役。


 秋野京の恋は―――悲恋の幕を閉じた。

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