37.さよなら

*Ryoji...

 5分。
 人生で一番長い5分だ。
 何度、無視して走り出そうとしたか。
「5・4・3・2・1―――…!」
 携帯を凝視して、5分丁度たった瞬間に、俺は走り出した。
 5分の間に考えていた最短ルートを全速力で駆け抜ける。
 壁すれすれを曲がって、地面を力いっぱい蹴飛ばして―――。
 一気に海岸沿いに出ると、防波堤に沿って真っ直ぐ走る。
 たった一つだけの名前を思い浮かべて、
 ひたすら走った。

「―――詩姫―――…!」



 すぐに、二人を見つけた。
 俺はそのまま駆け寄る。
「詩姫……」
「……りょう―――じ」
 詩姫は呆然と、俺を見上げる。
 京は、詩姫にすがるように泣いていた。
「どうしよ……あたし―――最低……」
「……何かあったのか?」
 詩姫の顔には涙の後があった。

「あたし、みやちゃんの為に泣けない……」

 詩姫が呆然と俺に言う。
 ゆっくりと潮風が動く。
「どうしよう―――」
 そう言って詩姫は俯く。
「っヒメちゃんは―――優しいんだね……」
 涙を拭った、京が立ち上がる。
 一瞬だけ、悲しそうな顔をしていたが、すぐに笑顔になった。
「ヒメちゃんが泣く必要なんて、最初から無いんだからっ」
 詩姫に手を差し出して、二人並んで立つ。
「ごめんね、ヒメちゃん。私がちゃんと言っとけば良かった」
「ううん……あたしが勝手に騒いでただけだから……」
「ほらーそんなしゅ〜〜〜んとしないのっ」
 ぷにゅっと詩姫の両頬を手で挟む。
 ―――玲さんのように彼女を慰める。
「ふぁい……」
 その状態のままうな垂れた返事をする。
 顔は曇り顔で涙はいつでも零れそう。
「ぷっはははははっ」
 京はまた、大きく笑う。
「かわいくない〜〜」
「ぶっはははっ!」
 その言葉に俺もふきだす。
「ひ、ひどっ! 涼二までっ」
 笑い飛ばせればいい。
 そう思って爆笑。
 詩姫の後ろに立って大きく伸びをした。


「ここは―――二人の秘密の場所?」
 京が悪戯に、笑いながら俺たちに聞いてきた。
「そ、そんなたいしたもんじゃないよっ?」
「そう〜? だって涼二、すぐにヒメちゃんがここに居るって言ったんだよ?」
 かなりカンだったけどな……。
 俺は絶対ここにたどり着くけど、詩姫はどうかは知らなかった。
「う〜ん……ここは……涼二のステージだから。ね?」
 詩姫が俺を振り返る。
「まぁ……昔の」
 気恥ずかしくなってそっぽを向く。

「ステージ……? ……そっか、涼二が歌うんだ?」
 意外そうな顔で、俺を見る京。
 丁度、街灯の電源が入った。
 パッと、その防波堤が照らし出される。
 海と言う無限大の観客席の前で、その姿を現した。
 そだっ! っと詩姫が手をたたく。

「涼二、歌ってよ!」
 満面の笑みでそんなことを言う。
「は―――ぃ?」
 間抜けな声が引きつった笑顔から漏れる。
「今日はあたしと、みやちゃんが観客っ」
「あはっ歌ってくれるんだっやったっ」
「ちょ―――」
 俺の言葉を聞かずに二人は海岸に下りる。
 女の子らしく手を繋いで、キャーキャー言いながら楽しそうだ。
 見上げる二人が手を振る。
 ―――あぁ……やるしかないなぁ……。
 苦笑しながら俺は防波堤の上に立った。




*Shiki...

 みやちゃんと手を繋いで海岸に降りてきた。
「涼二、本当に歌うんだ?」
「うんっ上手いよ?」
「―――…そうなんだっ」
 驚いた顔をして、にっこり笑うみやちゃん。
「何歌えばいいー?」
 上から声が降ってくる。
 それはもちろん
「涼二の歌っ!」
 あたしは見上げて、思いっきり言う。
「りょ、涼二の歌?」
 みやちゃんは微妙な表情で反復する。
 子供の頃の話だから。
 私達はそんな名前で呼んでいたけれど。
 題名の無いあの歌は、あたしには涼二の歌だった。
「うんっ。題が無いんだ〜。もともと、お兄ちゃんが作った曲なんだけど、
 あたしが涼二の歌ってずっと言ってたから、涼二にやるって言ってねっ」
 あははは〜と乾いた笑いで説明をする。
「ふ〜ん……そうなんだ……あたしの知らないことばっか」
 みやちゃんはそういって上を見上げて、ピタリと動かなくなった。
 あたしもつられて上を見上げる。
 目を瞑って両手を広げる涼二。
 ふわっと息を吸い込んで目を開く。
 ―――緊張しているわけじゃない。
 本当にその姿に見惚れる。
 ただ、神々しい存在のように意志のある目を向ける。
 遠い存在になったようで怖いのだけど―――
 ずっと、見ていたいと思う力強さがある。

 あたしたちに軽く微笑んで見せるともっと遠くに視線を遣って、強く、歌いだした。



「―――…知らなかった」
 そっと、みやちゃんがつぶやく。
「へ?」
 あたしが視線をみやちゃんに移しても、みやちゃんは涼二を見上げたままだった。
「こんなに―――……上手かったんだ……」
 食い入るように、涼二を見つめるみやちゃん。
「―――うん」
 あたしも視線を涼二に戻す。
 楽しそうに歌う涼二。
 ただの街灯に照らされているだけなのに、キラキラと光っているみたいだ。
 弾けるように声を出して、波のようにリズムに乗って―――。
 誰が、彼を下手だと言えるんだろう。
 聞こえないはずの色んな音が、あたしには聞こえる。
 涼二に聞こえている音は全部あたしにも聞こえる。
 それは、みやちゃんにも聞こえているんだろうか―――?

 二人で聞き入る涼二の独占ライヴ。
 終わりを告げると同時に、あたし達は全力の拍手を涼二に送った。
 それに照れくさそうに笑うと、防波堤から飛び降りる。
「上手いんだね涼二っ」
 みやちゃんは満面の笑顔で拍手を送っている。
「下手くそだよっ」
 あたし達から視線をはずして、ぶっきらぼうにそんなことを言う。
「―――ん。頑張って、涼二」
 柔らかに、涼二に微笑みかけるみやちゃん。
「―――ありがとう。
 ―――できればこれからもヨロシク」
 涼二もそれに笑い返して、二人とも握手を交わした。
「あは、勝手なんだ」
「一握の望みとしてね」
 ―――そう言って暫く見詰め合うだけの時間が過ぎる。
 何を会話しているのだろう。
 あたしには聞こえない。
 長い間ずっと一緒に居た二人だけの言葉。
 あたしはそれを―――羨ましいと思った。



「あ、そだ」
 ポケットを漁る。出てきたのは携帯電話。
 暗がりでディスプレイに詩姫の顔が青白く照らされる。
「はいっ」
 グッとその携帯電話の画面を涼二に突き出す。
 あたしが見せたのはお兄ちゃんからのメール。
「……パクって来い?」
 涼二は明らかに不満そうな顔で携帯を見ている。
「連れて来いってことじゃない?」
「……あ、そっか。涼二ヒメちゃんのお兄さんと仲良いんだっけ」
 ポンと手を打つみやちゃん。
 そう、仲がいい。この折角の休みのオモチャに選ばれているぐらいだ。
 お昼はお昼で色々やってるみたいだけど。
「まぁね……歌を教えてくれたのが白兄なんだ」
「あーなるほどねっだから上手いんだ」
「上手くはねぇけど」
 瞬時にそこだけは否定する。
 どうしても認めないらしい。
「あはっ謙遜しなくていいのに〜」
 ホントにそう思う。
 涼二は何処を基準に上手いと下手を分けているのだろう……。

「……じゃ、私はもう帰るよ。サインもらってきてね涼二っ」
 少し翳りのある顔でみやちゃんはそう言った。
「あ―――俺らも行こうか」
 ポンポンと肩を叩かれる。
 みんなで道への階段をあがったところでみやちゃんが振り返る。

「バイバイっ」

 痛々しいほどの笑顔で、みやちゃんは別れを告げた。
 もう、会えない気がした。
 それは嫌だった。
「―――またねっ!」
 だから約束をする。
 あたしの勝手な思いで。
 みやちゃんは笑顔で頷いた。
 ―――なんて、あたしはダメな奴。

「じゃなっ」
 涼二も、それに精一杯の笑顔で答えた。
 一見すればいつも通りの二人。
 でも、
 空気が、
 冷たくて。
 みやちゃんは今にも泣き出してしまいそうで―――。
 何か一つだけ間違えると、この空間でさえ壊れてしまいそうで
 あたしは怖かった。
「……ばいばいっ」
 精一杯、最後にその言葉だけを搾り出した。
 見送ってくれるみやちゃんに背を向けてあたし達は歩き出す。
「―――っっ」

 振り向けない。

 ―――泣いているみやちゃんを見てしまったら……
 あたしも涼二も走ってみやちゃんの所へ行くだろう。
 良く分からないけど、それはやっちゃいけないことだ。
 涼二もそれが分かっているのだろうか、振り返ろうとせず
 黙々とあの曲がり角を目指している。

 角を曲がって、あたしと涼二は振り返った。
 涼二は、ぽつりとさようならと呟いてまた、あたしの肩を叩いた。
 ここに来て、はじめてあたしは、みやちゃんのための涙を流した―――。


 ゆっくりと、あたしに合わせて涼二は歩いてくれた。

 ―――いつの間にか手を繋いで、あたしは自分の家の前に立っていた。







 バターーーーーーン!!!

「おっ帰りーーーーーーーー!!!!」
 家の扉が、激しく開かれた。と同時にママが飛び出てきた。
「!?」
 ふわっとママの長い髪が舞う。
 容姿はあたしに良く似ていて、姿も行動も若いから良く姉妹に間違えられる。
 まぁ……問題はそこじゃなくて。
 何で涼二に抱きついてんですかアナタ!?
「ママっ!! 何やってんのっ!」
 ぐいーーーーっ
 とママを全力で涼二から引っぺがす。
 涼二はあんまり状況が理解できないのか、呆気に取られた顔でママを見る。
「あーら、あらあら。仲が良いのねぇ〜ママ見てるだけで恥ずかしいわっ」
 ポッと自分で言いながら頬に手を当てる。
 言われた途端、弾かれたようにあたしと涼二は手を離した。
「―――っち、ちがっ!」
 ママだってパパと良く……なんて言いながらくねくねしている。
 あたしは必死に否定の言葉を探す。
「あら〜? 照れなくて良いのにっささ涼二君だったよね?
 カッコよくなっちゃって〜さ、上がってらっしゃいっ」
「ちょっ―――ママっやめてよ恥ずかしいっ!」
 勢いのついたママは止まらない。
 何がツボにはまったのか爆笑している。
 とりあえず今、ママを野放しにするのは危険なのでグイグイと家に押し込む。
 野生のママはとても危険だ。
「おー。お帰りーお、来たな涼二っ」
 暢気にお兄ちゃんが出迎える。
「もーーお兄ちゃん居るんならママ止めといてよっ」
 ちなみに暴走するのはいつものこと。
 お兄ちゃんが家に居た時はみんなで止めるのが暗黙の了解だった。
「あ、わり。忘れてたっ」
 はははっとお兄ちゃんも心底楽しそうに笑う。
「ははは……元気だよな詩姫ん家」
 苦笑いでそんなことを言う涼二。
 相変わらずママは笑いっぱなし。
「あは、ははは……」
 あたしも苦笑することしか出来なかった……。

 ホント、誰か助けてよ……。

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