38.織部家(2)

*Ryoji...

「残念だが、まだお前に詩姫はやれんな」
 バフゥ!!!!!!
 飲んでいた紅茶が目の前ではじけた。
 とりあえずソファーに座った白兄は真面目にそう言った。
 スコーーーン!
 と真っ赤になった詩姫の投げたティッシュ箱が白兄の額に命中する。
「ははははっなんだ、違ったか?」
 ティッシュ箱が額に固定されたままヘラヘラと笑う。
「てか、そんなこというために俺呼んだの?」
「うん」
 ……真顔で頷かれてしまった。
 コロン、とティッシュ箱はテーブルに戻った。

 ゴールデンウィークを明日に控えた今日。
 京を残してきたことを心残りに詩姫の家へ。
 俺を呼び出した張本人はただの阿呆だった。
 日本中で一番有名なアーティストが何でこんな所でへらへらしてるのか。
 たまの休みにもっと有意義に休めと言いたくなる。

 今織部家のリビングに案内されている。
 白兄と詩姫と俺、そして小母さんがニコニコと俺たちの様子を見ている。
「だって、暇じゃん?」
 それは白兄の都合だろっ!
 と叫んでしまいそうになる。
「二人の進行具合も詩姫が話してくれねーしさぁ〜」
「お兄ちゃん、ちょっと……」
 ガッ! ズザザザッ!
 いつの間にか白兄の後ろに立っていた詩姫が、白兄の襟首を掴んで廊下にって消える。
 今そんなタイムリーな話題を聞かれると流石に困る。
 俺と詩姫は……
 俺と……どうなったんだ?
 京からの告白は断ったけど、詩姫に告白しているわけじゃない。
 詩姫は逃げてたけど―――それは答えじゃない。

 ―――つまり進行度で言えば進んでいないということだ。
 ……あれか、京の思いを無駄にしないためにも今度は俺が……
 お、俺か?

 きゃぁぁぁぁ……
 何かの断末魔が聞こえた。
「……これはいつものことっすかね」
 俺は残された小母さんと話をする。
「あはっまぁね。あの子、家だと意外とぶっちゃけてるからね」
 言ってゆっくりと紅茶を飲む。
 迎えに出たときとは一転、大人の雰囲気が漂っている。
 その姿は―――そう、今よりもずっと大人になった詩姫を連想させる。
「詩姫は学校でちゃんと頑張ってる?」
 はっとその姿に見とれていた自分に気づいて目を逸らす。
「―――えぇ。バンドも見つけたし、文化祭に向けてこれからもっと頑張らないとってとこですよ」
 見とれていたことに気づかれないように、俺は紅茶を飲む。
「そっか」
 言って微笑む姿は、やっぱり大人で、親だった。
「でも、涼二君でよかったわぁ〜」
 途端、流れていた空気が変わった。
「だって詩姫に悪い虫つかないでしょ?」
 あの〜……
「あの子ね、不器用でおバカさんだけどいい子よ? 胸もあたしよみも!?」
 ゴゴゴゴゴゴ……という擬音を背負って詩姫がおばさんの後ろに立つ。
 その手はガッツリとおばさんの口を封じている。
「ママ、ちょっと……」
 言って、光のごとく連れ去られる。
 あはははははははははっ!!!!
 い、一体何が……。
 パンパン、と手をはたきながらリビングに戻ってくる詩姫。

「ホントに、あの二人はも〜」
 ぷぅっと膨れながら、俺の隣に腰掛ける。
 なんだかこの家に来るたびに置いて行かれた感があるのは気のせいだろうか……。
 ちょっとすると屍のようにフラフラと白兄が帰ってきた。
「お、お前……この暴力っ子め……」
 ドカッとソファーに座り込む。
「お兄ちゃんのせいでしょーー?」
「ふふっまぁそうカリカリするな妹よ」
 言って目の前に置いてあるクッキーに手を出す。
「でかっ!?」
 今気づいたのだが、でかい。
 なんだか手のひらサイズというか煎餅ぐらいでかい。
「え? 普通だろ?」
 言ってガブッとがぶりつく。
「面白くない?」
 ガバッと振り返る。
 いつの間にか俺の後ろで小母さんが復活していた。
 面白いとかじゃなくて……
「……大きいと食べかすが多くなって掃除が大変じゃないですか?」
 ウチの母親もよく言う。
 小さい方が一口でいけるし食べかすも出なくていいんだって。
 餌付けの達人が言うんだから間違いないはずだ。
「いいのよっ詩姫がやってくれるもんっ」
 やっぱりか。
 おばさんは両手を合わせて嬉々として答えた。
「いくなーーーい!」
 詩姫が心の底からの雄たけびを上げる。
 ……苦労してるんだな……。



「あ、聞いたぞ? 榎本の弟がいたんだってな」
 冷蔵庫からビールを引っ張り出しながら白兄が言う。
「え、あぁ。榎本ね。居たけど?」
「あ、シロユキあたしもっ」
 ビシッと手を伸ばして小母さんがアピールする。
「榎本さん……お兄ちゃんの彼女だよね?」
 ソファーの端っこで鬱な表情をしていた詩姫が、生気の無い目で白兄を見ながら話す。
 日々の苦労が限界に達しているみたいでフォローも出来なくなってきたようだ。
「ば、ちげぇよっマヨネーズなんか彼女にしねぇっ!」
 マヨネーズって……なんか小学生っぽいよ白兄……。
「はは〜んそんなこと言って〜? 色々榎本さんの為にやってたみたいじゃ〜ん?」
 自嘲するような笑顔で白兄を追い詰めていく。
 てか、詩姫こえぇ……。
「んなんじゃねぇよ……」
 コン、とおばさんの前にチューハイを置いて、自分もカシュッとビール缶の蓋を開ける。
「え〜? だってお兄ちゃんとメールが続いてる女の人あの人しか居ないじゃん」
「ばっ……! 別に、あいつが続けるだけで、大したことじゃっ……」
 明らかに動揺する白兄。
 鬱な詩姫のほうに分があるみたいだ。
 そんな二人を尻目に小母さんはカリカリとチューハイの蓋に苦戦する。
「あ、開かないッしーちゃん開けてー」
 この人……本当に大人なんだろうか……。
「あ、ダメだよママっ」
 パッと詩姫に缶を取り上げられる。
「えっ? なんでなんで〜? 開けてよぅ! 返してよぅ!」
 バタバタと子供のように暴れる小母さん。
「ママ酔ったら……脱ぐじゃんか!」
 ぶっ!
 俺はまた紅茶をふき出しそうになる。
 なんなんだこの家族は。
「涼二が居るんだからそんなことさせないんだからっ」
「う〜。かえせっ」
 パッと詩姫に飛びつく小母さん。
「あ、ちょっとっやめてっ」
 すかさす詩姫の後ろに回りこんで抱きかかえるようにして脇腹あたりに手をセットする。

「ふふっほーらバスタークラッシュスタンバーイ」
「―――ひっ」
 詩姫の顔が微妙な顔で固まる。
 ちょっとして観念したようにため息をついた。
「わかったよ、開けたげるから……」
「わーい」
 パッと詩姫からはなれると詩姫は缶の蓋を開ける。
 ―――と次の瞬間。

 グィッと詩姫はその缶を一気飲みし始めた。
「え!?」
 おおっと強引なドリブルだー!
 そんな実況を思い出した。
「お、おい詩姫―――!?」
「―――…んっぷはっ!!」
 ガンッと机に缶を叩きつける。
 か、カラだ。
「ひ、ヒドイよしーちゃん!」
「だーめっママに飲ませると絶対良いこと起きないんだからっ」
 その言葉を聞いたおばさんはしーちゃんのばかー!
 と叫びながらリビングから飛び出して行った。
「だ、大丈夫か詩姫?」
 良い子は真似するなよ?
 コーコーセーはお酒を飲んじゃダメだぞ。スイマセン。
 いや、俺じゃないけど。

「え? あぁ大丈夫大丈夫。
 初めて飲んだけろ」

 それはかなり不安……。
 ……ん? 今、語尾が……?
「あれぇ〜? 何か、暑くないぃ〜?」
 パタパタと上着を掴んであおぎだす。
「お、おい、ホントに大丈夫か詩姫?」
「らいじょーぶ〜! あははははははは!」

 大丈夫じゃない。

 俺は詩姫が酔ったらどうなるのか知らない。
 柊の家で泊まり会でもすれば別なのだが。
 京は甘えてくるし柊は笑い上戸で更に上に行くと妙に悟ったダンディーになる。
 詩姫は笑い上戸なのか……?

「はっはっは。詩姫にゃ酒ははえぇよっ」
「お兄ちゃん!!!」
 いきなり白兄に向って叫ぶ詩姫。
 凄い剣幕だ。
「え、あ?」
 呆気にとられる白兄。
「大体―――お兄ちゃんがはっきりしないかりゃ真夜ねーしゃんがかわい○×※△!!!」

 か、関係ねぇーーーーーーー!

 今、激しく関係ない話題が詩姫から放たれる。
 言い終わったのかカラになった缶を白兄に思いっきりぶつける。
「へもぐろびんっ!?」
 頬に思いっきり喰らって意味不明な言葉を吐く白兄。
 白兄と俺は唖然と妹の姿を見る。
 目が据わっている。最後の方の言葉ははっきりしなかった。
 ―――ヤバイ。
 俺の中の何かが直感的にそう叫ぶ。
「―――っ白兄っ!」
 俺は目の前のソファーを振り返る。
 いねぇぇぇぇ!!!!
 ビールまで撤収しているところを見ると逃げたみたいだ。
「〜〜〜んぅ〜〜あつぅ〜〜……」
 プチプチとボタンをはずし出す詩姫。
「ちょっ! それじゃお前が小母さん止めた意味無いだろ!?」
 慌てて詩姫の手を止める。
 普段よりちょっと奥まで見える肌から必死で目を背ける。
「えぇ〜〜何? だって暑いんだよぉ〜?」
 トロンとした目で俺を見上げる。
「ふぅ〜涼二ぃ〜」
 ペタン
 何故か俺にペタペタと触れてくる。
 暑いんじゃないのか……。
 ていうか、何だこの感情の温度差は……!?
「へへっ涼二だ〜〜」
 ほんのり頬を染めて俺に迫ってくる。
 ―――…っなんか、良くない! 激しく良くない!!
「ん―――涼二―――っ」
 ツゥーっと冷や汗が背中を伝う。
「ちょ―――詩姫っ! 目を覚ませっ」
 ペタペタと俺を触りながらどんどん迫ってくる詩姫。
「いや〜っ邪魔しちゃだ〜め〜」

 ―――なんて、我侭なんだ……! 笑うし怒るし甘えるし……!
 チューハイ一杯で色んな詩姫が見えた。

 詩姫と折り重なるようにソファーに倒れこむ。
 詩姫の熱っぽい顔が近い。
 ヤバイ。俺の心臓はマックスで稼動している。
 あえて流れに逆らわないこの体は、何を期待しているというのだろう。
「―――ん、涼二」
 うわ言のように俺の名前を呼んで顔を触る。

 そして、

 彼女は、泣き出してしまった。
「―――っどうして―――…」
 綺麗な顔を歪めて、ボロボロと涙を流す。
「あたし、最低だよ―――涼二ぃ……」
 俺の胸に顔をうずめて、グジグジと泣きじゃくる。
「みやちゃ……んのためにっ泣けなかったっ……
 みやちゃんがフラれたって聞いて、泣き止んじゃったっ―――…あたしっあたしぃっ」
 小刻みに震えている。

「最低だよ―――」

 詩姫の嗚咽が、俺の体に響く。
 本心からの叫び。
 詩姫は悔いている。
「……詩姫は……悪くないよ」
 俺は胸にうずくまる詩姫の頭を撫でる。
「ぅ……みやちゃんもそう言ってたっけどっ!」
 ぎゅっと俺のシャツを強く握る。
「優しすぎるよっ……っ二人ともっ……怖いよっ―――あたしはぁ……」
 京は確かに優しい。優しすぎる。
 俺は違う……俺もただ京の優しさに甘えているだけ。
 彼女の強さに守られているだけ。
「いいんだよ……京がそう言ったんなら大丈夫」
 ―――確信なんて持ってないけど。
 それに近い信頼はしている。

 俺の親友は最強だから。そう思ってる。

「―――っうぅ〜……」
 詩姫は泣き出してしまった。
 俺はただ、詩姫の頭に手を置いて、収まるのを待った。
 ―――いいんだ。
 これで。
 俺が選んだ結果だ。
 詩姫が悪いんじゃない。
 ―――誰が悪いとかじゃないんだ。

 ドアの隙間から、小母さんと白兄がガッツポーズをしているのが見えた。
 あんたら……


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