39.織部家(3)

 ……寝たな、詩姫。
 俺の上でスヤスヤと寝息を立てる詩姫。

 ピロリロリ〜ン
 俺の上のほうからそんな音が響いた。
 そこには、ニヤニヤと妖しい笑みを浮かべる白兄。
「へへへへへ……これで詩姫に遅れを取ることはねぇ……」
 完全に悪役の顔だった。
 ていうか、何撮ってんだ!
「あ、涼二、帰んなくて大丈夫か? そのままでいても良いなら泊まってけば?」
「は!? 何いってんすか!?」
 こ、この家族おかしいよやっぱり!
「え? だって涼二だぜ?」
「いや、訳わかんないんすけど!」
 ピローン
 今度は動画の音がする。
「くくっ……じゃぁ話すよ。昔話。涼二が来なくなってからの話だ」
 その携帯をテーブルの上におくと、反対側のソファーに座る。

「優一が死んで―――涼二がこなくなってから、詩姫さ、歌うのやめたんだ」

「え―――?」
 俺は俺の上で寝る詩姫に視線をやる。
 スヤスヤと平和に寝ている。
 ……よだれたらすなよ?
「毎日泣いてて家の誰が何言っても聞かないし、大変だったんだぜ?」
 実は母親よりもコイツの方が我侭なんだよ。
 苦笑いで、俺にそう言ってくる。
「で―――さ、涼二の家に何度も行ってたみたいなんだけど
 何もせずに部屋だけ見上げて、帰ってくんの」
 ―――何度も?
「一回だけ、涼二それに気づいただろ?」
 そう。詩姫が家の前で俺の部屋を見上げていた。
 俺は―――




 勉強をしていた。
 とりあえずこの教材はもう終わる。
 学校のやつはもう全部終わってるし……。
 新しい参考書とか買ってもらおう。
 最後の一問を解き終わって背伸びする。
 窓の外を見上げれば青空。
 陽気であれど、まだまだ寒い。
 エアコンが部屋を暖めてくれている。

 そういえば―――詩姫は、どうしてるかな……

 不意にそんなことを思った。
 レッスン教室は先生に理由を言ってやめてきた。
 勉強に専念したいのだと。
 ―――いつものように無表情で頷いて
「ん、頑張り」
 と一言。
 何も聞き返さなかったのがとてもありがたかった。
 僕が歌をやめてもう3週間。
 世界は何も変わらず正常に回っている。
 ―――母さんはリビングでテレビを見ているだけ。
 お菓子作りとか買い物とかそういったことをしなくなった。
 悲しみにくれているのに、俺が行けば痛々しいほど笑う。
 ―――だから、部屋から出たくない。

 でも、やる事が無いのはダメだ。
 進まなきゃ追いつけない。
 僕―――俺が、自分で決めたんだ。

 俺は優一になる。

 視線は少し下に落ちた。
 京の部屋が目の前。
 カーテンがしてあるから見えないけど。
 溜息を吐いて更に視線が下に下がる。

 ―――なんで。

 なんで、詩姫がそこに……。
 泣きそうな顔で俺を見上げている。
 今頃……なんで……。
 こんなに寒いのに。そんな中で―――。

 手持ち無沙汰だ。
 やる事が今は見あたらない。

 それに、あの子をあのまま放っておくわけには行かない。
 だから俺は家を出てみる事にした。

「よ。どーしたの?」
「涼二……」
 寒いせいか顔面が蒼白。
 見ていられない。
「なに?」
「―――……ちょ、ちょっとだけ、いい、かな」
 俯いて今にも泣きそうな顔が髪に隠れた。
「うん」
 ―――それは僕のちょっとした甘えだった。
「―――え」
 意外そうな顔をして、僕を見る。
「え、えとぉっ……! う、海! 海のとこ、行こ!」
 オドオドと何かを考えたのか急いで僕の手を取って歩き出した。
 ―――とても冷たかった。
 だから、ギュッと握って暖めてあげる。
 きっと海岸通りに連れて行かれる。
 詩姫の様子が面白くて笑う。
 まるで―――あの時が返ってきたみたいだったから。


 海岸通りはいつも通り綺麗で、青空の下に青々と揺れた。
 お昼の今は遠くにタンカーも見える。
「んー。そろそろかなー」
「へ?」
 僕はポケットからカイロを取り出して詩姫に渡した。
「寒いだろ」
「あ、ありがと……っっ」
 なんでか泣きそうな顔をする詩姫。
 それは困る。
 何かかける言葉を捜すが今頃自分が言ってもいい言葉なんて見当たらない。
「―――涼二っ」
「なに?」
 何度も繰り返されてきた返答。

「一緒に……! 歌おうよ……!」
 ポロポロと零れる涙。
 彼女の願い。
 それはまだ、変わっていない。

 兄ちゃんだったら、何ていうだろう。

 そう考えた。
 僕はあの時の言葉を実行していた。
 優一になる。
 考え方も行動も容姿も全て。
 もう始まっていた。

 ―――涼二は俺じゃない。

「詩姫が俺に参ったって言わせたらやるよ」
「……参ったって言ってっ!」
「何にだよ」
「うぅ……どうやって言わせるの?」
「うーん? スポーツとか勉強とか」
「む、無理じゃんっ!」
「う〜ん……あ、ほら、ドラマでやってるみたいに」
「ドラマ?」
「もっと、大きくなった時に、美人になったなぁ参ったよアハハみたいな」
 同窓会とかで数年ぶりにあったあの子が、みたいな。
 そんな稀なシチュエーション。
 たまたま見たドラマにあったワンシーン。
「―――参った?」
「今のはノーカンだ」
「むぅ〜……んむぅ〜」
 本気で頭を捻っている。
「詩姫なら―――できるんじゃないの?」
「ホント? 出来るかな……?」
「―――詩姫が頑張ればね」
 ホントは適当に言ってた。
 頑張れば出来るって俺は信じてた。
「分かった……! 絶対参らせる!」
「―――ああ」
 もう―――会えないかも知れないことは、言わない。
 引越しするわけじゃないけど来る事は無くなるだろうし。
 俺が次にどの中学校に行ってどの高校に入るかなんて知らないだろうし。
 また会うなんて―――どれぐらいの確率だろう。

 俺はそろそろ時間だから、と海岸を去る。
 詩姫も頷いて走って帰る。
 二人の道が分岐して―――その後はもう会うことが無かった。






 ―――運命の再会。
 そんな言葉を使う日が来るとは思わなかった。
 彼女は変わらないまま現れた。








「何があったかはしらねーけど、やったら元気になってな」
 もう一度一緒に歌おうと誘ってきた。
 もちろん断ったけど。
 あまりにもしつこい詩姫に、心変わりしたらなっといって俺は帰っただけだが。
「とりあえず美人になるっ! ってな、母さんに取り付くんだよっ!」
 はははっと笑う白兄。
 ……もしかして……心変わりさせるため……?
「セクシーポーズを習ってる詩姫とかマ〜ジ面白かったぞ!」
 一人腹を抱えて笑い出す白兄。
 そのセクシーポーズで俺の心変わりを狙ってたのか詩姫……。
「行動派だな……」
 思わずポツリと呟いた。
「はははっある意味なっ!」

「あと結構真面目に勉強して陽花目指してたからな」
 陽花は私立。偏差値も高く結構有名な進学校だ。
 最近の趣向なのか制服が選べるようになって、入学希望者が増え、倍率はさらにあがっている。
 運動部の人には特待生制度もあるが、詩姫は運動部ではない。
「中学校で中の下ぐらいだった奴が、陽花だぜ?」
 どれだけ努力したか―――想像がつく。
「……がんばったんだな……」
 そんなに頑張られてもホントに、そんな感想しか出せないじゃないか……。
「高校は頑張って陽花に通ったは良いものの。
 涼二がなかなか折れねぇから俺にヘタレメールが大量に来るんだよ……
 涼二がね、で始まるメールを何通う受信したかっ」
 クツクツと笑う白兄。
 詩姫、今俺は最高に恥ずかしいぞ……。
 腹いせに鼻をつまんでみる。
「へむっ……」
 なんだか情け無い声を上げて身じろぎをする。
 ……か、かわいい…………
「超ニヤついてんぞ涼二」
 白兄はいつの間にかカメラを俺のほうに向けている。
「ちょ―――っやめろって白兄っ」
 そんな俺を懐かしそうな眼で見ながら白兄は言った。

「なぁ……涼二、詩姫は―――お前を変えたか?」
 そんなの決まってる。
 俺をここに連れてきたのは詩姫。
 俺にまた、歌わせてくれたのも詩姫。
 俺は俺だということに気づかせてくれたのも―――詩姫。
「……それは間違い無いよ」
 ポンポンとまったりと眠る詩姫の頭に手を置く。

 ―――不意に、抱きつきたい衝動に駆られる。
 乗っかっているだけで柔らかさと暖かさが伝わってくる。
 ……いつまでもこの格好でいられないな。
「なぁ白兄、詩姫をどけてほし」
「ダメだ」
 い。と言う前に速攻否定された。
 ニヤリと妖しい笑みを浮かべる。
 はっ!?
 テーブルの上の携帯に目が行く。
「ぐ―――!」
 素早く携帯に手を伸ばす。
「させるかっ!」
 が、紙一重のところで奪われる。
「あまいっ……保存っとな」
 今の一部始終はすべて記録されてしまった……。
 なんか色々恥ずかしいことやった気がするぞ……っ。
「消してよ!」
「嫌に決まってんだろ」
「じゃぁ俺にもくれよ!」
 わりとヤケで言ってみた。
「ほほう正直な奴め。メアドを寄越せ」
 バタバタと白兄と抗議したが、結局……動画も写真も消してはもらえなかった。

 パタン
 ドアを閉める。
 ようやく詩姫を俺の上からどかして部屋のベッドへと連れて行くことが出来た。
 何も考えないようにしてそそくさと部屋から出る。
「メチャクチャにしてくればいいのに」
「アンタ妹をなんだと思ってるんですか」
 相変わらず無茶を言う。
 俺のほうを振り向くと、口を歪ませる。
「別に俺は詩姫を―――なんて、言って無いけど?」
「な―――」
 は、嵌められた……っ!
 ニヤニヤと笑う白兄。
 く…………!
 ほんと、ニヤニヤと笑い続ける白兄。
 どんどん顔が熱くなるのが分かる。
「…………」
「…………」
「もっかい行ってくるか?」
「いかねぇよ!!」
 力いっぱい否定する。
「なんだ勿体ねぇ。ドアで聞き耳立てたりなんかしねぇって」
「いや、そういう問題じゃな……」
「ビデオ持って突入に決まってんだろ!?」
「聞けよ人の話!」
 それは犯罪だぞ白兄。



*Shiki...

 夢を見た。
 涼二が歌っている夢。
 たくさんの人が涼二の歌を聞いていて、歌い終わると歓声と拍手が嵐のように会場に渦巻いた。
 その歓声に手を振って、群衆の中から一人の手を取った。
 それは―――
「みや―――ちゃん……?」

 周りから声が消えて、人も消えて、暗闇にあたしは一人になった。

 頬を、冷たい感触が伝っていった。

 アタシの勝手な欲望。独占欲。

 涼二―――あたしの手を―――!

『―――き』
 声が、聞こえる。
『―――しき』
 あたしの名前を呼んでいる。
「りょう……じ」
 その声の主をあたしは良く知っている。
 反射的に手を伸ばした。
 辺りは白く光を帯びて、その声の主は―――
 あたしの手を掴んだ。

「おい、詩姫? 起きろ〜」
「ん、んん〜?」
 やけに重い瞼を開ける。
 目の前に見慣れない顔がある。
「おぉ。さすが。京とは大違いだなっ」
 目の前には声で分かっていた通り涼二がいる。
「…………なんで?」
 ここにいるんだろう?
「え? だって京ぜんっぜんおきねぇんだぞ? 今度行ってみるか?」
 涼二は少ない言葉を取り違えたようで違う話を続ける。
「……いや、涼二が」
 重い目を擦りながら涼二に問いかける。
 な、なんでこんなに眠いんだろう。
「あぁ。俺は泊まったから。正確には白兄に引き止められ続けただけなんだけど」
「あぁ……なるほ……」

「えぇ!! いたっっ!!?」
 ゴッ!
 ガバッと起き上がったら涼二のオデコと衝突した。

 衝撃の真実にあたしは声を抑えることができなかった。
「み、耳が……額が……」
 涼二が大ダメージを負ったようで。
「き、聞いてないよっ!?」
「……だって寝てたじゃん」
「……―――っ……へ!?」
 あたしは自分の格好を良く見る。
 制服のままだ……。
「あー……シャツ皺だらけじゃん……アイロンかけないと〜」
 一人暮らしは辛いのよ。
 家にお母さん居てもあんまりやってくれないしっ。
 と、などなど物思いに耽っているあたしに涼二は優しく手を置いて
「頑張ってるんだな……」
 と同情をくれた。
 ……無性に悲しくなった。
「日々苦労しているところ悪いんだけど、練習が10時からだから遅れないようにな」
 今頃あたしは時計を確認する。
 8時。十分に時間はあった。
 さすが涼二といったところだ。
「じゃ、俺もいっぺん帰って学校行くから、また後でな」
 そう言ってベッドの脇から立ち上がる。
「あ……」
「ん? どした?」
 無意識に涼二に手を伸ばそうとしていた。
 慌ててその手を止める。
「なんでもないっありがと―――おはようっ涼二」
「―――っあぁ。おはよう詩姫。そんじゃ」
 眩しい笑顔を見せて涼二は笑った。
 それが、何故かとても嬉しかった―――。

 パタン。とドアが閉められた。
 足音がどんどん遠ざかって『お邪魔しましたー』なんて声が聞こえた。
 ちょっとだけニヤけた顔でベッドから立ち上がる。
 そして、鏡の前に立った時絶句した。
「か、髪が……」
 爆発していると言うか、なんと言うか……
 きっとメデューサもビックリの蛇頭。
 ……涼二に見られた……

 ……ショック……
 乙女心を知った初夏の終わりでした……


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