４１．抜け殻
―――詩姫をマンション前まで送る。
「じゃあな」
「あ、ウチ寄っていかない？」
「いいよ。ここんところメシもらえる場所が多くて
あんま帰らなくなったから母さんいじけてさ」
「あはははっ確かにそれは可哀想っバイバイ涼二っ」
笑って手を振る彼女に見送られながら帰り道を歩き出した。
携帯を見れば５時半。
―――俺にはやらないといけない事があった。
道は同じ。
帰るための道を歩く。
俺が目的としているその場所は、振り返るだけで見える。
秋野の家は俺の家の目の前。
見上げれば京の部屋。
……まだ、傷を抉ってしまうだけだろうか。
俺の勇気はただの刃にしかならないのなら……会ってはいけない。
でもそんなことが分かるほど人間できちゃいない。
誰かに聞けるような話でもない。
―――何を言おう。
何を話そう。
馬鹿っぽいほうがいい。
俺や詩姫の事でない方がいい。
昔の話じゃないほうがいい。
―――
―――……
―――…………
ねぇよ……
俺にはココの戸を叩く権利も無いのか。
「ぷすっ」
「ぬぉっ！？」
何かが頬に刺さる。
指、というか爪。
割とクリティカルに刺さって痛かった。
「覗き？」
「覗いてないっ」
「セールスはお断りです〜」
「折角、新商品の安眠ジャストフィット抱き枕をお持ちしたのに」
「……い、いらないもんっ欲しくないっ」
すっごい期待に満ちた目で言われても説得力無い。
「はははははっ」
「笑わないでよ〜」
いつもの彼女が頬を膨らませて抗議してくる。
―――ああ、これがいい。
見れば彼女は学生服。
カバンは持っているがパンパンに膨らんでいる様子も無い。
とうことは教科書が入ってないって事。
「あれ？ 今日は学校に居たのか？」
「うん。演劇の方に顔出してた」
「まじでっ？ どうだった？」
「うん。凄かった。みんな声も大きいし」
なるほど。確かに演劇は台詞を自分の声で伝えなければいけない。
マイクがつくような大きすぎる場所じゃないし。
それなら今の京には練習が必要か。
「じゃぁ何か劇をやるのか？」
「うん。やるみたい。配役テストはまた今度だって」
「元々ヒロインに推薦されてるんだし京ならとっちまうんじゃねぇの？」
「わ、私なんて別に……本気でやってる人の邪魔かなって思うくらいだし……」
卑屈な影を落とす京。
―――まるで消えていくように。
自分なんていなくなれば良いと言っていた俺と、重なる。
「―――それの何が悪いんだ？」
「へ……？」
「誰かの邪魔になる。それは意図的に個人の前に立ちはだかるじゃなくて実力があるからだろ？」
「……」
「乗り越えられなきゃそこで終わる。
そもそもそれを乗り越える努力をしないで何のクラブをするつもりなんだ？」
「……私はそんな風に考えれないよ……」
……まぁ、俺の考えなんて押し付けたって仕方が無い。
でも……。
俺は京の強さを知っているから―――。
「ミヤコ」
「……ん？」
「シュウん家行こうぜ」
「……待って……」
「え？」
「荷物、置いてくるから」
「……ま、そんな時間か。俺もご飯断ってこよ」
「ん。じゃぁまたあとでね」
「おう。俺は１０分ぐらいで出てくる」
「わかった〜」
実際は５分くらいで準備して出てきた。
５分有れば着替えもできた。
母さんはご飯のことを言うとしぶしぶ了承してくれたが……後が怖いな……。
京は準備に時間が掛かるだろう。
―――いくらでも待ってやる。
そう思って塀に背中を預ける。
柊には電話をかけることにした。
「柊」
『おう。涼二か』
「訳アリなんだ。今日柊ん家行っていいか」
『……ダメだ』
「何でだよ」
『今エロ本が散らかってんだよ』
「よし、多分３０分ぐらいしたら行けると思う。もしくはもっと遅くなるかもしれない」
『ふーん……まぁいいけどよー。
オカンー涼二と京ちゃんが来るってー』
声が遠のく。
きっちり聞こえるのは大声だからだろう。
『「よし！ まかせろ！」
だ、そうだ』
ホント気持ちいい家族だ。
「ありがとな」
『気にすんな』
ップ―――。
通話を切ってポケットに仕舞う。
さて、と。
京を待つために一度伸びをしてもう一度壁にもたれた。
待つのは苦手だ。
１０分程度ならまだしも１時間待てというのは苦痛だ。
というわけで暇ごなしに本をカバンから出して読み始める。
遊幹かさという作家の書いた作品で夢を持った少年の物語。
目の見えない妹を持った少年が歌うことでその子に光を見せる。
勇気を貰い目の手術を受け、妹は目が見えるようになる。
それと同時に、少年が―――。
おっと。
要するにそんな感じの話。
全部小説の後ろに書いてあることなんだが。
この小説は好きだ。
主人公の馬鹿さが誰かに似てる気がする。
今度ドラマになるベストセラー小説だ。
さて……後半分ぐらいページがある。
３，４時間あれば読めるだろうか。
いつも夢中になって読むから読む時間って計った事無いんだよな。
俺は栞を挟んでいるページを開く。
「涼二、お待たせー」
何という事だ……。
彼女は俺をほぼ待たせる事無くその扉を開いた。
チョット残念だが仕舞うか。
「ん？ どうしたの？」
「いや……」
「私が早く来たのが意外？」
「……まぁ」
「うん。正直でよろしいっ。
……私も引きこもろうと思ったんだけど、涼二、すぐに本出すんだもん。
長期対策じゃたちうち出来ないよー？
……涼二に待たせっぱなしで出て行けない訳無いし〜……」
最終的には絶対出てくると踏んでたからな。
俺は少し申し訳ないので頬を掻いて謝る。
京の筋金入りのいい子っぷりを利用しているのだ。
そこまで読めているのに出てくる彼女にホントに申し訳なく思う。
こんな捻くれたズルイ俺じゃなくて、もっと真っ直ぐな奴を好きになればよかったのに。
彼女と並んで、歩き出す。
―――俺達の始まりの場所へ。
「よう。こっちだこっち」
アイツは道場の方から手招きしている。
俺は京を引き連れて歩く。
ココまで彼女は黙って俺についてきた。
「ありゃ。随分しょげてるな京ちゃん。涼二に隠してたマシュマロでも取られたのか？」
柔道着を着たままそいつは柱にもたれかかっていた。
「取ってねぇよ。ていうか何でマシュマロなんだよ」
「なんとなく」
コイツと思考回路が被ったのがすこぶるムカつく。
「ちっ柊。試合すんぞ」
「ほほう。今日は試合か。異種格闘でいくか？」
「もちっ」
俺の返事を受けて柊は満足げに笑って京に視線を移す。
「京ちゃんよ」
「……うん？」
「はははっ暗くなるなって。とりあえずいいもん用意したぞ」
柊が反応の薄い京の頭を鷲づかみにしてぐりぐりと動かす。
「い〜いもの〜？ な〜んだろ〜？」
とりあえずなされるがままの京。
視線を俺に向けて何かを聞いてくるが俺も知らないので首を傾げてさぁと返す。
玲さんなんだろうけど。
「ふへへへ。何か知らんが京ちゃんはあっちの角部屋な。
俺らはココで試合やってっから終わったら来てくれ」
「―――今日は、試合なんだ」
京が俺達を見る。
「そうだよ。今日は絶対一本取るからな」
俺は縁側から上がりこんで服を道着に着替える。
「ＨＡＨＡＨＡ！ 寝言ハ寝テイイタマエ！」
「すこぶるムカつくっ！」
俺はヘッドギアとグローブをつける。
ケンカじゃないからな。
柊もヘッドギアとグローブをつけた。
俺のとは違って指が動くやつだ。
柔道でくるからな。
掴めないと話にならない。
だが、柊は柔道だけをやってるわけじゃない。
空手もボクシングもテコンドーも果てにはコマンドサンボも駆使してくる。
―――化けモンだ。
異種格闘。その試合の中じゃ、最強の部類に立つ。
柊が柔道をやってるのはその拳を振るう側じゃなくて封じ込めれる奴になりたいからだそうだ。
そのでかい図体から放たれるパンチは同年代とは思えないぐらい重いし、ありえない位強い。
殴っても鉄じゃないかと思うぐらい体は鍛えられている。
―――基本的に、勝ち目のない戦いだ。
「いつまでやるの？」
「―――京が戻ってくるまでやるよ」
挑み続ける。
決めた。
今度は喧嘩じゃなくて試合。
「……うん。わかった」
彼女が振り返って歩き出す。
―――それが、試合開始の合図だった。
*Miyako...
―――酷く、冷めていた。
冷たい。
涼二の手は、暖かかったけど、やっぱり他人。
ねぇ。
貴方は、誰になったの？
その手をみて、ずっと、そんなことを考えていた。
「ありゃ。随分しょげてるな京ちゃん。涼二に隠してたマシュマロでも取られたのか？」
「取ってねぇよ。ていうか何でマシュマロなんだよ」
マシュマロ？
確かにお父さん霍乱用にマシュマロは部屋に置いてあるが何で知っているんだろうか。
涼二があさったのかな？ まぁいいんだけどそんなもの。
今は１００円で何でも揃うお店があるのだ。
「なんとなく」
あ、そうなんだ。
「ちっ柊。試合すんぞ」
何となく不機嫌な涼二が柊君を見上げる。
「ほほう。今日は試合か。異種格闘でいくか？」
「もちっ」
「京ちゃんよ」
「……うん？」
「はははっ暗くなるなって。とりあえずいいもん用意したぞ」
柊君にぐりぐりと頭を揺らされる。
グルグルと思考が混ざる。
何も、考えたくないのに。
「い〜いもの〜？ な〜んだろ〜？」
涼二を見て聞いてみた。
首を傾げてさぁ、とだけ言う。
何となく、玲さんだろうなぁと予想はできるのだけれど。
初めてココに来た時もそうだったから。
「ふへへへ。何か知らんが京ちゃんはあっちの部屋な。
俺らはココで試合やってっから終わったら来てくれ」
柊君が嬉しそうだ。
なんだか、これからとても楽しいことが始まるみたい。
「―――今日は、試合なんだ」
涼二を見る。
「そうだよ。今日は絶対一本取るからな」
柊君に向かって、拳を出す。
その挑戦的な顔には、見覚えがあった。
「ＨＡＨＡＨＡ！ 寝言ハ寝テイイタマエ！」
「すこぶるムカつくっ！」
ポンポン二人の間をヘッドギアとかグローブとかが飛び交う。
二人はすぐにそれをつけて、道場の真ん中に立った。
―――見た目、涼二に勝ち目はない。
この部屋を天秤にしてしまえば、全部が柊君に傾く。
それでも涼二は挑む。
なんで、そんなことが出来るんだろう。
「いつまでやるの？」
聞いてみた。
別にいつまでやってくれていてもいいのだが。
何で聞いたのかも良く分からない。
でも、涼二はただ一言。
「―――京が戻ってくるまでやるよ」
返って来い。
そういうことだ。
抜け殻みたいな私。
私は、何処へ行ってしまったんだろう―――？
「……うん。わかった」
私はそう言って道場から立ち去る。
分からない。
涼二が今日、何でここに来たのか。
なんであそこで試合なんてやっているのか。
なんで勝ち目のない試合に挑み続ける事ができるのか。
なんで私がここに居るのか。
私は―――……。
誰なんだっけ。
靴を脱いで玄関を上がる。
靴を揃えて端に寄せる。ついでに持ってきた涼二のやつも寄せとく。
立ち上がって、ピカピカしている廊下を歩く。
毎朝、柊君が雑巾掛けしてる。
柊君は大雑把に見えてとっても気の利く人だ。
子供の頃からずっとやってるから、やらないと気がすまないらしい。
朝５時起きじゃないと流石にこの広さの家は拭けないかな。
静かに、廊下を歩いて目的の部屋につく。
―――特に何も使われて無い、強いて言うなら泊まる時に私が使わせてもらう部屋。
中庭が見えて、道場からも離れていて静かな部屋。
―――玲さんに、膝枕をしてもらった部屋。
優しく、慰めてくれた。
……今度もきっと優しいんだろう。
この部屋の人は、温かい。
柊君も玲さんもおじさんも。
―――今の、冷めた私も、暖めてくれるのかな。
そう思いながら、冷めた笑みで笑った。
私は、誰。
涙が出そうになった。
だめだ。こんなのじゃきっとダメだ。
せめて、謝ろう。
そう思って、襖を開けた。
私を待っていたのは―――、玲さんじゃなかった。
「……みやちゃんっ」
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