48.大切な……
*Ryouji...
走った。学校中を京と探して、商店街を走って、海岸沿いまで走ってきた。
―――っはぁっ―――!
一瞬視界が白む。額から滝のような汗が流れる。
一度家に寄って余計なものは置いてきた。
ただひたすら詩姫を探して走る。
―――海岸沿いにもいない。
次は……詩姫の家か。
踵を返して走り出す。
走れば10分かからない。
しかも全力疾走だ。
そんな距離数分で走りきれる―――!!
エレベーターを待っていられないので階段を5階まで駆け上がる。
家の前に着くと同時にインターホンを押した。
「はぁ、はぁ、は、ちっ―――まだ、帰って、無いのかっは―――」
ドアを背にズルッと座り込む。
さすがにきつい、目の前がチカチカする。
とりあえず、息が整うまで、休もう。
無心にそこから見える空を見上げる。
心臓の音だけが俺の中で響く。
詩姫はどこに―――?
―――っはは―――笑える。
こんなに必死になるなら、あのとき―――
もっと速く、なんとか出来たのに。
薄っすらと視界がぼやける。
取り返しがつかなくなる前に
俺がなんとかしないと―――!
汗と一緒に顔全体を拭って、勢い良く立ち上がる。
「っっし!」
視界はクリア。
次の行き場所を考える。
ブブブブブブブブブブブブ……
うおう!
勢い良く携帯が震えだした。
ケツポケットに入っていた携帯を引っ張り出す。
ディスプレイには『バカ』と表示されていた。
微妙にムカついた。
受話ボタンを押して電話に出る。
「もしもし! 何か用か柊!! あとじゃだめか?」
俺の携帯にバカで登録されてるのはこいつしかいない。
『あぁ。ヒメのことなんだけど、後でいいや』
プッツーツーツー……
……あの野郎……!
ピッ……プルルルルルルル、プルルルルルルル
『はい、シロネコ急便の士部です』
「おい! お前なんか分かっててやってない!?」
『ぬははは。バレた?』
「詩姫は!?」
『俺の隣で寝てるよ……かわいい寝顔だぜ?』
「は?」
思考が、止まる。
『いや、体も女の子らしくて柔らかいし』
「何言ってんだ」
怒りに似た、何かが、ガチリと動く。
『は―――。何熱くなってんのさ』
強い嫉妬を覚えた。
それを隠すことも無く叫ぶ。
「うるさい! 詩姫は何処だ!?」
強く携帯を握り締める。
『はぁ。中央病院の東病棟303』
―――病院!?
「なんでそんな所にっ」
『また海岸で倒れてた。今度は目が覚めなかったんで、病院行きってわけ』
スッと冷たい空気が背筋を通る。
「―――わかった。すぐ行く」
『あぁ』
電話が切れてすぐ、飛ぶように階段を降りて、走り出した。
病院は嫌いだ。
兄貴が死んだ場所。
みんなが絶望にくれる場所。
そんなイメージが俺の中に染み付いている。
嫌な場所だった。
病院に入って足早に東棟を目指す。
看護婦さんに走るらないで下さいと何度か注意されたが、頭を下げて急ぐ。
病室の前には柊が腕組をして壁に寄りかかっていた。
俺に気づいて軽く手を振る。
「詩姫は―――!?」
「落ち着けって。静かにしろよ……。マジは落ち着け汗くせぇなお前」
「まじっ? 走ってたんだ許せ」
「走ってたって……学校からか?」
「いや。京に聞いて、詩姫が居そうなところ回ってたんだけど……海岸と詩姫ん家行ってそこから」
「馬鹿だろお前」
「……」
もう反論できなかった。
柊は溜息吐いて自分の後ろのドアをノックして開く。
妙に、そわそわした。
東棟は個室。
ここから慰安室への道も、俺はしっかり覚えている。
―――普通、大したことなければ大部屋に当てられるんじゃないのか。
柊の後ろについて病室へと入る。
―――白いベッドに包まれた詩姫。
ダブった。
5年前の兄貴の姿に。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
謝り続けた。
俺がどれだけ謝っても母さんは泣き止まなかった。
俺は―――取り返しのつかない事をしたんだって―――ここから逃げた。
父さんが来て、母さんを連れ出した。
―――あの母さんが酷く取り乱して、見るに耐えない姿だった。
俺のせいなんだ。
病院に取り残されて、思う。
真夜姉ちゃんが来た。
酷く焦燥した顔で、俺に兄ちゃんの場所を聞いた。
だから急いで案内して―――また、彼女が泣き出す姿に絶望した。
ああ、あの人はこんなにも世界に必要とされている。
泣いている真夜姉ちゃんを見ていられなくて、また病室を出る。
迷い、荒んでいく心。
どうしよう、その思いで溢れる。
白兄がきた。
真夜姉ちゃんを探してきたようだ。
だから同じ道を辿ってその場所に案内する。
「なんでなんだよ!!! 水ノ上ぇぇぇ!!!」
―――咆哮。
ビリビリと響いた。
心が震える。
その感情を、怖い、と言う。
「僕のせいだ僕のせいだ僕のせいだ」
繰り返す。
どうすればいい。
このままじゃ、誰も救われない。
走って―――逃げた。
病院にはもう居たくなかった。
誰かに追われるみたいに逃げた。
病院を超えて住宅街を抜けて―――海岸。
子供の頃の俺が全力で走って、そこで力尽きた。
その間も、ずっと、頭の中で繰り返されていた。
どうすればいい
誰か、助けて。
助けて。
兄ちゃん……助けて―――!
「うわあああああああああああああああああ!!!」
海岸で叫び泣く。
罪の呵責に耐え切れなくなった。
小さな俺が―――そこでつぶれた。
手を太陽に突き出して、叫ぶ。
誰か―――この手を。
―――世界が壊れる音がした。
岩のように固いと思っていたそれはガラスみたいに脆い世界でその割れ目から誰かが俺の手を掴んだ。
―――そうだ。
俺の閉じこもった世界を。
彼女が壊した。
彼女が俺に手を差し出してくれた。
俺はここに居るんだ……!
ズキリと意味の判らない頭痛がした。
記憶のフラッシュバックする頭を振って目の前の光景を見る。
「……詩姫っ」
詩姫に駆け寄って、顔を覗きこむ。
酸素マスクをつけた状態で寝ているみたいだった。
不安に駆られる。
焦燥。背中に嫌な汗が流れた。
「―――詩姫……起きろって」
涙が溢れてきた。
「っ詩姫―――っ!」
ボロボロと俺の目から溢れる涙。
詩姫にだけ流れる涙。
「明日文化祭なんだぞ―――!? 何やってんだよっっ」
動かない。
最近、不健康に色白だった詩姫はまるで―――
「まだ、詩姫の歌声―――聞いたこと無いやつ、一杯いるんだぞ―――っ」
いつの間にか握っていた手のひらを更に強く握る。
「起きろよ―――っまだ、言いたいこと一杯あんだぞっ―――」
手に触れる。
―――冷たい。
「や、約束しただろ? 歌手になる夢―――あれも詩姫がいないと意味無いだろ―――っ」
俺はその場に膝をつく。
目の前にした詩姫の手を両手で握り締めた。
届け。
彼女がどんな世界に閉じ込められているのかは知らない。
でも、今度は俺が助ける番だ。
「もう、もう……イヤなんだよ……大切な人が死ぬのは……っ詩姫……起きろよ……」
―――詩姫の手に、力が篭るのを感じた。
詩姫が、目を覚ましたのだろうか。
「―――涼二! ごめんっ!!」
づっ!?
いきなり真っ黒になる視界。
詩姫に強く抱かれる。
「ごめんっごめんっ―――ゴメンねっ涼二……!」
詩姫の泣いている声が聞こえる。
俺の中には驚きと安心が渦巻いていて動くことが出来ない。
「満足だろ、ヒメちゃん?」
「うん……! うんっ……!」
良く分からない会話に力強く頷く詩姫。
何がなんだか本当に良く分からない。
でも、
涙を隠すためにもう少しだけ詩姫に抱かれていようと思った。
「ははは。あとはまぁごゆっくり」
そう言って柊は行ってしまう。
病室には俺と詩姫が残された。
「―――ありがとう……涼二―――っうぅっひぅっ」
小刻みに震えて、泣く詩姫。
「……うん」
とりあえず頷いておくことにした。
「あたし、起きてた」
「うん」
「ずっと、あたしが邪魔だったんだって思ってた」
心に詩姫の言葉が刺さる。
「……いつ誰がそんなこと言ったんだよ」
「あたしが、勝手にそう思ってた……」
「そっか」
恐らく、俺の行動が悪かったのだろう。
「また、歌おうね」
「ああ」
「……歌手目指そうね」
それは、5年前の復元。
「ああ」
「約束だよ?」
その言葉が、5年の曲がりきった道を、真っ直ぐに整えた。
「―――ああ。約束する。一緒に、目指そうな」
急に、眩暈の時のような、頭がくらくらする感覚に陥る。
詩姫に抱かれているのが気持ち良いのだろうか。
意識が時々途切れる。
「ん―――ちょ、っと、ねむ……」
全力疾走……してたしな……
全身が軋む。
「……うん。おやすみ涼二」
それに答えたような気がするが、そこからは覚えていない。
詩姫が何かを呟く。
それが何かは分からなかった。
詩姫の暖かさを感じながら俺は眠りに落ちた。
*Syu...
俺は静かに病室を出た。
そのまま、ドアに寄りかかって呟く。
「ほんと、世話がかかるよな」
「……うん」
隣にいる京ちゃんが頷く。
泣いてはいない。
力なく、俯いている。
俺は無意識にポンと頭に手を置く。
「……よく、耐えたよ……ホント。すげぇよ」
京ちゃんが涼二を好きなのはずっと前から知っていた。
だから、こんな言葉で終わらしてしまうのは失礼だろう。
でも今の状態の京ちゃんに話しかけずにはいられない。
「……うん。ありがと」
会話はそこで途切れる。
何もしてあげれない自分が悔しい。
「……俺は―――涼二じゃないから、なんもしてあげられないけど、京ちゃんには元気になってほしいよ……」
正直にそう話す。
「―――ごめんね」
―――っなんでそんなに悲しそうな顔をするのか。
俺はもう一人の親友に嫉妬する。
ヒメとの仲は応援している。
でも京ちゃんを振ったことは許せないと思う。
「……あやまんなくて、いいよ」
そう言って彼女は儚く笑った―――。
俺は考える。どうやったら、この子の支えになってあげられるだろうかと……
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