49.VOX
ながながと、先生が語る。
「ふあ……っ」
あくびが出るが必死にかみ殺して首を鳴らす。
みんなはある一言を待って、大人しく体育館に立っていた。
「それでは、陽花学園祭、紫陽祭<アジサイ>を開幕します!!」
わあああああああああ!!
歓声が体育館に広がる。
集会が終わると一斉に持ち場へと散っていった。
体育祭のような熱狂の中、それは始まった。
今日はいつもより2時間ぐらい早く学校に来た。
そして、驚いたことがある。
ナナ達はさらに俺より早く来ていたことだ。
そして、そこには―――詩姫も。
「お。お早う涼二。早いなっ」
体育館に入った瞬間その光景に凍りつく。
「……おはようっ涼二っ!」
「お、おはよ……」
なんとなく気恥ずかしくなって、詩姫から目を逸らす。
別に、何があったというわけではない。
俺が寝た後、詩姫も寝て、看護婦さんに起こされるまで寝ていたぐらい。
……ちょっと恥ずかしかった。
軋む体を引きずって家に帰ると、母さんが玄関に座っていた。
……怖かった。
開幕一番のイベントになってしまったバンド。
第3体育館はすでに人がたくさん集まっている。
――ラッキーだ。これで張り合いを気にすること無く歌うことが出来る。
最後の調整にと、ナナたちは舞台の上でそれぞれ音を鳴らす。
「詩姫、大丈夫か?」
舞台袖、俺たちは自分の出番を待って座っていた。
「うんっ全然平気だよ」
そう、元気に頷いた。
俺はそれに笑ってみせる。
だったら、俺も頑張らないとな。
ギターの残響を残して調整が終わる。
時計が、開幕の時間を指した。
「じゃ―――行ってくる!」
俺は詩姫に振り返ってそう言った。
「うんっ! 頑張って―――!」
その言葉を背に舞台に駆け出した。
*Shiki...
涼二は走って舞台に上がっていってしまった。
引き止めたくなる衝動は前より一層強くなった気がする。
昨日まで涼二を避けてきた。
病院で目が覚めて、涼二っと叫びながら目を覚ました。
目の前にいたのはニヤニヤと笑う柊君。
「よっ。また倒れてたんで今度は病院だ。涼二に関する悩み事なら俺が受け付けるぜ?」
そういってベッド脇のイスに座った。
初めは、なんでもないと言って誤魔化していた。
でも―――
「あ、ヒメ。もうすぐ涼二くるからっ」
「へ!?」
「さっき電話したらさ、走ってくるって」
どどどどうしようっっ。
合わせる顔ゼロだ。
……また、迷惑をかける―――。
「……そんな顔すんなって。涼二の本音聞きたいんだろ?」
柊君はまた悪戯に笑う。
涼二のことになるとやっぱりすぐにボロが出てしまう。
「俺が涼二きたこと知らせるから。寝たふりしてるといいよ」
あたしは聞きたいとは言ってないのに柊君はそれだけ言って外に出てしまった。
うぅ……いっそ本当に寝てしまおう……。
そう思って、ベッドに身を任せる。
でも、気になって仕方が無い。
柊君の言っていた涼二の本音―――。もしかしたら、なんて。あたしは期待してしまう。
そんなの―――ダメなのに。
そとで柊君の話し声が聞こえる。
……涼二がきたみたいだ。
「あ―――詩姫っ!」
涼二があたしの顔を覗きこむ。
「―――詩姫……起きろって」
声が近い。
ドキドキする。
本当に悪いイタズラをしているような罪悪感。
でも、あたしの隣で涼二は泣き出してしまった。
「っ詩姫―――っ!」
涼二が泣くのは、お兄さんのことと―――あたしの前だけ。
それだけは、ちょっと嬉しかった。
「明日文化祭なんだぞ―――!? 何やってんだよっっ」
動かない。
あたしは、涼二から聞きたいことがあるんだろうか。
「まだ、詩姫の歌声―――聞いたこと無いやつ、一杯いるんだぞ―――っ」
……それは涼二の声を聞かせてあげれば良い。
「起きろよ―――っまだ、言いたいことあるんだぞっ」
手に涼二が触れる。
一瞬驚いて動きそうになった。
「や、約束しただろ? 歌手になる夢―――あれも詩姫がいないと意味無いだろ―――っ」
手を顔の前にして祈るように彼は泣いた。
こんどはあたしが約束を破る番。
……もう、いいかな。
あたしはもう、歌わない。
涼二が歌ってくれるならそれでいい。
―――それがあたしの今の願い。
―――光の無い天井。
スポットライトだけが舞台に降りそそぐ唯一つの光。
―――そこに、あたしがいてはいけない。
だから、そこに彼を押し出して、あたしが見えない位置に逃げた。
それでも、何度もあたしを呼んで、あたしを探す。
嬉しかった。
何度も、そこに戻ろうと思った。
でも、その声は全て聞こえない振りをして。
涼二を避けて
遠ざけて―――
今日で、終わるんだって思ってた。
―――無理だ。
あそこにはもう戻れない。
怖いよ。
手を差し出しても―――あたしの手を、掴んでくれないかもしれないのが、怖い。
涼二は、本当にあたしの手を捜しているのだろうか。
あたしを、必要としてくれているのだろうかだ―――?
涼二の邪魔にしかならないあたしなら、涼二の前には、いらないから。
俯いて手を伸ばすのをやめよう。
暗闇に飲まれて、消えてしまえばいい。
「もう、もうっイヤなんだよ……大切な人が死ぬのは……詩姫……っ起きろよ……!!」
―――っっっ!!
その言葉はあたしの体を一気に駆け抜けた。
世界が、ひび割れる。
光が戻ってくる。
―――感じる。
涼二の体温を。暖かくて、優しくて。
その手は紛れもなく、あたしの手を握っている。
―――飛び起きるように、涼二に抱きついた。
「―――涼二! ごめん!」
きっと病院で寝ているあたしは、優一さんとダブったんだろう。
凄く悪いことをしたと思う。でも、今大切な言葉をくれた。
だから、あたしの目から溢れるのは嬉し涙。
「ごめんっごめんっ―――ゴメンねっ涼二……!」
涼二には謝ることしかできない。
「満足だろ、ヒメちゃん?」
「うん……! うんっ……!」
「ははは。あとはまぁごゆっくり」
そういって柊君は席をはずしてくれる。
本当にありがとう。この言葉は後であたしの口から言わなくてはいけない。
だから、今は―――。
「―――ありがとう……涼二―――っうぅっひぅっ」
涼二を抱いて泣く。
あたしはここまで来ても愚か者だった。
自分のした約束を自分から破るなんて。
折角涼二と一緒に歩けるようになったのに。
涼二と歌えるようになったのに。
涼二が―――大好きなのに。
勝手な思い出突き放して、走らせて。
涼二の気持ちなんて―――考えもしなかった。
勝手な期待をしてから回るのが怖かった。
ホントは嫌いだって言われて仕舞うのがいやだった。
涼二は、アタシを大切な人だと言ってくれているのに……!!
そんな勝手な思いの為に傷つけた―――。
涼二は小さく返事をして、なされるがままになってくれている。
それがとっても嬉しくて、涼二をさらに強く抱く。
涙が止まらない。
分かっていた。
あたしは涼二が大好きだ―――。
―――この想いを伝えなければならない。
『どもっお早うございます前座担当、水ノ上涼二ですっ』
不意にそんな声が響く。
前座って……別にそんなの言わなくていいのに……。
『文化祭最初のイベントだっテンション上げていきましょうっ!』
『いや、さっすが涼二。テンションの高さが違うね』
ナナくんが涼二のテンションに突っ込む。
確かに、今日はなんだかおかしい。涼二なりに緊張しているんだろうけど。
『ここで上げずにどこで上げるんだ』
『いや、普段の天下の水ノ上君とのギャップとかをね?』
『体面なんて気にしない。だって俺教室で公言してたし』
『立派な公私混同だよね〜』
わぁあっっと笑いに包まれる体育館。
『宣伝と言え。いいじゃないか委員会連絡のついでに言ってみただけだろ?』
いつものように会話する涼二がなんだかとっても舞台慣れしてる風に見える。
ドキドキと大きな音を立てる心臓。
今舞台に立っているのは涼二なのに、あたしが緊張してきた。
『早速一曲目―――!』
『ウォークス!!』
そして、あたしたちの学園祭が始まった。
*Ryoji...
ドラムがリズムを取って、一斉に演奏が始まる。
ノリの良さは抜群のこの歌は、俺が毎日海岸で歌っていたもの。
―――詩姫には涼二の歌と呼ばれている歌だ。
ウォークスと名前をつけた。
詩姫が証明してくれた、俺が俺であること。
この『声』が歌うことによって俺が形成される。
だからウォークス。この歌にしっくりと来た―――。
伴奏の中俺はナナ達を振り返る。
ナナは不適に笑う。
ビビッて無いか―――? と直前にも聞かれた。
正直、ちょっと不安だった。
でも、ここに立った瞬間、世界が変わった気がした。
だから、ナナに笑い返す。
今が、一番楽しい―――と。
俺はもう一度前に向き直った。
体育館は暗くしてあるので何処に誰がいるかあまりよく見えない。
真っ黒い波みたいだ。
肺に思いっきり息をためた。
そして、歌が始まる―――。
黒い波の向こうに届けと、俺は歌う。
この歌を聞かせるんだ。
俺の声で。
この歌は証明してくれる。
俺が―――水ノ上涼二だと言うことを。
歓声が教えてくれる。
ここで歌うことが―――こんなにも充実感の溢れることなのだと。
俺が目指した場所に俺は立っている。
これは第一歩でしかない。
たったの数分。
見知った人もちらほら居るような学校。
そんな中で歌うなんて、初歩中の初歩だろうか。
―――響け声、届けよ言葉―――この叫びで、感情を揺らすんだ―――!!
夢中で歌いきった。
歓声と拍手にあふれる体育館。
夢見心地で俺は舞台にたたずんでいた。
『―――サンキューーー!』
ハッと気づいて俺は群集に叫ぶ。
嬉しかった。
舞台袖に立つ詩姫。
何故か今にも泣きそうな顔で、そこにいた。
俺は詩姫に歩み寄る。
「―――っ良かったっ最高だったよ涼二っ」
「ありがと。そんな泣きそうな顔するなよっこれからあそこに立つんだぞ?」
「―――うんっ!」
俺がポンと頭に手を載せると、拳を握って笑って見せた。
「よし。行って来いっ」
俺が舞台袖に入ると詩姫の背中を押した。
体育館がざわめく。
織部詩姫がシロユキの妹だということは学校中に広まっている。
俺は舞台袖から控え室に降りると、観客側に出た。
詩姫の歌う曲は全部で5曲。
俺も観客として聞いていたい。
一番前は割り込むことが来ない―――というか、何処から集まってきたのかたくさんの人が体育館に入ってきている。
なるべく正面に行こうとしていると一番後ろまで来てしまった。
「よ、おつかれさん」
不意に肩をつつかれる。
「シュウ、ミヤコ……」
歌い終わった直後なのでイマイチ恥ずかしい。
視線もちょくちょく集めているが、今舞台に詩姫が出てきたのでそっちに移る。
「ふふっ大成功じゃん涼二」
えらいえらいと、京になでられる。
「ちょっと来るの遅れてな。来た時には前にスペース開いてなかったぞこのモテモテっ子め」
柊の鳩尾に鋭い手刀が刺さる。
恥ずかしくてもう言葉にもならない。
というわけで先に手を出してみたというわけだ。
……すまん、自分でもテンションが高いのは分かってる。
「ほぐぅ!? や、やるじゃない……?」
プルプルと震えながら、鳩尾を押さえる柊。
「大人しく聞こうぜ?」
「ら、らじゃ」
俺は一番後ろに設置してあったパイプイスに腰掛けて詩姫の声を聞ことにした―――。
『おはようっ! 織部詩姫ですっ!』
わぁああ! と熱い声が響く。
……なんか、ちょっとムッとした。
『それじゃ2曲目っシロユキのアルバムから『snow white』―――っ!』
ギュィーーーー!!
ギターの甲高い音が響いて、曲が始まる。
シロユキナンバーとナナのオリジナルを歌う詩姫。
どの曲も、詩姫の声を最大限に生かせる歌だ。
久しぶりに聞くその声に耳だけを傾ける。
3曲目が終わった。
詩姫の歌の表現力は凄い。
今歌い終わったバラードでは何人か涙を流すほど、感情が伝わってくる。
「―――……すごいねっヒメちゃんっ」
京もポロポロと涙をこぼしている。
「へ、へへっ耐えてやったぜ」
ぎりぎりの顔で柊は親指を突き出す。
別に耐えなくても……。
歓声とアンコールに沸く体育館。
動員数はいつの間にか体育館の容量を超えている。
さすがに見えなくなったのでパイプイスの上に立っている状態だ。
俺も鳥肌の治まらない肌をさすりながら詩姫を見る。
『ありがとっ―――それじゃもう一曲―――!』
詩姫と目が合った。
俺は手を上げて応援をする。
詩姫もそれに気づいてくれたのか、手を振って答えてくれた。
『の、前にっ一つだけ―――!』
と、何故かスタンドからマイクをはずす。
何をやるんだろ。
聞いてないなぁ。でもナナとかが止める様子も無いし大丈夫なんだろう。
そう思って彼女が何をするのか俺もジッと見ていた。
詩姫はマイクを持ち直すと深呼吸をした。
吸って、吐いて。吸って―――
『涼二が好きだーーーーーーーーーーー!!!!!!』
ガタンッ!!!
盛大な音を立てて俺はパイプイスからすべり落ちた。
「ッ―――!?」
いてーーって……何ッ!?
その音のせいか、俺の目の前の人垣がすっと舞台まで割れていく。
冷たい汗がダラダラと全身を流れる。
スポットライトが詩姫と俺だけにあたる。
シン……と体育館は静まり返り、視線はすべて俺に注がれる。
立ち上がって遠く対峙する。
―――答えなんて、最初から決まってた。
俺は詩姫のためになら泣ける。
倒れるまで走れる。
もともと―――詩姫の為に歌っていた。
その距離は遠い。
一歩を踏み出せないでいる。
不意に、声が聞こえる。
「なにやってんだよ。世話が焼けるなっ」
柊の声。
「早く行ってあげなよ」
京の声。
そして、背中が押された。
「あ―――」
俺は歩き出す。
真っ直ぐ伸びた道を歩く。
その距離は短かった。
舞台の下に立つ。
詩姫はさっきから微動だにしない。
マイクを待って視線だけ俺を追い続ける。
見上げた詩姫。
彼女は―――震えていて、それでも俺だけを見ていた。
怖いんだろう。
―――手に入れることに臆病で我侭だった彼女が、勇気を振り絞った告白。
―――5年前から、隠していた気持ちが溢れる。
「俺―――!!!」
この、声で言わなければ。
―――最後に、もう一度手を差し出した。
「詩姫が好きだっ!!!!!!!」
わああああああああああああ!!!!!
悲鳴のような歓声に包まれる
すべての証明が一気に点いてそのすべてが俺たちを祝ってくれた。
いつの間にかまた俺の後ろに居た柊と京が俺を舞台へと押し上げる。
『ひゅーーーーーーっ!!! おめでとーーお二人さんっ!!』
榎本がマイクを使って言葉をくれる。
『それじゃついでに歌ってもらおうっ二人のためにウォーークス!!』
ナナはそれだけ言うと、俺に向かってマイクを投げた。
俺がそれを受け取ると、一斉に演奏が始まる。
さっきとは違い原曲に近い演奏。
「涼二あたし―――っ」
目に涙を溜めて、俺を見る。
―――っ恥ずかしくて堪らない。
だから、俺は返事の代わりに手を差し出した。
詩姫は一瞬ハッとして笑うと恥ずかしそうに手を握った。
そして、今までで最高の『涼二の歌』を体育館に響かせた―――。
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