番外編・甘い・なんでもない日々

*Ryoji...



 海を見ている。
 俺の世界を作る黒い海。
 スポットライト代わりにしている街灯がヂリヂリと音を立てる。
 真夏の陽気だった今日も、涼しい潮風と共に終わりを告げているようだ。
 砂浜は光の中に居るせいかあまり鮮明には見えないがいつも通りの肌色で昼間は焼けるように暑かった。

 そんな夏の真っ只中。
 とある夏休みの一日を利用していつもの海岸通りに居た。
 どうも勉強ばかりしていると体が鈍るし、夏だというのにつまらない。
 皆を誘って遊びに行くのもありだがどうもそんな気分ではなかった。
 とりあえず暑い時間を図書館で乗り切って、帰り際にここに来た。
 歌のレッスン教室は先生の事情で閉まっていて、
 無いと連絡があったしシキも用事で出ているとのことなので手持ち無沙汰な感じ。
 まぁあそこは割とあの先生の趣味的な所が大きいし誰も文句をいわないのだが。
 自主的にここでレッスンをして、一通りをこなしたので休憩がてら黄昏を見送った。

 海岸通はあんまり人が通らない。
 柊がランニングでたまに通るらしいがあとは特に話しに聞かない。
 俺や京は10分ぐらい歩かないとこの海岸通りには来れないし。

 夜になっても暑い。
 さすが夏だ。
 とっとと帰って冷たいものでも飲もうと思って防波堤から降りた。


「―――リョウジ!」

 呼ばれて振り返った。
 潮風に靡く長い髪。
 少しだけ残った太陽の光を背に笑顔でこちらに走り寄って来る。
「シキ」
 足を止めて彼女に向き直った。
 俺とシキの丁度間ぐらいの距離にある空き缶が気になった。
 何となく横向きで、さり気なく彼女の歩幅を計算すれば、丁度良く彼女が踏んでしまう位置。
 気付いた時にはあと2歩程まで詰めてきてしまっていた。
「シキ、あぶな―――」
 い。
 何ていうより早く距離を詰めなければいけないと俺も走り出す。
「へ?」
 彼女は俺に気付いて驚いた顔をする。
 そして―――同時に。

 カコンと、缶を踏みつける音。
「へ―――?」
 フラッと思いっきり体勢が仰け反った。
 ―――ああ、もう、なんでコイツは―――!!

 バサッ!!

「―――っ! 大丈夫か!?」
 詩姫を何とか抱える状態で受け止めて無事を確認する。
 密着した状態で
「へぁ? わっっう、うんっ。大丈夫っ!」
「……そっか。暗いし気をつけろよ?」
「うんっあ、ありがとっえへへ」
「……嬉しそうだな……」
 妙に嬉しそうに笑う彼女を真っ直ぐ立たせる。
「嬉しいよっあはっ」
 そういって腕にくっついて俺に並んだ。
「今帰りでしょ? 送ってくよ〜」
「だーめ。俺が送るから安全にお家に帰ってください」
「えぇー。折角来たのにー」
「いいだろ? 送るんだから同じじゃん」
「送るのと送られるのって違うんだよっ?」
「俺を送ってもどうせ母さんに拉致られて俺が送るんだけど……あ、ウチ寄ってく?」
 今ならご飯も出るだろうし丁度いいかもしれない。
「うんっ」
 彼女は頷いて満足げに笑う。
 ああ、そうか。
 意図していることに気付いて多分赤面した。
 要約すれば、ウチに寄って行く気だったってことだ……。
 ……気恥ずかしい。
 うわ……とっとと行こう。
 俺は詩姫に歩幅をあわせてゆっくり歩き出す。
 微かに見える太陽の光だけが俺達を見送った。



「詩姫ちゃんっ! お帰りー!」
「おじゃましますっ」
 いつも通り大歓迎されてうちに入れられる詩姫。
 歓迎文句もいつの間にか「いらっしゃい」から「お帰り」に変わった。
 そろそろ詩姫が「お母さん」と呼ばされるのも時間の問題か……。
「ただいま。あっつー」
「ふふ。今二人に冷たいお茶入れてあげるから」
「あ、ありがとう御座いますー」
「詩姫ちゃんはついでにお料理手伝ってくれると嬉しいな?」
「はいっ」
 ほらコレだ。
 ウチに連れてくるといつも母さんに取られてしまう。
 まぁ……ほら、仲がいい事は結構なのだが。
「今日は一子相伝の必殺料理教えちゃうわっ」
「頑張りますっ」
 うーん。まぁでもここまで母娘やっていると逆に気持ちいいぐらいだよな。

 チビチビとお茶を飲んで待つ。
 やっぱ待っている間は手持ち無沙汰なので参考書を持って適当に書き込む。
 テレビも見流しているのであまり進まない。
 適当と言うのは現代的な意味を持ってしまうといい加減な意味が加わるのだが、
 本来は適切に持てる能力を使ってやることを言う。
 復習は適当に。予習はしっかりやるのが自分のスタイル。

「涼二っあっまた勉強してるっ」
「ん? どうした詩姫。勉強は学生の本分だぞ?」
「ずるい!」
「何が?」
「アタシがガンバって料理してるのに〜っ」
 だからこっちも頑張って勉強をしてるんじゃないか。
 と言っても嫌味にしか聞こえないだろうし……

「じゃぁ変わろうか?」

 にっこりと笑顔で言った。
 すると詩姫の後ろでカシャーンっとお皿が割れる音がした。
 母さんが食器を割るなんて珍しいな。
 まぁその動揺が何のせいなのか俺は知っているが。
「どうする?」
 俺は詩姫の後ろで声にならない声で鳴いている母さんを見ながら言う。
 味見、してくれるよね? とにっこり無言で伝えてみる。
 母さんは震えた状態のままプルプルと小刻みに頭を振った。

「うん……アタシがやるよ」
 流石に苦笑いでその役割分担を納得してくれた。
「ああ。楽しみにしてる」
 本心、自分で作ったものは食べたくない。
 本当に誰かの作る料理を楽しみにしている。
「うんっ」
 詩姫は飲み物のおかわりを入れてくれてまた台所に去る。
 適所適材。役立たずはじっとしているのが掟だ。
 なんてオヤジみたいなことを思うのは平和すぎるからだろうか。




 一子相伝の必殺料理に本当に殺されそうだった。
 ……胃が破裂しそうだ。
 美味しかったけどさ……。
 調子に乗って食ってると死ぬかと思った。
 それにしても美味かったなあのオムライス……。

 部屋に戻ってベッドに座ってまったりとギターを触っている。
 ……まだ、初歩のコード覚えたばかりで必死で身体に覚えさせている途中だ。
 ギターはせんせー仕込み。
 弾き語り? 無理に決まってるだろ……。
 ……御堂先生は凄い。ピアノもギターもベースもドラムも歌も……。
 逆に何が出来ないのか聞いたほうが早そうだ。
 今度聞いてみるのもいいかもしれない。

 コンコンッ
「あいてるよー」
 ガチャッとドアが開いた。
「疲れたー」
 言ったとおり疲れた風味にフラフラと部屋に入ってくる詩姫。
 そのまま上半身だけベッドに投げ出すと枕に顔を埋めていた。
「あ、涼二の匂いがするー」
「お疲れさん……つか、ハズいからやめてってそれ」
「笑いつかれたよ……」
 顔半分を枕に埋めたまま俺を見上げる。
「楽しそうで良かったじゃんか」
「楽しかったけど……涼二が居ないからー」
 言ってぷぅっと頬を膨らませた。
「……すみませんでした」
 いっそ家事に関わらない方が平和なんだと思う今日この頃。
 そういえば洗物やってもなんか詩姫に注意された記憶がある。
「久しぶりに一緒なのにっ」
「……いや、うん。だから……悪いって」
「……違うー。違うよ涼二クン」
「うわ。今のクンのつけ方がせんせーみたいで怖い」
「ふっふっふ……今日あたしはね……

 イ、イチャイチャしてみに来たのにっ!」


 クワッと勢いよく言って彼女は固まった。
 もうすでにイチャイチャが古いのだが突っ込むべき所はそこじゃないのか?
 何ていえばいいんだ?
 ……こ、来いよ?
 言えるかっ!
「……えと、ああ」
 とりあえず、顔は真っ赤になってしまったが詩姫を見ながら頷いた。
「……〜〜ッッ!?」
 途端、詩姫も真っ赤になって再び顔を枕に埋めた。
 凄く恥ずかしかったらしい。
「……とりあえず、詩姫?」
 呼ぶと、素早く彼女は枕を顔に押し付けた状態のまま俺の隣にきっちり座る。
 擬音的にはギギギという錆びた機械の音が正しいだろう動作でこちらを向いた。
 枕が引っ付いたまま。
「てい」
「……わっ!?」
 枕を取っ払う。
 仕掛けてきたくせに、妙に恥ずかしがる詩姫。
 どんどん……苛めたくなってきた。
「詩姫……」
 俺が視線を合わせようとすると彼女はやり場を失ってグルグルと視線を行き交わせる。
「……ッ〜〜〜〜!」


 バターンッ!
「詩姫ちゃん!」

 いつもの通り、母さんが現れた。
 俺たちは顔を寄せ合って―――。

「涼二、ギターのここはこうやって持つといいんだよ」
「そっか。こっちの指で先に押さえてるから全部押していいのか」
 ギターの指の位置を教えてもらって居る状態に急遽方向転換した。
「あ、どうしましたっ?」
 詩姫が満面の笑みで母さんを見る。
「ちぇ。今きてると思ったのに……あ、さっき言ってたお菓子ここ置いとくわね」
 やっぱり電波とってやがった。
 恐るべし不詳母。
「はいっいつもありがとう御座いますっっ」
「ううん。じゃ、ゆっくりしていってね〜」
 パタン。
 ドアが閉まるのを二人で見送って足音が遠ざかるのを確認した。
『セーフ……!』
 二人でふっと笑って―――
 見詰め合った。
 実際彼女と会うのは二日ぶり。
 用事が重なって会えなかった。
 でもこんなにも彼女とは距離が無い。
 それを嬉しいと思う。

 自然に、口を重ねた。
 いつもの事。
 やっと、人に見られなきゃ顔が赤くならない程度に慣れた。
 心臓は何時だって何度しても高鳴る。

 ああ、でも―――


 窓の向こうから眩い笑顔で手を振るミヤコはどうやって止めればいいのだろう?
「あ―――!」
「みやちゃ―――!?」
 暑いと扇いでみせて、気付いて二人で叫んだ時には向こうがカーテンを閉めた。
 二人で窓に張り付いてどうしようと向き合った。


 やっぱり、二人で赤面して、笑った。

 ―――そんな日々を過している。

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