25.サヨナラ
あ。
教室に入ると違和感があった。
「あーーーーー!!」
オレの目の前から声が上がる。
その指先は教室の手前の端側に向いていた。
見慣れない顔が教室の端に座っている。
それは間違いなく水ノ上涼二だった。

「どーも……」
詩姫の声に呆れたように反応する。
「涼二君っここに通うの?」
「まぁ……とりあえず見るだけ」
「へぇ。先生も強引に連れ込むんだな」
「そんなことせんよーねぇ? 水ノ上君」
「あはは……」
「愛想笑いしてますよ先生」
「なんのことかねぇ?」
嬉しそうにホワイトボードに振り返って残っていた文字を綺麗に消す。
先生は知っているのだろうか―――。
いや、これから聞こうとしているから機嫌が良いのか。
詩姫は嬉しそうに涼二の隣に座って、オレはいつも通り一番後ろの端に座った。

―――珍しくクラスが騒がしい。
いつも一番後ろで見ていても殆ど喋るヤツなんでいやしなかったのに、
今日は涼二あたりを中心に小さく声が聞こえる。
あの辺は詩姫と詩姫と仲の良い子が一人いたハズだからその子だろう。
……名前は覚えていないが。
まぁ同い年ぐらいの子が集まれば自然と騒がしくもなるか。
「こーら。あんまりさわいじゃダメ」
「は、はいっごめんなさい」
「すみません……」
怒られるのは目立つ方。
謝った二人は詩姫と涼二だが。
もう一人の子は何食わぬ顔で先生に向き直っていた。
まぁ、そんな感じで、いつもどおりな講義が進んでいった。





先生はいつも通りのセリフで授業を終わり、涼二を手招く。
今日はオレも詩姫も後のレッスンは無い。
涼二と話しているところをみると、涼二に体験させるんだろうな。
なんとなく付いて行きたい気持ちに駆られるが先生はそれを許さないだろう。
おとなしく帰ることに決め、オレは席を立った。
詩姫が抗議していたがそれも虚しく却下されオレと帰ることになった。


*Mido...

皆を見送ると個人レッスンの時間。
―――今日は誰も割り当たっておらずあの噂の子を見る機会となった。
うん。運がいい。
「それじゃ上の階に移動ね」
「はい」
言って私に付いて来る。
この子が実際どうなのかは知らない。
でも、何となく信じれる眼をしている。
防音施設とグランドピアノだけのシンプルな教室。
私はこの部屋が好きだ。
詩姫君も好きだと言ってくれた。
うん。あの子はカワイイ。
この子はどうだろう。
部屋を一度見回してピアノしかないことを確認したのか、
まだ? というオーラが満ちている。
「次は?」
待ちきれないようで。
「うん。それじゃーはじめようか」
私は早速ピアノを開いて始めることにした―――。

“声”
それは才能。
努力だけではいずれ限界にさしかかって、止まってしまう。
努力だけでは、思い通りの音階は出せても、“声”を出すことはできない。

この子は―――
一通りの基本を通す。
この子は難なく2オクターブ半の音階を出す。
まだ成長の途中。
この感覚は二度目。
一度目にそれを感じさせてくれたのは
―――織部詩姫だ。
歌うその声は私の指を弾ませる。
人に伝わる感覚。共鳴。
私にはなかった才能―――

「―――はい。今日はここまで」
少し物足りなさそうに私を見上げる。
……む…。
あんまり歌いすぎるのは喉によくない。
特に声変わりするこの子ぐらいの時期は。
そんな目で見ないで欲しい。
この子といい詩姫君といい……
「分かりました。ありがとうございました」
礼儀正しく彼はお辞儀をする。
「あ―――まっ……て」
思わず待ったをかける。
あーぅ……。
どうしよう……。
猫を飼ってはいけない環境に住んでいるのに、
擦り寄ってきた野良猫を抱き上げてしまったような途方も無い感覚。
可愛がりたいのに突き放さなければならない。
あぁどうしよう。
「……先生?」
覗き込んでくる少年。
か……かわいい………………
詩姫君と並んだらひたすらかわいいんだろうなぁ。
というかこの子男の子なのにかわいいってどうだろう。
歌の才能があってかわいいって最高じゃないか。
うらやましい子達だ。
ほんと、かわいいし……。



はっ!?


ダメダメダメダメダメ!!
脳みそを仮想世界から呼び戻して機能させる。
今、詩姫君と涼二君た楽しそうに歌っている図に虜にされていた。
なかなか危なかった。
「先生〜? 帰っていいんですか?」
「あ、うん、もうええよ」
「そうですか」
大人しく持っていた荷物を取りに行く。
そんな彼を見て、
「ねぇ……君は、あの歌を歌えるんだよね……?」

不意に、そんなことを聞いた。
あの歌。
一瞬考えるそぶりを見せて、ハイ。と答えた。

私は―――。









―――ピアノを弾き終わった。
音の余韻が心地よく響く。
それ以上に私の中では……この子の声が残っていた。
私はピアノに伏せる。
―――ダメだ。
涙が、止まらない。
「―――先生?」
涼二君が私に話しかける。
私は動くことが出来ない。
「……泣いてるの?」
それに答えることは出来ない。
泣いてしまった不覚さか。
年下の子に心配される恥ずかしさのせいだろうか。
「……ないちゃダメだよ。先生」
ポンポンと伏せた私の頭に触れる。
少し成長した、男の子の手。
まだまだ、これから強くなっていく―――手。
少しの沈黙を置いて、彼はまた喋る。
「……先生、僕思うんだ。この歌さ」

「すっごくいい曲なんだ」

―――ますます、涙が溢れた。
それは、嬉しさで。
「……よく、わかんないけど。歌ってると気持ち良いんだ」
泣いてる私をあやしてくれているのだろうか。
涼二君は拙い言葉を紡ぐ。
「一度歌ってみると分かるよ―――先生も」
言ってフッと頭から暖かい感触が消えた。
それと共に私も言葉を返す。
「涼二君―――」
「はい?」
「君はすごいね……」
「―――僕、が?」
不思議そうにしているのが目に浮かぶ。
この子はいくら褒めても不思議そうな顔をするか、苦笑いするかだった。
「僕は、すごくなんて無いです……でも……」
何かを言いかけてやめる。
彼にも思うところはあるのだろう。
「じゃぁ、僕、帰ります」
足音が私から遠ざかる。
―――せめて見送ろうと、私は顔を上げた。
涙は拭ったけど、まだ私の頬を伝っている。
「それじゃせんせー! また、明日!」
彼は底抜けに明るい笑顔で手を振る。
拍子抜けした顔で私は小さく手を振っていた。
―――まったく、彼には驚かされてばかりだ。


*Out Of...

愛しい人がいた。
―――ソレはもう、昔の話。
彼のお陰で私は音楽に出会えた。
彼のせいで捨てられなくなった。
彼のお陰で私は今ここにいる。
彼のせいでここに縛られ続けている。
でも、ソレは不幸ではない。
私にこれ以上あった仕事は無いだろうし、
御堂という家柄に縛られた私を解放してくれた彼には感謝こそすれ恨むことなんてできない。
それほど愛していたから、後悔するほど。
「―――聞こえた?」
虚空に向かって手を伸ばす。
「……あなたの曲は、歌になった」
貴方のフレーズを私が曲にした。
私の曲を、織部くんが歌にした。
そして
涼二君がそれを歌った。
心揺れる歌詞に、皆が振り返る声。
「―――私もその歌には泣いちゃった……」
苦笑い。
私はあまり感情を表に出さない。
そういう性格なのは知っている。
だから、あの子はすごい。
あぁ、私にも、こんな感情があったんだなぁと思い出す。
「あの子は完璧に出来た歌い手じゃないけど……
 確かな才能が私を惹きつけた」
静かに語りかける。
涙は頑張って飲み込んで、それでも溢れたものが頬を伝う。

「―――っあなたに……似てたよ―――」

声が揺らぐ。
静かな部屋の中で独り、涙を流した。
確かな歌<オモイ>だけをその胸に残して、語りかけるピアノに返事は無い。
「そう、だね。CD、CD作らないと……っ」
今は亡き、貴方に贈る為に―――。
溢れた涙を腕で拭い続けるが、止まる様子は見せない。
だから私はピアノに伏せって涙をこぼし続けた。



「これで、サヨナラ、じゃねぇ……!」


ポロポロ、ポロポロ。
涙がこぼれる。
サヨナラ。
私を置いていなくなった貴方に。
この歌を贈る。
それが私からの、最後の想い。

―――サヨナラ ユウイチ―――

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