38.間違い

*Shiki...

―――今日、涼二はレッスン教室に来なかった。
それは珍しいことで、ちょっと―――心配になった。
「―――それじゃ、今日は此処まで。
 あ、明日は私の急用で此処は閉まるけぇ来ても開いてないから気をつけて」
それを聞いて皆は頷くと教室を出て行く。
「先生っなんで?」
「先生の友達が亡くなってね、お通夜に行かないと……」
「……そう、ですか」
アタシがうな垂れるとごめんねぇ? と先生は頭を撫でた。


―――このときアタシは何にも知らなかった。


次の日はレッスンが無くて暇だった。
作曲を試みても、全く上手くいきそうに無い。
そういう時は何もしないのが一番だと、先生もお兄ちゃんも言っていた。
だから家でぽけーっとテレビを見ている。
―――う〜ん……料理でもしようかな……ちょっと、奮発して手の込んだやつ。
お兄ちゃんがおいしいと言って食べてくれるのはチョット快感。
ここで現実に戻って主婦みたいとか思ったら負けなのだ。
時計を見るといつもならお兄ちゃんが帰ってくる時間。
―――おかしいなぁ。
大体外で食べてくるならもっと前に電話がかかってくる。
と、言うことは帰って来ると思うんだけど……。
そんなことを思っていると電話が鳴った。
「あ、はいは〜い」
アタシはいつも通りに電話に出る。
お兄ちゃんかな?
「もしもし?」
『もしもし、水ノ上と申しますが織部詩姫さんはいらっしゃいますか?』
「あ、涼二っ?」
―――ちょっと嬉しくて声が跳ねた。
『詩姫、今、暇―――?』






海岸で待ち合わせして、ちょっと話したいことがあるって。
どんな理由でも良かった。
1週間に1度だけ会える涼二に昨日会えなかったんだしっ。
その嬉しさにあたしは浮かれて急いで準備した。
あたしはチョットだけ背伸びして髪を整えて、
一番お気に入りの服を着て、家を出た。

―――海岸に先に居たのは涼二だった。
礼服だろうか……子供用のスーツを着ていて
いつもよりちょっと大人びて見えて、格好良く見えた。

「涼二……? どうしたのそんな服で……?」
「うん。今日兄ちゃんの通夜だから」
え―――?
優一さん、の?
「そ、んな……」

「……ホントだよ。―――兄ちゃんが交通事故で死んだんだ……」

初めて知った。
あたしは、なんて事を聞いてしまったのだろう。
「ご、ごめんっ……」
「いいよ。どうせ白兄からきくだろうし……先生も、さっき来た」
だから今日はレッスン室が―――。
あたしのなかで全てが納得いく形になる。
涼二の目に涙が宿る。
初めて、こんなに弱々しい涼二を見る。
「僕を庇って……っ車に轢かれたんだっ
 僕が……っ僕が死ぬはずだったのに……っ!」
「……っ涼二っあ、泣かないでっ! ね、優一さん涼二を助けたんだよ?
 涼二に生きてもらうことを選んだんだよ?」


「でも死にたくないって言ったんだ!!!」


ビリビリと空気が振動する。
涼二の声の特徴だ。
感情を乗せると共鳴するように振動する。
絶望したような瞳の色でアタシを見ていた。

「ごめん……ごめんね。僕は、こんなこと言いに来たんじゃないんだ」
涼二は涙を流していた目をゴシゴシと拭く。
「聞いて、詩姫。僕はもう、目指せないんだ。シンガー」

「―――え?」

大きく広がっていたあたしの世界が、一気に崩壊を始めた。
「父さんと母さんが泣くんだ。あんなに有望な子だったのにって。
 白兄や真夜ねーちゃんが来て泣くんだ。
 どうしてって。ずっと……!
 僕は―――さ、気付いたんだ。



 なんで僕が、『優一にそっくり』って言われるのかって」



涙を拭った目はアタシを見た。





涼二の目には光が宿っていた。
希望を持った人間の持つ強い光。
「僕は兄ちゃんみたいに勉強頑張る。
 兄ちゃんと同じでサッカーもレギュラー取ったし塾でも一番上なんだ!

 兄ちゃんと同じことが出来るんだ!」

それは―――涼二の自信?
盲目になったみたいに一生懸命手探りで探してやっと見つけた答え。



「僕が―――優一になる!」



曇りの無い笑顔はとんでもないことを言った。
「え―――?」
「僕が優一になるんだよ。
 そうすれば、きっと、母さんも泣きやむし、父さんだって僕を褒めてくれるっ」
急に、私の目が霞んだ。
「で、でも涼二は……? 涼二は、涼二だよ?」
「僕はいいんだよ。どうせ、死んでたんだから」
ズキン、と、その笑顔から悲痛な鼓動が聞こえた気がした。
ダメだ……っ
いや、ソレよりも、

 イヤだ……!

「ダメだよ!!!」

気づいたら叫んでいた。
その声に驚いて目を丸くする涼二。
「だ、ダメだよ涼二っ!! ……涼二は優一さんじゃないんだから!」
「―――だからなるんだよ。僕が」
「ダメッ! ダメダメダメッ!!」
ブンブン頭を振って否定する。
イヤだ。
涙が出そうだった。
「涼二―――!」
いって少年を見上げる。
―――さっきまでのあきらめた表情は無く、強く、あたしを見ていた。
その強い瞳から、一筋の光が流れ出る。
―――あ、
「でも」
強くつむがれていた口が動く。
「僕は」
ゆっくりとあたしから2歩遠ざかる。
そこで風が止んでいることに気づいた。
波の音だけがあたしたちの間を流れる。
心にチクチクと嫌な予感が募る。
……聞きたくない。
でも、あたしは動けなかった。

「僕は―――優一になるんだ!!!!」


涼二を追って走る。
海岸は走りにくくて、革靴だったあたしは派手にこけた。
「きゃっ!!!」
それでも振り返らずに走ってく涼二。
あたしは砂まみれで起き上がる。
走ったって追いつけない。だから、
「絶対! あきらめないから―――!!」
あたしが叫ぶ。
でもその声は涼二を留めることは出来ずに走っていった。

残ったのは砂まみれのあたしと、波の音。

「―――うっえっ―――っっ」
一気に涙が溢れてきた。
「―――っあぅっっひっ……」
ポタポタと大粒の涙が流る。
嗚咽が止まらなくなってきて―――
「ああ…… うああああああああああああああっ!!」

大好きだったのに。

「あぅっぅううぅぅづぅっ!!」
一緒に、歌っていたかったのに

「うあっん……ああああああああああああぁぁっ!!」


ずっと、一緒だと思っていたのに。


想いと理想が溢れて。
海岸に蹲って大声で泣いた。
なんで―――歌わないの涼二―――?

あんなに楽しそうに歌えるのに
あんなに歌いたくなる歌なのに
あんなに上手なのに
あんなに一生懸命だったのに……!!

涙は止まらない。
砂浜を濡らして大きな水跡をつける。

どうして、と、なんで、が頭の中を駆け巡る。
ねぇ、なんでなの?
涼二は涼二なのに。
―――涼二は、優一さんじゃないのに。
あきらめた顔して、「優一になる」なんて―――間違ってるよ涼二っっ!



















いつの間にか、家に帰っていた。
時計を見上げるともう10時が近い。夜の、だ。
あたしは寝転がっていたソファーから降りると顔を洗った。
泣きすぎで目元が腫れている。
あ、はは。変な顔。

玄関にお兄ちゃんの靴がないことに気付いた。
―――まだ、帰ってないのかなぁ。
電話……電話しなきゃ。
リビングの電話の受話器を取ってダイヤルを押す。
もう何度も電話しているので番号は覚えている。
しばらくプルプルと呼び出しの音が鳴る―――。
なかなかでない。
元々そうだ。家に帰ってる途中とかだと電話に出ない。どうせ帰るからって。
たまに、買ってきて欲しいものとかあるのに。
そういうお兄ちゃん。
だけど、今、家に居る唯一の家族。
心配だし、いて欲しいときもある。
涙が出そうだ。
お兄ちゃんは出ない。
帰ってきてるの……?

ねぇ。お兄ちゃん……っ

『……もしもし?』
泣き出しそうになったその時、その声が聞こえた。
出そうに涙を押しこんで声を出す。
「お兄ちゃん? 良かったやっとでた〜も〜帰らないなら帰らないって電話してよ〜」
半泣きでも明るめに電話に対応する。
きっとお兄ちゃんのことだからばれない。
『悪い……ちょっと怪我してな。病院に居るんだ』
「病院!? え!? なんでっ!? 大丈夫!?」
焦った。瞬時に保険証とかお金とか持って病院に行かないとって思う自分が逞しいと思う。
『騒ぐなよ。大丈夫だ。オレは―――』
その言葉を聞いて安堵する。
「ホント? ほんとに? ……じゃぁ今日は帰ってこないの……?」
寂しいな―――今日は、いて欲しかったのに。
『多分……。悪い……な。明日は、絶対帰るから……』
「うん……ホント、大丈夫? やっぱりアタシ行くよっ何処の病院?」
心配だし……お兄ちゃんにも聞きたいし。優一さんのこと。
だから―――
『あぁ。入院してるのはオレじゃないんだ。だから大丈夫』
……じゃぁお兄ちゃんが付き添いってことになる。
「お兄ちゃんが付き添い? 誰が入院してるの?」
気になる……実は女の子の家に……は!
そ、それなら、邪魔しちゃ悪い……よね!?
『……啓輔だよ』
「けーちゃん!? けーちゃんそんな大怪我したの!? 大丈夫!?」
答えは返ってこない。
息を呑むのだけわかった。

『けーちゃんも大したこと無いわよ詩姫ちゃん』

その声は、アタシの良く知っている人の声だった。
「あ! 真夜ねーちゃん! 真夜ねーちゃんも一緒?」
ん……?
なんで真夜姉ちゃんが……?
そそそそ、そのま、まさか……!!?
『うん。だから心配しなくて大丈夫よ』
なんていうか大人の余裕かその言動からにじみ出ている。
や、やっぱりそうなんだろうか……!!
お、男と女だし……仲は前から良かったし……っ!
「そ、そっか〜! じゃあ大丈夫だねっ!
 真夜姉ちゃんもお兄ちゃんが無理してるみたいだったら止めてあげてね……?」
へ、変な意味じゃないよ?
『あははっ大丈夫。わかってるわよ。ちゃんと家には帰らせるから』
それまで何処に居るの〜〜〜!?
「あ、あははっ! う、うんっよろしくっ!」
『うん。オヤスミなさい詩姫ちゃん』
「うんっオヤスミ真夜姉ちゃんっお兄ちゃんに代ってもらっていー?」
『ん。わかった』

『おう……』
「真夜ねーちゃんが居るなら安心だね〜……襲っちゃダメだよ?」
も、もう遅いかな……?
『うっせー。とっとと寝ろ小学生』
うわっ怒ったっ
「あははっオヤスミお兄ちゃんっ」
『あーオヤスミ』
それだけ言うと通信は途絶える。

―――は、ぁ……。

受話器を戻すとあたしはベッドに向かう。
枕を抱いて―――今日はもう、寝ることにした。



今日が―――夢になることを信じて。


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